Description of a work (作品の解説)
2008/01/02掲載
Work figure (作品図)
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檜図屏風

 (Japanese cypress) 1590年(天正18年)
170.0×461.0cm | 4曲1双・紙本金地着色 | 東京国立博物館

狩野派随一の天才、狩野永徳が最晩年頃に手がけたとされる傑作、国宝『檜図屏風』。永徳自身による画伝であり、その後、京狩野の絵師、狩野山雪・永納によって編された≪本朝画史≫に「怪々奇々」と記される樹木図と同一視されることから、一般的には永徳の筆とされる本作『檜図屏風』は当初、豊臣秀吉が八条宮智仁親王のために建立した八条宮家御殿の襖絵として制作されたものの、改めて屏風へと改装された作品である。御殿建立が1590年(天正18年)であることから、永徳が手がけたとすると最晩年の作品となる本作の隆々とした檜の老巨木の構図は、永徳初期(又は40歳頃)の傑作『梅花禽鳥図』を彷彿とさせるが、しかしその樹木や枝の表現は、より雄雄しく、ダイナミックな展開を見せており、生命力と躍動感が漲っている。さらにしばしば粗放とも表現される、力強く豪勢な筆致や、スケール感に溢れた(威圧的とも受け取ることのできる)場面構成は、派手好きで、威光に酔い、それを求めた豊臣秀吉の趣味にも見事に合致している。永徳は諸大名や朝廷(公家)から請け負った大量の仕事によって病に臥し過労死したと考えられているが、本作に描かれる日本の檜の巨木からは永徳の生気に溢れた画業に対する原動的力動や、己(狩野派)の力を示さんとするその意向がひしひしと伝わってくるようであり、観る者を圧倒する。なお永徳が本作を手がける2年前の1588年に手がけたとされる天瑞寺の松図(現在は消失)との関連性も指摘されている。

関連:『檜図屏風』全体図左図拡大図右図拡大図


【全体図】
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雄雄しく、ダイナミックに伸びる檜の枝。一般的には永徳の筆とされる本作『檜図屏風』は当初、豊臣秀吉が八条宮智仁親王のために建立した八条宮家御殿の襖絵として制作されたものの、改めて屏風へと改装された作品である。



【雄雄しく、ダイナミックに伸びる檜の枝】
生命力と躍動感がみなぎる檜の老巨木。永徳が手がけたとすると最晩年の作品となる本作の隆々とした檜の老巨木の構図は、永徳初期(又は40歳頃)の傑作『梅花禽鳥図』を彷彿とさせるが、しかしその樹木や枝の表現は、より雄雄しく、ダイナミックな展開を見せており、生命力と躍動感が漲っている。



【生命力と躍動感がみなぎる檜の老巨木】
画面左端に配される大岩。しばしば粗放とも表現される、力強く豪勢な筆致や、スケール感に溢れた(威圧的とも受け取ることのできる)場面構成は、派手好きで、威光に酔い、それを求めた豊臣秀吉の趣味にも見事に合致している。



【画面左端に配される大岩】

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