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ジャン=バティスト=マリー・ピエール Jean-Baptiste Marie Pierre
1714-1789 | フランス | ロココ・新古典主義
18世紀フランスにおいてロココ美術と新古典主義の架け橋的存在となった画家。当時隆盛を極めていたロココ様式を踏襲しつつ、ロココ的な豊潤な甘美性をやや抑制した様式を確立。水平性や垂直性など安定的で華美な装飾を廃したその表現は新古典主義の萌芽となった。歴史画や神話画、宗教画、大規模な装飾画などを主に手がけたものの、風景画や風俗画も残されている。現在においてジャン=バティスト=マリー・ピエールはやや忘れられた画家であるものの、18世紀当時は盛期ロココ美術における最大の巨匠
フランソワ・ブーシェの好敵手的存在でもあるほど著名な画家であった。1714年に生まれ、若い頃(青年期)
シャルル=ジョゼフ・ナトワールに弟子入りし絵画を学ぶ。1734年『サムソンとデリラ』を主題とした作品(現在は消失)でローマ賞第一等を受賞し5年間ローマへ留学する。その後、パリへと帰国し、1742年に王立絵画・彫刻アカデミーの会員となる。その後、王侯貴族や有力者たちの依頼により歴史画や神話画を始めとした格式の高い作品を数多く制作し画家としての地位を不動のものとする。1770年、王立絵画・彫刻アカデミーの会長に就任、また同年、
ブーシェの死去に伴い宮廷首席画家の地位にも就く。晩年期は政務的作業に追われ、絵画制作に携わることは殆ど無くなるものの、若き画家へ新古典主義的表現を奨励し、その後のフランス絵画の方向性に大きな影響を与えた。1789年死去。