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≪聖ウルスラ伝≫から『ケルン上陸』部分。本作は碑文も署名は残されていないものの、伝統的に聖ヨハネ病院のために制作された聖遺物箱の装飾としてメムリンクが手がけたとされる。
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≪聖ウルスラ伝≫から『バーゼル上陸』部分。本作に描かれるのは5世紀の英国王の娘で、ローマ巡礼からの帰途の際にケルンのフン族の襲撃に遭い、巡礼に同行した1万1000人の処女と共に殉教した聖女≪聖ウルスラ≫の伝説である。
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≪聖ウルスラ伝≫から『ローマ教皇キリアクスとの対面』部分。本作に示されるメムリンク独特の初期ネーデルランド絵画伝統画法と優美で色彩豊かな様式は写実的緊張感に欠くものの、温和な弛緩される独自表現によって聖遺物箱の総合的な美的評価は現在も非常に高い。 |
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≪聖ウルスラ伝≫から『バーゼルからの帰途』部分。伝統的なゴシック様式の聖堂を模した聖遺物箱の蓋となる天井部のメダイヨン(円形の装飾モティーフ)部分には中央に聖母の戴冠や聖ウルスラの戴冠を、左右には奏楽の天使が描かれている。 |
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≪聖ウルスラ伝≫から『ケルンでのフン族の襲撃』部分。聖ウルスラ崇拝は舞台となったケルン地方のみならず、ライン地方、ネーデルランド、ヴェネツィアなどでも信仰を集めた。また聖ウルスラは毛織物業者の守護聖人とされるほか、頭痛の治癒聖女や幸福な死の仲介者ともされている。 |
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≪聖ウルスラ伝≫から『聖ウルスラの殉教』部分。本伝説は伝統的に巡礼に同行した1万1000人の処女とされるも、数については誤解釈も指摘されており、同行処女は11人とする解釈もあるほか、現在はその信憑性から教会暦から削除されている。 |
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