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ウィリアム・ホガース William Hogarth
1697-1764 | イギリス | ロココ美術・風刺画
18世紀イギリスにおいて同国の絵画の近代化を進めた創始的存在の画家兼版画家。社会的な風俗的主題の中に痛烈な風刺精神を組み込み、独自の道徳的風俗画様式を確立。写実的描写を用いた現実感を顕著に感じさせる場面表現と、人間の内面的・表裏的性格を感じさせる風俗画の連作は、高い人気を博した。代表的作例である連作風俗画(道徳的主題による連作風刺画)とその銅版画集のほか、カンヴァセーション・ピースと呼ばれる集団肖像画や単身肖像画なども手がけている。1697年、教師の息子としてロンドンで生を受け、両親の破産・監獄生活を経て、1713年、17歳の時に銀細工師エリス・ギャンブルの徒弟となる。1720年、両親の死をきっかけに独立、銀皿の紋章、挿絵の仕事で生計を立てながら、同年セント・マーチンズ・レイン・アカデミーで本格的に絵画を学び始める。1721年、風刺銅版画集『南海泡沫事件』を出版、好評を博す。1723年、歴史画家ジェームス・ソーンヒルの美術学校に通い始める。1729年、ソーンヒルの娘ジェーンと駆け落ち、結婚をするほか、同年頃より油彩画も手がけるようになる。1732年、銅版画集『娼婦の遍歴(遊女一代)』を出版(※原図は1755年に焼失)、各場面に隠喩を散りばめた独自の道徳的風俗画様式を確立し、大きな反響を得る。翌1733年、版画集の海賊版への対策として議会に著作権の保護を訴え、「ホガース法」とも呼ばれる著作権法の成立に尽力、1735年に施行される。その後『放蕩一代』や『
当世風結婚』などの銅版画集を発表し、画家としての地位を不動のものとした。またこれらの作品はホガース自身も望んでいた≪画家の社会的地位≫の向上も促した。その後、カンヴァセーション・ピースや歴史画なども制作するようになるが、大様式によるその作品群はあまり評価されることはなかった。1764年、ロンドンで死去。王立アカデミーの初代校長であり、イギリス近代絵画の創始者として名高く、美術論者(著書「美の分析」を1753年に出版)としても知られるウィリアム・ホガースであるが、その性格は粗暴かつ皮肉的で、外国を嫌悪する孤高の存在であったと伝えられている。なお夏目漱石もロンドン留学中、ホガースの作品を見て「ウィリアム・ホガースは紛れもなく一種の天才である。恐らく古今独歩の作家であろう」と称賛の言葉を残している。