Description of a work (作品の解説)
2010/01/23掲載
Work figure (作品図)
■ 

真福八端−幸福なるかな、心の清き者


(The Beatitudes - Blessed are the pure of heart) 1906年
61.5×43cm | 水彩・グワッシュ・紙 | モラヴィア美術館

アール・ヌーヴォー様式の最も著名な画家アルフォンス・ミュシャ1900年代を代表する作品のひとつ『真福八端−幸福なるかな、心の清き者(心の清き者は幸いなり)』。20世紀初頭にアメリカのエヴリボディーズ・マガジンからの依頼により、タイトル頁及び6点のカラー頁で構成された1906年12月号の付録の1点として手がけられた本作は、新約聖書マタイ福音書5章3節から12節に記される、主イエスが弟子らと共に集まった群衆へ幸福の説教をおこなう山上の垂訓(山上の説教)の場面≪真福八端≫から「心の清き者は福なり。彼等は神を見んとすればなり。」を主題として制作された作品である。本作が手がけられた1906年にミュシャはパリの美術学校の教え子でもある20歳以上歳の離れたチェコ人女性画家マルシュカ・ヒティロヴァと結婚しており、本作はその新婚旅行先であるボヘミアのホドスコで妻ヒティロヴァと共作的に制作されたことが知られている。ミュシャ自身が手がけた部分となる画面中央やや左側へはボヘミア的な民族衣装を身に着けたふたりの赤毛の少女が配されており、画面手前で卵の入った小鳥の巣を両手に持つ少女は眼を瞑った顔の様子から盲目であることを窺い知ることができる。そして画面奥の少女が柔らかな表情を浮かべながら手前の少女が手にする小鳥の巣へと視線を向けている。そして少女らの周囲には繊細かつしなやかな線と色彩で草木が写実的に描き込まれており、主題である≪神を見る清らな心≫の雰囲気がよく伝わってくる。さらに画家の妻ヒティロヴァが手がけた草木をモチーフとした周囲の装飾は絵画としての構成の妙を与えることに成功している。


【全体図】
拡大表示
盲目の少女と視線を落す三つ編みの少女。本作は新約聖書マタイ福音書5章3節から12節に記される、主イエスが弟子らと共に集まった群衆へ幸福の説教をおこなう山上の垂訓(山上の説教)の場面≪真福八端≫から「心の清き者は福なり。彼等は神を見んとすればなり。」を主題として制作された作品である。



【盲目の少女と視線を落す少女】
少女が手にする卵の入った小鳥の巣。ミュシャ自身が手がけた部分となる画面中央やや左側へはボヘミア的な民族衣装を身に着けたふたりの赤毛の少女が配されており、画面手前で卵の入った小鳥の巣を両手に持つ少女は眼を瞑った顔の様子から盲目であることを窺い知ることができる。



【少女が持つ卵の入った小鳥の巣】
繊細でしなやかな線と色彩による草木の描写。アメリカのエヴリボディーズ・マガジンからの依頼により、タイトル頁及び6点のカラー頁で構成された1906年12月号の付録の1点として手がけられた本作でヒティロヴァが手がけた草木をモチーフとした周囲の装飾は絵画としての構成の妙を与えることに成功している。



【繊細な線と色彩による草木の描写】

Salvastyle.com 自己紹介 サイトマップ リンク メール
About us Site map Links Contact us

homeInformationCollectionDataCommunication
Collectionコレクション
作品イメージ