Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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アルフォンス・ミュシャ Alfonse Mucha
1860-1939 | チェコ | アール・ヌーヴォー




アール・ヌーヴォー様式を代表する巨匠。草花をモチーフとした幾何的な文様や、曲線を多用した平面的で装飾的な画面構成など典型的なアール・ヌーヴォー様式と、モデルの女性など描く対象の個性や特徴を的確に掴みながら、視覚的な美しさを観る者に嫌味なく感じさせる独自の対象表現を融合させ、数多くの商業用ポスターや挿絵を制作。画家がパリ時代に手がけた諸作品は当時、大流行となり、画家(作家)として確固たる地位を確立。現在でもアール・ヌーヴォー様式の代表格として広く認知されている。また他のアール・ヌーヴォーの画家(作家)と同様、ミュシャの装飾性の高い平面的表現には日本の浮世絵からの影響が強く感じられる。ミュシャの作品はパリ時代のカラーリトグラフによる商業用ポスターや装飾パネルなどが有名であるが、油彩画でも優れた作品を残しており、特に晩年期に故郷チェコで制作した連作『スラヴ叙事詩』は画家の生涯の中でも屈指の出来栄えを示している。1860年、チェコスロバキア南方モラヴィアのイヴァンチッツェで裁判所の官史をしていた父オンドジェイ・ミュシャと家庭教師であった母アマリエ・マラーの間に生まれ、1871年からブルノーの中学に通うほか、同年、聖ペトロフ教会聖歌隊員となる。1878年、プラハの美術アカデミーを受験するが失敗。翌年、ウィーンへと赴き、舞台美術などを手がける工房へ助手として入る。その後、失業してしまうものの、パトロンであったエゴン伯爵の援助を受け、1884年からミュンヘン美術学校に留学。古典的な写実的表現を会得する。1887年、ミュンヘン美術学校を卒業後、パリに向かう。1891年、ポール・ゴーギャンと知り合う。1894年、当時の著名な舞台女優サラ・ベルナールが主演する戯曲『ジスモンダ』のポスターを手がけ、大きな反響を呼ぶ。翌1895年、サラ・ベルナールと六年間の契約を結び経済的困窮から脱するほか、『ジスモンダ』の成功によって一躍、時代の寵児となる。また同年、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックらと共にサロン・デ・サンのグループ展に作品を出品。その後、『ジョブ』や『メディア(メデア)』などのポスターや、『四つの時の流れ』、『四つの星』など連作的作品を数多く制作し、名声を博す。1904年から数回、招かれる形でアメリカに滞在し同地で制作活動をおこなう。1908年、ボストン交響楽団によるスメタナの≪わが祖国≫を聴き、強く感銘を受け、スラブ諸国の文化の伝道に尽力することを決意。1910年、故郷チェコに定住。翌年からスラヴ民族の歴史を綴った連作『スラヴ叙事詩』の制作に取り組み、チェコスロバキアの国家行事のポスターなどを手がけつつ、1928年まで同連作を制作し続けた。1938年、肺炎により健康状態が悪化、翌1939年チェコで死去。なおミュシャは作品のデザイン性の豊かさから、デザイナーとしての評価も高い。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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ジスモンダ

 (Poster for Gismonda) 1895年
213×75cm | リトグラフ | 所蔵先複数

アール・ヌーヴォー様式を代表する画家アルフォンス・ミュシャが名声と社会的地位を得るきっかけとなった伝説的ポスター作品『ジスモンダ』。本作に描かれるのは当時、フランスで最も名を馳せていた劇作家ヴィクトリアン・サルドゥーが手がけた、アテネを舞台に物語が進められるキリスト教を主題とした戯曲『ジスモンダ』第三幕中、≪棕櫚の日曜日(復活祭直前の日曜日)の行列に加わるジスモンダ≫の場面である。本作の中で、高齢でありながら圧倒的な人気を博していた舞台女優サラ・ベルナールが扮するジスモンダは、主イエスを迎えるために棕櫚(ヤシ科の常緑高木で、キリスト教では死に対する永遠の生命の勝利を意味する)の葉を右手に持っている(※これは主イエスのエルサレム入城の際に、棕櫚の葉を手にして主イエスを迎えたとされる民衆の姿に由来している)。威厳的でありながら高潔性に満ち、左手を己の胸に沿え、斜め上に視線を向ける本作のジスモンダの凛とした美しさに溢れた姿は、『ジスモンダ』に主演するサラ・ベルナールも絶賛したと伝えられている。本作は1895年12月25日にサラ・ベルナールから「来年1月4日から始まる舞台(ジスモンダ)のポスターを至急制作してほしい」と電話で依頼を受け、わずか数日で制作したとの伝説的な逸話が残されているが、これは依頼を受ける以前(ジスモンダの初演は10月31日)に画家が本戯曲を観賞しており、その中で最も印象に残った姿を本作に反映したとも推測されている。またひとつの作品として考察しても、描かれる対象(本作ではサラ・ベルナール扮するジスモンダ)の特徴を的確に掴んだ表現や全身描写のほか、様式化された装飾的描写や空間的平面性、異国趣味的な表現、極端に縦に伸びた画面構成など、その後、画家が数多く手がける諸作品に共通する画家独自の個性や作品的特徴が、本作の時点でほぼ確立していることも特筆に値する。

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椿姫

 (Poster for La Dame aux Camélias) 1896年
208×74.5cm | リトグラフ | 所蔵先複数

アール・ヌーヴォー様式の最も著名な画家(作家)アルフォンス・ミュシャ初期の代表的なポスター作品『椿姫』。本作は19世紀フランスを代表する劇作家兼小説家アレクサンドル・デュマ・フィス(子)の最も著名な小説で、自らが戯曲化した≪椿姫≫のポスター作品である。第二共和政時代に出版されたものの上演許可が下りたのは第二帝政時代となってからという戯曲≪椿姫≫は、高級娼婦で白い椿を好んだことから人々に椿姫と呼ばれるようになったマルグリット・ゴーティエと、好青年アルマン・デュヴァルとの恋の物語で、マルグリットを演じた舞台女優サラ・ベルナールは、作者であるデュマ・フィス(子)自身が≪椿姫≫の最高の役者と認めていたほど当たり役であった。本作に描かれるマルグリット・ゴーティエは白い椿の花をモティーフとした清潔で現代的な衣服に身を包みながら澄ました表情を浮かべている。頭部及び顔面は真横から、身体はやや斜めから捉えられる椿姫マルグリットは非常に優雅な立ち振る舞いを見せており、ドゥミ・モンド(裏社交界)に生きる女の姿を的確に示している。また髪飾りや下半身部分へは装飾的な椿の花が配されており本作(戯曲)の世界観を象徴している。さらに本作で注目すべき点は白い椿の花のイメージに合わせた色彩の見事さにある。背景には椿の花と対比させるかのように紫色が画面下部から上部へ濃淡法を用いて使用さえており、淡彩的な上部と曲線が多用された装飾的な文様は非常に良く調和している。さらにこれらの色彩と文様は本作の悲劇的かつロマン的な印象を観る者へ的確に伝える効果も生み出しており、今も魅了し続ける。

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連作≪四季−春≫

 (The Four Seasons -Spring-) 1896年
94.5×48cm | リトグラフ | 所蔵先複数

19世紀末に一世を風靡したアール・ヌーヴォー様式の最も著名な画家アルフォンス・ミュシャ初期の代表的な装飾パネル作品『連作≪四季−春≫』。ミュシャの出世作であり随一の代表作でもある『ジスモンダ』と共に、画家の人気を不動のものとした作品として知られる本連作は、春夏秋冬(四季)を若く美しい女性と共に、それぞれの季節に合う花や草木で表現した≪月暦画≫の一種で、出版業を営んでいた編集者レオン・デシャンと印刷業者シャンプノワの依頼により制作された連作である。四季の中の≪春≫を題材に制作された本作では、頭に花飾りを着けた美しい金色の髪の毛が魅力的な女性が若草で作られた竪琴を奏でる姿が画面中央に配されている。春を象徴する女性の姿は伝統的なコントラポスト(重心を片方にのせ、もう片方を自由に遊ばせることで身体全体の流れをS字形にし、左右非対称の均衡美を表現する手法)の姿態で表現されており、溢れんばかりの春の生命感や躍動感を感じさせると共に、女性特有の丸みを帯びた柔らかい肉体も見事に表している。さらに若草の竪琴の傍らには、その音色に引き寄せられたかのように数羽の小鳥が留まっており、この小鳥たちへと向けられた春の女性の薄っすらと笑みを浮かべた穏やかな視線との関連性は、あたかも古典的な女神ヴィーナスを連想させる。また写実的に表現される女性の顔や手足など肌が露出する部分と、平面性が際立つ背景の木々や花々との描写的対比や、太く明確な輪郭線による対象の強調的表現には単なる装飾作品には収まらない画家の独自的で信念に基づいた確固たる芸術性を見出すことができる。

関連:連作≪四季−夏(1896年版)≫
関連:連作≪四季−秋(1896年版)≫
関連:連作≪四季−冬(1896年版)≫

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サロン・デ・サン(1897年版、ミュシャ展版)


(Poster for the Exhibition of the Salon des Cent) 1897年
63×43.5cm | リトグラフ | 所蔵先複数

19世紀フランスでアール・ヌーヴォー様式の流行を築き上げた大家アルフォンス・ミュシャ代表作『サロン・デ・サン(1897年版、ミュシャ展版)』。本作は1897年に国立美術学校近郊の画廊≪サロン・デ・サン≫で開催された、ミュシャの2度目の個展の告知用ポスター作品である。画面中央からやや左寄りに配されるスラブ風の少女は口元に右手を置きながら観る者へと実直な視線を向けている。少女の身に着ける髪飾りは、サロン・デ・サンの経営者が刊行していた美術総合誌ラ・プリュム内の評論で「典型的なスラムの娘」と評されるよう、異国的(かつ画家の民族的アイデンティティー)な雰囲気を顕著に伝える役割を果している。さらにこの少女が左手に持つペンで描いたことを連想される象徴的な3輪は宗教的(キリスト教的)観念としての「希望」「信仰」「受難」を、中央のハートは「愛」を意味していると考えられている。表現としては、曲線を多用した優美で洗練された装飾性が際立つアール・ヌーヴォー様式の典型的な手法が用いられているほか、赤桃色と白色を基本色とした明快で単純ながらミュシャの個性と意匠の真意を明確に示す色彩描写は、画家の芸術性を理解する上でも非常に重要視されている。なお個展はラ・プリュムで特集を組まれるなど開催時から人々の注目を集め、この個展の大成功によりミュシャはその名声を確固たるものとした。

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黄道十二宮

 (Zodiac) 1896-97年
66.5×48.2cm | リトグラフ | 所蔵先複数

アール・ヌーヴォー様式の大巨匠(作家)アルフォンス・ミュシャ随一の代表作『黄道十二宮』。本作は印刷業者であるシャンプノアの依頼により制作されたカレンダーの意匠が基となった作品で、≪黄道十二宮≫が意匠のモチーフとされている。本作は画面中央に天使階級第二位に位置する智天使ケルビムが配された特別仕様版(装飾パネル)であり、ミュシャの代表作として必ず名を挙げられるほど著名な作品としても知られている。本作に描かれる智天使ケルビムはほぼ真横から捉えられており、顔面部分のみが写実的に、髪の毛や髪飾り部分はやや単純化された表現にて描写されている。さらにその周囲へは天球上における太陽の(見かけ上の)通り道である≪黄道≫を12等分して、左から牡羊座、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座、乙女座、天秤座、蠍座、射手座、山羊座、水瓶座、魚座と十二星座が当てはめられており、意匠として大変素晴らしい調和を生み出している。そして画面全体はアール・ヌーヴォー様式の典型となる曲線を多用した植物的モチーフに彩られ、観る者に心地良い印象を与えることに成功している。本作で最も注目すべき点は、やはり全体の調和性と≪黄道十二宮≫をモチーフとした高度なデザイン性にあり、特に各構成要素の基本形となる円の連続性を計算した配置のバランス感覚や、智天使ケルビムの頭髪の毛先との呼応などはミュシャが手がけた他の作品としても突出した完成度を示しており、今なお観る者に強い感動を与える。なお本作に用いられた≪黄道十二宮≫はカレンダー以外にもポスター、装飾パネルなど様々な展開で用いられた。

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ジョブ(小)

 1897年
(Poster for the cigarette paper Job (small))
55.5×43cm | リトグラフ | 所蔵先複数

アール・ヌーヴォー様式の巨匠アルフォンス・ミュシャ随一の代表作『ジョブ(小)』。ミュシャが『ジスモンダ』によって一躍有名となった頃から3年後の1897年に制作された本作は、タバコの巻紙製造会社であった≪JOB社≫のためのポスター作品である。画面中央に斜め横から捉えられた美しい長髪の女性が配され、その右手の指先には火の点いた巻きタバコが挟まれている。挑発的とも思えるような魅惑的な視線と半開き的な口元には当時の最先端的な洗練性と開放的な性を兼ね備えた女性像を見出すことができ、観る者を強く惹きつける。さらに画面背後上部には大きく≪JOB≫と社名が配されるほか、ビザンティン文化的な装飾性も認められる。煙草の色を思わせる茶褐色を主色とした色彩の調和性も本作において特筆すべき点ではあるが、やはり最も注目すべき点は本作に描かれる女性の特徴的な巻き髪にある。ほぼ円を描くかのように湾曲する毛先表現は極めて装飾性が高く、巻紙製造会社としての象徴との印象が重なるような表現でもあるため、本作をひとつのポスターとして捉えた場合の広告的効果も十分予測することはできる。さらに絵画様式や芸術性という観点から本作を捉えた場合でも、この曲線性はアール・ヌーヴォー様式の典型的な特徴であり、女性特有の柔らかさともイメージが合致するため、表現としては素晴らしい出来栄えであるとも言える。他の画家たちが敬遠気味にあった、このような商品の購買を促進するためのポスターとして制作しながら、芸術性も失うことなく非常に品質の高い作品を完成させることに成功したミュシャの類稀な才能が本作には良く示されている。

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ビザンティン風の頭部:ブルネット


(Byzantine Head : Brunette) 1897年
52.5×37cm | リトグラフ | 所蔵先複数

アール・ヌーヴォー様式を代表する画家アルフォンス・ミュシャの傑作『ビザンティン風の頭部:ブルネット』。1897年に2対の連品として制作された≪ビザンティン風の頭部≫を画題とした作品の中の1点である本作は、≪ブルネット(褐色)≫と題されるよう、(本作では黒に近い色から濃淡法を用いた)褐色的な髪の女性をモデルとした異国趣味(東洋風)的作品である。画面中央の円の中にはブルネット(褐色)の髪が美しい端整な顔立ちの女性が配され、その視線を正面(画面的には右側)へ向けている。やや波打った長いブルネットの髪の毛先は画面周囲のアール・ヌーヴォー的な草木をモチーフとした装飾と呼応するかのように巻いている。これらミュシャ特有の優美な女性像も特筆に値する出来栄えであるが、本作で最も注目すべき点は、ビザンティン文化に着想を得た神秘性漂う装飾性にある。本作の名称にある≪ビザンティン風≫とは、4世紀末から15世紀中頃まで東欧〜コンスタンティノープル(イスタンブール)を中心に大地域を支配したビザンティン帝国(東ローマ帝国)の美術様式で、ビザンティン文化の東方正統教会(オーソドックス)文化に基づいた壮麗で格式高い装飾性は、ミュシャの祖国にも通じる文化様式であった。本作に描かれる女性の頭部を飾る、華麗で豪奢な金細工と色鮮やかな宝石で構成される月や花をモチーフとした髪飾りは、今でも観る者の目を強く惹きつける。さらに注目すべきは髪飾りの色彩構成にあり、黄金の黄色と印象的な赤色が互いに引立て合うことで、観る者の視線を髪飾りへと自然に誘導させている。

関連:対画 『ビザンティン風の頭部:ブロンド』

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ビザンティン風の頭部:ブロンド


(Byzantine Head : Blonde) 1897年
52.5×37cm | リトグラフ | 所蔵先複数

アール・ヌーヴォー様式を代表する画家アルフォンス・ミュシャの傑作『ビザンティン風の頭部:ブロンド』。1897年に2対の連品として制作された≪ビザンティン風の頭部≫を画題とした作品の中の1点である本作は、≪ブロンド(金髪)≫と題されるよう、金髪の女性をモデルとした異国趣味(東洋風)的作品である。画面中央の円の中には、対画となる『ビザンティン風の頭部:ブルネット』と同様、美しい顔立ちの女性像が真横からの視点で配されており、様式化された周囲の枠と表現的統一性を保ちながら見事な対比を見せている。さらに節目的な女性の瞳の表情には女性特有の上品な慎み深さを感じることができ、ミュシャの女性像におけるある種の典型を見出すことができる。本作で注目すべき点も、やはり『ビザンティン風の頭部:ブルネット』と同じく、金髪の女性が身に付ける装飾性に富んだ異国的な髪飾りの描写にある。特にインドや中東などで用いられるターバン的な白布の頭巾と、ビザンティン様式とエジプト美術を融合させたかのような形状の単純化が著しく象徴性の高い髪飾りの表現には非常にミュシャの意匠的創造力を感じることができる。さらにこの中で特筆すべき点は観る者の視線を惹きつける(まるで神話や古代の円盾を連想させる)円形の飾りの意匠と色彩的構成であり、ここにはミュシャの画家としての類稀な才能が存分に示されている。

関連:対画 『ビザンティン風の頭部:ブルネット』

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メディア(メデア)

 (Poster for Médée) 1898年
207×76.5cm | リトグラフ | 所蔵先複数

偉大なるアール・ヌーヴォー様式の巨匠アルフォンス・ミュシャを代表するポスター作品『メディア(メデア)』。本作は古代ギリシャ三大悲劇詩人のひとりエウリピデスの傑作≪メディア(メデア)≫を基に、19世紀の詩人カチュール・マンデスがサラ・ベルナールのために戯曲化した舞台劇のポスター作品である。戯曲≪メディア≫は、古代の英雄イアソンが権力と財産に惹かれ、妻であるメディアと2人の息子を捨て、コリントス王クレオンの娘グラウケーとの婚姻を承諾したことからメディアが怒り狂い、クレオン父娘の殺害、そして苦悩の果てに元夫イアソンに残された最後の希望であった2人の息子までも殺害してしまうという復讐的悲劇で、サラ・ベルナールは裏切られ復讐心に身悶える主役メディアを熱演したものの、興行的には凡庸であったと伝えられている。本作の場面はメディアが息子を短剣で殺害してしまうという本戯曲における最高潮である場面で、本作に描かれるメディアは愕然と目を見開き、右手に血のついた短剣を手にしながら観る者へと狂気的な視線を向けている。メディアの足下には自身で刺殺した息子が折り重なるように倒れており、決定的な死を容易に連想させる。またメディアの背後には不吉な印象を強調する朝日が昇っている様子が象徴的に配されている。登場人物の性格的側面を的確に描写しながらも、ポスターとしての興味を惹き付ける印象度も損なわない表現や、都会的で洗練された画面構成などは画家のポスター作品の中でも秀逸の出来栄えを示しており、今なお観る者を魅了する。

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連作≪四つの花−薔薇≫(連作≪花4部作−薔薇≫)


(The Four Flowers "Rose") 1898年
100×41cm | リトグラフ | 所蔵先複数

アール・ヌーヴォー様式の画家アルフォンス・ミュシャの典型的な作例のひとつ『連作≪四つの花−薔薇≫(連作≪花4部作−薔薇≫)』。本作は1896年に手がけられた『連作≪四季≫』の成功によって数多く制作された≪連作(4部作)的装飾パネル≫の中のひとつで、ミュシャが最も得意としていた花がモティーフ(画題)として使用されている。連作≪四つの花(花4部作)≫は、カーネーション(麝香撫子)、本作であるローズ(薔薇)、リリー(百合)、そしてアイリス(菖蒲)の4つの花を各装飾パネルのモティーフとして構成した4点1組の作品群で、画家全ての作品の中でも当時、特に人気が高かったことが知られている。本項では≪ローズ(薔薇)≫をモティーフとした装飾パネルに関して解説をおこなう。画面中央へは、ミュシャらしい非常に端整な顔立ちの理想化された女性像が正面から捉えられた姿で配されており、左右対称的なその姿態は観る者に厳格性や高い格調性、安定性のほか女性の存在感を際立たせる効果を発揮している。さらに女性の周囲へは赤色や桃色、黄色、白色などの花弁を満開にさせた薔薇が軽やかに取り囲むかのような構成で配されている。さらに薔薇の刺々しい茎の曲線が女性と薔薇の花の柔らかな印象をより強めており、全体として美しい調和を奏でている。これらはミュシャの作風の典型的な表現・構成であり、画家のもうひとつの特徴である異国的雰囲気は殆ど感じられないものの、顧客(ユーザー)の好みと流行が意識された非常に高度な完成度を示している点は特筆に値するものである。

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連作≪四つの星−月≫


(The Four Stars "The Moon") 1902年
79×39.5cm | リトグラフ | 所蔵先複数

アール・ヌーヴォー様式を代表する画家アルフォンス・ミュシャ異色的作品のひとつ『連作≪四つの星−月≫』。本作は1896年以降、数多く制作された4点1組による装飾パネル作品の中の1点で、≪宵の明星≫、本作である≪月≫、そして≪明けの明星≫≪北極星≫と星(月)を作品のモチーフ(主題)としている。画面中央に配される月の象徴たる女性は、口元へ手を置きながら魅惑的な視線を観る者へと向けている。その姿態は女性らしい細く儚げでありながら、しなやかな柔らかさを存分に感じさせる。女性の背後には三日月が闇夜を薄く包み込むような光を放ちながら白く輝き、観る者に神秘的な印象を与えることに成功している。さらに本作中へ描かれる漆黒の夜の中には星が5つ描き込まれており三日月の象徴性をより強調させている。さらに画面周囲の枠はミュシャの得意とした単純化された白い花や茎で構成されており、ひとつの作品としての画家の個性を顕著に見出すことができる。本作で最も注目すべきは≪夜≫を舞台とした場面設定とした、当時のミュシャとしては非常に珍しい暗色の使用にある。本連作≪四つの星≫では、主題である星(本作では月)の美しさや神秘的輝きを最も活かすために背景には薄暗い暗色が用いられており、その効果は一目瞭然である。このような場面描写は、それまで画家が手がけてきた華やかで温かさを感じさせる過去の作品とは明らかに異質なものであるが、この独特の象徴性を感じさせる表現こそ、その後の画家の様式的特徴であり、本連作はその先駆を感じさせる点でも重要視されている。

関連:連作≪四つの星−宵の明星≫
関連:連作≪四つの星−明けの明星≫
関連:連作≪四つの星−北極星≫

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受難

 (La Passion) 1904年
202×74cm | リトグラフ | 所蔵先複数

アール・ヌーヴォー様式の偉大なる画家アルフォンス・ミュシャを代表する宗教的主題作品のひとつ『受難』。20世紀初頭に制作された本作は、当時パリで上演されていた新作宗教劇≪受難≫のためのポスター作品である。本作の主題であり、宗教劇の演目である≪受難≫は、イスカリオテのユダの裏切りによって逮捕された主イエスが、自らユダヤの王を名乗り民衆を惑わせたとして、ユダヤの大司祭カイアファや民衆らから告発を受け、ゴルゴタの丘で磔刑に処されて死するまでの一連の出来事を指し、キリスト教の教義においても非常に重要視されるものである。ミュシャは幼少期に聖ペトロフ教会聖歌隊に入隊するなどキリスト教の敬虔な信者であることが良く知られており、本作にはポスターとしての広告的要素を十分に満たしながら、画家の深い信仰心も同時に見出すことができる。画面中央に配される受難者イエスは、笞打ちの刑の際に嘲笑と共に被せられたとされる≪茨の冠≫を右手に持ち、簡素かつ質素な修道的衣服に身を包みながら脱力的に立っている。しかし受難者イエスは信者(又は人類)へと向けられているかのような慈愛に満ちた穏やかな表情を浮かべており、≪受難≫という極めて過酷でドラマチックな場面を対比的に強調している。さらに受難者イエスの胸部にはハートを模した小さな装飾品が桃色によって描き込まれており、本作に描かれる対象の性格性を明確化している。本作には主題的要因からミュシャ独特の異国的雰囲気や、画家が描く女性の匂い立つような都会的甘美性などは認められないものの、画家の主イエスに対する深い感情と情念を強く感じることができ、キリスト教徒としてのミュシャの側面を考察する点でも重要な作品として位置付けられている。

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クォ・ヴァディス

 (Quo Vadis) 1904年
229×210cm | 油彩・画布 | ドイ・コレクション

スラヴ(チェコ)出身の画家アルフォンス・ミュシャ、アメリカ時代を代表する油彩画作品のひとつ『クォ・ヴァディス』。本作はミュシャが1904年から1910年までに数回滞在したアメリカで制作された最初期の作品で、画題はロシア占領下のポーランド出身で、1905年にはノーベル文学賞をも受賞している偉大な小説家ヘンリク・シェンキェヴィチの傑作歴史小説≪クォ・ヴァディス≫に典拠を得ている。本作の画題となった小説≪クォ・ヴァディス≫の舞台はキリスト教への迫害が厳しかったローマ帝国第5代皇帝ネロの統治下におけるローマであり、本作はその中で主人公である戦争から帰還したばかりのローマ軍大隊長ヴィニキウスが、彼の叔父でありギリシア思想の体現者ガイウス・ペトロニウスの下へ訪れるという小説の最初章の場面が描かれている。画面左側に描かれるペトロニウスはあたかも神話に登場する神々の彫刻を連想させるような逞しく理想化された肉体の背格好で描かれている。画面右側には帰還したばかりの主人公ヴィニキウスがカーテンを開き叔父ペトロニウスの部屋を訪れる姿が、そして中央にはヴィニキウスが恋心を抱いていた(ローマ軍によって征服された)リギイ族の娘でキリスト教徒であったカリナ(リギア)が叔父ペトロニウスへ魅惑的な視線を送る姿が配されている。さらに画面前景には煙の立つ香炉が配され、本作に緩やかで流水的な運動性と異界的な雰囲気を与えている。言葉として「何処に行き給わる(何処に行くのですか)」との意味を持つ≪クォ・ヴァディス≫を執筆するにあたり著者シェンキェヴィチは綿密な時代考証を重ねたことがよく知られており、本作にはミュシャが1890年代に制作した歴史書の挿絵での経験がよく活かされている。なおミュシャが最初のアメリカ滞在の時に仕上げられた本作は、完成後、長い間行方不明となっていたが、近年(1980年)シカゴで発見されたという逸話が残されている。

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百合の中の聖母

 (The Madonna in Lilies) 1905年
239.5×178.8cm | テンペラ・画布 | ジリ・ミュシャ・コレクション

19世紀フランスを中心に欧州へと広がったアール・ヌーヴォー様式の巨匠アルフォンス・ミュシャ、アメリカ時代の代表作『百合の中の聖母』。本作は画家が1904年から1910年にかけて度々訪れていたアメリカで制作された≪少女(乙女)と聖母≫を主題とした作品で、元々はエルサレムの教会のための大規模な装飾画のひとつとして構想されていたものである(※この装飾は実現しなかった)。画面左下には花冠を被った愛らしい赤毛の少女(乙女)が大きな草輪を手に持ちながら清楚な振る舞いで大地に腰を下ろしている姿が配されており、少女が身に着ける衣服はミュシャの故郷を容易に連想させるスラヴ風の民族衣装である。この少女を描く際、ミュシャはモデルの少女に姿態(ポーズ)は元より、ほぼ同様のデザインの衣服を始め、頭の花飾り草輪などを身に着けさせた後、写真に撮り、それを忠実に(画面上へ)再現していることが判明している。一方、この少女(乙女)の対角線上となる画面右上へは神々しく非常に清廉な聖母マリアがアトリビュートである百合に囲まれながら乙女の前に顕現している。本作の最も注目すべき点として挙げられるのは、無垢的な少女と彼女を慈しみ、そして同時に守護するかのような聖母マリアとの信仰心に富んだ関係性と、ミュシャ独自の世界観との見事な融合にある。登場する2名はいずれもミュシャらしい理想化された写実性を感じることができるが、少女の方は現実性を表すかのように明確な輪郭線によってはっきりと描写されているのに対して、聖母マリアの描写は背景の百合と溶け合うかのように薄く、そして幻想性に溢れている。この描写の差異によって両者の関係性を表す手法は、本作の清潔な聖性を見事に示すと同時に、画家の個性的な世界観をも表現することに成功している。

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真福八端−幸福なるかな、心の清き者


(The Beatitudes - Blessed are the pure of heart) 1906年
61.5×43cm | 水彩・グワッシュ・紙 | モラヴィア美術館

アール・ヌーヴォー様式の最も著名な画家アルフォンス・ミュシャ1900年代を代表する作品のひとつ『真福八端−幸福なるかな、心の清き者(心の清き者は幸いなり)』。20世紀初頭にアメリカのエヴリボディーズ・マガジンからの依頼により、タイトル頁及び6点のカラー頁で構成された1906年12月号の付録の1点として手がけられた本作は、新約聖書マタイ福音書5章3節から12節に記される、主イエスが弟子らと共に集まった群衆へ幸福の説教をおこなう山上の垂訓(山上の説教)の場面≪真福八端≫から「心の清き者は福なり。彼等は神を見んとすればなり。」を主題として制作された作品である。本作が手がけられた1906年にミュシャはパリの美術学校の教え子でもある20歳以上歳の離れたチェコ人女性画家マルシュカ・ヒティロヴァと結婚しており、本作はその新婚旅行先であるボヘミアのホドスコで妻ヒティロヴァと共作的に制作されたことが知られている。ミュシャ自身が手がけた部分となる画面中央やや左側へはボヘミア的な民族衣装を身に着けたふたりの赤毛の少女が配されており、画面手前で卵の入った小鳥の巣を両手に持つ少女は眼を瞑った顔の様子から盲目であることを窺い知ることができる。そして画面奥の少女が柔らかな表情を浮かべながら手前の少女が手にする小鳥の巣へと視線を向けている。そして少女らの周囲には繊細かつしなやかな線と色彩で草木が写実的に描き込まれており、主題である≪神を見る清らな心≫の雰囲気がよく伝わってくる。さらに画家の妻ヒティロヴァが手がけた草木をモチーフとした周囲の装飾は絵画としての構成の妙を与えることに成功している。

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ヒヤシンス姫

 (Poster for Princess Hyacinth) 1911年
117.5×78.5cm | リトグラフ | 所蔵先複数

アール・ヌーヴォー様式の巨匠アルフォンス・ミュシャ、チェコ時代を代表するポスター作品『ヒヤシンス姫』。ミュシャが故郷チェコへ帰郷した翌年となる1911年に制作された本作は、同国の人気舞台女優アンドゥラ・セドラコヴァが主演したラディスノフ・ノヴァク脚本オスカー・ネドバル編曲によるオペラ・パントマイム≪ヒヤシンス姫≫の宣伝用ポスター作品である。画面中央に描かれる本舞台の主役ヒヤシンス姫は右手で頬杖をつきながら観る者へと真っ直ぐ視線を向けている。ヒヤシンス姫が身に着ける衣服はミュシャの故郷であるスラヴ風の様式が色濃く反映されており、画家の故郷に対する深い情念を感じることができる。さらに頭部へは赤いヒヤシンスの花が飾り付けられた髪飾りが、背景にはパリ時代を彷彿とさせながらやや簡素化された円形へモチーフを組み合わせた装飾が施されており、ここにパリ時代とスラヴ時代の様式的融合を見出すことができる。本作を手がけた1911年からミュシャは生涯最大の大作となる連作『スラヴ叙事詩』を手がけ始めたため、チェコ時代の画家は政府委託の作品以外、商業宣伝用ポスターを殆ど手がけなくなるものの、本作においては同国を代表する美しい女優が主演のオペラ・パントマイムであった点や故郷に対する強いアイデンティティー、愛国心などの事由により制作したと考えられている。

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スラヴ叙事詩−原故郷のスラヴ民族


(The Slave in their Original Homeland)
1911年 | 610×810cm | 油彩・テンペラ・画布
モラフスキー・クロムロフ城

アール・ヌーヴォー様式の最も著名な画家アルフォンス・ミュシャ最後にして最高傑作群『スラヴ叙事詩−原故郷のスラヴ民族』。本作はミュシャが1910年に故郷チェコへと帰郷した翌年から制作が開始された、(画家も血を引き自身のアイデンティティにもなっていた)スラヴ民族の歴史を主題とする全20枚から構成される連作群≪スラヴ叙事詩≫の最初の場面≪原故郷のスラヴ民族≫である。紀元前3〜6世紀頃の農耕民族時代(草創期)のスラヴ民族が描かれる本作では画面下部中央よりやや左側の前景に一組の男女のスラヴ民族が描き込まれているが、その様子は中景に配されるアラブ風の衣服を身に着けた騎馬隊の襲来に怯えるかのように身を縮ませ茂みに身を隠している。学者や研究者によって見解は様々であるが草創期のスラヴ民族は大陸間の大移動や他民族との争いなど苦難の時代であったとされており、本作もその解釈に基づいている。画面右側へあたかも異空間的な構成で超常的に描かれる両手を広げた剣を携える人物はスラヴ民族の守護天使であり、スラヴ民族の正当性と輝かしい未来を暗示している。さらにこの人物の両脇に配される男女は戦争と平和の象徴であると考えられており、近代まで続くスラヴ民族の歴史的立場を暗喩しているようである。また本作は絵画作品として注目しても、スラヴ民族の歴史の創始を予感させる星が輝く夜と始まりの光を蒼白い色彩によって幻想性豊かに描写される独特の場面描写はミュシャの画家としての完成度の高さを強く感じさせる。

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スラヴ叙事詩−スラヴ式典礼の導入


(The Introduction of the Slavonic Liturgy)
1912年 | 610×810cm | 油彩・テンペラ・画布
モラフスキー・クロムロフ城

アール・ヌーヴォー様式の最も著名な画家アルフォンス・ミュシャ最後にして最高傑作群『スラヴ叙事詩』の中の1点『スラヴ式典礼の導入』。本作は9世紀から10世紀にかけて移住してきたスラヴ民族が王国を築きチェコの東部地域≪モラヴィア≫における、東ローマ帝国勅使(神学者)キュリロスによるスラヴ式典礼の導入場面を描いた作品である。中景として画面中央やや左側には宣教師によってスラヴ式の洗礼を受けるモラヴィア国王ロスティラフが描かれており、その周囲にはキリスト教(東方正教会)へと改宗した信者(国民)らが白衣を身に着けた姿で配されている。さらに画面上部ほぼ中央へは近景として≪スラヴの使徒≫とも呼ばれる、勅使キュリロスとその兄メトディオス(兄弟は聖書や典礼書のスラヴ語の翻訳や同地での布教、典礼の導入などをおこなった)が神々しい姿で配されており、その一段下には4人の聖人(画面右側)や抱擁し合う信者らの姿が超次元的で非現時的な空間にて丹念に描き込まれている。そして本作中、最も近景として画面下部左側には厳格性と正統性を感じさせる真正面を向いた青年が、あたかも勝利を宣言するかのように高らかと両腕を掲げており、その右手にはスラヴ民族の統一を象徴するひとつの輪が握られている。本作で最も注目すべき点は明暗差による現実と象徴の具現的対比にある。本作の主題となる≪スラヴ式典礼の導入≫場面は輝くような光を感じさせる白を基調とした明瞭な色彩で構成されているのに対して、場面の象徴性や思想性を表す構成要素は逆光の人物を思わせるような青々とした陰影の中で描写されている。このような明度の差による異なる対象の描き分けは全20点から構成される『スラヴ叙事詩』作品群の中でも特に秀逸の出来栄えを示している。

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スラヴ叙事詩−ロシアの農奴解放の日


(The Abolition of Serfdom in Russia)
1914年 | 810×610cm | 油彩・テンペラ・画布
モラフスキー・クロムロフ城

アール・ヌーヴォー様式の最も著名な画家アルフォンス・ミュシャ最後にして最高傑作群『スラヴ叙事詩−ロシアの農奴解放の日』。本作はミュシャが1910年に故郷チェコへと帰郷した翌年から制作が開始された、(画家も血を引き自身のアイデンティティにもなっていた)スラヴ民族の歴史を主題とする全20枚から構成される連作群≪スラヴ叙事詩≫において19番目に位置する≪ロシアの農奴解放の日≫を描いた作品である。本作の主題≪ロシアの農奴解放の日≫は19世紀ロマノフ朝帝政ロシア時代、早急な近代化を目指す同国が労働力確保のため、当時のロシア皇帝アレクサンドル2世が1861年2月に発布した大改革政策のひとつ≪農奴解放令(農奴制解体の勅令)≫を、モスクワの赤の広場で告げるロシアの役人とその周囲に集まる(農奴であった)スラヴ民族の場面が描かれているものの、その光景からは解放の歓喜や安堵は伝わってこない。むしろ画面中央に描かれた発令を告げるロシア役人から(身分的対比を連想させるように)やや離れた位置で囲むように集う解放されたスラヴ民族らの当惑的な表情や異様な静けさすら漂う雰囲気からは、漠然とした将来への不安や一抹の緊張を感じることができる。ここにその後のスラヴ民族に対するミュシャの歴史的悲観を見出すことができるが、同時に、本作の背景として描かれる薄日に包まれるおぼろげな聖ワリシー寺院にはスラヴ民族の未来に対する勝利の象徴も示されている点は特筆に値するものである。

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スラヴ叙事詩−スラブ賛歌


(The Apotheosis of the Slavs)
1926年 | 480×405cm | 油彩・テンペラ・画布
モラフスキー・クロムロフ城

19世紀フランスでアール・ヌーヴォー様式の流行を築き上げた大家アルフォンス・ミュシャ代表作『スラヴ叙事詩−スラブ賛歌』。本作はミュシャが1910年に故郷チェコへと帰郷した翌1911年から制作が開始された、スラヴ民族の歴史を主題とする全20枚から構成される連作群≪スラヴ叙事詩≫において最後の1枚(20枚目)として手がけられた作品である。本作は、1918年にオーストリア=ハンガリー二重帝国から独立を勝ち取った新たなるチェコ(チェコスロバキア)を象徴化した場面を描いた作品で、画面上部中央で聖葉で作られた輪を持ちながら両手を広げる青年がそれを表現しており、さらに青年に背後には主イエスの姿が描き込まれている。画面のほぼ中央で輝く光の中に描かれる人々は独立後のチェコの希望の象徴であり、また栄光の象徴でもある。さらに希望や栄光の象徴の右斜め下に描かれる青白い光の中の人々は古代のスラヴ民族を表し、またその対角線的位置に描かれる暗く影がかった一団は過去に敵対していた勢力を意味している(なお敵対勢力の対面にはスラヴ民族の偉人らが配される)。なお本作はアメリカ人であったクレーン氏の協力・援助があって完成した経緯もあり、画面中央からやや右上部分には他国の国旗と共に星条旗も描き込まれている。

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Work figure (作品図)


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