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ルネサンス芸術
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ハンス・ホルバイン(子) Hans Holbein the Younger
1497-1543 | ドイツ | ドイツ・ルネサンス
ドイツ・ルネサンスを代表する画家。同じく画業を営んでいた父の下で絵画の修行をしたと考えられている。父も同名(ハンス・ホルバイン)であることから、現在はハンス・ホルバイン(父)、ハンス・ホルバイン(子)として区別されており、功績で考えるとハンス・ホルバイン(子)の方が圧倒的に高い。最も古い記録では1515年バーゼルでエラスムスの『痴愚神礼讃』の挿絵を制作したとされているが、この年代以降は裕福な市民の肖像画や木版画の挿絵を多数描いている。また聖母子像やキリストの受難など宗教画も同様に多数描いていたと考えられているが、1529年宗教改革が激化し聖像破壊がおこなわれたため、初期のもの以外、現存する作品は極めて少ない。1526年から1528年の2年間と、1532年から渡英し、同地に滞在するドイツ商人の肖像画を描いているほか、1536年以降はヘンリー8世の宮廷画家として活躍した。
【全体図】
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墓の中の死せるキリスト
(Der tote Christus im Grabe)
1521-22年頃 | 31×200cm | テンペラ・板 | バーゼル美術館
ホルバインが手がけた宗教画の中で最も有名な作品のひとつ『墓の中の死せるキリスト』。制作された経緯や目的は現在も不明である本作に描かれているのは、解剖学的な見地から磔刑に処され死した受難者イエスの亡骸の3日後の姿である。ホルバインは腐敗による死したイエスの肉体的衰退を、極めて恐々とした写実を以って克明に描写している。この後に復活すべき神の子イエスの肉体のあまりにも絶望的な腐敗と衰退はホルバイン独自の解釈に基づき描かれたと解釈されている。なお本作は文豪ドストエフスキーに多大なインスピレーションを与えたことでも知られ、代表作『白痴』の中で肺病に冒され死の迫る若者イポリートの言葉「この亡骸を目の当たりにしたら、誰一人、その復活を信じることはできないであろう。」として言及されている。
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【全体図】
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バーゼル市長ヤーコプ・マイアーの聖母
(Madonna des Basler Burgermeisters Jakob Meyer zum Hasen)
1526年頃
146.5×102cm | Oil on panel | Schlossmuseum, Darmstadt
ダルムシュタット城美術館に所蔵されるホルバインが手がけた代表的な宗教画『バーゼル市長ヤーコプ・マイアーの聖母』。主題は聖母子と聖人を配する構図≪聖会話≫が基礎となっているが、本作では注文主のヤーコプ・マイアーと、その一族が配されている(マイアー自身、最初の妻マグダレーナ、ドロテア・カンネンギーサー、アンナ、亡くなったした2人の息子など)。またホルバインが1524年に渡仏した際、閲覧したと思われる
ラファエロ
の影響が随所に表れている。特にマイアーの妻マグダレーナと息子の上品な顔立ちや人物の若々しい表現などに、理想化された考えに極めて近い
ラファエロ
の影響が顕著にみられる。また作品全体を通してもそうだが、人物の感情豊かな表現や細密な描写など、肖像画家として名を馳せていた画家の溢れる才能がよく表れている。
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【全体図】
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大使たち
(Die Gesandten) 1533年頃
206×200cm | Tempera | National Gallery, London
肖像画家としても名を馳せていたホルバインの代表的な肖像作品『大使たち』。仏の使節として渡英したダントヴィユと、友人でラヴール司教のジョルジュ・ド・セルヴを描いた本作は、自身二度目となる1532年からのイギリス滞在時に描かれた作品で、肖像画としての対象のとらえ方、表情の繊細で細密な描写など、この時期のホルバインの円熟味を増していった表現が大きな見所である。また画面中央に描かれた頭蓋骨のトロンプ=ルイユ(だまし絵)としても名高い作品でもある(トロンプ=ルイユとはフランス語からきた言葉で、室内の壁や天井に実際の窓や柱、装飾パターンや風景を書き込む技法で、単なる【だまし絵】ではなく、欧州では古典的な建物にも多様される装飾法)。聖ミカエル騎士図の騎士で、仏の使節として渡英したダントヴィユの29歳時の肖像やラヴール司教でもあったジョルジュ・ド・セルヴ25歳時の肖像の羽織った柔らかい毛の表現や、使節らしく凛とした表情など、いずれも高度な技術で描かれている。
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