Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ラファエロ・サンツィオ Raffaello Sanzio
(ラファエロ・サンティ Raffaello Santi)
1483-1520 | イタリア | 盛期ルネサンス





イタリアのウルビーノ地区に生を受けた、レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロと並ぶ盛期ルネサンスの三大巨匠の一人。聖母の画家としての異名を持つことからわかるように、聖母マリアと幼子イエスを描いた作品が有名。ラファエロはレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロとはやや歳が離れており、この二人や師ペルジーノから多くを学び、その結果、盛期ルネサンスの集大成とも呼べる絵画作品の傑作を数々描いている。またペルージアでの修行時代から画家としての才能は飛び抜けており、若くして独立し芸術の都フィレンツェでの有意義な滞在を送った後、25歳から死去する37歳まで、教皇ユリウス2世からローマに呼ばれ、ヴァチカンの宮廷画家として栄華を極めた。近代からはその調和に富んだ古典的様式から、古典主義絵画(西欧アカデミズム)の祖として見なされた。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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聖母の結婚

 (Sposalizio della Vergine) 1504年頃
170×117cm | 油彩・画布 | ブレラ美術館(ミラノ)

ルネサンス三大巨匠のひとりラファエロ・サンツィオ初期の傑作『聖母の結婚』。ラファエロが21歳の時に、当時の有力な権力者アルビッツィーニ家の依頼により、ペルージャ近郊チッタ・ディ・カステッロのサン・フランチェスコ聖堂サン・ジュゼッペ礼拝堂のための祭壇画として制作された本作に描かれる主題は、聖母マリアが14歳の時に、神殿の司祭長のもとへ天使が現れ「国中の独身者に一本、杖を持たせて集めよ。そして杖の先に花の咲いた者を(聖母マリアの)夫として選べ」と聖告を受け、その聖告に従い国中の独身者を集める中、大工ヨセフの手にする杖の先に花が咲き、聖母マリアの夫として選定された後、両者で結婚の儀式をおこなう場面≪聖母マリアの結婚≫である。画面中央より左側に聖母マリアと5人の処女たちが配され、画面右側には夫ヨセフと選定に漏れた多くの独身者たちが描き込まれている。そして画面の中央では司祭長が聖母マリアと夫ヨセフの手を取り婚姻の印となる指輪を(聖母マリアの手の先へ)近づけている。画面右端では枝の先に花が咲かなかった(神に選ばれなかった)独身者が怒りのあまりに枝を折る仕草を見せており、この父なる神による奇跡的出来事を神聖化している。本作に描かれる各登場人物は師ペルジーノの優美さと甘美性を正統に引き継いでおり、師との深い関連性を見出すことができる。またそれは背後に描かれるエルサレムの神殿の描写や背景全体の空間構成においても同様であるが、本作の完璧な空間的把握と自然的な描写は、若きラファエロが既に師ペルジーノを超えるだけの力量を有していたことを如実に物語っている。そしてこれらが相乗的に作用し合い、静粛さと荘厳さが混在した聖性の高い結婚場面の表現となって画面の中に独特の雰囲気を構築している。この表現こそラファエロの宗教画におけるひとつの真髄であり、今も観る者を魅了し続けているのである。

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大公の聖母

1504年
(Madonna del granduca (Madonna col Bambino))
84×55cm | 油彩・板 | ピッティ美術館(フィレンツェ)

トスカーナ大公であったハプスブルク家のフェルディナント3世が所蔵し、公務で出向する際は勿論、私的な旅行のときでさえ、片時も手放すことはなかったというほど、この作品を賞賛していたことから、このように呼ばれるようになった、聖母の画家ラファエロの代表作『大公の聖母』。主題はラファエロが最も数を手がけた主題である≪聖母子≫で、当時、まだ画家として成功への道を歩み始めたばかりのラファエロが、先人レオナルド・ダ・ヴィンチなどからスフマート(ぼかし技法)技巧や絵画展開に強い影響を受け、このような簡素な背景の中に浮かび上がる聖母子の姿を描いたと推測されており、暗い背景の中から浮かび上がる聖母子の姿の簡素でありながら慈愛に溢れた感情の表現は、後にフィレンツェで描くことになる聖母子の原型であったと研究されている。また愛情に満ちた身振りをおこなう幼子キリストの視線は強い意思を持ちながらも威圧感は存在せず、人々を導く先導者としての才覚の一片を覗かせている。

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三美神

 (Tre Grazie) 1504-05年頃
17×17cm | 油彩・板 | コンデ美術館(シャンティイ)

1504年から1505年頃にかけて描かれたとされるラファエロの寓意画『三美神』。本作は同時期、同サイズで制作された『騎士の夢(知恵の寓意)』との対画であろうと考えられており、共にローマのヴォルケーゼ家が旧蔵し、現在『三美神』はシャンティイのコンデ美術館が、『騎士の夢』はロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵している。対画『騎士の夢(知恵の寓意)』の眠れる騎士スキピオは、ヴィーナス(快楽)とミネルバ(徳)のどちらかを選択する試練を受け、本作『三美神』では(徳)を選択した騎士に、褒美として与えられるヘスペリデスの林檎(黄金の林檎)を手にしている。ギリシャ神話における美と優雅の女神たち≪三美神≫は、通常アグライア(輝き)、エウフロシュネー(喜び)、タレイア(花の盛り)の三女神を指し、美しい若い娘の姿で表される。本作の三美神の調和に溢れた均整的な古典的表現や図像展開は、フィレンツェ派の大画家ボッティチェリによる『春(ラ・プリマベーラ)』中に描かれる三美神と共に、ルネサンスを代表する三美神の表現として広く認知されている。

関連:ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵『騎士の夢』

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玉座の聖母子と洗礼者聖ヨハネ、バーリの聖ニコラウス


(アンシデイの祭壇画)

1504-1506年
(Madonna con il Bambino leggente trono e due santi)
274×152cm | 油彩・板 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ペルージアの修行時代からフィレンツェ滞在時代にかけて手がけたラファエロ初期の代表作的な祭壇画『玉座の聖母子と洗礼者聖ヨハネ、バーリの聖ニコラウス』。本作はペルージアのサン・フィオレンツィオ・ディ・セルヴィーティ聖堂内アンシデイ礼拝堂のために制作され、主題は玉座の聖母子に、成人の聖ヨハネ、守護聖人聖ニコラウスを左右に配した≪聖会話≫。所蔵先のロンドン・ナショナル・ギャラリーでは最も人気の高い作品のひとつとして公開されている。玉座に鎮座し幼子キリストを抱く聖母マリアはキリスト教徒が日常の祈りの際に模範とすべき文章を集めた書物≪祈祷書≫を熱心に読んでいる姿で描かれ、信仰の重要さを表現し、模範的な祭壇画として教会の支持を得た。キリストの洗礼者でもある左手に透明な十字架を持ち、成人の姿をした聖ヨハネは右手で、救世主として生誕した幼子キリストを指し示している。バーリの聖ニコラウスは、黄金を渡し身売りされそうだった貧しい貴族の娘を救う伝説のほか、食肉として切り刻まれようとした子供を救った伝説や、死後、嵐を沈め船乗りを救ったなどの伝説が残る聖ニコラウスは、小アジアのミュラで生を受けた司教で、サンタクロースの原型となった人物である。

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ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)

 1506年
(Madonna del Belvedere)
(Madonna del prato, Madonna con san Giovannino e il Bambino)
113×88cm | 油彩・板 | ウィーン美術史美術館

ルーヴルが所蔵することで有名な『美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ)』の前年に、ほぼ同様の大きさと構図にて制作された、フィレンツェ滞在時代で最も有名な、もうひとつの謙譲の聖母子『ベルヴェデーレの聖母』。こちらは当時絶大な権力でウィーンを中心に統治していたハプスブルク家が旧蔵し、現在はウィーン美術史美術館にて公開されている。幼子たちを見つめる聖母マリアの牧場の済んだ背景に一際引き立つ赤と青の衣装は、聖母マリアの典型的な服装でありながらも、画面に聖母らしい清潔なインパクトを与えている。また聖母マリアに支えられながら地に足を付け、聖ヨハネの持つ十字架を握る幼子イエスの構図は、神の子イエス(キリスト)と聖ヨハネの師弟関係を表すものだと考えられている。聖ヨハネの姿は、片膝を地に付け、幼子キリストが握る十字架を支えており、裸体で描かれることもあるが、聖ヨハネは質素な衣に身を包み十字架を手にしている姿が、ルネサンス以降に描かれた聖母子の構図では典型であった。

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美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ)

 1507年
(Bella Giardinier (Madonna col Bambino e san Giovannino))
122×80cm | 油彩・板 | ルーヴル美術館(パリ)

パリのルーヴル美術館が所蔵したことによって、最も多くの人々に知られることになったラファエロ制作の聖母子像のひとつ『聖母子と幼児聖ヨハネ』。通称の美しき女庭師という名称で今なお魅了し続けている本作は1507年、フィレンツェ滞在時に手がけられ、明るく澄み渡った牧歌的な風景の中、地に腰を下ろし謙譲を示す聖母マリアと、ミケランジェロの影響であろう躍動感に富んだ表現をされる幼児キリストから、ラファエロの代名詞ともなった聖母子の姿の典型が伺える。ゴシック期より盛んに描かれてきた聖母子像に、ラファエロは母親の母性を画面中に表現し、多くの人々から支持を得た。本作はその最も典型的な作例のひとつである。聖母子の構図ではヨルダン川でキリストへ洗礼をおこなった聖ヨハネは大人として描かれることもあるが、本作のようにキリスト同様、幼子として描かれることが多かった。

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カニジャーニの聖家族

 (Sacra Famiglia Canigiani) 1507年
(Sacra Famiglia con i santi Elizabetta e Giovannino)
131×107cm | 油彩・板 | アルテ・ピナコテーク

現在ドイツはミュンヘンのアルテ・ピナコテークが所蔵するラファエロ制作の聖家族作品『カニジャーニの聖家族』。この名称は、最初に所蔵していたフィレンツェの一族に由来し、その後メディチ家を経由して、ドイツへと渡ってきた。主題は聖母子と、聖母の母聖アンナ、父聖ヨアヒム、洗礼者聖ヨハネを描いた≪聖会話≫で聖母は大地に腰を下ろし、謙譲の意を表している。また本作は、鮮やかな色調や構図的なバランスなど、後のアカデミズムに通ずる作風となっている。聖アンナの左上部に描かれる遠景部分の町並みからわかるように、色彩の諧調に支配された色の微妙な変化と、透明感に富んだ大気の表現は、北方に由来していると考えられている。洗礼者聖ヨハネと幼子キリストは両者とも幼子として描かれながらも、互いの関係や信頼性、キリストの正当性を、ラファエロは外枠(世界)として描かれた三角形に配されるの大人(聖母マリア、聖アンナ、聖ヨアヒム)の中心に表現した。

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キリストの遺骸の運搬(ボルゲーゼの十字架降下)


(Trasporto di Cristo morto (Deposizione Borghese)) 1507年
184×176cm | 油彩・板 | ボルゲーゼ美術館(ローマ)

ラファエロ初期の代表作『キリストの遺骸の運搬』。当時、有力家であったバリオーニ家の若者がペルージアで惨殺された追悼として、若者の母親アタランタ・バリオーニの依頼によりサン・フランチャスコ・アル・プラート聖堂バリオーニ家礼拝堂のために制作された本作は、磔刑に処され死した主イエスの遺骸を岩墓へ埋葬する場面≪キリストの埋葬≫を描いたもので、本作においてラファエロは、惨殺された若者を死した主イエスに、悲しみのあまりに気を失う聖母マリアを若者の母親アタランタ・バリオーニに重ね描いている。また本作には全く生気の感じられないイエスの亡骸の表現や身を捩じらせ倒れこむ聖母マリアの運動性にミケランジェロの強い影響が指摘されているほか、色彩豊かに描かれる情緒的な背景描写や古典の引用を思わせる登場人物の表現など、随所に人々を魅了するラファエロ独自の高度で洗練された表現が感じられ、教皇ユリウス2世がすでに名声を得ていたラファエロをローマへと呼び寄せるための決定的な要因のひとつとなった。なお本作は『ボルゲーゼの十字架降下』とも呼ばれており、プレデッラ(基底部)には現在ヴェティカン宮美術館が所蔵している『信仰/慈愛/希望』が配されていた。

関連:ヴェティカン宮美術館所蔵『信仰/慈愛/希望』

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アテネの学堂

 (Scuola d'Atene) 1509-10年
814×577cm | フレスコ | バチカン宮 -署名の間-

プラトン、アリストテレス、ソクラテス、ピタゴラスなど古代ギリシャの偉人・哲学者を一面に集約し、人類の英知を壮大に表現した、ヴァティカン芸術の中でも屈指の名作『アテネの学堂』。1508年、ラファエロは教皇ユリウス2世の命により、ヴァティカン宮の「署名の間」「ヘリオドロスの間」「火災の間」などの装飾を手がけたが、この『アテネの学堂』は同時期に制作されたミケランジェロシスティーナ礼拝堂天井画と共に、盛期ルネサンス古典様式の最高傑作のひとつとして知られている。完璧な遠近法の背景の中に描かれた画面中央の人物は、左がプラトン、右がアリストテレスと考えられている。ルネサンス芸術が、過去、最も偉大であった古代ギリシャ時代と双璧をなすものであることを表現した本作の主人公とも云える両者のモデルは、長い間レオナルド・ダ・ヴィンチ(プラトン)とミケランジェロ(アリストテレス)であるとされてきたが、現在ではミケランジェロに敬意を示し、ラファエロが描き加えたヘラクレイトスの姿とする説や、他の人物とは明らかに異なるヘラクレイトスの筆触から、レオナルド・ダ・ヴィンチと対立していたとされるミケランジェロが、本作でレオナルド(プラトン)と隣り合い意見を交わす己(アリストテレス)姿に激昂し、自ら描き加えたという説が有力視されている。なお画面中央より少し右に立つ、黒い帽子をかむり、じっとこちらを見つめている人物はラファエロ自身で、この仕事(依頼)が、そして己がルネサンス芸術において、どのような意味を持つか理解していたからこそ、自らの姿をそのままに描いたと考えられている(隣は友人であったイル・ソドマ)。

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ガラティアの勝利

 (Trionfo di Galatea) 1511年頃
295×225cm | フレスコ | ヴィラ・ファルネジーナ

ラファエロのパトロンであった銀行家のアゴスティーノ・キージから別荘に装飾を依頼され制作した連作壁画より、ガラディアの間に描かれた『ガラティアの勝利』。後に名門ファルネーゼ家が所有することになったこの別荘の連作壁画は、古代ギリシャ神話≪黄金の驢馬(ロバ)≫からギリシャ神話でエロスの妻、プシュケの物語を主題に描かれた作品で、制作の大部分が助手の手によるものと考えられている。また別荘の装飾には当時の有名な画家が集められ、それぞれの壁面の装飾を手がけた。海豚の引く貝殻の船に乗り、顔は空から矢を射んとする愛の女神キューピッドの方を向き、波立つ海面を進むガラディアは、『海の老人』と呼ばれる神ネレウスの娘とされている。ネレイデス(別名オケアニデス)は伝承に登場する妖精ニンフの一種で、最も神に近い存在として考えられ永遠の命を持つとされている。またトリトンは海神ポセイドンの息子で、知性が非常に高く三つ又の槍やほら貝を手にしている。またトリトンは一人ではなく、複数の者の総称である。

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サン・シストの聖母(聖会話、システィーナの聖母)


(Madonna Sistina (Sacra conversazione)) 1512-14年頃
265×196cm | 油彩・画布 | ドレスデン国立絵画館

盛期ルネサンスの三大巨匠のひとりラファエロ・サンツィオ後期を代表する宗教画作品『サン・シストの聖母(聖会話、システィーナの聖母)』。本作は教皇ユリウス2世が自身の故郷ピアチェンツァのサン・シスト聖堂(システィーナの聖母)の祭壇画としてラファエロに注文し制作された作品で、画面中央上部に幼子イエスを抱く聖母マリアが、画面の左右に聖シクストゥスと聖バルバラ、画面中央下部に幼い2天使が配されており、登場人物によって菱形(又は十字)が形成されているのが大きな特徴である。画面中で最も偉大的に描かれる幼子イエスと聖母マリアは非常に厳粛性と威厳性に満ち溢れており、特に幼子イエスには父なる神の神々しさが、聖母マリアには貞淑的かつ慈愛的でながら、観る者へと向けられる視線にはどこか聖母としての厳しさが感じられる。画面左側には初期ローマ教会で最も崇拝されていた殉教者のひとりとして知られる聖シクストゥス2世が幼子イエスと聖母マリアの顕示に感動し信仰を示すかのような仕草を見せている。画面右側に配される十四救難聖人のひとりである処女聖人バルバラが下方へと視線を向けており、その表情はラファエロが手がけた女性像の典型的な美を見出すことができる。この2聖人はサン・シスト聖堂でも特に崇拝されていた聖人であるほか(聖バルバラはデラ・ローヴェレ家の守護聖女でもある)、聖シクストゥスはユリウス2世の、聖バルバロはユリウス2世の姪(ジュリア・オルシーニ又はルクレツィア・デラ・ローヴェレ)の姿が模されていると推測されている。そして画面下部には、やや退屈そうな表情を浮かべる無邪気な天使たちが上部を見上げるような仕草で配されており、本作の中に宗教的精神とは異なる面白味に溢れた趣を与えている。また画面上部左右に描かれる半開の幕は当時の墓碑を真似たものであると推測されており、一部の研究者たちからは教皇ユリウス2世の墓碑に掲げる為に制作されたとの説も唱えられている。

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小椅子の聖母

 (Madonna della Seggiola) 1514年
直径71cm | 油彩・板 | ピッティ美術館(フィレンツェ)

おそらくラファエロの作品で最も愛されているものの一つであろう傑作『小椅子の聖母』。メディチ家の旧蔵で、数多くの模写が確認されている本作は、美しく豪華な額縁の中、こちらを見つめ微笑みを浮かべる聖母子像を描いたトンド(円形画)形式による作品である。本作の聖母マリアの母性に溢れる画面展開やモデルについては諸説唱えられているものの、画家が街である母親が赤子を抱き、傍らに子供が立つ光景を目撃し、それを近くに落ちていた古いワイン樽の蓋(または底)を画面の代用して描いたとする説や、画家の愛人と両者の間に生まれた子供とする説が一般的である。本作の聖母マリアと幼子イエス、洗礼者幼児聖ヨハネは、やや円形の画面内へ押し込まれるように配されるものの、その美しく高潔でありながら、幼児らの愛らしさと聖母の(官能的とも受け取れる)若々しい女性美の表現は圧巻の一言であり、特に聖母マリアの観る者へと向けられる視線の魅力は当時から観る者の目を惹きつけた。

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バルダッサッレ・カスティリオーネの肖像


(Ritratto di Baldassarre Castiglione) 1514-1515年頃
82×67cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

ルネサンス最大の巨匠のひとりラファエロ・サンツィオが手がけた肖像画の傑作『バルダッサッレ・カスティリオーネの肖像』。本作に描かれるのは、ロンバルド地方出身の貴族で、16世紀イタリアのルネサンス宮廷生活の典型的な人間像を記した≪廷臣論≫の著者として知られる有名な文学者であり、外交官でもあった≪バルダッサッレ・カスティリオーネ≫の肖像画で、親密な友人関係にあったラファエロの持っていた類稀な技量が存分に示されている。≪バルダッサッレ・カスティリオーネ≫はその著書の中で「肖像画とは、描かれる人物が持つ理念の具現的表現である」と説いているよう、当時の社会の中では最先端の文化人であり、ラファエロは≪バルダッサッレ・カスティリオーネ≫が持つ理念や主義、思想を、人物肖像として画面の中に理想的な再構築を示している。つまりそれは深い精神性と高潔な眼差しを携えるカスティリオーネの表情や、柔らかい毛並みの質感を存分に感じさせる質の高い衣服の描写、落ち着きのある色彩でまとめられる構成など、ひとつの在るべき理想形として人物を表現しているのである。なお、本作をおそらくマドリットで目撃したルーベンスが模写を残している(個人蔵)ほか、オランダ絵画黄金期最大の巨匠レンブラントも水彩で模写を描いており、画家の自画像制作に多大な影響を与えたことが知られている。

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ヴェールを被る婦人の肖像(ラ・ヴェラータ)

 1516年頃
Ritratto di donna (La Velata)
85×64cm | 油彩・板 | ピッティ美術館(フィレンツェ)

ラファエロが手がけた数多くの肖像画の中にあって、別格の存在感と想いの秘められた作品『ヴェールを被る婦人の肖像』。通称ラ・ヴェラータ。モデルはパン屋の娘でフォルナリーナ(パン屋の娘の意)と呼ばれる。ラファエロはこの女性と密かな恋愛関係にあったが、ラファエロを支持していた人々の中で最も権威のある人物のひとりビビエーナ枢機卿から姪のマリアとの結婚話を持ちかけられ、野心を持っていたラファエロは、それに従うべくフォルナリーナとの恋愛関係に終止符を打つが、フォルナリーナへの想いを断ち切ることができず、婚礼の衣装を纏った婦人の肖像画として、自己の想いを表現した作品だと云われている。ヴェールを被るフォルナリーナの表情は、自分たちが結ばれないことへの悲しみを表しているとされているが、ヴェールの下に見える髪飾りは人妻を意味し、ラファエロは実現しなかったフォルナリーナの婚姻を本作で表現した。また描かれた当初は婚姻の証である指輪がフォルナリーナの指に描かれていたが、本作が一般に公開されることになったことから、画家自身がそれを隠す為、後から絵具を上塗りしたとされている。

関連:『若い婦人の肖像(ラ・フォルナリーナ)』

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若い婦人の肖像(ラ・フォルナリーナ)

 1518-1519年
Ritratto di giovane donna (La Fornarina)
85×60cm | 油彩・板 | ローマ国立美術館

ラファエロが死去しローマのパンティオンへ埋葬されてから60年の後に発見された、この『若い婦人の肖像』、通称ラ・フォルナリーナ。本作はラ・ヴェラータのモデルと同様パン屋の娘(本名はマルゲリータ・ルティと言われている)を描いたものだとされ、多くの点で類似点を発見することができる。描かれた時期はラ・ヴェラータを描き終えてから約2年後とされ、今だ忘れることのできないフォルナリーナへの想いから、ビビエーナ枢機卿から姪のマリアとの結婚に踏み切れず、マリアが病で亡くなった後も、宮廷画家としての立場や枢機卿への配慮からフォルナリーナと結ばれることができなかったラファエロが密かに描き、最後まで手放さなかったために遺品に埋もれ、発見が遅れたとされている。その証拠に、本作の右下部分には非販売を示す『E.I』のサインが画家の直筆によってなされている。

関連:『ヴェールを被る婦人の肖像(ラ・ヴェラータ)』

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キリストの変容

 (Trasfigurazione)1518-1520年
405×278cm | 油彩・板 | ヴァティカン宮美術館(ローマ)

1517年ナルポンヌ大聖堂の祭壇に掲げるべく、ナルポンヌ司教の枢機卿ジュリオ・デ・メディチより依頼され、制作された祭壇画『キリストの変容』。しかし完成後、実際に置かれたのはローマのサン・ピエトロ・イン・モントリオ聖堂であった。主題はキリストが天から声を聞き、自分が神であることを示す場面≪キリストの変容≫で、本作は主題に添った上部の場面と、下部の悪魔に取り憑かれた少年の治癒物語の場面の2場面構成となっているが、下部の民衆がキリストを指し示すことによって、この奇蹟の場面を一枚の画面に結び付けている。またラファエロの死により、本作が画家の遺作となった。弟子を率いてガリヤラのタボール山に登り、キリストが丘の上に立ったとき、身体が輝きを発し上空に浮かび、両脇からモーセとエリヤ(旧約聖書に出てくる人物)が現れ、天から「これは我が子(神の子)なり」と告げられた。新約聖書に記されるその劇的な一場面を、画家は鮮やかな色彩と巧みな構図で描いた。そしてその下では己が神であることを示したキリストを目の当たりにし、地上にひれ伏す弟子(聖ペテロ、聖ヤコブ、聖ヨハネの三人)が描かれている。また悪魔に取り憑かれた少年を表す画面下部は、ラファエロの死後、弟子であったジュリオ・ロマーノの手により描かれ完成されたと考えられていたが、本作の修復をおこなう過程で、ほぼラファエロの直筆であったことが判明した。

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