Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli
1445-1510 | イタリア | 初期ルネサンス




15世紀後半の初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派を代表する画家。明確な輪郭線と、繊細でありながら古典を感じさせる優美で洗練された線描手法を用いて、牧歌的で大らかな人文主義的傾向の強い作品を手がけ、当時、フィレンツェの絶対的な権力者であったメディチ家から高い信用を得る。その特徴的な表現は、初期ルネサンスとフィレンツェ派の典型として広く認知されている。皮なめし職人の子供として1445年に生を受け、生涯独身をとおす。画僧フィリッポ・リッピの元で修行をおこない、当時の花形工房であったヴェロッキオの工房とも関係を持つ。1470年に制作された商業裁判所のための寓意画『剛殺』が初作品。以降約20年間にわたり時の権力者メディチ家の支配下にあったフィレンツェで第一線の画家として活躍。1481年ローマに呼ばれシスティーナ礼拝堂の壁画制作に携わる。同年代には春(ラ・プリマベーラ)やビーナスの誕生など異教的な神話を題材にした傑作を残すが、晩年はサヴォナローラの宗教的影響を強く受け、硬質的で神経質な表現へと作風が一変。サヴォナローラの失策もあり人気が急落、ついには画業を止めるに至った。最晩年は孤独のうちに死去。享年65歳。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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東方三博士の礼拝

 (Adorazione dei Magi) 1475年頃
111×134cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ボッティチェリ初期の傑作『東方三博士の礼拝 』。フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂内ガスパーレ・ディ・ザノービ・ダル・ラーマ祭壇に置かれた後、現在はウフィツィ美術館に所蔵される本作の主題は、救世主イエスの降誕を告げる新星を発見した東方の三人の王(一般的にはメルヒオール、カスパル、バルタザールとされる)が、エルサレムでヘロデ王にその出生地を聞いた後、星に導かれベツレヘムの地でイエスを礼拝する場面≪東方三博士の礼拝≫で、ボッティチェリが描いた同主題の中で最も著名な作品として、広く世に知られている。技巧や表現的にもボッティチェリの特徴を良く示している本作であるが、最も大きな特徴は権力者であったメディチ家の主だった人物や当時の知識人などが描き込まれている点にある。聖母マリアの繊細でありながら優美で洗練された線描手法は、ボッティチェリの作風の大きな特徴であり、本作においても登場人物の表現や背景描写などに示されている。また聖母子の前に跪くコジモ・デ・メディチなどを始めとした絶対的な権力者は、場面においても重要な人物として描き込まれている。

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書斎の聖アウグスティヌス

 (Sant' Agostino nello studio)
1480-1481年 | 152×112cm | フレスコ | オニサンティ聖堂

メディチ家の支配によってフィレンツェで隆盛を極めた人文主義的傾向に対する新たなる側面を見出したボッティチェリの、代表的な聖人像作品のひとつ『書斎の聖アウグスティヌス』。本来はフィレンツェのオニサンティ聖堂内壁画として描かれた本作に描かれる聖人≪聖アウグスティヌス≫は4世紀から5世紀にかけて活動をおこなったラテン教会四大博士のひとりで11世紀に創設された聖アウグスティノ教会の教祖としても知られる、キリスト教で最も著名な聖人のひとりであるが、本作では牧歌的で大らかな人文主義的傾向を逸脱し、精神的な不安定を感じさせる人物の表情などに1478年に起こったジュリアーノ・メディチ暗殺事件の影響が感じられる。またヴェスプッチ家の依頼により手がけられた本作は、同聖堂内壁画として制作されたギルランダイオによる『書斎の聖ヒエロニムス』と対をなす作品としても知られており、両作品とも制作年代もほぼ一致という見解がなされている。

関連:ギルランダイオ作『書斎の聖ヒエロニムス』

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反逆者たちの懲罰(コラ、ダタン、アビラムの懲罰)


(Punizione dei Ribelli) 1481-82年頃
348.5×570cm | フレスコ | システィーナ礼拝堂(ヴァティカン)

ボッティチェリが当時の著名な画家たちと共に手がけたシスティーナ礼拝堂側壁画制作における代表的な作例のひとつ『反逆者たちの懲罰(コラ、ダタン、アビラムの懲罰)』。1481から82年にかけて、ペルジーノ、ピントリッキオ、ギルランダイオ、コジモ・ロッセリ、ピエロ・ディ・コジモ、ルカ・シニョレッリら当時活躍していた画家たち同様、ローマに招かれ制作に携わったシスティーナ礼拝堂の側壁画≪モーセ伝≫や≪キリスト伝≫の内、ボッティチェリの代表的な作例である本作は、キリスト教美術の図像としては非常に珍しい旧約聖書『律法(モーセ五書)』より律法者モーセへ叛逆したコラ、ダタン、アビラムの懲罰の場面が中央と左右に三場面として描かれている。中央の場面では司祭アロンに反抗し薫香を捧げようとしたコラの従者が、モーセの放った見えない炎によって焼かれる姿が描かれ、背景には初めてキリスト教を公認した皇帝聖コンスタンティヌス帝の凱旋門が配されている。また右部にはモーセを石打せんとするダタンの一行が、左部にはモーセによって現れた大地の裂け目に落ちるアビラム等が描かれている。この律法者モーセによる父なる神への反逆者たちへの懲罰の各場面は、鮮やかな色彩と透明感による三つに分かれた古代風の都市風景に重なり、非常に美を意識させる描写がなされ、人物描写においてもボッティチェリの特徴的な古典を感じさせる優美性を示している。なお、ボッティチェリは本作のほかにシスティーナ礼拝堂の側壁画として『モーセの生涯の出来事』『キリストの誘惑と癩病者の浄め』を手がけた。

関連:ボッティチェリ作『モーセの生涯の出来事』
関連:ボッティチェリ作『キリストの誘惑と癩病者の浄め』

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春(ラ・プリマベーラ)

 (La Primavera)1482年頃
315×205cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ヴァザーリにより題名は付けられた、ボッティチェリ随一の代表作『春(プリマベーラ) 』。愛と美の女神ヴィーナスを中心に、左にヘルメス・三美神、右に春の女神プリマヴェーラ・花の女神フローラ・西風ゼフェロスを配する本作に描かれる主題は、≪ヴィーナスの王国≫と推測されているが、その解釈については諸説あり15世紀に描かれた絵画の中でもっとも難解とされる。画面中央に配される着衣のヴィーナスは『世俗のヴィーナス』を表わしているとされている(『ビーナスの誕生』に描かれている裸体のヴィーナスは『天上のヴィーナス』を表すとされている。また本作中に描かれる春の≪女神プリマヴェーラ≫≪花の女神フローラ≫≪西風ゼフェロス≫は、≪春の女神プリマヴェーラ≫を≪花の女神フローラ≫と、≪花の女神フローラ≫を≪クロリス(フローラの別名称)≫と解釈されることもある。さらにアグライア(輝き)、エウフロシュネー(喜び)、タレイア(花の盛り)を意味する幾多の画家が描いてきた三美神の描写は、ルネサンス期の絵画作品の中でも特に優れており、ラファエロの描いた三美神と共に、卓越した表現や図像展開からルネサンスを代表する三美神として広く認知されている。

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ナスタジオ・デリ・オネスティの物語


(Novella di Nastagio degli Onesti) 1483年
各83×138cm | テンペラ・板 | プラド美術館(マドリッド)他

ボッティチェリ成熟期を代表する作品のひとつ『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』。アントニオ・プッチの息子でロレンツォ・ディ・メディチの甥でもあるジャノッツォ・プッチとルクレツィア・ビーニの婚礼の際に同家から依頼され手がけられた、カッソーネ(長持)かベッドの一部だと考えられている本作は、ボッカッチョの小説≪デカメロン≫中の騎士道に関する主題である第五日第八話『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』を典拠に描かれた全4作品からなる作品群で、全てボッティチェリの構想によって弟子であるバルトロメオ・ディ・ジョヴァンニやヤコポ・デル・セッライオの手が加わりながら制作された。本作に描かれる『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』は、恋人パオラ・トラヴェルサーリに拒絶され自身の不幸に沈むナスタジオが、騎士と犬に追いかけられ責め苦を受ける女性を目撃する場面から始まり、この騎士はナスタジオ同様想い人に拒絶され自殺した騎士で、自殺した原因は騎士を拒絶した想い人の残忍さにあるとし、想い人の内臓を引き裂くなど責め苦を与え、ナスタジオが恋人パオラとその家族を招き同場面を目撃させると、恋人パオラはナスタジオに心を許し結婚に同意したという話で、各場面の調和の取れた構成と、豊かな色彩や陰鬱を感じさせる舞台的場面構成が秀逸の出来栄えを見せている。また『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』の作品群はフェレンツェのプッチ家が約300年間所蔵した後、幾多の人々に渡り現在は第I場面から第III場面までプラド美術館が、第IV場面はアメリカの個人蔵となっている。

関連:ナスタジオ・デリ・オネスティの物語 第II場面
関連:ナスタジオ・デリ・オネスティの物語 第III場面
関連:ナスタジオ・デリ・オネスティの物語 第IV場面

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柘榴の聖母

 (Madonna della Melagrana) 1487年頃
直径143.5cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

フィレンツェ派の画家ボッティチェリによるトンド(円形)形式の代表作『柘榴の聖母』。1487年にフィレンツェ政庁から当時、同地随一の人気を誇っていたボッティチェリに委嘱され手がけられた作品と同一視されている本作は、トンド(円形)形式による聖母マリアと幼子イエスを中心に複数の天使達を配する典型的な聖母子像の図像であるが、繊細で豊かな色彩によって表現される調和と均整の取れた空間構成の中で、本作の題名の由来となる受難の象徴≪柘榴≫を手にする幼子イエスと、後に父なる神から授かった我が子イエスが歩む茨の道を憂う聖母マリアの虚ろな表情は、フィレンツェ派最大の巨匠ボッティチェリの最も特徴的な表現が非常に高度な手法によって示されている。

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マニフィカトの聖母

 (Madonna del Magnificat) 1483-85年頃
直径118cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ルネサンス期に制作されたトンド(円形)形式の中で、巨匠ミケランジェロの『トンド・ドーニ』と共に、最も有名な作品として人々に広く認知されているフィレンツェ派の画家ボッティチェリの代表作『マニフィカトの聖母』。作品中で開かれる書物に聖母マリアを称え誉める歌≪マリア頌歌≫、通称≪マニフェカト≫が記されることから作品の題名となり『マニフィカトの聖母』と呼ばれるようになった本作は、1784年に当時の所持者であったオッターヴィオ・マゲリーニよりウフィツィ美術館が購入し同美術館の所蔵となった経緯を持ち、ボッティチェリの聖母子像の代表的な作例である『書物の聖母』と『柘榴の聖母』における表現手法の高い融合性を示している。本作で用いられる卵形をした聖母マリアの穏やかで慈愛と優しさに満ちた表情は『書物の聖母』に見られるそれと大変酷似しており、場面の空間構成や各天使たちの表情、繊細で豊かな色彩は『柘榴の聖母』の表現手法を強く感じさせる。このようにボッティチェリの典型的な特徴が随所に示される本作の表現には師である画僧フィリッポ・リッピの影響が指摘されているも、金を用いた豪華な表現や牧歌的な遠景表現など画家の成熟した独自性を感じることができる。

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サン・マルコ祭壇画(聖母戴冠と4聖人)

 1483年
(Pala di san Marco (Incoronazione della Madonna e quattro santi))
378×258cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ボッティチェリの最も有名な祭壇画作品のひとつ『サン・マルコ祭壇画(聖母戴冠と4聖人)』。フィレンツェのサン・マルコ修道院内サンタロー(金銀細工師組合)礼拝堂のために制作された本作は、聖母マリアが昇天後、父なる神より冠を授かる聖母マリア史上で重要な場面≪聖母戴冠≫に、福音書記者聖ヨハネ、聖アウグスティヌス、聖ヒエロニムス、鍛冶組の守護聖人としても知られている聖エリギウス、そして複数の天使達が配されている。この主題となる聖母マリアや父なる神、諸聖人を大きく描く伝統的な人物描写が用いられた本作では、写実的な表現を用いながらも場面の雰囲気や世界観などは明瞭な色彩も手伝って極めて幻想性に富んでおり、画家ボッティチェリの様式のみならずルネサンス芸術におけるひとつの頂点を成す重要な作品と捉えることができる。本作はヴァザーリの美術家列伝など当時の書物にも記されるよう制作当時から相当な著名作品であったが、サン・マルコ修道院サンタロー礼拝堂から司際室、アカデミア美術館など様々な環境を経てウフィツィ美術館に収蔵された経緯を持ち、長い歳月によって一時は剥離など著しく損傷を被ったものの1921年にファブリツィオ・ルカリーニによる約10年間の修復作業や1989年のフォルテッツァ・ダ・バッソのピエトレ・ドゥーレ工房による修復によって現在の状態まで回復した。また1921年の修復の際に本作における最も特徴的な戴冠部分の複雑は維持することができるも、剥落した天使部分の色彩を緑色に塗り替えるなど画面の変形や、ボッティチェリ独特の運動性は損なわれてしまったと言われている。なお極めて写実性に富んだサン・マルコ祭壇画のプレデッラ部分が同美術館に所蔵されている。

関連:サン・マルコ祭壇画 プレデッラ部分

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ヴィーナスとマルス

 (Venere e Marte) 1483年
69×173cm | テンペラ・板 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

15世紀フィレンツェ派最大の巨匠ボッティチェリの代表的な神話画作品のひとつ『ヴィーナスとマルス』。ヴェスプッチ家の依頼により寝台の装飾画として描かれたと推測される本作に描かれているのは、ギリシア神話のアフロディーテと同一視される愛と美と豊穣の女神ヴィーナスと、主神ユピテルと正妻ユノの子でありギリシア神話におけるアレスと同一視される軍神マルスの蜜月関係と考えられている。女神ヴィーナスの流麗な曲線で描かれる輪郭線や品位を感じさせる白地を用いた肌や衣服、軍神マルスの男性的な身体描写など最高潮に達した画家の優れた力量が存分に示されているが、本作において最も注目すべき点はメディチ家によって統治されるフィレンツェを支配していた人文主義的な表現にある。不和と戦の象徴である軍神マルスは疲れ果て横たわる姿で描かれているのに対し、愛と美の象徴である女神ヴィーナスは今は動かない不和と戦の象徴を一抹の憂いを感じるかの如く見つめ、それらとは対称的に森の神ファウヌスが嬉々として女神ヴィーナスと軍神マルスの周りを囲戯れる姿で描かれている。なお一部では女神ヴィーナスはシモネッタ・ヴェスプッチを、軍神マルスはジュリアーノ・デ・メディチをモデルに描かれたとする説が唱えられている。

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ビーナスの誕生

 (Nascita di Venere)1485年頃
172×278cm | テンペラ・画布 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ルネサンス期に活躍した15世紀フィレンツェ派を代表する巨匠ボッティチェリ随一の傑作『ビーナスの誕生』。主題は古代アペレスの失われた名画≪海から上がるヴィーナス≫を復元したもので、本作は同じくボッティチェリの代表作『春(ラ・プリマベーラ)』の対画として、画面メディチ家より発注され、制作された作品とされている。画面中央で貝殻に乗り海から誕生した裸体の美の女神ヴィーナスは、一般的に『天上のヴィーナス』を表現したものとされている(『春(プリマベーラ)』に描かれている着衣のヴィーナスが『世俗のヴィーナス』だと解釈される)。画面左部分には風に乗り、花を蒔きながら美の女神ヴィーナスの誕生を祝福する西風の神ゼフロスとその妻、花の女神フローラが配され(ローマ神話のファウォニウスと同一視されるゼフロスは、ボレアス(北風)とノトス(南風)が兄弟とされている)、画面右部分には産まれたばかりのヴィーナスに絹の布を掛けようとする、時の女神ホーラが配された(時の女神ホーラは≪時≫又は≪永劫≫が擬人化した女神として、紀元前5世紀頃から各地で信仰されるようになった)。なお本作は1987年に修復作業がおこなわれた。

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誹謗(ラ・カルンニア)

 (La Calunnia) 1495年頃
62×91cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

フィレンツェ派最大の巨匠サンドロ・ボッティチェリが晩年に手がけた特異的寓意画作品『誹謗(ラ・カルンニア)』。本作は古代ギリシアの画家アペレスが描いた失われた作品『誹謗』を、初期ルネサンスの人文主義者でレオン・バッティスタ・アルベルティの「絵画論」に基づき再現した作品である。ボッティチェリは当時、フィレンツェを支配していたメディチ家を批判し、メディチ家当主ロレンツォの死後(1492年)、フィレンツェ共和国を宣言し、失墜したメディチ家に替わり、政治顧問として神政政治(神権政治)を執り行ったドミニコ会の修道士≪ジロラモ・サヴォナローラ≫に強い思想的影響を受け、その表現様式も大きく変化させていった。本作はその頃に制作された作品で、かつて(1480年代)のボッティチェリ独特の甘美性を携えるルネサンス的な表現は消え失せ、神秘的な瞑想と緊張感に溢れる硬質的な表現が最も大きな様式的変化として本作に示されている。本作の主題≪誹謗≫の解釈は諸説唱えられているものの、現在では@サヴォナローラに傾倒した画家本人へ対する誹謗への抗議、Aサヴォナローラの厳格な政治的態度に対する誹謗への抗議、B画家に対してかけられた同性愛疑惑に対する抗議と、3つの説が有力視されており、何れにしても誹謗に対する画家の個人的な動機が本作の制作に深く関連していると推測されている。16世紀の建築様式の回廊を舞台に、画面中央では左手に松明を持ち、右手で≪無実≫の髪を曳き≪不正≫の前に引きずり出す≪誹謗≫の擬人像は、≪憎悪≫の擬人像である黒衣の男に手を引かれている。また≪欺瞞≫と≪嫉妬≫の擬人像は≪誹謗≫の髪を忙しなく整えている。画面右側ではロバの耳をしたミダス王に扮する審問官≪不正≫の擬人像が、≪猜疑≫と≪無知≫の擬人像に耳打ちされ、≪無実≫を断罪している。さらに画面左側では天を指差し上を仰ぎ見る裸体の≪真実≫を、黒衣の老婆≪悔悟≫が訝しげに窺い見ている。なお画家兼建築家であり≪美術家列伝≫の著者としても知られるジョルジョ・ヴァザーリによれば、本作はかつて同地の貴族ファビオ・セーニが所有していたと記録されている(現在はウフィツィ美術館が所蔵)。

関連:誹謗(ラ・カルンニア)内容詳細図

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神秘の降誕

 (Natività mistica) 1501年
108.5×75cm | テンペラ・板 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

フィレンツェ派最大の巨匠サンドロ・ボッティチェリ晩年の代表作『神秘の降誕』。ローマのアルドブランディーニ家が旧蔵し、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する本作に描かれる主題は、神の子イエスが聖胎した聖母マリアの御身体から現世に生まれ出た神聖なる場面≪キリストの降誕≫であるが、本作においては主題よりも、老いたボッティチェリがサヴォナローラからの宗教的影響を受け孤立した存在ゆえの激しい感情に満ちた表現に注目したい。画面上部にはギリシア語で謎めいた銘文が以下の内容で記されている。「私アレッサンドロはこの絵画を1500年の末、イタリアの混乱の時代、ひとつの時代とその半分の時代の後、すなわち聖ヨハネ第11章に記される3年半の間悪魔が解き放たれるという黙示禄の第2の災いの時に描いた。そして悪魔はその後、第12章で述べられるよう鎖につながれこの絵画のように≪地に落とされる≫のを見るのであろう」。この銘文は友愛の精神と祈りによって罪悪が裁かれることを意味しており、画面全体を支配する激しい感情性や宗教的古典表現などの多様性は、フィレンツェ派の中で孤高の画家となったボッティチェリの内面における瞑想の表れである。なお本作は画家の作品中、唯一年記がされる作品でもある。

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