Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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フィリッポ・リッピ Fra Filippo Lippi
1406-1469 | イタリア | 初期ルネサンス フィレンツェ派




初期ルネサンスを代表するフィレンツェ派の巨匠。現実を感じさせる空間構成と、流麗な線描と繊細かつ豊かな色彩による人物の世俗的で甘美な表現をおこなう独自の様式を確立。世俗や官能と聖性を併せ持つ画家の作品は、同時代の大画家フラ・アンジェリコと同様、その後、隆盛してゆくフィレンツェ派の発展において極めて重要な役割を果たした。1406年にフィレンツェで肉屋の息子として生まれるも、幼い頃に両親と死別し孤児となりカルメル会修道院に引き取られる。同修道院の修道士として若年期を過ごす中、フィレンツェの画家ロレンツォ・モナコや、カルメル派であったカルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂の『貢ぎの銭』を手がけたマザッチョに絵画を学び、強く影響を受けたと推測されている(フィリッポ・リッピの弟子にはフィレンツェ派最大の画家のひとりサンドロ・ボッティチェリが控え、マザッチョボッティチェリの接点ともなった)。その後、1434年のパトヴァ滞在やフランドル地方への旅行により自身の画風を独自の様式へと発展させ、宗教画や肖像画などの傑作を残す一方、ドミニコ会の模範的修道士であったフラ・アンジェリコとは対照的に、数々のスキャンダルを起こしている。その中で最も有名なものは1452年から長期滞在したプラートで50歳の頃に起こした修道女ルクレツィア・ブーティとの駆け落ち(自宅に連れ帰ったとされる)で、一大スキャンダルへと発展し修道院へ出入り禁止になるも、画家を高く評価していたコジモ・デ・メディチの計らいによって法王より還俗と結婚が許され、同じくフィレンツェ派を代表する画家で類稀な画才を持ったフィリッピーノ・リッピなど、2人の息子を授かった。現存する作品は約60点とされるが帰属については異論も多い。また素描も数点確認されている。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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タルクィニアの聖母

 (Madonna Tarquinia) 1437年
114×65cm | テンペラ・板 | バルベリーニ美術館(ローマ)

フィレンツェ派の巨匠フィリッポ・リッピの画業初期において転換的存在となった重要な代表作『タルクィニアの聖母』。フィレンツェの大司教でタルクィニアの領主であったジョヴァンニ・ヴィテレスキの為に制作されたものと推測され、1917年に同地にて発見されたことから『タルクィニアの聖母』と呼ばれている本作は、玉座に鎮座する聖母マリアと、聖母マリアに抱かれる幼子イエスを描いた典型的な≪玉座の聖母子≫を図像に描いたものであるが、それまでの初期作品と比較し、初期フランドル絵画からの影響と考えられる空間構成にフィリッポ・リッピの様式の劇的な飛躍を示している。本作においてフィリッポ・リッピが初めて示した極めて初期フランドル絵画的な日常現実を模した描写と空間の構成については、フィリッポ・リッピのパドヴァ滞在期によって培われたものとする説や、初期フランドル絵画の大画家ヤン・ファン・エイクのイタリア滞在の仮説に基づくフランドル美術からの影響とする説など諸説唱えられている。また玉座に鎮座する聖母マリアの高い聖性を感じさせる慈しみの表情や、肉付きの良い幼子イエスの描写などからは、同じくフィレンツェ派の巨匠であったフラ・アンジェリコと並び称される独自的で非常に高度な技術を要する描写によって、その後のフィリッポ・リッピが手がけた聖母子像の特徴を存分に示している。

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バルバドーリ祭壇画

 (Pala Barbadori) 1437-1439年
217×244cm | テンペラ・板 | ルーヴル美術館(パリ)

フィレンツェ派の大画家フィリッポ・リッピの舞台的な空間構成が示される最初の代表的な作例のひとつ『バルバドーリ祭壇画』。教皇党の首領たちの依頼により、アウグスティヌス会サント・スピリト聖堂バルバドーリ家礼拝堂の祭壇画として手がけられた本作は、幼子イエスとイエスを抱く聖母マリアを中心に、複数の天使たちと聖フレディアーノ、聖アウグスティヌスを配した構図が用いられている。この単一の空間における聖場面の現実性を強く示す描写にはフィリッポ・リッピがそれまでに用いた表現からの発展が認められ、それはフラ・アンジェリコの作品から影響であると現在では推測されている。また本祭壇画はナポレオンの時代にパリへと移された経緯を持つほか、ウフィツィ美術館には『聖アウグスティヌスの幻視』『セルキオ川の流れを変える聖フレディアーノ』を始めとしたプレデッラ部分が収蔵されている。

関連:プレデッラ『聖アウグスティヌスの幻視』
関連:プレデッラ『セルキオ川の流れを変える聖フレディアーノ』
関連:プレデッラ『聖母の死のお告げ』

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聖母戴冠

 (Incoronazione della Vergine) 1441-1447年頃
200×287cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

15世紀フィレンツェ派の画僧フィリッポ・リッピ中期を代表する作品のひとつ『聖母戴冠』。教会参事会員であったフランチェスコ・マリンギの依頼によりフィリッポ・リッピに依頼されるも、依頼人が数ヵ月後に死去し、遺言執行人であり聖堂付司祭であったドメニコ・マリンギに引き継がれ制作された経緯を持つこの大規模な祭壇画は、フィレンツェのサンタンブロージョ聖堂内主祭壇画として、死した聖母が復活し、肉体と魂が昇天した後に父なる神から戴冠される聖母マリア≪聖母戴冠≫を描いたものであるが、フィリッポ・リッピの現実主義的な描写と空間構成における重要な発展と成果が示されている。父なる神の前で跪く聖母マリアの戴冠場面は天上の世界ではなく、現実味を強く感じさせる舞台風な装飾の玉座の前で表現されており、当時の表現としては極めて異質的に作品の題材を扱っており、聖母マリアに戴冠するのが主イエスではなく万物の創造主である父なる神であることから、無原罪の御宿りや聖母被昇天などと同様、神の子イエスの聖なる器としての聖母マリアが示されている。また画面右下で手を合わせている赤と紺の衣の男はドメニコ・マリンギの姿と、画面左下で頬杖をつく男はフィリッポ・リッピ自身と見なされている。なおフィリッポ・リッピは同時期にこの≪聖母戴冠≫を主題とした別の作品を描いており、その作品は現在、ヴァティカン宮美術館に所蔵されている。

関連:ヴァティカン宮美術館所蔵『聖母戴冠』

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受胎告知

 (Annunciazione) 1440-1442年頃
175×183cm | テンペラ・板 | サン・ロレンツォ聖堂

初期ルネサンスを代表する画家フィリッポ・リッピの類稀な傑作『受胎告知』。サン・ロレンツォ聖堂の再建者のひとりニッコロ・マルテッリの墓標がある礼拝堂の所有者(奉仕団員)から、当時名を馳せていたフィリッポ・リッピに委嘱され制作された本作は、父なる神の子イエスを宿す聖なる器に選定され聖胎したことを告げる大天使ガブリエルと、それを静粛に受ける聖母マリアの新約聖書における重要な場面のひとつ≪受胎告知≫を主題に描かれている。本作では明瞭な色彩と、自然に則し統一性に富んだ空間構成、人物描写の豊かな運動性など初期ルネサンスにおけるフィレンツェ派の重要な要素が随所に示されており、画家フィリッポ・リッピの類稀な画才が存分に堪能できる。また画面手前のガラスの小瓶などの現実世界を感じさせる写実的描写には初期ネーデルランド絵画の影響も指摘されており、本作中では現実との掛け橋的な存在としても一翼を担っている。

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東方三博士の礼拝

 (Adorazione dei Magi) 1445-1450年頃
直径137cm | テンペラ・板 | ワシントン・ナショナル・ギャラリー

フィリッポ・リッピ作『東方三博士の礼拝』。現ワシントン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されている画家を代表する作品のひとつとして知られている本作に描かれるのは、キリスト教の祭壇画において最もポピュラーな主題のひとつで、未来のユダヤの王イエスの降誕に際し、東方の三博士が星に導かれ幼子キリストの下を訪れ礼拝と黄金、乳香、没薬の3つの贈り物を捧げる場面≪東方三博士の礼拝≫である。本作はロレンツォ豪華王の寝室を飾る作品として、1492年のメディチ家の財産目録に記されるフラ・アンジェリコの作品と同一視されており、同画家との共作説や、フィリッポ・リッピ又はフラ・アンジェリコの作とする説など帰属に関しては様々な見解が述べられているも、共作説、フラ・アンジェリコ説については大半の研究者が否定的である。また制作年代についても1445-1450年頃とする説が一般的であるが、異論も多く今後も研究の余地は十分にある。本作では弟子の手が加わっていることが認められるほか、構想的に≪東方三博士の礼拝≫として仕上げられているも、古代彫刻からの部分的な引用が示される崩れた建物付近に配される数人の半裸体群や、象徴的な対象描写など様々な寓意や表現が用いられていることが判明している。

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幼子キリストの礼拝

 (Adorazione del Bambino) 1453年頃
137×134cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

画僧フィリッポ・リッピを代表する作品のひとつ『幼子キリストの礼拝』。フォレンツェのアンナレーナ礼拝堂のために制作された本作は、幼子イエスを礼拝する聖母マリアと、義父である聖ヨセフ、聖ベルナルドゥスを始めとした諸聖人を配する≪幼子キリストへの礼拝≫が主題として描かれている。本作で最も特徴的なのは初期ルネサンスの三大芸術家のひとりで彫刻家であったドナテッロからの影響が指摘されるスキアッチャート(浅い浮き彫り)的表現手法や、陰鬱にすら感じられる神秘性に溢れたゴシック様式への回帰であり、それは大地に寝かせられる幼子イエスや憂いと陰りを感じさせる聖母マリアの表情、画面全体に漂う非現実的な雰囲気に示されている。なお本作以外にも≪幼子キリストの礼拝≫を描いた二つの別作品が現存しており、ルクレツィア・トルナブオーニの依頼によってカマルドリ会隠修士修道院のために制作された作品が本作同様ウフィツィ美術館に、パラツィオ・メディチ内の礼拝堂が旧蔵していた作品はベルリンのダーレム美術館にそれぞれ所蔵されている。

関連:ウフィツィ美術館版『幼子キリストの礼拝』
関連:ダーレム美術館版『幼子キリストの礼拝』

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聖母子と天使

 (Madonna col Bambino e angeli) 1465年頃
95×62cm | テンペラ・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

初期ルネサンスを代表するフィレンツェ派の巨匠フィリッポ・リッピが晩年に手がけた聖母子像の最高傑作であり、最も良く知られる作品のひとつ『聖母子と天使』。本作は、伝統的な構図に配された聖母マリアと幼子イエスの姿≪聖母子≫に2人の天使を配し描かれた作品で、立体を感じる情緒豊かな背景描写やトロンプ=ルイユ(だまし絵)的にも捉えることのできる枠を用いるなど、各部にわたり繊細で高度な技術が為されているが、特筆すべきは聖母マリアのあまりにも甘美で官能的な表現にある。聖母マリアの息子イエスを見つめる視線は、我が子への慈愛と未来への不安の表情が虚ろいながら複雑に入り混じり、独特でありながらも聖母の感情を見事に表現している。また古くから聖母マリアは駆け落ちし、結婚までおこなった修道女ルクレツィア・ブーティを、幼子イエスは息子フィリッピーノ・リッピをモデルに描いたと考えられているも、その根拠は示されておらず不明である。

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聖母戴冠(スポレート大聖堂『聖母の生涯』天井画)


(Incoronazione della Vergine (Storie della Vergine))
1466-69年頃 | フレスコ | スポレート大聖堂

フィレンツェ派の巨匠フィリッポ・リッピの遺作となるスポレート大聖堂の装飾壁画≪聖母の生涯≫の天井画として描かれた画家最後の傑作『聖母戴冠』。本作の主題≪聖母戴冠≫とは、聖母マリアが大天使ミカエルから自身の臨終を聖告され、今一度、息子イエスの弟子達に会いたいと願い、皆が雲に乗って集まった中、三日後にその時を迎え魂が昇天するも、魂が肉体に戻され、再び肉体と共に昇天し父なる神より受冠される場面で、明瞭な線描と豊かな色彩を用いながら深い精神性を携えた静謐さを感じさせる人物描写が特徴的である。また本作では聖母マリアの受冠を中心に、左右の対象性を意識し描かれていることが構図から示されている。なおフィリッポ・リッピはスポレート大聖堂の天井画『聖母戴冠』を工房の手を借りながら1468年にある程度まで完成させるも病に伏し、翌年10月に死去した為、天井画部分は息子のフィリッピーノ・リッピが、壁画部分は弟子のフラ・ディアマンテが後を引き継ぎ完成させたとされている。

関連:スポレート大聖堂『聖母戴冠』全体図(洗浄前)

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