Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci
1452-1519 | イタリア | 盛期ルネサンス




ミケランジェロラファエロと並ぶ盛期ルネサンスの三大巨匠の一人。中でもこのレオナルド・ダ・ヴィンチは名実ともに最大の画家として知られる。また画業の他、彫刻家、建築家、科学者としても名を馳せる万能人であった。フィレンツェ西方のヴィンチ村で生まれ、1466年頃ヴェロッキオの工房へ入門、そこで頭角をあわらし、以後は活動拠点をフィレンツェ、ミラノを何度か往復させながらローマへ向かう。晩年はフランソワ一世の招きによりフランスへ渡るものの、67歳で客死。卓越した遠近法の技術も然ることながら、完璧主義者であったレオナルド自身が考案した技法の『スフマート(ぼかし技法)』を用いた作品は、以降の画家に多大な影響を与えた。『受胎告知』『岩窟の聖母』『モナ・リザ』を始めとする数々の名画を残すが、『レダ』や『アンギアーリの戦い(※バロック絵画の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンス版『アンギアリの戦い』はこちら)』などは消失しており、現在目にできるのは、ヴァリアントや素描・画稿模写のみとなっている。

追記(2011/07/12):
かつては英国王チャールズ1世が所有し、その後長い間行方不明となっていた『救世主(サルバトール・ムンディ)』が発見されたとの発表があった。レオナルドが1500年頃に制作したと考えられている主イエスの半身像を描いた本作は160億円(2億ドル)の価値があるとされている。


Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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受胎告知

 (Annunciazione) 1472-1473年頃
98×217cm | 油彩・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

レオナルド・ダ・ヴィンチ単独の制作による最も初期の作品『受胎告知』。フィレンツェ郊外のサン・パルトロメオ・ディ・モンテオリヴェート聖堂の旧蔵となる本作は、すでにレオナルドは独立はしていたものの、まだ画家の師であった彫刻家ヴェロッキオの工房で活動をおこなっていた1472-1473年頃に手がけられたと推測され、明確な記録等は残っていないが異論なく真筆であると認められている。本作の主題≪受胎告知≫は中世〜ゴシック期より最も多く描かれてきた宗教主題のひとつで、神の子イエスを宿す聖なる器として父なる神より選定され、聖胎したことを告げる大天使ガブリエルと、それを静粛に受ける聖母マリアの厳粛な場面である。祝福のポーズと共にマリアへキリストの受胎を告げる、神の使者大天使ガブリエル。聖母マリアの気品に満ちた穏やかな表情や、非常に写実的に描写される野草や床面、空気遠近法を用いた高度な場面・遠景表現など、画面からは20歳頃のレオナルドの豊かな才能が随所に垣間見れる。また書顕台に置かれる聖母マリアの右腕の明らかに異常な長さは、本作を右側(聖母マリア側)から閲覧することを前提としている為であるとの説も唱えられているほか、遠景の最も高い山は≪山の中の山≫として主イエスの象徴であるとの解釈もなされている。なおパリのルーヴル美術館には、かつてレオナルド・ダ・ヴィンチの作とされていたものの、現在ではレオナルドと同様ヴェロッキオの工房で学んでいたロレンツォ・ディ・クレディの作とされる『受胎告知』が所蔵されている。

関連:ルーヴル美術館所蔵 『受胎告知』

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ブノワの聖母(幼児キリストに花を差し伸べる聖母)


(Madonna Benois (Madonna che porge un fiore al Bambino))
1475-78年頃
48×31cm | 油彩・板 (画布) | エルミタージュ美術館

ロシアが誇る美の殿堂、エルミタージュ美術館の至宝、レオナルド・ダ・ヴィンチ初期の作品『ブノワの聖母』。やや硬さを感じる聖母マリアの左手、幼児キリスト右脚の厳しい明暗や境界線など、レオナルドらしさが存分には感じられず、画家屈指の名作とは呼べないまでも、作品が持つ気品や慈愛に満ちた聖母の表情は、初期の作品とは思えないほど優雅かつ繊細に描かれている。本作は名門貴族クラーキン公のコレクションからフランスの画家レオン・ブノワの手に渡り、その後、ロシア皇帝ニコライ2世が購入したことから『ブノワの聖母』と呼ばれることとなった。また画面右上の白々とした窓の風景は未完成の為、又はレオナルド自身が塗りつぶしたなどの理由が推測されている。レオナルド独自の技法『スフマート(ぼかし技法)』によって表現される聖母の輪郭は、暗い背景に溶け込み、慈愛に満ちた聖母の人物をより際立たせている。聖母マリアが差し伸べた小さな花を見つめる幼児キリストの表情は幼いながらも気高さと神々しさを放ち、救世主であると同時に絶対者としての威厳に満ちている。なお画面右上の白々とした窓の風景に関しては未完成とする説、レオナルド自身が塗りつぶしたとする説などの様々な理由が推測されている。

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東方三博士の礼拝


(Adorazione dei Magi) 1481-82年頃
246×243cm | 油彩・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ルネサンス三大巨匠のひとりレオナルド・ダ・ヴィンチ未完の傑作『東方三博士の礼拝』。本作はフィレンツェ郊外サン・ドナート・ア・スコペート修道院の注文により同修道院の中央祭壇画として制作された作品で、主題には未来のユダヤの王たる神の子イエスの降誕を告げる新星を発見した東方の三人の王(一般的にはメルヒオール、カスパル、バルタザールとされる)が、エルサレムでヘロデ王にその出生地を聞いた後、星に導かれベツレヘムの地で神の子イエスを礼拝し、王権への敬意を示す黄金、神性への敬意を象徴する乳香、受難の予兆であるとされる没薬(没薬は当時、死体の保存に使われていた)を捧げる場面≪東方三博士の礼拝≫が描かれている。本作は1482年にレオナルドがミラノへと向かった為、モノクロームの状態(未完状態)でフィレンツェに残された作品で、1621年にはその所有権がメディチ家へと移行している。前景では画面中央に配される聖母マリアと幼子イエスを中心に、東方の三王や民衆たちが円状に囲みながら平伏すような姿で聖母子を礼拝している。そこでは様々な人物において性格付けや行動的人間性が示されており、レオナルドの自然主義的側面が明確に表されている。さらに後景左側には廃墟的な階段や建築物、後景右側には騎馬の一団が描き込まれており、画面内の空間構成や構図展開において類稀な革新性を見出すことができる。さらに主題の解釈においても、当時、問題視されることになった主の御公現(エピファニア。主イエスへの公式的礼拝)を意識させる内容が示されており、レオナルドのそれまでの伝統に捉われない挑戦的な意図が感じられる。

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白テンを抱く貴婦人の肖像


(Ritratto di dama con ermellino) 1485-1490年
54×39cm | 油彩・板 | ツァルトリスキー美術館

現在ポーランドのツァルトリスキー美術館が所蔵しているレオナルドが制作した肖像画の代表作のひとつ『白テンを抱く貴婦人の肖像』。最初のミラノ滞在時に制作された肖像画のモデルはミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロの愛妾(または同氏が結婚以前に寵愛していた)チェチリア・ガッレラーニと推定されており、背景に輝く肌の質感を透明感のある色彩で描かれた本作は、今なお色褪せることなく、完成されたレオナルドの作品として公開されている。黒色真珠を身に着ける、ミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロの愛妾、チェチリア・ガッレラーニの肖像にみられる、左斜め方向を見つめる視線、微かに微笑む口元と、成熟した女性ではない、あくまで若々しい少女の表情を、卓越した観察眼で捉えた。またチェチリア・ガッレラーニがやさしく抱いている、写実的に描かれた当時、冬の衣服として用いられていた白テンの毛皮は、本作では純潔の象徴としても解釈される。

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岩窟の聖母 ルーヴル版

 (Virgin of the Rocks)
1483-86年 | 199×122cm | 油彩・板 | ルーヴル美術館

言わずと知れたルネサンス期の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ不朽の祭壇画『岩窟の聖母』。ミラノ滞在時に手がけられた本作の主題は原罪(SEX)を犯さずにイエスを宿した聖母マリアの姿≪無原罪の御宿り≫と考えられているも、ヘロデ王が2歳以下の嬰児を虐殺するために放った兵士から逃れる為にエジプトへ逃避する場面≪嬰児虐殺≫とも解釈される傾向もある。このルーヴル美術館版は画面全てがレオナルドの真筆とされ、本来ならばミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂の礼拝堂を飾る作品であったが、当時、レオナルドとこの祭壇画の依頼主との間で作品の構成や報酬を巡りトラブルがあり、それを仲裁した(当時ミラノを治めていた)フランス王ルイ12世に、レオナルドが献上したとされる。本作では聖母マリアを中心に、左に幼児の姿をした洗礼者聖ヨハネ、右部分に祝福を与える幼子イエスと、大天使ウリエルを配されているが登場人物に神的人格の象徴である光輪が描かれていない点や、大天使ウリエルが人差し指で首を斬る仕草を示している点、洗礼者聖ヨハネと幼子イエスの明確な区別が為されていない点(通常、洗礼者聖ヨハネにはアトリビュートである獣の衣や十字の杖などが描かれる)などから祭壇画としての役割が果たせないとして、祭壇画の依頼主から受け取りを拒否されている。なお一部では大天使ウリエルが洗礼者聖ヨハネの守護天使であることから、洗礼者聖ヨハネが神の子イエスを祝福していると、洗礼者聖ヨハネと幼子イエスの解釈を逆とした異説が唱えられているも、確証は得ていない。

関連:ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵 『岩窟の聖母』

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岩窟の聖母 ナショナル・ギャラリー版


(Virgin of the Rocks) 1495-1508年
189×120cm | 油彩・板 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ルーヴル版が当時のフランス王ルイ12世に献上されたため、改めてサン・フランチェスコ・グランデ聖堂へ納められた作品となったのが本作『岩窟の聖母』。本祭壇画はレオナルドが描いた最も重要な中央部分(本作部分)とその開口戸となる両脇部分から構成され、その両脇部分はデ・プレディス兄弟が担当しており、本作のやや硬質的な表現手法や明暗対比の大きい暗中の陰影表現などから、構図はルーヴル版とほぼ同じであるが描いたのはデ・プレディス兄弟とするのが一般的な説である。本作とルーヴル美術館版『岩窟の聖母』との最も決定的な差異は登場人物にある。幼児洗礼者聖ヨハネにアトリビュートである十字の杖と衣を加え、幼子イエスとの間に明確な区別が為されている他、大天使ウリエルを除く聖母マリア、幼子イエス、幼児洗礼者聖ヨハネには神的人格の象徴である光輪が描かれている点や、大天使ウリエルの軽やかな衣服の表現やポーズの変更など、より依頼者の望みに則した表現が用いられている。

関連:ルーヴル美術館所蔵 『岩窟の聖母』

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最後の晩餐

 Ultima Cena (Cenacolo)
1495-1497年 | 460×880cm | 油彩・テンペラ |
サンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂修道院食堂(ミラノ)

レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』。ダ・ヴィンチが生涯に手がけた壁画のうち、現存する最も代表的な作品であり、当時のミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(ルドヴィコ・イル・モーロ)の依頼によりミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂修道院食堂の装飾画として制作された本作は、キリスト教美術において比較的古くから用いられ、修道院の食堂を装飾する絵画の主題として典型のひとつでもある≪最後の晩餐≫を描いたものであるが、単純に、通常示される教義≪聖体拝受(主によるパンと酒杯の拝受)≫を描いたものではなく、イエスが十二人の使徒に対し『この中に私を裏切るものがいる』と、裏切り者を指摘する、劇的な要素での登場人物の複雑な心理描写に重点が置かれている。また通常、この≪最後の晩餐≫は過越祭(ユダヤ教の祝日)におこなわれたとされていたことから、子羊料理が描かれるが、本作では魚料理が描かれたことが近年の修復作業によって判明した。本作は技巧的にも、壁画で通常用いられるフレスコは使用されず、油彩とテンペラによって描かれているため、完成後まもなく遜色が始まり、それに加え食堂が馬小屋として使用されたことで湿気に晒されたことや、第二次大戦での建物全壊(奇跡的に壁画は無傷)などが重なったことによって、壁画として保存状態が悪かった期間が長かった為、もはや、この傑作を原型のまま鑑賞することはできない。

関連:『最後の晩餐』登場人物配置図

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モナ・リザ(ジョコンダ)

 (Mona Lisa (La Gioconda))
1503-1505年 | 77×53cm | 油彩・板 | ルーヴル美術館

『モナ・リザ』。レオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された、この絵画史上最も名の知れたあまりにも有名な肖像画は、レオナルド自身にとっても特に重要な作品であったと考えられており、『聖アンナと聖母子』、『洗礼者聖ヨハネ』と共にフランソワ一世の招きにより渡ったフランスでの最晩年まで手元に置いていたことが知られている。本作を美術史的観点から名画中の名画と言わしめるのは、一切の筆跡を残さないスフマート(ぼかし技法)による表現に他ならない。このレオナルドによって考案された輪郭線を用いず陰影のみによって対象を表現する薄塗り技法は、同時代最大の巨匠のひとりボッティチェリを始めとするフィレンツェ派の技法とは決定的に異なっており、その完成には膨大な時間と手間がかかる。当時レオナルドが滞在していたサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の廻廊の二本の円柱が両端に描かれている(本作はその両端部分がどこかの時代に切断されたと推測される)ことが研究によって明らかになっている本作で用いられる、肖像画において斜めに対象人物を配する構図は主に初期ネーデルランド絵画で用いられていた構図であり、その後、交友のあったラファエロを始めとする数多くの画家達の肖像画制作の過程において多大な影響を与えた。ヴァザーリ著書『美術家列伝(1550年)』の中のフランチェスコ・デ・ジョコンドの妻リーサ・ゲラルディーニ説からモナ・リザと呼称されるようになった本作の最も大きな謎のひとつであるモデルについてはジュリアーノ・デ・メディチの愛人説、コスタンツァ・ダヴァロス説、自画像説、イザベラ・デステ説、レオナルドによる極めて高度に理想化された人物像とする説など諸説挙げられるも確証を得るに至らず、依然として不明であり今なお研究と議論が続いている。なお本作は1911年に一度盗難に遭うも2年後、フィレンツェで発見された。なお画家と同じくルネサンス三大巨匠のひとりに挙げられる年下のラファエロは本作『モナ・リザ』のスケッチを残しており、このスケッチは本作の研究資料として現在も重要視されている。

追記(2006/09/27):
近年、新たにおなわれた赤外線と3D技術による調査で、これまで解析できなかった絵具の層が解析され、モナ・リザのドレスが薄い透明のガーゼ布によって覆われていることが判明し、16世紀前半のイタリアでは妊婦や出産したばかりの女性がガーゼのドレスを着ていたことから、ジョコンドの妻リーサが次男を出産した直後の1503年頃に描かれたとする説が新たに唱えられた。

追記(2008/01/15):
ドイツのハイデルベルク大学図書館は、同図書館が所蔵している1477年に印刷された古書の欄外(余白部分)に、当時のフィレンツェの役人によって1503年10月に記された「レオナルドは現在、(富豪商人フランチェスコ・デ・ジョコンドの妻である)リーサ・デ・ジョコンド(別名リーサ・ゲラルディーニ)の肖像などを3点の絵画を制作している」との書き込みを発見し、モナ・リザのモデルが同氏であると結論付けた。

追記(2011/02/03):
イタリア文化遺産委員会のビンチェティ委員長は、モナリザのモデルは画家の弟子ジャン・ジャコモ・カプロッティ(通称サライ)であり、両者(師レオナルド・ダ・ヴィンチと弟子サライ)は同性愛的関係にあったとする説を記者会見で発表。論拠としてモナリザの瞳の中に両者の頭文字「L」と「S」が記されているとしている。

追記(2012/07/24):
イタリアの考古学チームがフィレンツェの聖ウルスラ女子修道院の床を掘り起こしておこなった発掘調査で、モナ・リザのモデルとされるリサ・デ・ジョコンド(リザ・ゲラルディーニ)の遺骨と思われる人骨を発見したとの発表をおこなった。今後の更なる調査が期待される。

追記(2012/09/26):
ジュネーヴ(スイス)に拠点を置くモナリザ基金が26日、予てからレオナルドの真筆論争が絶えなかった若きモナ・リザの作品、通称「アイルワースのモナリザ」が描写や表現的特徴のほか炭素年代測定法や紫外線及び赤外線調査などさまざまな化学的鑑定の結果、真筆であるとの発表をおこなった。しかしルーヴルのものと比べ同作品の素材がカンバスである点など異論も数多く残されており、今後の動向が注目される。

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聖アンナと聖母子(画稿・習作)


(Sant'Anna, la Madonna e il Bambino con l'agnllo)
1499-1500年頃 | 141.5×104.6 | 厚紙・木炭・鉛白
ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ルネサンス三大巨匠のひとりであり、万物の天才とも呼称される画家レオナルド・ダ・ヴィンチが残した秀逸的下絵習作『聖アンナと聖母子(画稿)』。本作は画家晩年期の最高傑作の1点と名高く、レオナルドが最後まで手放さなかったルーヴル美術館所蔵の『聖アンナと聖母子(1508-1510年)』に通じる、大凡10年ほど前に制作された画稿(下書き)である。画面上部に配される聖アンナは娘である聖母マリアへ慈愛的な眼差しを、聖母マリアはその胸に抱く幼子イエスへやや憂いを帯びた眼差しを向けており、三者の関係性を視線で表している。また神の子として降誕した幼子イエスは、同じく幼子の姿をした洗礼者聖ヨハネへ祝福の仕草を示しており、聖ヨハネは信仰深い眼差しを幼子イエスへ向けている。主題こそほぼ完成図とされる油彩画『聖アンナと聖母子』と同様≪謙譲の聖母子≫に聖アンナと洗礼者聖ヨハネを配しながら、大きく構図が異なる本作ではあるが、その量塊感や安定的な三角形の人物配置、そして登場人物らの複雑ながら豊かな表情描写は完成図と比較しても遜色なく、むしろ画稿ならではの勢いによる動感や深い陰影描写によって、より際立った印象を受ける。来歴として少なくとも1791年には英国のロイヤル・アカデミーに所蔵されていたことが知られている本作は、レオナルドが1482年から18年間滞在したミラノを離れる最後期に手がけられた画稿であるが、その表現手法に注目しても明確な線描(トスカーナ美術の典型として知られる)と立体感と光彩を独特に誇張したキアロスクーロ(明暗法)を用いた人物描写は、画家の卓越したデッサン力をよく示すものであり、今も観る者を驚かせると同時に強い感銘を与える。なお本作とは別に1501年フィレンツェのサンティッシマ・アヌンツィアータ修道院で公開された習作の存在が伝えられている。

関連:ルーヴル美術館所蔵 『聖アンナと聖母子』

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聖アンナと聖母子

 1508-1510年
(Sant'Anna, la Madonna e il Bambino con l'agnllo)
168×112cm | 油彩・板 | ルーヴル美術館(パリ)

完成していればレオナルドの最高傑作のひとつとして数えられていたであろう、晩年期に制作された未完の大作『聖アンナと聖母子』。主題の≪謙譲の聖母子≫にマリアの母アンナがその膝に母子(聖母マリアとキリスト)を抱くというあまり例のない構図で描かれた本作は、画家の生涯で二度目となったミラノ滞在中、当時のフランス国王ルイ12世のために制作された作品だと考えられている。また未完とはいえ、人物の柔らかくも甘美さを併せ持つ表情や、スフマートで描かれる卓越した表現技法などから、多くの画家がこの作品を模写している。キリストに手を差し伸べ抱き上げる聖母マリアは、新約聖書ルカ福音書では、夫となる聖ヨセフとの婚約中、大天使ガブリエルから受胎告知を受けたとされる。五世紀前半からは神(キリスト)の母や無原罪の女性として崇敬の対象となった。この世の終焉に現れるメシア(救世主)とされる羊と戯れる幼子キリストの名称は元来、油を塗られた者の意で、王に与えられる称号であった。夫であるヨアヒムと20年近く連れ添いできた始めての子供で、聖母マリアの母として知られる聖アンナの我が子(マリア)と孫のキリストを見つめる表情は、聖者に相応しく穏やかさと慈しみに満ちている。

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洗礼者聖ヨハネ

 (San Giovanni Battista)1513-1516年
69×57cm | 油彩・板 | ルーヴル美術館(パリ)

制作の詳しい経歴は不明だが、ダ・ヴィンチ最晩年の作品とされる『洗礼者聖ヨハネ』。晩年期は失意の中フランソワ一世の招きによりローマを去り、フランスへ向かったダヴィンチが同地で描き、本作と『モナリザ』、『聖アンナと聖母子』の三作品は生涯手元に残した。なおモナリザを思わせる聖ヨハネの端正な顔立ちと微笑みは、ダ・ヴィンチが同性愛者だったという推測に基づき、寵愛していた弟子ジャン・ジャコモ・カプロッティ(通称サライ)をモデルにしたという説もある。ヨルダン川でキリストの洗礼を行なった者とされる洗礼者聖ヨハネは、バプテスマのヨハネとも呼ばれ、都市生活から離別し、神の審判が迫ることを説き、人々に悔い改めの証として洗礼を施すが、ヘロデ王の娘サロメの願いにより斬首刑に処された。また本作を始め、レオナルド作品によくみられる、この天に向け人差し指を指すポーズ。ここでは天からの救世主キリストの到来を予告し、道を平らかにするよう悔悛を説いてると解釈されている。

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