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イアサント・リゴー Hyacinthe Rigaud y Ros
1659-1743 | フランス | 古典主義・ロココ美術
ロココ美術初期を代表する肖像画家。フランス古典主義の画家
フィリップ・ド・シャンパーニュや17世紀フランドル絵画の巨匠
アンソニー・ヴァン・ダイク流の優雅な人物(肖像)表現と、画家独自の堂々とした豪奢な肖像演出を融合させ、独自の肖像画を形成。豪壮かつ優雅で、華々しさが際立つ人物描写で肖像画を制作し、その装飾性に富んだ肖像表現は対象(モデル)の地位をより気品高く、偉大に表すことに成功した。画家の手がけた肖像画は王侯貴族を始め、銀行家や大富豪など裕福な依頼主から絶大な支持を得た。中でも太陽王との異名でも知られる当時の
フランス国王ルイ十四世の肖像画は画家の傑作として名高い。主な作品は肖像画であるものの、歴史画や自画像も残されている。1659年、フランス南部の都市ペルピニャンに生まれ、最初は同地の画家アントワーヌ・ゲラ(父)に絵画を学んだと推測される。その後、1670年代初頭にモリエンペに赴き、ポール・ブゼ、次いでアントワーヌ・ランクの工房で修行しながら生活し、短期間リヨンで過ごした後、1681年からパリの王立絵画・彫刻アカデミーの学生となる。翌年、ローマ賞の大賞(一等)を獲得しイタリア留学の権利を得るものの、当時アカデミー内で最も権力があったシャルル・ル・ブランの助言もあり国内に残り、肖像画制作に専念する。1684年、歴史画を制作して王立絵画・彫刻アカデミーの準会員に、1700年には正式な会員として選出。以後、裕福なパトロンからの肖像画制作の依頼を精力的にこなし、晩年の1733には王立絵画・彫刻アカデミーの会長(院長)に就任。画家として華々しい人生を送ったものの、アカデミー会長就任から10年後となる1743年にパリで死去。なお画家と同じく肖像画で名を馳せた
ニコラ・ド・ラルジリエール(
ラルジリエールは女性の肖像画を得意とした)はリゴーの良い友人としても知られている。