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Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像

ヴァン・ダイク Anthony van Dyck
1599-1641 | フランドル | バロック

17世紀に活躍したフランドルの代表的な画家。壮厳性を損なうことなく明るい色調とバロック特有の流動感によって描かれた肖像画は、イギリスを始め西欧各国の肖像画に多大な影響を与えた。裕福な商人の息子として生まれ、11歳でヘンドリック・ファン・バンーレンに弟子入りした後、アントウェルペンの画家組合に加入。その頃にはルーベンスの最も重要な助手のひとりを務めるなど、画家として稀にみる早熟を示していた。1620年頃一度英国を訪問した後、1621年から1627年にかけてイタリアに滞在。ルネサンス期の作品、特にヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノから多大な影響を受ける。イタリア滞在の成功で国外にも名を馳せ、英国王チャールズ1世の招きにより1632年から1641まで宮廷画家として活躍、ヴァン・ダイクの描いた肖像画はイギリス国内で大きな反響と賞賛を受け、同国における肖像画制作の最も重要な模範のひとつとして18世紀末まで継承された。


Work figure (作品図)
Description of a work (作品の解説)
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十字架を担うキリスト (Christ Bearing the Cross)1617年頃
211×162cm | 油彩・画布 | シント・パウルス聖堂

類稀な才能を示すヴァン・ダイクの最も初期の代表的な宗教画作品のひとつ『十字架を担うキリスト』。偉大なる同胞の画家であり師でもあったルーベンスヨルダーンスら当時の著名な画家たちが制作に携わったシント・パウルス聖堂のための連作≪バラ冠の奇蹟≫15点のひとつとして若きヴァン・ダイクが手がけた本作に描かれるのは、弟子ユダの裏切りによって逮捕された受難者イエスに下された磔刑を執行する為に、己の身を掲げられる十字架を背負い処刑所であるゴルゴタの丘への道を進む≪十字架を担うキリスト≫の場面で、十字架を運ぶ受難者イエスの苦痛に歪む表情や傍らで見守る聖母マリアの悲壮感が漂う表情などに示される激しい感情表現と、受難者イエスを嘲笑し暴行を加えるローマ兵士やユダヤ人たちの興奮的な運動性が見事に画面の中に示されている。また、制作当時、まだ聖ルカ画家組合に入っていなかったヴァン・ダイクにとって(翌年1618年に組合へ入った)、この大仕事に携わったことは非常に重要な出来事かつ若きヴァン・ダイクが同業者の中で確固たる地位を得ていたことを示しており、報酬もルーベンスヨルダーンスと同額(150ギルダー)を受け取ったと記録が残っている。

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皇帝テオドシウスの教会進入を拒む聖アンブロシウス
(The Emperor Theodosius is forbidden by St.Ambrose to enter Cathedral) | 1618-19年頃 | 149×113cm | 油彩・画布
ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ヴァン・ダイク初期の代表的な宗教画作品のひとつ『皇帝テオドシウスの教会進入を拒む聖アンブロシウス』。本作は皇帝テオドシウスがテッサロニーキで暴動暴徒の大虐殺を命じたため、ミラノの大司教聖アンブロシウスが罪を償い悔い改めるまで教会へ入ることを禁じた≪皇帝テオドシウスの教会進入を拒む聖アンブロシウス≫を主題に、師ルーベンスの構想を基にヴァン・ダイクが大部分を手がけ、最後にルーベンスが仕上げたルーベンスとの共作版のヴァリアント(第二ヴァージョン)として制作された作品で画面全てがヴァン・ダイクの手によるものとされる。類稀な早熟を示し師ルーベンスからの独立を得るために、オリジナルから幾つかの個所で野心的な変更がなされている。本作では背景の教会がより重厚的に描かれ威圧感を思わせるほか、主対象となる登場人物以外をやや不鮮明に描写することによって、聖アンブロシウスと皇帝テオドシウスを画面内で鮮明に浮き立たせている。また髪や髭などの各人物の身体的特徴や服装、小道具などが若干変更されている。なお本作の主題≪皇帝テオドシウスの教会進入を拒む聖アンブロシウス≫は、父なる神の住まう教会の神聖な権威が、皇帝の世俗的な権威や権限に勝利したことを示している。

関連:ルーベンスとの共作版(ウィーン美術史美術館所蔵)

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マントを分け与える聖マルティヌス
(St.Martin Dividing His Cloak) 1618-20年頃
170×160cm | 油彩・画布 | 聖マルティヌス教会

稀代の早熟を示す画家ヴァン・ダイク初期の代表的な宗教画作品のひとつ『マントを分け与える聖マルティヌス』。1612年頃に手がけられた油彩スケッチが残されるよう、本来はヴァン・ダイクの師ルーベンスが祭壇画として制作する予定であったが、何らかの理由でヴァン・ダイクの手に委ねられたと推測される本作に描かれるのは、4世紀に活躍したコンスタンティヌス大帝が統治するハンガリー出身の聖人マルティヌスが、ローマ軍兵士として従軍していたときに教会へ向かう途中、裸で寒さに耐える乞食を目撃し、自身の纏う外套(マント)を引き裂き分け与えた逸話≪マントを分け与える聖マルティヌス≫の場面である。師ルーベンスの影響を強く感じさせる、本作の乞食や聖人マルティヌスが乗る馬などの大胆な構図と運動性と躍動感に富んだ描写は、ルーベンスが若きヴァン・ダイクの早熟な画才を認め、自身に依頼される重要な仕事をヴァン・ダイク任せたことを示している。なお女性や子供などを登場人物を数名追加するほか、聖マルティヌスの握る剣の位置を若干下部へ変更した、本作よりふた周りほど大きいヴァリアントが1620年頃に制作されており、現在ウィンザー城王室コレクションに所蔵されている。

関連:ウィンザー城王室コレクション所蔵作品
関連:ルーベンス作『マントを分け与える聖マルティヌス』

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サムソンとデリラ (Samson and Delilah) 1618-20年頃
149×229.5cm | 油彩・画布 | ダリッジ美術館(ロンドン)

ヴァン・ダイク初期の代表的な宗教画作品のひとつ『サムソンとデリラ』。本作に描かれる主題は、40年間ペリシテ人によって支配されていたイスラエルで、ダン人マノアと不妊の妻との間に生まれた無双の勇士サムソンはペリシテ人などの他部族からイスラエルを救う先駆者となったが、ペリシテ人の娼婦デリラと恋仲となり、怪力の源が頭髪であることを教えてしまったことから、ペリシテ人に捕まり頭髪を剃られる場面を描いた旧約聖書≪サムソンとデリラ≫で、師ルーベンスの代表作『サムソンとデリラ』の構図を基に制作されているも、主要人物であるサムソンやデリラは右に置かれている点や、場面設定も屋外へとされた点にヴァン・ダイクの独自性が示されている。デリラの輝くような透き通る白い肌や、衣服や豪華な布、甲冑などの質感描写に若きヴァン・ダイクの高い力量が感じられるほか、登場人物の劇性と運動性に富んだ力強い表現は、ヴァン・ダイク初期の宗教画作品の大きな特徴のひとつである。なお1630年に新たな構図で『サムソンとデリラ(ウィーン美術史美術館所蔵)』を制作している。

関連:ルーベンス作『サムソンとデリラ』
関連:ウィーン美術史美術館所蔵『サムソンとデリラ』

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スキピオの自制 (The Continence of Scipio) 1620-21年頃
149×113cm | 油彩・画布 | クライスト・チャーチ図書館

17世紀フランドル絵画史の巨匠アンソニー・ヴァン・ダイクの代表的な歴史画のひとつ『スキピオの自制』。バッキンガム公の依頼によって制作された、イギリス滞在期で最も初期の作品となる本作に描かれるのは、紀元前ローマの歴史家リヴィウス著「ローマ建国史」や14世紀イタリアの詩人ペトラルカ著「アフリカ」に記された、古代ローマの名門貴族でイタリアの英雄としても知られる軍人スキピオ・アフリカヌスの清廉・美徳の物語≪スキピオの自制≫で、当時、ヴァン・ダイクの作品に示される師ルーベンスからの影響力以外に、ルネサンスヴェネツィア派の巨人ヴェロネーゼからの強い影響が指摘されている。十代の頃に一度大敗を喫していた名将ハンニバル・バルカ率いるカルタゴ軍との戦いに勝利しカルタゴを征服したスキピオ・アフリカヌスは、戦勝の賠償と祝いのため美しい女性の捕虜を提供されるも、その女性に婚約がいることを知りそのまま婚約者へと返したとされ、英雄スキピオ・アフリカヌスの物語画としてはこの≪スキピオの自制≫が最も一般的で好まれた題材であった。

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自画像 (Self-Portrait) 1622-1623年頃
116.5×93.5 | 油彩・画布 | エルミタージュ美術館

17世紀に活躍したフランドルの代表的な画家の中で傑出した肖像画家としても知られるヴァン・ダイクの若き『自画像』。本作はヴァン・ダイクが画家として独立した頃までに描かれた自画像の中で最も洗練された表現がされており、古典的情景を感じさせる風景描写と、端正な面持ちで自信に満ちた若々しい画家の表情や女性的な洗練された指先の表現は特筆に値する。また深みのある青みがかった黒色に近い衣服はやや荒々しいタッチで描かれ、全体的に暗く表現された画面内でヴァン・ダイクの顔に射すハイライトは印象的であり、本作における画家の洗練された技量が示される一例である。なお画家が14歳の頃に描いたと推測される最初期の自画像がウィーン美術アカデミー付属美術館に所蔵されるほか、晩年に手部分を修正したいることが判明している1617-18年頃の自画像や、1620-21年頃に制作された本作により近い構図の自画像などが知られている。

関連:ヴァン・ダイク最初期の自画像(1614年頃制作)
関連:1610〜1620年代前半の他の自画像

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茨の冠のキリスト (The Crowning with Thorns) 1620年頃
223×196cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

稀代の早熟を示した画家ヴァン・ダイク初期の代表的な宗教画作品のひとつ『茨の冠のキリスト』。本作の主題は、新約聖書キリストの受難より、ピラト総督によって笞打ちの刑に処された後に、兵士たちから茨の冠を被せられ激しく嘲笑される場面を描いた≪茨の冠≫で、ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノによる同主題の作品『茨の冠』に強い刺激と感銘を受け制作された。本作において最も驚くべきことは、若干20歳そこそこの若者の手による極めて高度な場面の表現力であり、確かな描写力と豊かな感情表現は、このアントウェルペン出身の若者の成功を十分に予感させるものであった。また本作は後に工房に入ることになる同郷の大画家ルーベンスに贈られた。

関連:ティツィアーノ作『茨の冠』

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キリストの逮捕 (The Crowning with Thorns) 1621年頃
344×249cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

17世紀フランドル絵画を代表する画家ヴァン・ダイクが初期に手がけた傑作『キリストの逮捕』。同時期に描かれた名画『茨の冠のキリスト』同様、偉大な師であるピーテル・パウル・ルーベンスに贈られたと考えられ、ルーベンスの死後の競売で当時のスペイン国王フェリペ4世が買い上げた作品である本作に描かれるのは、ゲツセマネ(オリーブ山)で祈りを終えた主イエスが、最後の晩餐で指摘した裏切り者≪イスカリオテのユダ≫が連れて来たローマ兵士やユダヤの司祭たちによって逮捕される重要な場面≪キリストの逮捕(ユダの接吻)≫である。本作における登場人物の激しい運動性や高ぶる感情の表現、明暗対比の大きい光と影の描写などに若干20代前半という若きヴァン・ダイクの類稀な画才が感じられる。また画面左下部分ではキリスト十二弟子の筆頭であるペトロが抵抗しユダヤの司祭長の僕の耳を切り落とす場面が描かれている。なお最近、解読結果が好評されたユダの福音書ではユダを主イエスに認められた最も優れた弟子として扱っており、本作の主題≪キリストの逮捕≫は魂の肉体からの解放を望む主イエス自らが仕組んだ出来事であると唱えられている。

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ロザリオの聖母 (The Madonna of the Rosary) 1624-27年
397×278cm | 油彩・画布 | オラトリオ・デル・ロザリオ

巨匠ヴァン・ダイクが描いた宗教画作品のひとつ『ロザリオの聖母』。パレルモの聖ドミニコ会に属するロザリオ兄弟団のために制作され、オラトリオ・デル・ロザリオに所蔵されている本作には、天上から降臨する聖母マリアと聖母に抱かれる幼子イエスを中心に、スペインのカスティリャ地方の貴族出身で聖ドミニコ修道会の創始者でもある≪聖ドミニクス≫や、リマ出身である聖ドミニコ会第三会≪聖女ローサ≫など、聖ドミニコ会に関係する聖人たちが描かれている。本作に示される明暗対比の大きい陰影描写や劇性を重要視した場面表現に、師ピーテル・パウル・ルーベンスの多大なる影響を感じさせるも、細部のやや甘美性を伴う優雅な聖人らの目撃姿や、画面下部に配されている鼻をつまむ天使のユーモラスな表現に、ヴァン・ダイクの独自性が示されている。

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バルビの子供達 (The Balbi Children) 1625-1627年
219×151cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

画家ヴァン・ダイクのジェノヴァ滞在期の重要な肖像画作品のひとつ『バルビの子供達』。18世紀のコレクターであるコンスタンティヌス・バルビが所有していたことから、伝統的に『バルビの子供達』と呼称されている本作に描かれる三人の愛らしい子供のモデルについての詳細は不明であるも、その様式や来歴からヴァン・ダイクが1621年から1627年にかけてイタリアに滞在したジェノヴァの有力貴族の子供達であると推測されている。本作に示される気品と満ちやや詩情的な肖像画の表現手法は、ヴァン・ダイクがジェノヴァ滞在で熱心におこなったルーベンスの肖像画の研究とその成果を示すものであり、後に肖像画家して大成するヴァン・ダイクの肖像画制作における独自の様式確立の重要な研究資料的価値も見出すことができる。なお画面右下に描かれる黒い鳥(カラス)から貴族フランチ家の紋章とし、ジェローラモ・デ・フランチの子息チェーザレ、ジョバンニ・ベネデット、アンジェロとする説が研究者から唱えられているも、現在までに証拠を示す書簡や目録は発見されていない。

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聖アウグスティヌスの幻視 (St.Augustine in Ecstasy)
1628年 | 390×225cm | 油彩・画布 | アウグスティヌス会聖堂

17世紀フランドルを代表する画家ヴァン・ダイクの傑作的宗教画作品のひとつ『聖アウグスティヌスの幻視』。アントウェルペンの聖アウグスティヌス会聖堂のために制作された本作は、ラテン教会四大博士のひとりで、ヌミディアのタガステに生まれた(ヒッポの)聖アウグスティヌスが、聖三位一体論の執筆するさなかにおこなった海浜の散策中、幼児が貝殻で砂浜を掘り海水を汲み上げる姿を目撃し、それが無駄な努力であることを幼児に諭したところ、自身の責務であった聖三位一体論の神秘解明が不可能であることに気付き戒められた体験を、幻視体験として表現した≪聖アウグスティヌスの幻視≫を主題に描かれた作品である。画面上部には天上から降臨する聖三位一体を示す父なる神を、画面下部には中央に幻視体験をする聖アウグスティヌス、その左部に聖アウグスティヌスの母で敬虔な聖女でもある聖モニカ、右部にはおそらくは聖ニコラウスであろう僧侶が配されている本作には、ヴァン・ダイクが自身の様式確立に多大な影響を受けたルネサンス期からバロック期までのイタリア絵画に対する深い考察が示されている。

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福者ヘルマン・ヨゼフの夢 1618-19年頃
(The Vision of the Blessed Herman Joseph)
160×128cm | 油彩・画布 | ウィーン美術史美術館

偉大なる画家ヴァン・ダイクを代表する宗教画作品のひとつ『福者ヘルマン・ヨゼフの夢』。アントウェルペンのイエズス会のために制作され同会女子修道院を経てウィーン美術史美術館に所蔵されることになった本作に描かれるのは、ドイツのケルンに生まれた熱心なキリスト教徒で神秘体験者でもある≪福者ヘルマン・ヨゼフ≫が夢の中でおこなった(又は幻視した)聖母マリアとの神秘的な婚姻体験場面で、輝きを帯びる光彩表現や劇性を感じさせる場面構成、自然を超越した神秘的な印象の大気描写などヴァン・ダイクの類稀な表現力が如何なく発揮されている。本作に描かれる≪福者ヘルマン・ヨゼフ(1150-1241)≫はイエズス会に関連する聖者ではないものの、中世の特にドイツ近郊では非常に人気が高かった、聖母マリア信仰の深い聖人で、本作では2天使を連れた聖母マリアより霊的な婚姻者(配偶者)の証である指輪を授かっている。この神秘的体験は≪福者ヘルマン・ヨゼフ≫の伝説的な逸話の中でも最もポピュラーなもののひとつである。なお本作と共にアントウェルペンのイエズス会のためにパレルモの聖ロザリエや聖ペテロなど諸聖人を伴う聖母子図(ウィーン美術史美術館蔵)も制作されている。

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十字架昇架 (The Raising of the Cross) 1630-1631年
345×280cm | 油彩・画布 | 聖母教会(コーリック)

17世紀フランドル絵画の巨匠ヴァン・ダイクの代表的な宗教画作品のひとつ『十字架昇架』。コーリックの聖母教会の司祭ロジェ・ブラィエから同教会の祭壇画として注文され制作されたと推測される本作に描かれるのは、ユダヤの民を惑わしたとの罪から、受難者イエス自らが担いゴルゴダの丘に運ばされた十字架に磔られ、ローマ兵士らによって樹立される場面≪十字架昇架≫で、本作の画面に対しほぼ対角線上に≪十字架に磔られる受難者イエス≫を配する構図や、深く強い陰影を用いた劇的な感情表現、力強い肉体描写による激しい運動性などは、師ルーベンスによる傑作『キリスト昇架』からの直接的な影響が指摘されている。しかしルーベンスによる『キリスト昇架』が受難者イエスを英雄的に扱う記念碑的な特徴を示すのに対し、本作には受難者イエスの内面的な性格を重視した、精神性の深い表現が用いられている点が大きく異なっている。なお本作を制作する為にダイクが描いた油彩によるスケッチ画が残されている。

関連:ピーテル・パウル・ルーベンス作『キリスト昇架』

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キリストの磔刑 (The Crucifixion) 1630-1632年
400×245cm | 油彩・画布 | リール美術館

稀代の才能を示した17世紀フランドル絵画の巨匠ヴァン・ダイクが描いた代表的な宗教画のひとつ『キリストの磔刑』。本作に描かれるのは、自らユダヤの王と名乗り民を惑わしたという罪状で受難者イエスがユダヤの司祭から告発を受け、罪を裁く権限を持つ総督ピラトが手を洗い、自身に関わりが無いことを示した為、ゴルゴダの丘で2人の盗人と共に磔刑に処された教義上最も重要視される場面のひとつ≪キリストの磔刑≫で、磔刑に処される受難者イエスに示される内面を重要視した深い精神性を携える人物表現、聖母マリアやマグダラのマリアに示される悲壮と激情に満ちた激しい感情表現、場面を印象的に映す幻想性に富んだ光と闇による背景描写などは、巨匠ヴァン・ダイクの宗教画におけるひとつの頂点を示している。中央よりやや左部へ垂直に配される白々とした肉体の受難者イエスに呼応するように、中央よりやや右部へ光に照らされる雲谷を配することで、本作の構図展開において絶妙なバランスを取っている。また本構図によって左部分に受難者イエス、右部分に聖母マリアとマグダラのマリア、聖ヨセフという特徴的な人物配置が可能となり、師ルーベンスに順ずることのない画家独自の場面展開を示すことに成功しているのである。

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馬上のチャールズ1世とサン・アントワープの領主の肖像
(Charles I on Horseback with M de St.Antoine) 1633年
368×269cm | 油彩・画布 | バッキンガム宮王室コレクション

ヴァン・ダイク肖像画作品の代表作『馬上のチャールズ1世とサン・アントワープの領主の肖像』。本作は1632年からヴァン・ダイクが宮廷画家となり仕えていた当時の英国王チャールズ1世の馬上の姿と、傍らに馬丁長ピエール・アントワーヌ・ブールダンを配した肖像画作品で、王の権威は神から与えられたものとする王権神授説を信奉したチャールズ1世の高潔で王としての絶対的な正当性と優位性を保ちながら、堅苦しい形式を重んじた公式的な表現からの逸脱を示し、非常に柔和で自然な表現が用いられている。諸外国同様、当時の欧州で最も主流であった絶対王政による専制政治を強いたチャールズ1世は、1642年に議会派との対立から勃発した内戦をきっかけに、1649年には斬首刑に処されるものの、巨匠ラファエロやヴェネツィア派の大画家ティツィアーノ、当時最も名を馳せていた画家ルーベンスなどを始めとした芸術作品の熱心な収集家でもあった。このような芸術に関し造詣深かった王チャールズ1世の期待に答えるべく、本作では公式的な肖像画でありながら、ルネサンス期の古典芸術を思わせる詩情に溢れた理想主義的な描写手法が示されていることも大きな特徴のひとつである。

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ボルゴマネロ侯爵カルロ・エマヌエーレ・デステの肖像
(Carlo Emanuele d'Este, Marchese di Borgomanero)
1634年 | 175×95cm | 油彩・画布 | ウィーン美術史美術館

17世紀フランドル・バロックを代表する画家ヴァン・ダイクの典型的な肖像画作品のひとつ『ボルゴマネロ侯爵カルロ・エマヌエーレ・デステの肖像』。長らくルプレヒト・フォン・プファルツ公子の肖像とされてきたが、近年の研究によって、おそらくはサヴォイ家の公子ボルゴマネロ侯爵カルロ・エマヌエーレ・デステの肖像と考えられるようになった本作は、弟の肖像画と合わせ対画として制作されたと推測されている。本作のいかにも貴族的な気品と優雅に満ちた立ち振る舞いや雰囲気は、後に英国内において最も規範的とされるようになるヴァン・ダイクの肖像画の大きな特徴のひとつであり、1632年に当時の英国王チャールズ1世の宮廷画家となった画家の肖像画の中でも秀逸の出来栄えを見せている。おそらくカルロ・エマヌエーレ・デステが12〜13歳頃に描かれた本作では、少年的なあどけなさの残る端正な面持ちなど対象の個性を活かしつつ、尊位と優美の絶妙なバランスによって貴族の肖像画として公式的な役割を担う極めて洗練性の高い肖像画に仕上げられている。このような表現は現在、一般的に語られるヴァン・ダイクの肖像画の最も典型的な表現として広く認識されているだけではなく、英国における肖像画の方向性を示した重要な表現手法としても、その役割は非常に大きい。

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キリストの哀悼 (The Lamentation over the Dead Christ)
1634-36年頃 | 115×208cm | 油彩・板 |
アントウェルペン王立美術館

17世紀フランドル絵画の画家ヴァン・ダイク後期を代表する宗教画作品のひとつ『キリストの哀悼』。画家がチャールズ1世の宮廷画家として仕え確固たる地位を築いていた英国から一時的にアントウェルペンへ帰国した際に、サボア使節のチェレーザ・アレッサンドロ・スカリガからフランチェスコ会聖堂の礼拝堂を飾る作品として依頼され制作された本作に描かれる主題は、磔刑に処され死したイエスと、その死に深い哀悼を表す聖母マリアやイエス十二使徒のひとり聖ヨハネ、天使らを描いた≪死せるキリストへの哀悼≫で、ヴァン・ダイクは生涯中に本主題を数多く手がけていたことが知られている。画家の師であり、多大な影響を受けていたルーベンスも同主題を手がけているが、師の作品とは異なり、受難者イエスの苦痛の表現は緩和され、その表情には死に対してある種の甘美性が示されているのが大きな特徴のひとつである。また聖母マリアのやや誇張気味な身振りの大きい描写や、うなだれ顔を覆う天使の悲壮感漂う描写は、迫真性や主題表現においてヴァン・ダイクが生涯に手がけた宗教画の中でも秀逸の出来栄えを見せており、特筆すべき画家の代表作としても、本作は広く知られている。

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狩猟場の王(狩猟場のチャールズ1世の肖像)
(Roi à la Chasse) 1635年頃
272×212cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

ルーベンス以降の17世紀フランドル絵画で世界的に最も名を馳せた画家のひとりヴァン・ダイクの描いた肖像画の最高傑作『狩猟場のチャールズ1世の肖像』。1775年にデュ・バリー夫人から購入され現在のルーヴル美術館に所蔵された、通称『狩猟場の王』と呼ばれる本作は1632年から宮廷画家として仕えた当時の英国王チャールズ1世の狩猟姿を描いた肖像画で、今日までに言われる肖像画家としてのヴァン・ダイクの名声を決定付けた画家随一の代表的な作品とされる。狩猟場に悠然と立ち振る舞うチャールズ1世は国王としての偉大なる威厳と尊格に満ちており、本作を見る全ての者を圧倒する。しかしそれまでの英国王族を扱う肖像画の窮屈で形式ばった堅苦しさは影を潜め、品位を感じさせる高度な色彩表現と、性格をも描ききる人間味溢れる人物描写によって肖像画の新たな一面を示すなど非常に豊かな表現を用いている。また画面右部の風に揺らめく巨木の葉に見られる自由闊達に動く筆跡や大気感を感じさせる遠景の表現など細部にわたり画家の優れた力量が示されている。本作に代表されるヴァン・ダイクが手がけた肖像画は、その後の英国の肖像画の基礎となっているほか、同国のアカデミズムにも多大な影響を与えたことが知られている。

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