Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Tiziano Vecellio
1488-1576 | イタリア | 盛期ルネサンス ヴェネツィア派




画業だけで言えばルネサンスの三大巨匠をも凌ぐ、盛期ルネサンス期に最も活躍したヴェネツィア派の巨匠。画歴は9歳にしてヴェネツィアのモザイク画家であったセバスティアーノ・ツッカートに弟子入りしたことから始まり、ジェンティーレの工房を経て、同画派の確立者ジョヴァンニ・ベッリーニの工房にて画業を学んだ。そこで兄弟子であった(ヴェネツィア派の巨匠で盛期ルネサンス様式の創始者)ジョルジョーネと出会い、多大な影響を受け、ジョルジョーネの死後、ティツィアーノは自らの手で彼の未完作品を完成させている。1516年からヴェネツィア共和国の公認画家となり、フラーリ聖堂の祭壇画『聖母被昇天』を手がけるなど、画家として順調な業績を重ねていった。また、この頃からフェラーラ、マントヴァ、ウルビーノなどの宮廷とも関係を築き、1530年以降はスペイン国王であり神聖ローマ帝国皇帝のカール5世から愛願を受け1548年、1550年と二度に渡りアウクスブルクに滞在し、カール5世の息子フェリペ2世からも絶大な信頼を得て、終生のパトロンを獲得するに至った。その他にも教皇パウルス3世や、名門貴族であったファルネーゼ家からの依頼を受けるなど、88年というルネサンスに活躍した画家の中でも最も長い生涯を送ったティツィアーノの画業は、ヴェネツィア派最大の巨匠の名を残すに相応しい、華々しいものであった。また、ティツィアーノの作風は生涯にわたり変化し続け、ヴェネツィア派最大の特徴である色彩の魅力を存分に発揮し、その鮮やかに彩色された色彩は≪色彩の錬金術≫とまで呼ばれることとなった。ティツィアーノが手がけた作品は、真作数で約300点、工房作品も含めると500点を超える数を残している。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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男の肖像(アリオスト)

 (Ritratto d'uomo (Ariosto))1510年頃
81.2×66.3cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

巨匠ティツィアーノ初期の代表的な肖像画作品のひとつ『男の肖像』。本作に描かれる人物のモデルについては、以前は誤って(当時の)イタリアの詩人ルドヴィコ・アリオスの肖像や画家自身の自画像と考えられていたが、現在ではティツィアーノの最初のパトロンであったバルバリーゴ家の若者とする説が主流である。本作の光彩を用いた巧みな精神性(心理)描写や彫塑的な力強い造形と姿勢などは若きティツィアーノの優れた力量を示すものであり、本作はこの頃描かれた作品の中でも特に秀逸な出来栄えを見せている。また画面下部に記されるTとVの文字は画家の名前(Tiziano Vecellio)の頭文字による署名である。なお本作を目撃した17世紀のオランダ絵画黄金期を代表する画家レンブラントは、自画像制作において本作の多大な影響を受けている。

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田園の奏楽

 (Concerto campestre) 1511年頃
110×138cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

ヴェネツィア派の大画家ティツィアーノ初期に属される代表的な作品のひとつ『田園の奏楽』。長い間、黄褐色の画面から画家の兄弟子ジョルジョーネに帰属されてきた本作は、古代ローマを代表する詩人、ウェルギリウスによって書かれた叙事詩≪牧歌≫を元に、ナポリ出身の詩人によって再解釈された理想郷的神話を題材とする詩的寓話≪田園風景≫を描いたもので、身なりの良い赤い衣服を纏う貴族の青年と、おそらくはその従者であろう青年が、美を象徴する裸体のニンフらと音楽による会話をおこなう様子を表現している。このような自然と人間との心理的融合を示す解釈は当時の神話画の代表的な表現のひとつであり、現在では兄弟子ジョルジョーネが着手するも制作途中で死去した為、若きティツィアーノが様々な個所に手を加えて完成させたとされている。また本作は印象派を代表する画家エドゥアール・マネの問題作『草上の昼食』の制作において、重要な典拠を為す強いインスピレーションを与えたことでも知られている。

関連:エドゥアール・マネ作『草上の昼食』

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聖愛と俗愛(聖なる愛と俗なる愛)


(Amor sacro e Amor profano) 1515年頃
118×279cm | 油彩・画布 | ボルゲーゼ美術館(ローマ)

ルネサンス期ヴェネツィア派最大の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオ初期の極めて重要な作品『聖愛と俗愛(聖なる愛と俗なる愛)』。共和国であったヴェネツィアの総督書記官を務めていた有力貴族ニッコロ・アウレリオがラウラ・バガロットとの結婚の際にティツィアーノへ依頼し制作された本作は、理想美として古来より描き続けられてきた、ローマ神話における愛と美の女神ウェヌス(英名:ヴィーナス。ギリシャ神話におけるアプロディーテと同一視される)を天上と地上における象徴的姿で描かれた寓意的作品である。画面中央の泉水を境に画面右側へは天上の愛(又は肉体を創造した神の愛)の象徴として裸体のヴィーナスが、画面左側へは地上の愛(又は俗世の愛)の象徴として着衣のヴィーナスが配され、天上のヴィーナスは香炉を、地上のヴィーナスは水瓶(又は水壷)と小花の束を手にした姿で描かれている。また泉水の奥には幼児が水を掻き回すかのような無邪気な姿で描かれているが、これがローマ神話の恋の神クピド(英名:キューピッド。ギリシャ神話におけるエロスと同一視される)を意味するのか、それとも母子の愛情の象徴を意味するものか、観点によって様々な意味を見出すことができる。さらに泉水の石枠には依頼主ニッコロ・アウレリオ家の紋章が浮き彫り風に描かれており、画家の洒脱で教養高い洗練された古代様式への興味が示されている。生命力に溢れるヴィーナスの幸福感や健やかな官能性を始め、優雅で田園的な雰囲気や輝きを帯びる美しい色彩、牧歌的な風景描写など本作には若きティツィアーノの才気を感じさせる表現が随所に示されており、初期の画家の代表作として特に重要視されている。なお本作のヴィーナスの解釈についても、裸体=異教的愛、着衣=キリスト教的愛と解釈した宗教的正当性の寓意など諸説唱えられており、今なお議論が続いている。

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フローラ

 (Flora) 1515年頃
79×63cm | 油彩・画布 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

盛期ルネサンス期ヴェネツィア派最大の巨匠ティツィアーノ初期の代表的な単身像作品『フローラ』。本作は実在の人物を描く肖像画として制作されたのではなく、ローマ神話における花と豊穣の女神≪フローラ≫に由来する、一般の者のほか神官や売春婦なども参加する祭事『フロラリア祭』の主役≪娼婦フローラ≫を寓意的に描いたものである。花と豊穣の女神≪フローラ≫に由来する≪娼婦フローラ≫の姿は現世での愛の暗示の具象的存在としてティツィアーノの人間の理想美的解釈に基づき、生命と官能の喜びに満ちた豊かな表現が為されている。これは当時の代表作である『聖愛と俗愛』にも示されるよう、ティツィアーノにおける人間賛歌を高らかに謳ったルネサンス的思想が最も顕著に表現された優れた一例として、現在も人々に深く愛され続けているのである。

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聖母被昇天

 (Assunta) 1516-1518年
690×360cm | 油彩・板 | Santa Maria Gloriosa dei Frari

ヴェネツィア派最大の巨匠ティツィアーノが、フラーリの修道院長ジェルマーノの依頼により制作した、初期の代表作となる『聖母被昇天』。主題は聖母の死後、魂が身体に戻され、天使たちに取り囲まれながら天に召されてゆく姿を描いた構図≪聖母被昇天≫で、当時の祭壇画では、最も典型的な主題のひとつでもあった(聖母被昇天とは通常、聖母の死後、三日目に起こったとされているが、聖母被昇天までの三日間について、聖母は死んだのではなく、眠っていたとされる説も存在している)。聖母被昇天を主題とする場合、通常天に召される聖母マリアは上方を見上げている姿で描かれ、本作では聖母が特異な存在であることを示すため、その視線の先には、万物の父なる存在である神を配している。本作は修行時代を経たティツィアーノが、独立してまだ間もない頃に活躍の中心地としていたヴェネツィアで制作された祭壇画で、すでに名声を得つつあった画家が、その名声を不動のものとすることになった作品。人物や構図のダイナミックで劇的な表現方法や、鮮明かつ深い陰影対比など、ヴェネツィア派最大の画家であり、長い生涯の中で自在に作風を変化させていったティツィアーノの画業経歴を語る上で最も重要な作品のひとつ。また完成当時、本作はヴェネツィアで最も大きな祭壇画であり、ティツィアーノの最初の伝記者ルドヴィコ・ドレチェは「ラファエロの美しさと、ミケランジェロの迫力を持つのみならず、何よりも色彩の本質を掴んだ画家の代表作」と賞賛している。

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ヴィーナスへの捧げもの(キューピッドたち)


(Offerta a Venere (Amori)) 1518-19年
172×175cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

ティツィアーノが手がけた神話画中、最も有名な作品のひとつである『ヴィーナスへの捧げもの』、通称キューピッドたち。本作はフェラーラ公アルフォンソ・デステが城内を装飾するために制作を依頼し描かれた作品で、当初は他の画家がこの主題を描く予定だったが、他界してしまった為に、ティツィアーノへ委囑された経緯があることが記録に残されている。本作の主題はナポリ郊外にあるギリシャ人別荘に伝わる古典絵画の修辞的な叙情から採られており、ティツィアーノはそれに忠実に従い、彫像となっているヴィーナスのためにキューピッドたちがリンゴを集める場面が描いた。またある者は踊り、ある者は走り回り、そしてある者は眠りにつきながら、黄金や赤色のリンゴを集めるキューピッドたちの愛らしい姿を、ティツィアーノが美しい庭園風景の中に描いた傑作である本作に関しては、バロック絵画の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスも模写を残している。

関連:ルーベンスによる模写 『ヴィーナスへの捧げもの』

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バッコスとアリアドネ

 (Bacco e Arianne) 1520-1522年頃
175×190cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ヴィーナスへの捧げもの(キューピッドたち)と同様、フェラーラ公アルフォンソ・デステの城内を装飾するために描かれたティツィアーノの代表的な神話画『バッコスとアリアドネ』。主題はギリシャ神話からテセウスとの恋に破れ悲嘆するアリアドネを慰めるバッコスを描く≪バッコスとアリアドネ≫。バッコスを象徴するブドウや、従者であるマイナス、サッテュロス、シレノスなど本作には神話画に相応しく華やかな画面構成となっている。本作に描かれるデュオニソスとも呼ばれる酒と演劇の神≪バッコス≫はブドウ酒を普及させたとされ、本来トラキアの山地の大神で、自然界の生命をつかさどり、また、シレノスやサテュロス(サチュロス)を従者としていたところから増殖の神ともされる。神話では女たちはこの酒と演劇の神を熱狂的に信仰し、狂気に浮かされると杖と松明を持って山野を乱舞したとされている。またギリシャ神話ではクレタ島の王ミノスとパシパエの娘とされるアリアドネはミノタウロス退治に来たテセウスに恋し糸玉を与えて迷宮を通り抜けさせたとされ、本作ではテセウスにナクソス島へ置き去りにされたアリアドネとバッコスの出会いの場面が描かれている。

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聖会話とペーザロ家の寄進者たち(ペーザロ家祭壇画)


(Sacra conversazione con i donatori Pesaro (Pala Pesaro))
1519-1526年
485×270cm | 油彩・画布 | Santa Maria Gloriosa dei Frari

1519年、パーフォの司教であったヤコポ・ペーザロが、フラーリ聖堂内に置かれるコンチェツィオーネ同信会の礼拝堂のために制作を依頼し、実に7年もの歳月を経て完成することになった、ティツィアーノが手がけた代表的な祭壇画『聖会話とペーザロ家の寄進者たち』。依頼主の名前から『ペーザロ家祭壇画』とも呼ばれている本作の主題は、画面中に聖母子と聖人を配する≪聖会話≫だが、通常、真正面向きに描かれる聖会話を、ティツィアーノは聖母子を右斜め上に、諸聖人をその対角線上(左斜め下)に配するという、今までにないダイナミックな構図で描き、主題の新たな表現方法を示した。主題≪聖会話≫で最も重要な人物である聖母子を、真正面ではなく、右斜め上に配することによって、画面の中に動きが生まれ、この場面の臨場感をより強調している。また幼児キリストと会話をしている人物は、手に聖痕が刻まれている聖フランチェスコである。本作には、ヤコポ・ペーザロが教皇軍の司令官としてサンタ・マウラでの戦いに勝利し、殊勲を得たことの象徴として、トルコ人捕虜と、ペーザロ家の紋章で飾られた戦勝旗を掲げる戦士(ペーザロの部下)が描かれた。さらに本作中に幾世代ものペーザロ家の一族が登場するのは、一族の繁栄を意味し、こちらを向く一番若い少年は、一族が宗教的に特権階級の位置にいることを示している。

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アヴェロルディの多翼祭壇画


(Polittico dell' Averoldi) 1520-1522年頃
403×235cm | 油彩・板 | Santi Nazaro e Celso, Brescia

1520年、教皇レオ10世のヴェネツィア駐在大使であったアルトベッロ・アヴェロルドが、故郷であるブレッシャのサンティ・ナッザロ・エ・チェルソ聖堂の主祭壇画をティツィアーノに依頼し制作された初期の傑作『アヴェロルディの多翼祭壇画』。当時隆盛を極めていたミケランジェロラファエロの影響も指摘されている本作はキリストの復活、受胎告知、守護聖人と三つの場面構成からなる祭壇画で、色彩の豊かさや劇的な表現など早くから開花していたティツィアーノの才能がうかがえる作品のひとつである。本祭壇画中央に置かれる主題≪キリストの復活≫は、十字架に掲げられロンギヌスの持つ槍の一突きで死に至ったキリストが、死の三日後、勝利の証である旗を手しに、屋外に置かれた石棺の上(本作では中空)に立ち復活を遂げる場面を指す。また祭壇画左上部分には≪受胎告知の天使≫が、右上部分には≪受胎告知の聖母≫が、左下部分には≪聖ナザリウスと聖ケルルスと寄進者≫が、右下部分には≪聖セバスティアヌス≫が描かれている。

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悔悛するマグダラのマリア

 (Maddalena penitente)
1533年頃 | 84×69cm | 油彩・画布 | ピッティ美術館

ティツィアーノが聖人を描いた作品の中で、おそらく最も有名な作品のひとつであろう、この『悔悛するマグダラのマリア』。画家は『マグダラのマリア』について幾多も描いており、現在も作品が数多く残っているが、本作が現存作品中、最初期のものとして認知されている。主題は娼婦であったマグダラのマリアがキリストの前でその罪を悔い、涙を流す姿を描いた≪マグダラのマリア≫。ルカ福音書ではマグダラのマリアは罪を悔い、キリストの足元で涙を流し、その涙で濡れた足を自分の髪で拭いた後、香油を塗ったとされている。マグダラのマリアの手の下で金髪に輝く髪がマリアの裸体を包み込むその姿は、深い同情性を誘うと同時に、高い官能性も表現している。本作は宗教画でありながら、官能性を公然と示し、信仰を奮い起こさせるともに、芸術的な快楽も是認した作品として広く賞賛を受けた。

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聖母の神殿奉献

 (Presentazione di Maria al tempio)
1534-1538年頃
345×775cm | 油彩・画布 | アカデミア美術館(ヴェネツィア)

現在はアカデミア美術館に併合されているものの、本来はカリタ同信会館の「アルベルゴの間」のために描かれたティツィアーノの大作『聖母の神殿奉献』。主題は幼き聖母マリアが両親(聖ヨアヒムと聖アンナ)に連れられエルサレムの神殿を訪れた際、手助けも借りず15段の階段を上り、祭司長の下へ赴いた場面を描く≪聖母の神殿奉献≫で、画家は巧みな遠近法と輝くような色彩を用いながらも、15世紀より展開されてきた伝統的な構図で描いた。新約聖書では、神殿奉献をおこなったのは聖母マリアが3歳の時とされているほか、新約聖書四福音書の一、通称ルカ福音書にも記されているエルサレムの神殿の祭司長ザカリヤは、大天使ガブリエルより妻エリサベツとの間に子供を授かると聖告を受けたと記されている。また、その子供が後の洗礼者聖ヨハネであったとされている。

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ウルビーノのヴィーナス

 (Venere d'Urbino) 1538年
119×165cm | 油彩・画布 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

完成後、あらゆる時代において、裸婦像を描く上での基準作となったティツィアーノの代表作『ウルビーノのヴィーナス』。後にウルビーノ公となるグイドバルド・デラ・ロヴェーレが、妻のために依頼し制作された本作は、未完であった兄弟子ジョルジョーネによる『眠れるヴィーナス』を、ティツィアーノが補筆し完成させたその25年後、同様の構図で制作した作品であるが、ジョルジョーネヴィーナスが神話(想像)の中にその美しさが存在していることを示すよう、眠りについているのに対し、ティツィアーノはヴィーナスを完全に目を覚ました姿(又は身繕いをする姿)で描くことによって、現実の中にも同価値の美(悦楽的な美)が存在していることを表現したと考えられている(なお本主題の解釈についても研究が進んでおり、これ以外では、結婚における愛の寓意とする解釈や、聖と俗における対称的価値の表現とする解釈、理想と現実の間の普遍的な美の表現とする解釈、注文主グイドバルドの妻の跡継ぎ受胎への祈願とする解釈なども唱えられている)。本作に描かれるのは、静かに横たわり、柔らかな薄い笑みを浮かべる愛と美の女神ヴィーナスの裸婦像であるが、視線はこちらを向き、観者に対して、女性の神聖性と訴えると共に、ある種のエロティックさを抱かせる表現がなされている。また輝くような色彩や、永遠の愛や愛の悦びを象徴する薔薇を握るヴィーナスの肌の質感、女性美の象徴とも言える丸みを帯びた裸体は、ヴィーナスの表現の基準的作例、典型的作例として、アングルカバネルなどの新古典主義やアカデミーの画家を始めとした後世の画家らに、多大な影響を与えることになった。本作のモデルに関しては依頼主グイドバルド(又はその父フランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレ)の愛人とする説、父フランチェスコの妻エレオノーラとする説、高級娼婦とする説など諸説唱えられているものの、どれも確証を得るまでには至っていない。なお本作は印象派の先駆者エドゥアール・マネが描いた問題作『オランピア』の裸婦展開にも重大な影響を与えた(本作では≪従順≫を象徴する存在として犬が描かれたが、『オランピア』では高ぶる性欲を示す、尾を立てた黒猫として描かれた)。

関連:ジョルジョーネ作 『眠れるヴィーナス』
関連:エドゥアール・マネ作 『オランピア』

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聖三位一体の礼拝

(Adorazione della santissima Trinita)
1551-54年 | 346×240cm | 油彩・画布 | プラド美術館

1550年から1551年、フランドルのアウグスブルグに滞在中のティツィアーノに、カール5世に依頼され制作された祭壇画『聖三位一体の礼拝』。1554年にカール5世の元へ送られ、翌年スペインのユステに運ばれた本作の主題は、キリスト教の根本原理となる≪三位一体≫とされるが、ティツィアーノ自身はこの作品を天国と呼び、依頼主であるカール5世は最後の審判だと呼んでいたことからもわかるよう、≪三位一体≫という主題を扱いながらも、画面の中には紀元前の人々が描かれるなど、多様性に富んだ複雑なイコノグラフィー(作品中における意味または内容を表すもの)が示されている。未だ明確な判別がつかない父なる神と、神の子キリスト、そしてその中央にはエゼキエルの鷹(または聖霊を示す白い鳩)が示される。≪三位一体≫とは、本質はひとつである神を、「父(神)」「子(キリスト)」「聖霊」という三つの各位から成されるものだと位置付けるキリスト教の根本的な原理である。人と神の仲介人として三位一体のすぐ脇に描かれた、青い法衣を着た聖母マリアが、またマリアの背後(画面中左)には、マリアと同じく人々を導く者、杖を持った聖ヨハネが配されている。さらにイスラエルの第二代国王ダヴィデとされる人物が褐色の竪琴を手にする姿で描かれている。このダヴィデとされる人物の視線の先には、同じく青い衣を身にまとった聖母マリアの姿が描かれていることは注目すべき点のひとつである。依頼主である天使に導かれるカール5世の足元には王の象徴である王冠が示され、王妃イザベラの背後にはフェリペ2世や、当時のハンガリーの王女マリアなどカール5世の親交の深かった人物の姿が確認されている。

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ヴィーナスとアドニス

 (Venere e Adone) 1553-1554年
186×207cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)
※スペイン国王フェリペ2世のためのポエジア作品

スペイン国王フェリペ2世の注文により、10年以上にわたり断続的に描かれ続けた神話画連作ポエジアより『ヴィーナスとアドニス』。このポエジアの典拠は全てギリシア・ローマ神話の≪転身物語≫によるもので、本作はキプロス島の美少年アドニスに恋をしたヴィーナスが、危険な狩りに出ようとするアドニスを制止する場面を描いた作品。ヴィーナスの制止を聞かす、狩りに出たアドニスは、この場面の後、狩りの最中猪に突き殺されたとされている。ヴィーナスの鬼気に迫る迫真の表情が、この場面により臨場感を与えている。ヴィーナスの制止を振り切り、狩りに出るアドニスはギリシャ神話に登場する美少年で、穀物の死と復活の神。狩りの最中に猪に突き殺され、その血からアネモネ(キンポウゲ科の球根植物)が生じたとされている。

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教皇パウルス三世とその息子たちの肖像

1546年
(Paolo III e i nipoti Alessandro e Ottavio Farnese)
210×174cm | 油彩・画布 | カポディモンテ国立美術館

ティツィアーノの残した肖像画中、最も知られている代表的作例のひとつ『教皇パウルス三世とその息子たちの肖像』。本作はナポリ地方の名家ファルネーゼ家出身の教皇パウルス三世の依頼により、ティツィアーノが息子の将来の安泰と引き換え(実際にはその取引は叶わなかった)に手がけた教皇パウルス三世の肖像画数点の中で、最も画家の類稀な画才が示されているもののひとつで、芸術の庇護者でありミケランジェロに有名なシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』を描かせたことでも知られている権力闘争に長けていたパウルス三世が、一族であるファルネーゼ家の絶対的権力と未来永劫の繁栄の象徴として自身の有力な後継者候補であった息子のアレッサンドロ・ファルネーゼとオッターヴィオ・ファルネーゼを自らと共に描かせているが、ティツィアーノの対象を見抜く類稀な才能によって、教皇パウルス三世は威厳ある教皇としての姿より年老いた男としての狡猾な性格を、画家本人による位置の修正がX線撮影により確認されている当時は枢機卿の地位にあったアレッサンドロ・ファルネーゼは聖職者としてよりも愛人を複数持った好色な男として、後にパルマとピアチェンツァの第二代公爵となったオッターヴィオ・ファルネーゼはパウルス三世に従う策略に満ちた胡散臭い印象で描かれている。また本作以前に描かれた『パウルス三世の肖像』などパウルス三世の依頼はティツィアーノが息子の将来の安泰と引き換えに受けたものであったが、パウルス三世がそれを反故し続けたために、ついには本作を未完のまま筆を置きローマを離れたとされている。

関連:ティツィアーノ作『パウルス三世の肖像』

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ヴィーナスとオルガン奏者とキューピッド


(Venere con organista e amorino) 1548年又は1555年頃
149×217cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

ティツィアーノ制作によるヴィーナスを主題とした代表的な作品のひとつ『ヴィーナスとオルガン奏者とキューピッド』。伝統的にアウクスブルグでスペイン国王カール5世のために手がけられたとされる本作に描かれるのは、巨匠ジョルジョーネの傑作『眠れるヴィーナス』から始まり、本作同様ティツィアーノ随一の代表作『ウルビーノのヴィーナス』に続いた、所謂≪横たわる天上のヴィーナス像≫を主題とした作品の一例であるが、その解釈には様々な説が唱えられている。純粋に官能を追求した快楽的作品であると解釈する研究者も少なくないものの、その一方では新プラトン主義に基づく高度な寓意が示されるとの説を唱える研究者も多く、その説によればカール5世と解釈される音楽を奏でるオルガン奏者は、愛の神キューピッドを見つめる美の女神ヴィーナスとの間の絆を感じつつ、決して交わることなくプラトニックな関係を保っている。これは当時の人文学書『愛の本質の書』中「崇高なる天上の愛はプラトニックであり音楽によって愛撫される」に基づいていると考えられてる。また背景の抱擁し合う男女や牡鹿、牝鹿、孔雀などは至高の美と高ぶる愛と性を表現しているとされ、世俗と天上の愛の本質の差異と、そこに起こる葛藤をティツィアーノの類稀な表現によって画面内に示したと考えられる。なおベルリン美術館やメトロポリタン美術館などに『ヴィーナスとオルガン奏者(又はリュート奏者)』のヴァリアントが所蔵される他、本作の少し後に描かれた同系の作品『音楽にくつろぐヴィーナス』が同プラド美術館に所蔵されている。

関連:プラド美術館所蔵『音楽にくつろぐヴィーナス』

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ダナエ

 (Danae) 1553-1554年
128×178cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)
※スペイン国王フェリペ2世のためのポエジア作品

スペイン国王フェリペ2世の注文により、10年以上にわたり断続的に描かれ続けた神話画連作ポエジアより『ダナエ』。このポエジアの典拠は全てギリシア・ローマ神話の≪転身物語≫によるもので、本作はアルゴス王の娘ダナエのもとに訪れる父なる存在ゼウス(ユピテル)が訪れる場面を描いた作品。また、このダナエを描いた作品は他にも数点残されており、中でもナポリのカポディモンテ国立美術館が所蔵するダナエが色彩、構図ともに最も優れているとされている。本作の主題≪ダナエ≫とは、ギリシャ神話でアルゴス王アクリシオスに青銅の部屋に閉じこめられた娘ダナエの下に黄金の雨と姿を変えたゼウス(ユピテル)が訪れ、彼女と交わりペルセウスが生まれたものの、父アクリシオスが怒り、母子を箱に入れて海に流したが、箱はセリポス島に漂着したとされている場面である。この場面は本作以外にも黄金の金貨を大皿で受ける姿や、カポディモンテ国立美術館所蔵のダナエでは同場所にキューピッドが描かれるなど、様々なヴァリエーションで制作されている。

関連:カポディモンテ国立美術館所蔵版 『ダナエ』

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ディアナとアクタイオン

 (Diana e Attone) 1556-1559年頃
188×206cm | 油彩・画布 | スコットランド王立美術館
※スペイン国王フェリペ2世のためのポエジア作品

スペイン国王フェリペ2世の注文により、10年以上にわたり断続的に描かれ続けた神話画連作ポエジアより『ディアナとアクタイオン』。サザーランド公爵よりスコットランド王立美術館へと寄託された本作に描かれる主題は、古代ギリシアの都市国家テバイの王カドモスの孫として知られるアクタイオンが狩猟の帰路につく途中で洞窟に立ち寄った際、ギリシア神話でアポロンの双子の妹アルテミスと同一視されるローマ神話の女神ディアナや女神に仕えるニンフたちの水浴場面に遭遇してしまった為、女神ディアナの逆鱗に触れてしまい、姿を牡鹿へと変えられる逸話≪ディアナとアクタイオン≫である。本作では水浴する姿を目撃された女神ディアナはとっさに左手で布を取り、裸体を隠そうとしている姿が表現豊かに描かれている。一方偶然にもディアナたちの水浴を目撃してしまったアクタイオンは思わず身を怯め、後ろへ仰け反っているほか、ニンフらは個々個々に驚きや戸惑いを示しているがディアナの脚を拭くニンフは遭遇に気づいていないのか、そのまま自然な仕草を見せている。晩年期のティツィアーノらしい輝きを帯びた豊潤で多様な色彩によって登場人物らの生命感に溢れる姿が見事に表現されており、特に仰け反るアクタイオンの躍動的な運動性や、女神ディアナの白い輝きを帯びた官能的な肌の質感は特筆に値する出来栄えである。なお牡鹿へ姿を変えられたアクタイオンはその後、己が引き連れていた猟犬らに食い殺されたとされている。またフェリペ2世に送られたかは不明であるが、1559年頃に同氏の為に手がけた同主題の別作品『ディアナとアクタイオン(アクタイオンの死)』がロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されている。

関連:対画 『ディアナとカリスト』
関連:1559年頃 『ディアナとアクタイオン(アクタイオンの死)』

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ディアナとカリスト

(Diana e Callisto) 1556-1559年頃
187×205cm | 油彩・画布 | スコットランド王立美術館
※スペイン国王フェリペ2世のためのポエジア作品

スペイン国王フェリペ2世の注文により、10年以上にわたり断続的に描かれ続けた神話画連作ポエジアより『ディアナとカリスト』。フェリペ2世のために制作された本作は、女性様式一連の神話、主に古代ローマの詩人オウィディウスの詩をもとに、感覚的な神話の翻訳画として対画『ディアナとアクタイオン』と共に描かれた作品の中の一枚で、ティツィアーノの様式がさらに変化を示す好例のひとつである。若年期の頃の几帳面ともいえる細部まで緻密な技巧的作風は影を潜め、マッキエと呼ばれる荒々しく大まかな斑点技法へと変化している。これは画家の師ジョルジョーネからの完全なる決別を意味ており、さらに再三の塗り直しと加筆の施しにより、(近くで眺めると見分けにくいが)遠くから見ると、その全貌が明らかになるという複雑な特徴を持つようになる。本作に描かれる主題≪ディアナとカリスト≫とは、主神ユピテルの娘で太陽神アポロの双子の妹でもある、純潔の女神≪ディアナ≫へ、処女の誓いを立て従者として従っていたニンフ≪カリスト≫が、ユピテルに見初められ子を宿し、狩りの最中の沐浴の際に妊娠が発覚してしまったことから、激昂したディアナがカリストを熊に変える(諸説あり、ユピテルの妻ユノの怒りを恐れユピテルがカリストを熊に変えた、又はユノ自身が変えたともされる)神話で、オウィディウスの詩を深く理解していた教養高い画家であるからこそ、行間に隠された光彩や荘重さが、自身の芸術性や技巧と相成って鮮やかに画面へ反映されているのである。なおティツィアーノを研究していたバロック絵画の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスが本作の模写を残している。

関連:対画 『ディアナとアクタイオン』
関連:ルーベンスによる模写作品 『ディアナとカリスト』

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エウロペの略奪

 (Ratto d'Europa) 1559-1562年
185×205cm | 油彩・画布 | Stewart Gardner Museum.
※スペイン国王フェリペ2世のためのポエジア作品

スペイン国王フェリペ2世の注文により、10年以上にわたり断続的に描かれ続けた神話画連作ポエジアより『エウロペの略奪』。このポエジアの典拠は全てギリシア・ローマ神話の≪転身物語≫によるもので、本作は海岸で侍女たちと戯れるエウロペの下に白い牡牛に姿を変えた父なる神ユピテルが現れ、背に乗せ連れ去る場面を描いた作品。また本作はルーベンスによって模写も描かれている。ギリシャ神話の登場人物でテュロス王の娘エウロペは、白い牡牛に姿を変えた父なる神ユピテル(ゼウス)に連れ去られ、背に乗ったまま海を渡ってクレタ島に上陸し、ユピテルと交わった後、ミノス・ラダマンテュス・サルペドン(地獄の審判者ミノス王)を生んだとされている。また主神ユピテルはジュピターとも呼ばれるローマの三主神のひとりで、元来天空の神を指し気象現象を司るとされている。また正義・徳・戦勝の神でもあり、法の守護者としても解釈されている。

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受胎告知

(Annunciazione) 1559-1564年頃
403×235cm | 油彩・画布 | Church of San Salvador

70歳を超えてなおティツィアーノの豊かな想像力が描き上げた大作『受胎告知』。主題は祭壇画の典型である≪受胎告知≫の場面を描いたものだが、ティツィアーノは画面の中でやや右よりに光彩を置き、人物に当てられる光の加減を前バロックとも呼べる劇的な効果でドラマティックに表現した(ルネサンス以降、三位一体の考えでは、白い鳩は三位の一部である聖霊が変化したものだとされ、本作では受胎告知が神の意志であることを示す神の代理人として描かれたと考えられている)。また多少頭身の高い人物を描くなどマニエリスム的な要素も含まれており、画家の年齢を重ねるごとに変貌していった作風を研究する上でも、重要な作品と言える。本作を描く前にティツィアーノは幾つものデッサンや習作を残しており、そこで練られた構想、例えば場面を取り巻く建築物の秩序高い整然とした構造(画面中左側の縦溝彫り石柱)など、至る部分で伝統様式に支配されず、独自の解釈と衰えない高い技術で示された、画家独特の表現が見られる。ティツィアーノは聖告の突然性をドラマティックに表現するため、直前まで読んでいたことを予測させる要素として、聖母マリアの手に祈祷書を持たせた。また神の使者として描かれる大天使の翼は、完成当初、深い青色(又は藍色)で描かれたことが判明しており、色彩の配置方法などにティツィアーノ(とヴェネツィア派)ならではの色彩的特長が見られる。なお余談になるが受胎告知を主題にした作品は、本作より一回りほど小さいが、1557年にも制作されており、その作品はナポリのサン・ドメニコ・マッジョーレ聖堂に置かれている。

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自画像

 (Autoritratto) 1565-70年頃
86×65cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

ルネサンス期ヴェネツィア派最大の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオ最晩年の傑作『自画像』。本作は1565年から1570年頃に制作されたと推測されているティツィアーノ最晩年期の自画像作品である。画家は本作を手がける以前にも同画題『自画像(ベルリン美術館所蔵)』を手がけているが、本作からは画家の晩年期の心情的変化を顕著に感じることができる。画面中央やや上部へほぼ真横の視点で描かれるティツィアーノ自身の表情は年老いた者の瞳とは思えないほど生命力に漲っており、その視線の先は画家が辿り着いた絵画の極致を見通しているかのようである。またその襟首には微かに白い衣服が、胸部には二重金の鎖が控えめに配されている。そして本作に描かれるティツィアーノの右手には絵筆が握られており、画家としての自身の明確な意思とその宣言を見出すことができる。以前に制作された『自画像』では画家としての尊大な態度や内面に漲る野心を感じさせるものの、本作の装飾性を極力廃した静謐で古典的な自画像表現には老いた画家の絵画に対する(そして画家としての)実直な心情を見出すことができる。さらに≪色彩の錬金術≫と呼ばれた画家の他の作品と比較すると本作に多用される黒色の深い精神性と、それと絶妙に対比する肌の色や二本の黄金の鎖、白い衣服などの色彩描写は特に白眉の出来栄えであり、画家自身の内面を浮かび上がらせる光源処理と共に、今も観る者を魅了し続ける。ティツィアーノは生涯において100点以上の肖像画を手がけているが、本作は紛れも無くその頂点に位置する最高傑作のひとつであるほか、ティツィアーノの晩年期における精神状態を考察する上でも特に重要視されている。

関連:ベルリン国立美術館所蔵 『自画像』

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ピエタ

 (Pieta) 1570年頃-1576年絶筆
353×348cm | 油彩・画布 | アカデミア美術館(ヴェネツィア)

ティツィアーノが自らの墓所に選んでいたサンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ聖堂のクロチェフィッソ礼拝堂の祭壇画にと描いていた作品『ピエタ』。主題となるキリストとその死を嘆く聖母マリアの姿を表現した本作の≪ピエタ≫で聖母マリアは、光輪の指すキリストを悲観の表情で見つめ、その手に主イエスの亡骸を抱いている。また本作には腕を上げ主イエスの死を嘆くマグダラのマリアやダルマチア(クロアチア共和国のアドリア海沿岸地方)生まれのキリスト教の聖人で、ラテン教会四大神父のひとり。シリアの砂漠で修行し、ベツレヘムにて聖書のラテン語訳に従事(ウルガータ訳聖書の作成)したとされる聖ヒエロニムスが描かれている。1570年頃から制作され始めたとされる本作は1576年、ティツィアーノの死により絶筆となったが、弟子のヤコポ・パルマ・イル・ジョーヴァネが完成させた。それを示す画面最下部中央に「QVOD TITIANVS INCHOATVM RELIQVIT / PALMA REVERENTER ABSOLVIT / DEOQ. DICAVIT OPVS(ティツィアヌス未完にて遺せし故に、恐れ多くもパルマ完成し、神に奉納せしものなり)」と記されている。また本作は最終的にサンタンジェロ聖堂へ安置された。

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