Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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フェデリコ・デ・マドラーソ Federico de Madrazo
1815-1894 | スペイン | ロマン主義




ゴヤ以降のスペインにおいて最も重要なロマン主義的肖像画家。洗練された優美な肖像表現の中に、対象の個性を気品高く描写する写実性を取り入れ同時代のスペインを代表する肖像画家として美術界に君臨。描かれる人物の親しみやすさと格調が見事に調和したマドラーソの肖像画は19世紀スペインの肖像画の最高傑作として今の高い評価を受けている。1815年、宮廷の新古典主義の画家であったホセ・デ・マドラーソの息子としてローマで生を受け、4歳の時にマドリッドへ移住し美術アカデミーに入学。同校では父やファン・アントニオ・リベーラ、ホセ・アパシリオなどから絵画を学び若くして才能を開花させる。1833年、サン・フェルナンド王立美術アカデミーの準会員に推薦されるほか、王の庇護を受け宮廷画家にも任命される。同年、パリへ赴き新古典主義の巨匠ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングルと出会い、大きく影響を受けながら同氏と共に肖像画制作をおこない成功を収める。1837年に一度マドリッドへと戻り数点の素晴らしい歴史画を制作した後、再度パリへ、そして1841年には幼少期を過ごしたローマを再訪し、同地ではナザレ派の作風に傾倒する。翌1842年にマドリッドへと帰国してからはスペイン女王イサベル2世の許で肖像画の制作に専念。以後、宮廷画家として別格の成功を収める。1866年にはサン・フェルナンド王立美術アカデミーの会長に、1860年と1881年にはプラド美術館の館長に任命(※なお父ホセ・デ・マドラーソもプラド美術館の会長を務めている)されているほか、イザベル・ラ・カトリカ騎士団第十字勲章、カルロス3世騎士団員、レジョン・ドヌール勲章、プロイセン王室騎士、フランス皇帝学院会員など数多くの栄誉ある称号を与えられた。1894年、マドリッドで死去。遺体はプラド美術館の円形広場に置かれるなど多くの人々からその死を惜しまれた。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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ビルチェス伯爵夫人の肖像


(Retrato de la condesa de Vilches) 1853年
126×89cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

19世紀スペインを代表する肖像画家フェデリコ・デ・マドラーソの最高傑作のひとつ『ビルチェス伯爵夫人の肖像』。本作に描かれるのは、当時のサロン(社交界)において花形的存在であり、名の知れた小説家(文筆家)でもあった≪ビルチェス伯爵夫人(アマリア・デ・リャノ・イ・ドトレス)≫32歳の姿である。マドラーソと本作のモデルであるビルチェス伯爵夫人は家族同士の付き合いがあるほど懇意であったことが知られており、本作においてもマドラーソだからこそ到達できたモデルの魅力を最大限に活かした肖像表現は19世紀スペイン・ロマン主義の最高傑作として今も人々の眼を惹き付ける。画面中央に描かれるビルチェス伯爵夫人は魅惑的な笑みを浮かべつつ、右手の指を軽く頬に当てながら視線を観る者へと向けている。ゆったりと椅子に腰掛けるビルチェス伯爵夫人の身に着けた豪奢で気品漂う衣服は夫人の丸みを帯びた柔らかい姿態を包み込むように肩が露出しており、その艶やかな光沢を放つ青色の衣服の質感は、白い夫人の肌と明確な対比を示している。さらに夫人の左手には異国的な雰囲気を漂わせる羽根団扇が持たされており、女性らしさを強調する効果を発揮している。本作の曲線的な構図や色彩の対比などにはフランス新古典主義最後の巨匠ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルの肖像画『ジェイムス・ド・ロスチャイルド男爵夫人の肖像』や『ド・ブロリ公爵夫人の肖像』からの影響が明らかであるものの、自由奔放な筆触や高い写実的技法、控えめながら対象の魅了を存分に伝えきる肖像構成には巨匠ベラスケスから続くスペイン伝統の肖像表現も見出すことができる。

関連:アングル作 『ジェイムス・ド・ロスチャイルド男爵夫人』
関連:アングル作 『ド・ブロリ公爵夫人の肖像』

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【全体図】
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Work figure (作品図)


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