Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ディエゴ・ベラスケス Diego Velázquez
1599-1660 | スペイン | バロック




17世紀スペインバロック期に最も活躍した宮廷画家。セビーリャでパチェーコに師事した後、1623年国王フェリペ4世付の画家となり、以後生涯の大半を宮廷画家として首都マドリッドで過ごす。1628年から続いたルーベンスとの交流や、1629〜1631年、1649〜1650年と2度に渡ったイタリア旅行は画家の作品形成に大きく影響し、それまでの無骨な写実描写と厳しい明暗対比から古典主義と空間表現を取り入れ、 視覚効果を重要視したスペイン絵画独自の写実主義的陰影法を発展させた。またベラスケスは、『ラス・メニーナス(女官たち)』に代表されるよう、国王一家を始め、多くの宮廷人、知識人を描いた肖像画家としても有名。没後、一時期、その評価は落ちていたが、19世紀の写実主義の台頭により再評価されるようになる。確実に帰属が判明している作品数は約120点、素描が数点残されているのみ。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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無原罪の御宿り

 (Inmaculada Concepción) 1618年頃
135×102cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

17世紀スペイン絵画最大の巨匠ディエゴ・ベラスケス初期の代表的な宗教画作品『無原罪の御宿り』。同時期に制作された『パトモス島の福音書記者聖ヨハネ』と対画であることが知られる本作に描かれる主題は、神の子イエスの母である聖母マリアが、マリアの母(イエスの祖母)アンナの胎内に宿った瞬間、神の恩寵により原罪から免れたとする、最初は東方で唱えられ、神学者の間で盛んに議論された後、19世紀半ばの1854年にようやく法王庁より公認された教理≪無原罪の御宿り≫で、画家の師であり義父でもあるフランシスコ・パチェーコ(ベラスケスはパチェーコの娘と結婚した為)が執筆したスペイン最初の本格的な美術書である『絵画芸術論』に基づくイコノグラフィー(図像学)的展開が如実に示されている。本主題≪無原罪の御宿り≫は聖三位の一位である神の子イエス、その聖器の聖母マリア、聖母マリアを生んだ母アンナそれぞれの関係性により、本作が制作された当時は公認されていなかったものの、スペインでは非常に人気が高かった主題で、『パトモス島の福音書記者聖ヨハネ』と共にセビーリャのカルメル会修道士修道院の祭壇画として手がけられたと推測されている。本作に示される聖母マリアの頭上に輝く12の星々、純潔を表す若々しい乙女のような面持ち、胸のあたりで両手を合わせる仕草、偉大なる天上の力を表現した聖母マリアの背後の威光、足許の下弦の月などの図像展開は、厳しい明暗対比を用いた非常に写実性の高いベラスケス独特の描写によって実直に表現されている。

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東方三博士の礼拝

 (Adoracion de los Magos) 1619年頃
203×125cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

ベラスケス初期の名作『東方三博士の礼拝』。かつてスルバランに帰属されていたこともある本作の主題は生誕したイエスを確認する為にベツレヘムの厩を訪れた三博士が、神の子の存在に礼拝する場面を描く≪東方三博士の礼拝≫で、画家の初期作品の大きな特徴である厳しい陰影法に基づく、客観的な写実性がよく示されている。本作の登場人物には三博士には師パチェーコや画家自身を、聖母マリアには師パチェーコの娘でありベラスケスの妻でもあるフアナ・パチェーコを、そして幼子イエスには画家の娘の面影を残すなど、ベラスケスの近親者が描かれた。このことからもわかるようベラスケスは本作のような宗教画を描くにあたっても、宗教的な表現を抑圧し、自由で現実を描くことに執着を見せている。また本作の違和感の感じる縦長の構図は、何らかの理由により完成後、左右のどちらか(あるいは両方)が切り取られた為である。

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セビーリャの水売り

 (Aguador de Sevilla) 1619-1620年頃
106.7×81cm | 油彩・画布 | ウェリントン美術館(ロンドン)

若きベラスケスの早熟な才能が示される初期の代表作『セビーリャの水売り』。修行時代を過ごしたセビーリャの地で師パチェーコから学んだ写実描写と厳しい明暗対比が特徴的な本作は、セビーリャで水売りをしている身なりの貧しい初老の男と、それを買いにきた少年、その背後には水を飲む男が画面の中で一定のリズムを保ちながら描かれており、この重要な風俗画の大きな要素となっている。また身なりの貧しい初老の男が持つ二つの水瓶と、少年が手にするグラスの極めて写実的な描写にはベラスケスの早熟な才能が存分に発揮され、圧倒的なリアリズムが見られる。また、本作は制作されてから長い年月が経つゆえ、変色など傷みが厳しかったが、1959年に修復された。

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バッコスの勝利(酔っ払いたち)

 1628年頃
(Triunfo de Baco (Los Borrachos))
318×276cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

1628年頃に制作されたベラスケス中期の名高き傑作『バッコスの勝利(酔っ払いたち)』。国王フェリペ4世付の画家となり、王の画家にして画家の王と呼ばれた巨匠ルーベンスとの交流をおこなう最中に描かれた本作は、ルーベンスの神話的絵画様式とリベラによるピカレスク(騎士道小説の理想主義への反動で辛辣に社会を風刺する悪漢小説)的様式の融合によって生み出されたと考えられている。また表現手法にはカラヴァッジョや、その一派との類似点が幾つか指摘されており、この時期にはカラヴァッジョの影響を受けていたことがうかがえる。

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ウルカヌスの鍛冶場

 (Fragua de Vulaco) 1630年頃
223×290cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

ベラスケスの古典主義の研究と、秩序に基づく空間構成の特徴がよく示される代表的な作例のひとつである『ウルカヌスの鍛冶場』。1629年から1631年までの第一期イタリア滞在中に描かれたとされる本作の主題は、火と鍛冶の神で、ウェヌス(ヴィーナス)の夫でもあるウルカヌスの代表的な神話≪ウルカヌスの鍛冶場≫を描いたもので、ベラスケスらしい写実描写性の中にも、イタリアで学んだ視覚効果を重要視した明暗法や、古典主義の研究に基づく画面構成によって、神話画というより、むしろ風俗画に近い表現をおこなっているのが大きな特徴である。

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キリストの磔刑(サン・プラシドのキリスト)

 1631-1632年頃
(Cristo Crucificado (Cristo de San Placido))
248×169cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

スペイン最大となるバロックの画家ベラスケスを代表する宗教画『キリストの磔刑』。マドリッドのベネディクト会サン・プラシド修道院の依頼により制作されたため≪サン・プラシドのキリスト≫とも呼ばれる本作の主題は、それまで幾多の画家によって最も多く描かれてきた、ゴルゴダの丘で磔刑に処されるイエスを描いた≪磔刑≫で、セビーリャの伝統的な図像学に基づき、イエスの両足は重ねられることなく平行にされるほか、両手と合わせると合計四本の杭で打ちつけられている。暗中に輝きを放つイエスの表現は、鮮やかに描かれながらも、超自然的な存在感によって、全てを超越した≪神の子≫であることを示している。またイエスの姿が同時代に活躍した彫刻家ファン・マルティーネス・モンタニェースに酷似している点も興味深い点である。

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ブレダの開城(槍)

 1634-1635年頃
(Rendicion de Breda (Las Lanzas))
307×367cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

ベラスケスを代表する歴史画『ブレダの開城(槍)』。ブレン・レティーロ宮内の≪諸王国の間≫を飾るために戦争におけるスペインの勝利を描いた12作品の内のひとつで、1625年のオランダの要塞都市ブレダを陥落させた後、オランダ軍総督ナッサウがスペイン軍司令官スピノラに城門の鍵を渡す場面が、ベラスケスの巧みな構図と優れた表現力によって感情豊かに描かれている。またこの歴史画12作品は、セビーリャ派の巨匠スルバランなど当時を代表した画家が参加し描かれた。感情豊かに描かれる本作は、大胆で洗練されたベラスケスの作風が最も良く示される作品のひとつである。また画面右部のスペイン軍兵士たちは、エル・グレコの代表作『聖衣剥奪』と類似も指摘されている。

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フェリペ4世の肖像(シルバー・フィリップ)


(Filipe IV) 1635年頃
199.5×113cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

王の画家ベラスケスが王のために描き続けた、王のための肖像画『フェリペ4世の肖像』。その身に纏う衣装から≪シルバー・フィリップ≫とも呼ばれる本作は、ベラスケスが一度目のイタリア訪問より帰国した頃に描かれた作品で、スペイン国王フェリペ4世の国王としての気品と威厳を保ちながらも、軽やかで自由に動く生き生きとした筆跡によって、それまでの公式的な肖像画の概念からの逸脱を示している。また画家初期の名作『セビーリャの水売り』が認められ、遂には王の画家として首席画家の地位についたベラスケスは、国王一家の肖像画を描く際にかなり美化して描いていたことがプラド美術館所蔵の『国王フェリペ4世の肖像』のX線撮影から判明している。なお本作には珍しくベラスケス自身による署名が残っている。

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聖母戴冠

 (Coronacion de la Virgen) 1640年頃
176×124cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

アルカーサル(旧王宮)内のイザベル王妃用礼拝堂(祈祷所)のために制作された、ベラスケスの代表的な宗教画作品『聖母戴冠』。のちにマドリッドの新王宮を経てプラド美術館に入った本作の主題は、復活した聖母が再び昇天し、父なる神と神の子イエスから戴冠を受ける場面を描いた≪聖母戴冠≫で、本作は伝統的な構図を用いながらも、ベラスケス特有の写実性と豊かな色彩によって、心地よく充実感をもった感動を与えている。また本作は長い間、巨匠アルブレヒト・デューラーの木版画『聖母の被昇天』から影響を受けていたとされるが、近年、エル・グレコによる『聖母被昇天』からの影響の可能性も指摘されている。

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鏡を見るヴィーナス(ロークビーのヴィーナス)


(Venus del espejo) 1648年頃
122.5×175cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

スペインバロックの巨匠ディエゴ・ベラスケスの残す唯一の裸婦画『鏡を見るヴィーナス』。ロークビーのヴィーナスとも呼ばれる本作は厳格なカトリックがスペインを支配していた時代に描かれた裸婦であり、本作以外では近代絵画の創始者フランシスコ・デ・ゴヤの『裸のマハ』しか残されていない。この極めて稀な題材≪裸婦≫を扱う本作が描かれた時期については、通常1649年から翌年の1650年まで滞在した、自身、二度目となるイタリアの地で描かれたとされていたが、近年、画家の帰国以前にマドリッドにあったことも確認された。ヴィーナスとされる裸婦が背中を向けている理由や、顔しか写っていない鏡の解釈は、慈しみの深さを表すとする説や、裸体を諸悪と考えていた教会からの破門を恐れたとする説など諸説唱えられるも、どれも確証は得ていないが、この裸婦についてはイタリアで出会った愛人をモデルに描いたとの説が有力視されている。また滑らかな曲線を描く裸婦のポーズは、ティツィアーノティントレットなどヴェネツィア派の影響であることも指摘されているが、より可能性が大きいのは、友人であり、よき理解者でもあったフランドルを代表する画家ルーベンスの影響によるものとされている。

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教皇イノケンティウス十世

 (Papa Inocencio X) 1650年
140×120cm | 油彩・画布 | ドーリア・パンフィーリ美術館

ベラスケスが残した肖像画の最高傑作のひとつ『教皇イノケンティウス十世』。二度目のイタリア訪問時に描かれた本作は、当時のキリスト教圏内の絶対的な支配者であった≪教皇イノケンティウス十世≫で、本作を見た教皇自ら「この絵は現実過ぎる、全てにおいて余りにも正確だ」と言わしめたほど、対象の内面まで深く掘り下げられた写実的描写は、肖像画家としても名を馳せていたベラスケスの最も優れた作品のひとつとして多くの研究者から認められている。本作はティツィアーノに代表されるヴェネツィア派の色彩技法の影響が随所に感じられ、中でも背景や教皇の纏う法衣に使用される赤色は、細心の注意を払われ低俗でけばけばしい表現に陥ることなく、見事な調和をみせている。

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ラス・メニーナス(女官たち)

 (Las Meninas) 1656-57年
318×276cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

スペインバロック絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケス最大にして不朽の名作『ラス・メニーナス(女官たち)』。当時のスペイン国王フェリペ4世の娘である皇女マルガリータを中心に、数人の女官たちを描いた集団肖像画である本作は19世紀頃に、描かれる内容から≪ラス・メニーナス(女官たちの意)≫と呼称されるようになったが、制作された当初は≪家族の絵≫もしくは≪王家一族≫と呼ばれていた。画面中央には豪奢な衣服に身を包んだ皇女マルガリータとその女官であるドーニャ・マリア・アウグスティーニャ・デ・サルミエントが描かれている。その周囲には左からドーニャ・イザベラ・ベラスコ、矮人マリア・バルボラ、一匹の犬を踏みつける矮人ニコラシート・ペルトゥサートが配され、後ろには王妃侍女であるドーニャ・マルセーラ・ウリョーアと、顔に影がかかるドン・ディエゴ・ルイス・デアスコーナが控えている。そして画面最奥の鏡には国王フェリペ4世と女王マリアーナが映っており、この情景を温かく見つめていることが示されている。さらに画面左側へはベラスケス本人と推測される画家が筆を手にしながら、大画面の画布(カンバス)へ(おそらくは)国王夫妻の肖像画を描いている姿が配されている。これは一般的に、王室に仕えるという画家の自負と、真実的な自画像の意味合いを、あたかも(本作を)観る者へ視線を向けるような姿で表現したものであるとの説が有力視されている。スペイン独自の厳しい明暗対比(陰影法)による写実性豊かな描写手法を用いながら、当時の王室の生活の情景を、見事に計算された構図でありありと表現した本作は、多くの批評家や美術愛好家が古典絵画の傑作として認めてきた作品でもあり、今なお人々を魅了し続けている。なお本作とほぼ同時期にベラスケスによって制作された皇女マルガリータの単身肖像画『白い服の王女マルガリータ・テレーサ』が嫁ぎ先であるウィーンの美術史美術館に所蔵されている。

関連:1656年頃制作 『白い服の王女マルガリータ・テレーサ』

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アラクネの寓話(織女たち)

 1657年頃
(Leyenda de Aracne (Hilanderas))
127×107cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

ベラスケスの代表的な作品『アラクネの寓話』。1940年代まで当時マドリッドのサンタ・イザベル綴繊工場を描いたものとされ別名『織女たち』と呼ばれていたが、1948年に研究者の指摘によって、現在は戦いと芸術(技芸)を司る女神アテネと、アテネの弟子でリディアの娘アラクネとの織物勝負の場面を描いたものであると解釈されている。また何らかの理由によって本作は描かれた当初より上と左右にカンヴァスが帯状に継ぎ足されていることも、当時の蔵品目録から判明している。

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薔薇色の衣装のマルガリータ王女


(Infanta Margarita hacia los tres años) 1653-54年頃
128.5×100cm | 油彩・画布 | ウィーン美術史美術館

17世紀スペイン・バロック絵画最大の巨匠ディエゴ・ベラスケスが晩年に手がけた一連の傑作的王族肖像画作品のひとつ『薔薇色の衣装のマルガリータ王女』。本作に描かれるのはベラスケスが、その成長を記録するかのように晩年にかけて連続的に制作したスペイン皇女≪マルガリータ・テレサ≫が3歳の頃の姿である。マルガリータ王女は、1651年に当時のスペイン国王フェリペ4世と後妻(2番目の妻)であるマリアーナ・デ・アウストリア(マリアーナは皇帝フェルディナント3世の子供)の間に生まれた最初の娘で、幼い頃から当時スペインにとって脅威となっていたルイ14世が統治するフランスに対抗するために、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルト1世との政略的婚姻(※この婚姻によってスペインとオーストリアの同盟が成立した)が定められていた(その後、マルガリータは22歳で没した)。本作はマドリッドの王室からオーストリアのハプスブルク家(王室)へ贈られた贈呈画の最初の作品であり、本作以外にもマルガリータ王女が5歳の時と8歳の時の肖像画もウィーンへと贈られている(双方とも現在、ウィーン美術史美術館に所蔵されている)。本作に描かれるマルガリータ王女の姿はベラスケス晩年の描写的特長である闊達で軽快な動きを示す独特の筆触によって表現豊かに描写されており、公式性が重要視される王族の肖像画でありながら、画家が晩年に辿り着いた絵画性を存分に示している。また色彩表現においても、王族独特の品位と子供の愛らしさを同時に感じさせる豪華な衣服の薔薇色や輝くような絹地の銀灰色と、重厚感に溢れる絨毯やカーテンの色彩的対比や、画面左側に配されるガラスの花瓶に入った静物の描写は特に秀逸の出来栄えを示しており、観る者の目を奪うばかりである。

関連:『白い服の王女マルガリータ・テレーサ(5歳)』
関連:『青い衣服を身に着けたマルガリータ王女(8歳)』

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マルガリータ王女

 (Infanta Margarita a los ocho anos)
1659年 | 127×107cm | 油彩・画布 | ウィーン美術史美術館

巨匠ディエゴ・ベラスケス晩年期を代表する肖像画『マルガリータ王女』。ベラスケスが没する一年前に制作された本作は、国王フェリペ4世と2番目の妻マリアーナ・デ・アウストリアの第1子として生まれた後、1666年ハプスブルク家のレオポルト1世と結婚したマルガリータ・マリア・テレサ王女の8歳の姿を描いたもので、マネルノワールなど印象派の画家の技法を思わせる自由闊達に動く筆跡や色彩によって省略される王女の纏う衣服の表現など晩年まで変化していったベラスケスの画風を示している。また本作は、一度紛失したとされていたが、1923年に楕円形に切り取られた形で再発見され、1953年の大規模な修復によって元の寸法に戻った。なおベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画は『ラス・メニーナス』を含め、6点が現存しており、プラド美術館に残される絶筆作の『マルガリータ王女』は娘婿のマルティネス・デ・マソが顔を描き完成させたと研究されている。

関連:プラド美術館所蔵『マルガリータ王女』

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