Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Augustê Renoir
1841-1919 | フランス | 印象派




印象派の中でも特に名が知られた同派を代表する巨匠。しばしば女性的と直喩される流動的かつ奔放な筆勢や、明瞭で多様な色彩、豊潤で官能的な裸婦の表現、揺らめく木漏れ日による人物や風景への効果を研究した斑点状の描写など特徴的な表現で数多くの作品を制作。ルノワールは労働者階級の生まれである為、社会的な向上心が強かったと推測されており、パトロンや愛好家の獲得に長け、彼らの好みや意向に沿い自身の様式的特色を残しながらも巧みに合わせていったが、根本は田舎的で素朴な姿容や風情が好みであったと考えられる。また長いスランプ期や枯渇時代を経て、リュウマチ性関節炎など病によって劇的なほど様式を変化させたことや、画家の生涯における貪欲な女性関係も注目すべき点のひとつである。作品は風景画や家族・親族・自画像・友人・画家・画商・裸婦など身近な人物を始め、パトロンや芸術愛好家、特定のモデルなど人物画が多いが、風俗画や神話画、静物画なども手がけており幅広いジャンルを描いている。1841年、リモージュで仕立て屋を営む労働者階級一家の7人中6番目の子供として生まれる。1844年にパリへと移り、1854年から四年間、陶器の絵付師として奉公に出て絵の経験を積む。1860年、模倣画家として認められルーヴル美術館でルーベンスブーシェフラゴナールなど宮廷絵画(主に18世紀ロココ様式)の研究と模写をおこなう。1861年にシャルル・グレールの画塾に登録、翌年には国立美術学校へ入り絵画を学ぶ。またグレールの画塾ではクロード・モネアルフレッド・シスレーフレデリック・バジールらバティニョール派(後の印象派)と呼ばれる画家たちと知り合い(モネの友人であったカミーユ・ピサロとも知り合う)共にフォンテーヌブローの森で作品を制作するほか、数年後に崇拝していた写実主義の巨匠ギュスターヴ・クールベとも出会う。以後ロマン主義の巨匠ドラクロワの作品の豊かな色彩に影響を受けながら、サロンに作品を出典しだすも、入選と落選を繰り返す。1868年、カフェ・ゲルボワで印象派の先駆者エドゥアール・マネエドガー・ドガと出会う。1870年普仏戦争(独仏戦争)に召集されるボルドーの第10騎兵部隊に配属。1874年、第一回印象派展に参加。以後、第二回、第三回には参加するも、第四回と第七回以降は不参加。1880年、光の効果を重んじ形状の正確性を失った純粋な印象主義に疑問を抱き始め、翌年にイタリアへ旅行しルネサンスの巨匠ラファエロなどの作品に触れるほか、1884年にはカミーユ・コローの研究のためラ・ロシェーヌへ旅行。この1880年代は古典主義を探求し作風を変化させる。また1885年に息子ピエールの誕生し、その5年後の1890年に『田舎のダンス(1883年制作)』のモデルを務めたアリーヌ・シャリゴと結婚、家庭を築く。1888年頃にリュウマチ性関節炎や顔面神経痛に襲われる。この病によって1880年代の古典主義的な表現から、豊満な裸婦画に代表される暖色を用いた豊潤な晩年期の様式へと再変する。晩年期の1890年代からは体調がさらに悪化し、1911年には車椅子生活を余儀なくされるも、痛みに耐えながら最後まで精力的に作品制作は続けた。享年78歳。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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小さな貴婦人ロメーヌ・ラコー嬢


(Portrait de Mademoiselle Romaine Lacaux) 1864年
81×65cm | 油彩・画布 | クリーグランド美術館

印象派随一の画家ピエール=オーギュスト・ルノワール最初期の肖像画作品『小さな貴婦人ロメーヌ・ラコー嬢』。テラコッタ(陶器・焼物用の粘土、又はそれで形成された器や像。彫刻や建築装飾の材料としても用いられる。)製造業を営んでいたラコー夫妻の依頼により制作された本作は、夫妻の娘≪ロメーヌ・ラコー嬢≫を描いた肖像画である。画家の作品の中でも23歳頃に制作された最も初期に位置付けられる本作は、全体的には(当時ルノワールが修練を重ねていた)手堅いアカデミックな表現が主体であるものの、古典様式を彷彿とさせる真正面向きの構成や、座し膝の上で手を組む姿勢はスペイン・バロック絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケス新古典主義最後の巨匠アングルからの、硬質的かつ抑制的で落ち着いた色彩は、画家が後に研究することになるバルビゾン派の画家ジャン=バティスト・カミーユ・コローからの影響をうかがわせる。本作に描かれるロメーヌ・ラコー嬢の子供らしい(愛らしい)描写や、やや緊張気味ながら意思の強さ(品格・格調の高さ)を思わせる明確な瞳と口元の表情、膨らんだ袖やスカートの流行的なシルエットや上品で艶やかな色彩などに、(本作を手がけた23歳頃の)若きルノワールの豊かな才能と先人から学び取ろうとする意欲が示されている。またロメーヌ・ラコー嬢が手にする赤々とした花や、ロココ的な典雅性や幸福的な軽やかさを感じさせる背後の画面左部分に掛かる薄地のレースや、色彩豊かな花々の静物描写に、画家の色彩に対する並々ならぬ熱意とその取り組みが示されている。

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狩りをするディアナ

(Dianna chasseresse) 1867年
197×132cm | 油彩・画布 | ワシントン・ナショナル・ギャラリー

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール初期を代表する裸婦像作品のひとつ『狩りをするディアナ』。本作は1867年のサロンに出品する為に制作された作品で、本作が制作される2年前の1865年にマルロットで知り合って以来、画家が最も気に入っていたリーズ・トレオをモデルに、神話的主題≪狩りをするディアナ≫を描いたものである。ローマ神話でディアナはユピテルと巨人族の娘レトとの間に生まれた双子のひとり(もう一方は太陽神アポロ)で、多産や狩猟を象徴する地母神であり、純潔の象徴でもある女神とされており、ルノワールはサロン出品時に審査員たちの関心を惹こうと古典的でポピュラーな主題であった本主題を手がけたものの、彼らが望む(好む)表現とは全く異質な、ギュスターヴ・クールベの醜美に偏らない現実的な写実描写影響を如実に感じさせる、女神ディアナの肉付きの良すぎる健康的で豊満な裸体表現や、射られた鹿の生々しい描写のほか、パレットナイフを用いた独特の表現手法の為、サロンでは落選の憂き目にあっている。しかしながら、本作で示される裸婦表現は後にルノワールが辿り着いた(そして画家が生涯で最も関心を寄せることになる画題となった)独自の裸婦表現を予感させるものであり、本作中で最も注目すべき点のひとつである。また本作の彩度が抑えられた樹木や岩々を始めとする背景の色彩処理に、バルビゾン派の画家ジャン=バティスト・カミーユ・コローの影響が指摘されている。

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日傘をさすリーズ

(Lise à l'ombrelle) 1867年
184×115cm | 油彩・画布 | フォルクヴァング美術館

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール初期の代表的作品のひとつ『日傘をさすリーズ』。1867年の夏にパリ近郊シャイイ=アン=ビエールの森の中で日傘を差す女性像を描いた本作は、翌年のサロンに出品、画家としては二年ぶりの入選作品となった。本作のモデルであるリーズ・トレオは1865年にマルロットで知り合って以来、画家が最も気に入っていたモデルであり、本作以外にも『狩りをするディアナ』『浴女と犬』など複数の作品のモデルを務めている(リーズが結婚するまでその関係は続いている)。全体的な構図や横を向くリーズの顔の表情の表現に写実主義の大画家ギュスターヴ・クールベの影響が感じられるほか、色彩を抑えた背景の処理にはバルビゾン派の画家カミーユ・コローの影響が指摘されている本作には、ルノワールがこの頃から陽光が生み出す輝くような色彩とその効果に注目していたことも示されてる。静寂な雰囲気と湿潤な空気が漂う森の中で立つ、上品な白い衣服に身を包むリーズを柔らかに照らす陽光の表現はあくまでも自然的であり、画面の中に多様な影を落している。特にリーズが差す日傘によって肩のあたりまで落ちる影の描写は、「不自然」との指摘を受ける(当時の絵画表現としては通常、最も描くべき「顔」には影を落さない)ほどに自然的であり、不思議と人々を惹きつける大きな要因のひとつとなっている。また本作の中で際立つ衣服と黒い腰帯の明調の対比や、やや荒く仕上げられた背景の描写と色彩によってリーズがより強調されていることは注目すべき点のひとつである。サロン展示時、本作は風刺画が描かれるほどの批判も受けているが、エミール・ゾラを始め、一部からはかなりの好評価も得ている。

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フレデリック・バジールの肖像


(Frédéric Bazille peignant à son chevalet) 1867年
105×73.5cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派随一の画家ピエール=オーギュスト・ルノワール初期の重要な作品のひとつ『フレデリック・バジールの肖像』。本作はルノワールと同じく印象派の初期からその形成に携わっていた同派を代表する画家フレデリック・バジールが画布に向かい作品を制作する姿を描いた肖像画作品で、初期印象派(バティニョール派)の画家たちの交友関係を示す作品としても重要視されている。ルノワールは一時期、比較的裕福であったバジールとアトリエを共有しており、このバジールのアトリエにはルノワールの他にクロード・モネアルフレッド・シスレー、そして彼らより年長であり印象主義の先駆ともなったエドゥアール・マネが度々訪れていたことが知られている。本作の中でバジールは(現在ファーブル美術館に所蔵される)アオサギを画題とした作品を手がけているが、シスレーがこのバジールによるアオサギの作品とほぼ同内容の作品を制作しており、この作品への取り組みはバティニョール派の画家たちの強い共鳴を示す例としての意味も見出すことができる。画面中央にほぼ真横から捉えられるバジールはその大きな体躯を丸く屈めながら作品制作に没頭している。右手には絵筆を、左手には調色板(パレット)を手にするバジールの視線は絵筆の先(制作している作品へ描き込まれるアオサギの胴体)へと向けられており、バジールの作品に対する集中を感じることができる。なおバジールの背後に掛けられる冬景色の作品は現在個人が所蔵するモネの『サン・シメオン農場への道、冬』であることが確認されている。

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ラ・グルヌイエールにて

(La balançoire) 1869年
66×86cm | 油彩・画布 | ストックホルム国立美術館

印象派最大の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール1860年代を代表する作品のひとつ『ラ・グルヌイエールにて』。本作に描かれるのは実業家スーランが興した、パリに程近いブージヴァル近郊セーヌ河畔の新興行楽地であった水上のカフェのある水浴場≪ラ・グルヌイエール≫で、1869年夏に友人であるクロード・モネと共に同地へ赴き、画架を並べ描いた作品としても広く知られている。「蛙の棲み処」という意味をもつラ・グルヌイエールの中央には、「植木鉢(又はカマンベール)」と呼ばれた人工の島があり、本作にもその島に集う人々が描かれている。画面右部分には水上のカフェ、画面下部にはセーヌ河を行き交うボートを配するなど、モネの『ラ・グルヌイエール』とほぼ同様の構図で描かれることから、二人が画架を並べ描いていたことがうかがえる。本作にも(現在では)印象主義の誕生と位置付けられる≪筆触分割(画面上に細かい筆触を置くことによって視覚的に色彩を混合させる表現手法)≫が用いられているも、モネが光の視覚的な現象や印象、効果に忠実であるのに対し、ルノワールの『ラ・グルヌイエールにて』では、より水面に反射する光の繊細さと叙情性が強調されていることは、特筆すべき点のひとつである。さらに本作は色彩においても明瞭で輝きを帯びたルノワール独特の色彩的様式の萌芽がみられるほか、エルミタージュ美術館が所蔵している、ラ・グルヌイエールに集う人々や木々の間から射し込む木漏れ日の表現にも着目し、別の構図で描かれた『ラ・グルヌイエール』も注目すべき作品である。

関連:クロード・モネ作 『ラ・グルヌイエール』
関連:エルミタージュ美術館所蔵 『ラ・グルヌイエール』

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散歩道(プロムナード)

(La promenade) 1870年
81×65cm | 油彩・画布 | ポール・ゲッティ美術館

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールが初期に手がけた傑作『散歩道(プロムナード)』。本作は若い男性と女性が戸外の散歩道を歩く情景を描いた作品で、しばしば(画家が本作を手がける2年程前に制作した)『アルフレッド・シスレー夫妻の肖像』などの作品との関係性が指摘されている。これらの作品らに共通するのは手を取り合う男女のカップルという画題であり、ルノワールの1860年代での(後の印象派を代表する画家となる)クロード・モネアルフレッド・シスレーフレデリック・バジールなどと出会いが、少なからず影響を与えていると推測されている。本作では散歩道の坂道で、流行の帽子を被った若い男が少し前傾姿勢で、白いドレスを身に着ける若い女に手を差し出している。細かく闊達に動く筆触による印象主義的様式の強い描写によって表される、女性の白いドレスに反射する光の表現は、一見すると煩雑のようにも思えるが、輝くような陽光の反射の卓越した描写や、軽やかで質の良さそうなドレスの質感を見事に感じさせる。また上半身と下半身の半分を影に覆われている若い男と、陽の光を全身に浴びている若い女との(絵画表現的な)対照性も注目すべき点のひとつである。さらに若い男の下半身や二人が歩く小道の(木々の間から差し込むことによって表れる)斑点状の光と影の表現も、画家の印象主義時代随一の代表作である『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』や『ぶらんこ』などに通ずる光の描写手法であり、今日でも我々観る者の眼と関心を強く惹きつけるのである。

関連:『アルフレッド・シスレー夫妻の肖像』

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オダリスク(アルジェの女)


(Odalisque ou femme d'Alger) 1870年
69×123cm | 油彩・画布 | ワシントン・ナショナル・ギャラリー

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール初期の最も重要な作品のひとつ『オダリスク(アルジェの女)』。1870年のサロンに出品され入選した作品であり、『アルジェの女』とも呼ばれる本作は、当時恋人であったリーズ・トレオをモデルにオスマン帝国(現トルコ)スルタンの後宮で仕えた女官(女奴隷)≪オダリスク≫を描いた作品で、19世紀に愛好されたオリエンタリズム(東方趣味・東方的構造)的アプローチによって制作された作品である。ルノワールは色彩に天性の才能を発揮したロマン主義の偉大なる巨匠ウジェーヌ・ドラクロワが手がけた『アルジェの女たち』の類稀な色彩表現に強い感銘を受けており、本作にはその影響が如実に示されている。特に寝そべるオダリスクが身にまとう豪奢で異国情緒溢れる衣服の多様な色彩描写や、輝くような色彩表現は(画家独自の展開も見られるものの)ドラクロワの表現に類似しており、本作の制作は、後に画家が完成させる独自の多彩な色彩感覚や様式の形成に極めて重大な役割を果たした。その他にもオダリスクが浮かべる挑発的で色気漂うエロティックな表情や、ハーレムが醸し出す独特の東方的雰囲気の表現、軽快な筆触による闊達な筆遣いなども注目すべき点のひとつである。なお本作はサロンに出品された際、批評家や民衆から好評を得ているが、画家自身は1881年までアルジェ(アルジェリア最大の都市)に訪れたことはなかった。

関連:ウジェーヌ・ドラクロワ作 『アルジェの女たち』

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アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)

 1872年
(Parisiennes habillées en algériennes (Le Harem))
156×128.8cm | 油彩・画布 | 国立西洋美術館(東京)

印象派の偉大なる画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの画業の初期において最も重要な作品のひとつ『アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)』。制作年1872年のサロンに出品されるも落選となった本作はロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワの傑作『アルジェの女たち』に大きく影響を受けたルノワールが、同作品から着想を得て同画題で制作した作品である。この頃のルノワールはドラクロワに強く傾倒しており、本作を手がける2年程前にもルノワールはオリエンタリズム(東方趣味・東方的構造)的な作品として『オダリスク(アルジェの女)』を制作しているが、本作では『アルジェの女たち』から受けた霊感とその影響をより明確(如実)に示している。画面中央には金髪の若い娘がやや俯き加減で鏡に視線を送りながら腰を下ろしており、その手前(画面右側)には鏡を持つ長い黒髪が印象的なオリエンタルな衣服を身に着ける女が、奥(画面左側)には化粧道具を持つ上半身が裸体の女が配されている。そして画面の奥にはもう一人の女が描かれており、これは『アルジェの女たち』における黒人の侍女を変化させた展開と考えられる。女性らが身にまとう官能的な透ける衣服や絨毯とその模様、脱がれた靴、装飾品などは全てアラブ風であり、観る者に東方的な雰囲気を強く感じさせる。またこの東方趣味的展開もさることながら、ドラクロワが示した強く明瞭な光の表現や、そこに落ちる陰影の多様な色彩性の再現も本作の特筆すべき点である。女性たちの肌は強烈な光に照らされ白く輝きに満ちており、それは同時に女性としての肉感に溢れた官能性をも照らし出しているかのようである。さらに画面全体の赤味を帯びた微妙な色彩表現もドラクロワの影響を強く感じさせるが、ドラクロワと比較しより明瞭な色調を用いていることは、ルノワールの印象主義への傾倒も示している。

関連:ウジェーヌ・ドラクロワ作 『アルジェの女たち』
関連:『オダリスク(アルジェの女)』

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ポン・ヌフ、パリ

 (Le Pont-Neuf) 1872年
75.3×93.7cm | 油彩・画布 | ナショナル・ギャラリー

印象派の偉大なる画家ピエール=オーギュスト・ルノワール1870年代を代表する風景画作品のひとつ『ポン・ヌフ、パリ』。画家が印象派の表現技法「筆触分割」を模索していた1870年代初頭に制作され、現在はワシントン・ナショナル・ギャラリーに所蔵される本作は、パリ最古の橋として知られる≪ポン・ヌフ橋≫を主題に、そこを行き交う人々と合わせて描き込んだ風景画作品である。本作に描かれるポン・ヌフ橋は1855年の万国博覧会の開催に合わせて推し進められたパリの都市改造計画の一環として近代化されている。橋の上には数台の馬車を始め紳士や日傘を差す夫人、子供たち、兵士など多種多様な人物が大勢描き込まれており、当時のパリの活気と喧騒がよく感じられる。また画面右側に配されるセーヌ河の奥にはアンリ4世の騎馬像を、さらにその奥にはシテ島を確認することができる。画面下部の前景から中景にかけて描かれる近代的なパリの街並みと、上空に広がる空のどこか荒涼とした印象の対比は観る者を強く惹きつける。本作を制作するにあたり、ルノワールはポン・ヌフ橋近くのカフェの上階へ部屋を借り、この戸外の情景を描いたと伝えられるほか、画家の弟エドモンの回想録にはスケッチのために行き交う人々に頼み立ち止まらせたと記されている。本風景は柔らかく素早い筆捌きで描き込まれているものの形象そのものは明確に感じることができ、1870年代中期から後半にかけて制作された画家の作品と比較すると、ルノワール独自の表現描写の変容と進化を見出すことができる。

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桟敷席

(La Loge) 1874年
80×64cm | 油彩・画布 | コートールド・ギャラリー(ロンドン)

印象派の大画家ピエール=オーギュスト・ルノワール初期の重要な代表作『桟敷席』。1874年の第一回印象派展に出品され、批評家たちから好評を博した数少ない作品の中の一点である本作に描かれるのは、当時の女性らが最も華やかに映える場所のひとつであった劇場の≪桟敷席(劇場で正面に対して一段高く設けられた左右の席)≫での男女の姿で、ルノワール初期の表現様式が良く表れている。「鼻ぺちゃ」とも呼ばれた当時の画家お気に入りのモデルであるニニ・ロペズと、ルノワールの弟エドモンをモデルに描かれる本作で最も注目すべき点は、白黒を色彩の基調としながら柔和で瑞々しい筆触による多様かつ輝くような洗練された描写にある。特に観る者と視線を交わらせる女性の豪華な白黒の縦縞模様の衣服や上品に輝く(何重もの)真珠に首飾り、アクセント的に彩りを添える胸元の(おそらく隣の男から贈られた)薔薇の花束などは女性の優雅な美しさを強調するだけでなく、女性そのものの魅力を観る者により強く印象付けさせることに成功している。また女性の背後でオペラグラスを上空へ向ける男は舞台を眺めるのではなく、おそらくは女性又は有名人が座る他の桟敷席の観客を眺めている。これらの行動は当時の近代生活における日常を見事に描写したものであり、その点でもこの頃のルノワールの作品の中でも本作は特に注目すべき作品として重要視されている。

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青衣の女(パリ女)


(La dame en bleu (La parisienne)) 1874年
160×106cm | 油彩・画布 | ウェールズ国立美術館

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールを代表する人物画作品のひとつ『青衣の女』。1874年に開催された第1回印象派展への出品作である本作に描かれるのは、ルノワールと親しくしていたオデオン座の舞台女優≪アンリエット・アンリオ≫である。画面のほぼ中心に描かれるアンリエット・アンリオはやや斜めに身体を傾けているものの、その顔は真正面を向き観る者と視線を交わらせている。本作の最も魅力的な部分のひとつであるアンリオの表情は、うっすらと笑みを浮かべているように柔らかく幸福感に溢れており、観る者を魅了する大きな瞳と愛くるしい口元など彼女の特徴を的確に掴んでいる。また本作の名称ともなっている鮮やかで気品漂う青色の衣服(ドレス)の、当時の流行に沿ったシルエットの優雅な曲線と軽々とした薄布の表現は秀逸の出来栄えを示している。さらにアンリオの巻かれた髪の毛とその上に品良く収まる帽子に代表される小粋な小物類の描写も見事の一言である。また色彩表現に注目しても、まるで水彩画のような瑞々しさを感じさせる衣服に用いられた青色の、光彩によって微妙に変化する多様な表情や、襟元や手首に用いられるレースの白色との色彩的対比はアンリオの印象を最も的確に反映しているかのようである。しばしば写実主義の大家ギュスターヴ・クールベや印象派の始祖エドゥアール・マネの影響が指摘されている本作ではあるが、第1回印象派展への出展時には『パリ女』と呼称されていたことからも分かるよう、本作には画家が抱いていた都会の典型的な女性像が示されている。

関連:『アンリオ夫人の肖像』

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絵筆を持つクロード・モネ


(Claude Monet peignant) 1875年
85×60.5cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派を代表する画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの親愛を感じさせる肖像画の傑作『絵筆を持つクロード・モネ』。1876年にパリのル・ペルチェ通り6番で開催された第2回印象派展へ出品される18点の作品の中のひとつである本作は、画家と同じく印象派を代表する画家であり良き友人でもあった≪クロード・モネ≫が絵筆と調色板(パレット)を手に持ちながら画架の前に立つ姿を描いた肖像画作品である(※第2回印象派展出品時は名称を『M氏の肖像』としていた)。当時、モネが滞在していたアパルトマンであるパヴィヨン・フラマンの一室を舞台に制作される本作で、画架の前に立つモネはやや左側を向くように斜めの姿勢を取りながら自然体で立っており、その視線は観る者(ここではルノワールであろう)へと視線を向けている。画面のほぼ中央に配されながらも全体の姿態は左下から右上へと緩やかなS字曲線による対角的な造形を示しており、画面の中に心地よいリズムを刻んでいる。また本作でモネが身に着ける黒い衣服(仕事着)や帽子、頬から顎にかけて蓄えられた髭や頭髪は、大きな窓から差し込む柔らかな陽光に包まれた背景の中で逆光気味に浮かび上がっている。そして顔面部分と右手に握られた絵筆、左手に持たれる暖色が数色並べられた調色板(パレット)が黒い衣服や髭の中で輝くように映えている。背景へと眼を向けると、画面左側へやや厚い生地を思わせるカーテンが装飾的に描き込まれており、さらにその奥にはしばしばルノワールの作品に登場する夾竹桃(キョウチクトウ)が枝葉を広げている。本作に描かれるモネの姿は主題こそ画家として制作されているものの、画面の中に漂う親和的な雰囲気や自然的な様子からは個人的性格と親睦の念を感じずにはいられない。なおルノワールは『アルジャントゥイユの庭で絵筆をとるクロード・モネ』を始め、本作以外にも同時期に友人モネをモデルとした作品を数点手がけていたことが知られている。

関連:『アルジャントゥイユの庭で絵筆をとるクロード・モネ』

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草原の坂道(夏の田舎道)

1874年
(Chemin montant dans les hautes herbes)
60×74cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール印象主義時代に手がけた風景画の中の最も代表的な作品『草原の坂道(夏の田舎道)』。しばしばクロード・モネによる『アルジャントゥイユのひなげし』との関連性も指摘されている本作は、夏のアルジャントゥイユ郊外の坂道を日傘を差した母娘らが下ってくる姿を描いた作品で、「自然は芸術家を孤独に追い詰める。私は人間の中に身を置きたい。」と自ら述べているよう、作品の制作活動においては人物画が圧倒的に多く、風景画が比較的少ない画家の風景画作品の中でも特に代表作として知られている。修行時代に会得したロココ美術様式に通じる独特の風景描写は、他の画家のような、印象主義様式≪筆触分割≫による形体描写や力説的で特異な構図を用いることよりも、色彩による形象の表現が大きな特徴である。画面中央に通る坂道と、娘を先頭に赤い日傘を差し坂を下ってくる母親の姿は、輝くような光と繊細に配置された色彩と画家独自の筆触によって周囲の風景と溶け合うかのように描かれており、観る者はその表情を窺い知ることができない。しかしこの情景に描かれる色彩や全体の雰囲気そのものが、この母娘らの親しみやすい暖かな様子を伝えている。またひなげしや日傘に用いられている赤色は、画面内へ疎らに配される木々や草花の濃緑色と対比しており、黄色味を帯びた画面の中で見事なアクセントとして効果を発揮しているほか、画面上部には母娘らに続く別の人物も描かれている。

関連:クロード・モネ作 『アルジャントゥイユのひなげし』

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バレリーナ(踊り子)

  (Danseuse) 1874年
142×93cm | 油彩・画布 | ワシントン・ナショナル・ギャラリー

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールが手がけた代表的な風俗画作品のひとつ『バレリーナ(踊り子)』。1874年に開催された第一回印象派展への出品作である本作に描かれるのは、クラシック・チュチュ(典型的なバレエの衣装)を身に着けたバレエの踊り子の少女である。同展への出品時、ルイ・ルロワなど当時の批評家たちから「なんという下手なデッサンに基づいているのだろう。踊り子の足などチュチュと同化したように弛んでいるではないか」と酷評を受けた本作ではあるが、印象主義的な技法と、ルノワールの描く対象の変化が顕著に示されている。ルノワール同様、印象派の大画家であるエドガー・ドガも同画題(バレリーナ)の作品(例:ダンス教室(バレエの教室))を数多く手がけていることが知られているが、本作はそれとは全くアプローチが異なる。ドガがあくまでも確かなデッサン(形態描写)に基づいた自然主義的な表現で展開しているのに対し、ルノワールはそれより(やや抑制的な)色彩と形象そのものの融合や、バレリーナの少女のあどけなく無垢な美しさを表現することを目指しているようである。自然的とは言えない、いかにもポーズを取ったという感じの形式的(意識的)な本作のバレリーナの少女は、観る者と視線を交わすかのようにこちらを振り向き、その身に着けるクラシック・チュチュはおぼろげな背景や、(酷評された)色白の肌と色彩が混ざり合うように透き通っている。それらを表現する画家の筆触は軽やかかつ流動的であり、少女(そしてバレリーナ)のイメージがよく伝わってくる。本作に見られる調和的な色彩描写や、心象を反映なするかのような柔らかな表現、画題としての女性像(少女像)への高い関心は、後のルノワールの作品展開を考察する上でも特に注目すべき点である。

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雪景色

 (Paysage de neige) 1875年頃
51×66cm | 油彩・画布 | オランジュリー美術館(パリ)

印象派を代表する大画家ピエール=オーギュスト・ルノワール初期の重要な風景画作品のひとつ『雪景色』。かつてヴァルテール・ギヨームのコレクションであった本作はルノワールにしては非常に珍しい純粋な風景画作品で、他の印象派の画家たちが精力的に取り組んでいた≪雪景色≫を画題に制作された作品である。ルノワール自身は寒さが苦手なこともあり、(印象派の大きな特徴である戸外制作による)冬景色の風景は本作や習作を含め僅か数点しか制作しておらず、そのような点でも本作が画家の画業において特に重要視される作品でもある。画面右側には冬の到来によって赤茶色に枯れた生垣が配され、画面中央から左側にかけては白雪が積もった大地が広がっている。遠景には木枝の間から微かに近郊の町の屋根が見えており、さらにその上には青々と清んだ空が描き込まれている。ルノワールは他の印象派の画家とは異なり雪景色に興味を抱かず、本作でも雪そのものへは注視している様子は見出すことができない。ルノワールは本作において、降り積もる雪は基より、陽光を遮る赤茶色の生垣や、おぼろげに見え隠れする近郊の町、そして上空に広がる青空など風景全体を通しての多用な色彩とその構成に興味を示しているのは明らかである。特に雪の積もった大地の薄い桃紫色を用いた微妙な光彩の変化による色彩的差異や、葉が落ち枯れた木々の、それでも自然の生命力を感じさせる逞しい姿の表現は、今も観る者を惹きつけてやまない。

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女の半身像(入浴前、化粧、両手をあげている裸婦)


(Buste de femme) 1873-75年頃
81.5×63cm | 油彩・画布 | バーンズ・コレクション

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール初期の重要な作品のひとつ『女の半身像(女の胸像、入浴前、ソルト、化粧、両手をあげている裸婦)』。本作は同時期に制作された『陽光の中の裸婦(オルセー美術館所蔵)』同様、裸の女性の上半身を描いた裸婦作品である。『陽光の中の裸婦』とは異なり、室内が舞台となっている為、画家の特徴である斑紋状の陽光の表現は本作では示されないものの、両腕を上げて髪の毛を整える仕草の自然体な姿態や風俗的展開は、この頃に制作された画家の作品の中でも特筆に値するものである。特にこの失名の女性(本作のモデル)が見せる未処理の脇や露わになる両乳房などのあからさまな官能性、向けられる視線に全く反応せず己の身支度に没頭するこの女性の日常的瞬間を垣間見るかのような親密性は、女性の身体特有の柔らかな形態と呼応するかのように美しく、観る者へと迫ってくる。また輝きを帯びたかのような白く健康的な肌の質感や、流々とした筆触による繊細な光と陰影の描写、画面の左右で明確に分けられる明暗の対比、女性の下半身や背後に掛けられる青白い布の大胆かつ表情豊かな表現、背後の壁の軽々とした装飾なども本作の大きな魅力である。なお本作の制作年代については不明であるものの、1875年には売却された記録が残されている点や、ルノワールの表現・様式的特徴も考慮し、一般的には1873年から1875年頃に制作されたと考えられている。

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陽光の中の裸婦(エテュード:トルソ、光の効果)


(Torse de femme au soleil) 1875-1876年
80×65cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール印象主義時代の代表作のひとつ『陽光の中の裸婦(エテュード:トルソ、光の効果)』。本作は1876年に開かれた第2回印象派展に出品された画家の作品の中の1点で、ルノワールやモネを始めとした画家たちがしばしば描いたアンナ・ルブッフ(23歳で中夭)という魅力的な女性をモデルに制作されていることから『エテュード:トルソ』、『アンナのトルソ』とも呼ばれる。現在でこそ画家の印象主義時代の傑作のひとつとして名高い本作は出品当時、数人の批評家は好意的に賞賛したものの、アルヴェール・ヴォルフの「これは完全に死した肉体の状態を示す、紫や緑の斑点が浮き出た腐敗しつつある肉の塊である。」という評論を始め、多くの批評家たちから酷評された。ルノワールの作品の中でも戸外における裸婦像の最初期の作品でもある本作に示される、陽光が織り成す多様な色彩の変化や、それによる対象への視覚的効果の美しさは、観る者の目を奪うばかりであるほか、画家の類稀な表現、描写力によって対象(裸婦像)と背景の自然の輪郭は溶け合い融合し、幻想的にさえ感じられる。また躍動感に溢れる自由闊達な筆さばきや、個性的な色彩感覚、人目を惹きつける魅惑的で官能的な画面構成など細部・全体問わず見所や注目すべき点が多い作品でもある。

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ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場


(Bal du Moulin de la Galette) 1876年
131×175cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派最大の巨匠の一人ピエール=オーギュスト・ルノワールが手がけた、最も世に知られる印象主義時代の傑作のひとつ『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』。1877年に開かれた第3回印象派展に出品された本作に描かれるのは、当時、パリのモンマルトルの丘上の庶民的なカフェで、かつて粉挽き小屋であった≪ムーラン・ド・ラ・ギャレット≫とそこで過ごす人々で、木々の間から射し込み移ろう斑点状の木漏れ日の表現や、喧騒なカフェで愉快に踊り会話する人々の描写は秀逸の出来栄えである。画面手前の人物らはアトリエで姿態を執らせ、画面奥の群集は実際にダンスホールでデッサンした人物らが配置されている本作には、画家が気に入っていたモデルのマルゴを始めとし、ノルベール・グヌット、フランク=ラミー、リヴィエールなどルノワールの友人や知人たちが多数描かれている。本作の光の効果的な表現や曖昧な輪郭、複雑な空間構成など画家の優れた印象主義的な技法は賞賛に値するが、その他にも退廃的でメランコリックであった当時のカフェ本来の姿とは異なる陽気な本作の雰囲気に、幸福な社会や治世を望んだルノワールの世界観や趣向なども示されているとの解釈もされている。なおルノワールと同じく印象派を代表する画家で友人だったカイユボットが購入し、ルノワールの死後にオルセー美術館へと寄贈された本作を制作するために、画家の友人たちが都度、コルトー街の画家のアトリエからムーラン・ド・ラ・ギャレットまで運ぶのを手伝ったとの話が残されているほか、本作より一回り小さい別ヴァージョン(78.7×113cm)が存在し、フィンセント・ファン・ゴッホの『ポール・ガシェ医師の肖像(ガッシェ博士の肖像)』と同様、大昭和製紙(2003年に日本製紙と合併)の名誉会長であった斉藤了英氏が1990年5月に開催されたオークションで別ヴァージョンを109億円で落札したものの、1997年に米国の収集家へ売却されている。

関連:別ヴァージョン 『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』

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ぶらんこ

(La balançoire) 1876年
92×73cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール印象主義時代の代表作のひとつ『ぶらんこ』。画家随一の代表作『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』と同時期に描かれ、同作同様に印象派を代表する画家で友人だったギュスターヴ・カイユボットが、かつて所有していた本作は、当時ルノワールが借りていた家(コルトー街12番地)の≪ぶらんこ≫のある大きな庭園で過ごす人々を描いた作品で、主人公となる≪ぶらんこに乗る女≫は『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』にも登場する若き女優ジャンヌをモデルに描かれたと推測されている。本作でルノワールは木々の間から射し込み移ろう斑点状の木漏れ日の作用による光の変化や、補色的・対称的・相乗的な色彩描写の効果を追求しており、特に画面全体を覆う大きめの斑点状のやや荒いタッチによる光の効果的な描写は、今でこそ理解され観る者を強く魅了するものの、当時は類の無い表現手法から酷い悪評に晒された。この点描表現の先駆とも言える独特の表現は、当時ルノワールが追い求めていた(所謂正統的印象主義)表現の典型例のひとつであり、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』同様、この時代の最も優れた作例のひとつとして広く認められている。またぶらんこの女の衣服の白色と青色、隣で背を向ける男の濃紺の衣服と黄色の帽子を始めとし、ぶらんこの女と背を向ける男、背を向ける男とその奥の男、背を向ける男と画面左端の幼児など色彩おいて補色性、対称性、相乗性など対比的色彩表現が示されているのも注目に値する。本作は当時、労働者階級にあった人々を描いた作品ではあるが、そこにあったであろう重々しく疲弊的な雰囲気は(本作には)一切感じられず、明るく愉快に過ごす人々の生や喜びを強く意識し描いたことは、ルノワールの絵画における信念や思想の表れでもあるのだ。

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シャルパンティエ夫人とその子供たち


(Georges Charpentier et ses enfants) 1878年
153×189cm | 油彩・画布 | メトロポリタン美術館

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールが手がけた代表的な肖像画作品のひとつ『シャルパンティエ夫人とその子供たち』。1879年のサロン(官展)の入選作でもある本作は、後にルノワールの有力な支援者となった、若き著名な出版事業者ジョルジュ・シャルパンティエの夫人で、美術、特に印象主義に大きな関心を寄せていたマルグリット・ルモニエとその子供らを描いた肖像画で、流行していた社交界的な肖像表現に則しながらも、暖かみのある暖色を多用した家族的な雰囲気が特徴的である。当時絵が売れず貧困に苦しんでいたルノワールにとって、ジョルジュ・シャルパンティエとの出会いや夫人マルグリットのサロンへの出入り、そして本作の成功は重要な出来事であり、夫人は本作を大変気に入り、官展での評価を強く推し、画家の画壇での出世作となったほか、この夫人が催す華やかなサロンの場では当時の政治家や官展画家、文筆家、女優など様々な人々と出会うきっかけともなった。ルノワール独特のやや大ぶりで闊達な筆触による夫人や、ニューファンドランド犬(もしくはセントバーナード)の上に腰を下ろす姉ジョルジェット、その間で椅子に座る弟ポールら子供たちの描写は、非常に繊細かつ優美であり、観る者に幸福で家庭的な温もりを感じさせる。また当時欧州を席巻していたジャポニズム的な部屋の家具や装飾などを始めとする部屋内の雰囲気や色彩は当時「ティツィアーノに匹敵する」と評されたよう、多様で豊潤な美しさを備えている。

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フェルナンド・サーカスの曲芸師たち(ふたりのサーカスの少女)

 (Au Cirque Fernando) 1879年
131.5×99.5cm | 油彩・画布 | シカゴ美術館

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール作『フェルナンド・サーカスの曲芸師たち(ふたりのサーカスの少女)』。本作は印象派の先駆者のひとりエドガー・ドガと共にしばしば訪れていた、当時、人気の高かったパリのロシュシュアール大通りに店を構えるサーカスの団長(オーナー)フェルナンド・ワルテンベルクのふたりの娘フランチェスカとアンジェリーナの愛らしい姿を描いた作品である。1882年に開催された第7回印象派展では名称を『ふたりの姉妹』とし出品されていた本作では画面の中央から左右に演技を終えたフランチェスカとアンジェリーナが配されており、一方(左側)は観客に挨拶の仕草を見せ、もう一方は演技に使用した(又は観客が演技に喜び投げ入れた)オレンジを両手いっぱいに抱えている。ふたりの安堵的な柔らかい仕草と子供らしい純粋で愛らしい表情はサーカスの情景を描いたというよりも、むしろ肖像画に近いアプローチを感じさせる。無論、これらの点も特筆すべき内容であるが本作で最も注目すべき点は近代性を感じさせる表現様式にある。やや高い視点から描かれるフランチェスカとアンジェリーナを中心に円形のサーカスの舞台を配した本作でルノワールが集中して取り組んでいるのは豊かな色彩の描写であり、本来ならば床面に落ちるであろう陰影を全く描かず、多様的で輝くようなフランチェスカとアンジェリーナの衣服の色彩と黄土色の床の暖色的な調和性は観る者に心地よい色彩のリズムを感じさせる。また2人の姉妹の身に着ける衣服の(やや厚塗りされた)黄金色の豪華な刺繍と青白い白地部分の色彩的対比や、観客の黒い衣服との明確なコントラストは画面を見事な引き締める効果を生み出している。

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イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像


(Irène Cahen D'Anvers) 1880年
65×54cm | 油彩・画布 | ビュレル・コレクション(チューリヒ)

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールが手がけた肖像画の代表的作例のひとつ『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像』。本作は(当時としては数少ない)ルノワールの理解者であり庇護者でもあった裕福な銀行家ルイ・カーン・ダンヴェールの三人の女の子供の内、末娘である≪イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢≫の肖像として1880年から翌年にかけて制作された作品である。ルノワールは自身の娘や(画家の)理解者からの依頼などを始めとして、子供を画題とした肖像画を数多く手がけているが、その中でも本作は特に優れた作品として知られている。清潔で上品な顔立ちの中で輝く大きく印象的な瞳、子供特有の白く透き通る肌、肩にかかり腰まで垂れた少し波打ち気味の長い赤毛の頭髪、質の良さを感じさせる青白の衣服、膝の上で軽く組まれた小さな手。いずれも細心の注意が払われながら、綿密に細部まで画家特有の筆触によって描写されている。とりわけ注目すべき点は少女イレーヌ・カーン・ダンヴェールの長く伸びた赤毛の頭髪にある。印象主義的技法(筆触分割)に捉われない画家の個性を感じさせる流形的な筆触によって髪の毛一本一本が輝きを帯びているかのように繊細に表現されている。また少女の赤茶色の髪の毛と溶け合うかのような背景との色彩的調和も特筆すべき点のひとつである。このように大人が子供に大して抱く愛情と、画家の子供の肖像画に通じる微かな甘美性を同時に感じさせる本作は今なお、画家の代表作として人々を強く惹きつけているのである。

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河岸の食事(舟漕ぎたちの昼食、舟遊びをする人たちの昼食)

 (Déjeuner au bord de la rivière (Les Canotiers))
1879-80年頃 | 54.7×65.5cm | 油彩・画布 | シカゴ美術館

印象派随一の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール作『河岸の食事(舟漕ぎたちの昼食、舟遊びをする人たちの昼食)』。同画題による、より大きな寸法の代表作『舟遊びをする人々の昼食』に先立ち制作された本作は、多くの都会の人々が余暇を楽しむ為に訪れ、パリ近郊における有数の享楽地となっていたセーヌ河に浮かぶシャトゥー島のレストラン≪メゾン・フルネーズ≫で昼食のひと時を過ごす舟漕ぎたちの情景を描いた作品である。画面前景となるメゾン・フルネーズのテラスに腰を下ろし寛ぎながら昼食を楽しむ舟漕ぎたちは、他の船が賑やかに行き交うセーヌ河を見下ろしながら思い思いに午後のひと時を過ごしている。本作で最も注目すべき点は、より一層明瞭・幻想的(非現実的)になった色彩表現にある。彼ら、特に画面右側の椅子にゆったりと腰掛ける男が身に着ける白い衣服の青味がかった陰影表現は、作品へ幻想性を齎す大きな要因となっている黄色の色彩と見事な対比をみせており、互いに彩度を際立たせている。またテラスの向こう側(画面奥)に見えるセーヌ河やそこを行き交う木製のボートは前景と比較し、淡く明瞭な色彩によって描かれているが、それらも本作に非現実的な感覚を与える効果を生み出している。これらの特徴的な色彩表現はルノワールが抱いてた色彩に対する強い関心と新たな可能性への挑戦の明確な現れであり、今なお観る者を惹きつけ続ける。さらに以前の作品などと比べ、軽快さと即興性が増した速筆的な筆触もルノワールの絵画表現の探求において特に注目すべき点である。

関連:フィリップス・コレクション 『舟遊びをする人々の昼食』

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舟遊びをする人々の昼食


(Déjeuner des canotiers) 1881年
129.5×172.5cm | 油彩・画布 | フィリップス・コレクション

印象派最大の巨匠の一人ピエール=オーギュスト・ルノワールの代表作『舟遊びをする人々の昼食』。1882年の第7回印象派展に出品された本作は、セーヌ河沿いラ・グルヌイエールにあるイル・ド・シャトゥー(シャトゥー島)でアルフォンス・フルネーズ氏が経営する≪レストラン・フルネーズ≫のテラスを舞台に、舟遊びをする人々の昼食の場面を描いた作品である。本作はルノワールの最も世に知られる印象主義時代の傑作『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』に続く、屋内外で過ごす(集団的)人々の描写に取り組んだ作品でもあり、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』同様画家の友人・知人らの姿が多数描かれている。中央の昼食やワインが置かれるテーブルを中心に画面左部分手前には犬を抱き上げる(後に画家の妻となる)アリーヌ・シャリゴとその後ろにレストランの経営者アルフォンス・フルネーズの姿が、画面右側手前に椅子に座り談笑する画家ギュスターヴ・カイユボットと女優エレン・アンドレ(エドガー・ドガの代表作『アプサントを飲む人』のモデルとしても知られている)、そして取材者マジョロの姿が配されているほか、画面奥にはバルコニーへ身体を預ける(帽子を被った)経営者の娘アルフォンシーヌ・フルネーズと会話するバルビエ男爵の後姿や、グラスを口元へ傾けるモデルのアンジェール、その後ろで経営者の息子アルフォンスJrと話をしている(ドガの友人でもある)銀行家兼批評家のシャルル・エフリュッシ、そして画面奥右端にはジャンヌ・サマリーやポール・ロート、レストリンゲスの姿が確認できる。本作では人体描写の形態的躍動感や生命感、色幅の大きい奔放かつ豊潤な色彩描写、明瞭で卓越した光の表現、前景卓上の静物の洗練された描写などにルノワールの(印象主義的)技巧の成熟が感じられるほか、風景描写とやや切り離された登場人物の堅牢で存在感のある表現は注目に値する。また本作はルノワールが印象主義時代との決別や終焉を告げた作品でもあり、画家の重大な転換期における最後かつ集大成的な作品としても特に重要視されている。なお本作は第7回印象派展閉幕後、すぐに画商デュラン・リュエルによって購入されている。

関連:『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』

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南仏の果物(南国の果物)

 (Fruits du Midi) 1881年
50.7×65.3cm | 油彩・画布 | シカゴ美術研究所

印象派最大の画家のひとりピエール=オーギュスト・ルノワールを代表する静物画のひとつ『南仏の果物(南国の果物)』。1881年に制作された本作に描かれるのは、玉葱、茄子、莢豌豆(さやえんどう)、パプリカ(甘味唐辛子)、柘榴、檸檬など古伊万里風の陶器皿に盛られた野菜類と果物である。画面の2/3を占める白いテーブルクロスが掛けられた円卓上の前景には、収穫されたばかりなのであろうか、瑞々しく光を反射する夏野菜や果物が、画面中央やや左上へ陶器皿に盛られた野菜が雑然と並べられている。南仏(地中海沿い)で収穫された野菜らは、多くの研究者が指摘しているよう、人物画などで用いられたルノワールの軽快で女性的な表現手法とは明らかに一線を画した、まるでポール・セザンヌを彷彿とさせる大胆で荒々しい(やや厚みを感じさせる流線描的な)筆触によって奔放に描かれており、この静物(野菜や果物)の生命力をそのまま反映させたかのようである。また本作ではルノワールの対象静物そのものが発する色彩への取り組みや、静物の配置による画面の装飾性の追及も特に注目すべき点のひとつである。画面内に描かれるパプリカ(甘味唐辛子)や柘榴、玉葱などの暖色と、茄子や莢豌豆、陶器皿などの寒色の色彩的対比はこれまでの各作品にも度々登場しているが、対象の質感、例えば瑞々しい茄子や熟したパプリカの艶々とした滑らかな質感や、檸檬のザラザラとした質感は写実的(デッサン的)な描写手法ではなく多彩な色彩によって表現されている。またこれらの色彩は陶器皿やテーブルクロスの白色と見事な対比を示しており、観る者へ生気に溢れたある種の躍動感を感じさせる。さらに背景の曖昧な色彩感覚は静物の強烈な固有色と白色の架け橋としての効果も発揮しており、ここでもルノワールの色彩への意識の高さが示されている。

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アルジェのアラブの祭日(モスク)


(Fête arabe à Alger (La casabah)) 1881年
73.5×92cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールを代表する風景画作品のひとつ『アルジェのアラブの祭日(モスク)』。本作は画家が1881年に旅行したアルジェリア滞在時に同地で制作した数点の作品の中の一枚で、やや高位置の視点からアラブ(アラビア)の祭りの様子を描いた作品である。本作はルノワールが多大に影響を受けていたロマン主義の大画家ウジェーヌ・ドラクロワへの敬意や献辞を示した作品であるものの、画家自身はフランス美術界がドラクロワを称賛するようになって以来、信望者の画家たちが大挙として訪れていたアルジェの雰囲気に多少、辟易していたようである。しかし、それでも本作の燃えるように強烈な陽光の描写やアルジェ独特の風土感、喧騒とした祭事の表現はルノワールの画家としての偉大さが良く表れている。画面の大半はアルジェの特徴的な赤土の上で行われるアラブの祭りに参加する群衆が描かれており、ひとり一人はルノワールの他の作品の基準からすると例外的に小さく描かれている(人々の点描的な表現手法も注目すべき点のひとつである)。しかし渦巻くような群衆全体をひとつの塊として捉えた時には、アラブの強い光によって輝きを帯びた群衆は生命力と活気に溢れている。画面左上部分に描かれる遠景には白壁が非常に美しいイスラム教の寺院が配されており、さらに遠景の澄んだ海の青色と隣り合うことで得られる清涼感は観る者の心象に強く浸透する。またこの寒色が用いられる遠景部分の色彩と、画面の大半を支配する赤茶けた黄土色の色彩的対比は、ルノワールの明瞭で多様な色彩表現の特徴がよく表れている。

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ヴェネツィアのサン・マルコ広場


(Piazza San Marco, Venise) 1881年
63×82cm | 油彩・画布 | ミネアポリス美術館(ミネソタ州)

印象派随一の画家ピエール=オーギュスト・ルノワール探求時代の代表的な風景画作品のひとつ『ヴェネツィアのサン・マルコ広場』。本作は1881年の10月にルノワールがルネサンス三大巨匠のひとりラファエロ・サンツィオの作品を見る為にイタリアへ旅行した際、最初の滞在地となったヴェネツィアで制作された風景画である。本作に描かれる風景は、英雄ナポレオンが世界で最も美しい広場であると称えたとの逸話も残されている同地の中心的(象徴的)存在(かつ最も有名な観光場所)のひとつ≪サン・マルコ広場≫から見たビザンティン様式による大聖堂建築の傑作≪サン・マルコ寺院≫の正面の姿であるが、最も注目すべき点は豊潤かつ多様な色彩の描写にある。画面中央から上部へ配されるサン・マルコ寺院は赤色、黄色、青色を基調としながらそれらの色彩が複雑に混合し合うことで多様な表情を見せている。さらにハイライトとして置かれる白色と隣り合う濃黄色がサン・マルコ寺院を眩いばかりに輝かせ、それは色彩の洪水となって画面全体へと溢れるかのようである。そして画面中央から下部へと配されるサン・マルコ広場に落ちる影は陽光に照らされるサン・マルコ寺院と対比するかのように青い色彩が用いられており、この補色的な色彩の対比は晴天の空模様と共に特筆に値する美しさを醸し出している。また寺院自体の形状描写はやや写実性を感じさせるものの、豊かで非現実的な色彩と軽やかで速筆的な筆触によって非常に現代的な感性を見出すことができるなど、本作には筆触分割を用いる印象主義的表現に疑問を抱いていた当時のルノワールの模索と探求が示されている。

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テラスにて

 (Sur La Terrasse) 1881年
100.3×80.9cm | 油彩・画布 | シカゴ美術研究所

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール1880年代の代表的な作品のひとつ『テラスにて』。本作は若く美しい婦人と愛らしい少女を母子として描いた人物画作品で、残される書簡などから、おそらくは1881年4月にルノワールがセーヌ河畔シャトゥー村付近のレストラン≪フールネイズ≫で制作された作品であると推測されている。1882年に開催された第7回印象派展への出品作でもあると考えられている本作に描かれる若い婦人は、当時の舞台女優ダーロウであり彼女の身に着けるハイセンスな赤い帽子と洗練された紺色の衣服、さらにそのアクセントとして胸元に添えられた白花の飾りの色彩はダーロウの美貌を引き立てるだけではなく、隣の愛らしい少女の衣服や帽子、花飾り、テーブルの上の色とりどりの花々などとも見事な調和を示している。本作の中で最も観る者の目を惹きつけるダーロウの赤い帽子についてはルノワール自身が次ののように述べている。「私は≪赤≫が呼鈴のように音色高く鳴り響くものにしてみたい。もし、そうならないのであれば、もっと赤色を塗り重ねるか、他の色彩を組み合わせる(加える)のだ。」。本作の前景に示される多様で豊潤な色彩の配置や各色彩の呼応的処理は、まさに画家のこの言葉の実行事例であり、今も色褪せず我々に感動を与え続ける。さらに本作で注目すべき点は前景と背景の色彩や画面構造的な関係性の秀逸さにある。ダーロウの背後の手摺を境に前景と背景が明確に分けれており、前景は左から右へ斜めに視線が下がるように構成的誘導が施されているが、背景では逆に左から右へ斜め上に視線が向かうように構成されている。この斜めへの視線誘導はルネサンス時代から続く視線を画面へと向かわせる伝統的な手段であり、ここに画家の古典芸術への理解を見出すこともできる。さらに前景のやや強い濃色に対して背景の色彩はやや淡彩的に描写されているものの、色調そのものは背景の方がより明瞭であり、画面全体が重く沈みこんでしまうのを巧妙に回避させている。

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 (Chrysanthèmes) 1882年
54.7×66.1cm | 油彩・画布 | シカゴ美術研究所

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールを代表する静物画作品のひとつ『菊』。本作はルノワールが1882年に手がけた≪菊≫を画題とした3点の静物画作品の中の1点で、おそらくは同年の暑にイタリア(又はアルジェリア)から帰国した後、程なく制作されたと推測されている。画面中央から上部へは活き活きと花弁を開かせる菊の束が数十本配されており、画面の中央から下部へは菊の束が入れられる銅色の花瓶と、青色の模様の入ったテーブルクロスが掛けられる円卓が配されている。やや紫がかった白色と橙色が差し込んだ黄色と2色の花を咲かせる菊の豊潤で繊細な色彩は、青々とした緑の葉と見事な色彩的対比を示しており、観る者を強く惹きつける。さらに菊の華々しく鮮やかな色彩と対照的な、銅色の花瓶は画面を引き締めるだけではなく、花(菊)の色彩の美しさを惹き立てる効果を発揮している。そして清潔な青色と白色が用いられるテーブルクロスの色彩と対照を為しているのが、赤系統の色彩を用いた背景である。元々色彩に強い興味と類稀な才能を有していたルノワールは、1880年代初頭、自身の作風(そして印象主義的表現)に限界を感じており、模索の日々が続いていたことが知られているが、本作にはルノワール独特の迷いを感じさせない確固たる自信に基づいた個性的な色彩はもちろん、闊達で奔放な筆触による力強く自由的な描写など、画家としての己の姿を取り戻したかのような印象すら受け取ることができる。

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雨傘

(Parapluies) 1881-1885年
180×115cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

印象派最大の巨匠の一人ピエール=オーギュスト・ルノワールが手がけた、所謂、枯渇(乾いた、酸っぱいとも呼ばれる)時代の代表作のひとつ『雨傘』。本作は画家が数多く手がけている近代的風景の中の人物を描いた作品のひとつであるが、印象主義的表現技法に疑問を抱き、1881年のイタリア旅行を経た画家の新たな独自的表現の探求が顕著に示されており、本作では印象主義的技法と独自的表現が混在する過渡期の作品としても特に注目されている。本作はX線の調査によって制作されたおおよその時期が推測されており、毛羽立つような筆触や豊潤な色彩が特徴的な画面中央から右部分手前に描かれる青色の衣服の女性と二人の子供は1881年から翌年にかけて、硬質的な筆触や形体描写、冷艶な色彩が特徴的な画面中央から左部分手前の籠を持つ女性(アリーヌ・シャリゴがモデルだと言われている)は1885年頃に手がけられたと考えられている。ルノワールは独自的表現として新古典主義最後の巨匠アングルの形態やイタリア旅行で特に注目したラファエロ・サンツィオの表現手法に活路を見出しており、本作では、それまでの印象主義的な表現とは決定的に異なる、(アングルラファエロから学んだ)線と形体による描写が克明に示されており、特に左部分手前の女性が持つ籠の形態に画家の新たな様式を見ることができる。

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田舎のダンス

(La dance à la campagne) 1883年
180×90cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の中でも特に名が知られた大画家ルノワールが、光の効果を重んじ形状の正確性を失った純粋な印象主義に疑問を抱き始め、古典主義へと傾倒していった1880年代に制作された代表作≪ダンス三部作≫の一枚『田舎のダンス』。『都会のダンス』同様に画商デュラン=リュエルの家の装飾用に制作された本作は、画家の友人であったポール・ロートと、しばしば画家のモデルとなり、後に妻ともなるアリーヌ・シャリゴ(当時24歳)をモデルに描かれた作品で、単純かつ洗練された構成、画面の中で溶け合うかのような人物と背景の一体感、明確な人物の形態、やや装飾的な表現など、光の効果的な表現や曖昧な輪郭、複雑な空間構成等が特徴であった印象主義時代とは明らかに異なる表現手法によって描かれているのが大きな特徴である。本作での喧騒的で活気に満ちた雰囲気や、如何にも楽しげな表情、アリーヌ・シャリゴが身に纏う垢抜けない衣服などは、『都会のダンス』とは対照的に、気楽で田舎的ながら、どこか心を許してしまえるような安心感や幸福感を観る者に与える。ルノワールはこの頃、アリーヌ・シャリゴと、『都会のダンス』のモデルを務めたシュザンヌ・ヴァラドンの二人に心惹かれていたとされ、画家がそれぞれに感じていた人物像や抱いていた想いが表現されていると考えられている。なお画家は田舎のダンス・都会のダンスの両作品を描く前に、≪ダンス三部作≫の第一作目となる『ブージヴァルのダンス(ボストン美術館所蔵)』を制作している。

関連:ルノワール作 『都会のダンス』
関連:ルノワール作 『ブージヴァルのダンス』

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都会のダンス

(La dance à la ville) 1883年
180×90cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の中でも特に名が知られた大画家ルノワールが、光の効果を重んじ形状の正確性を失った純粋な印象主義に疑問を抱き始め、古典主義へと傾倒していった1880年代に制作された代表作≪ダンス三部作≫の一枚『都会のダンス』。『田舎のダンス』同様に画商デュラン=リュエルの家の装飾用に制作された本作は、画家の友人であったポール・ロートと、上昇志向が強かった都会的な女性シュザンヌ・ヴァラドン(当時18歳)をモデルに描かれた作品で、単純かつ洗練された構成、画面の中で溶け合うかのような人物と背景の一体感、明確な人物の形態、やや装飾的な表現など、光の効果的な表現や曖昧な輪郭、複雑な空間構成等が特徴であった印象主義時代とは明らかに異なる表現手法によって描かれているのが大きな特徴である。本作の優雅で洗練された雰囲気、上質なシルク地を思わせるハイセンスな本繻子のドレスを纏うシュザンヌの澄ました表情や慣れた仕草は、『田舎のダンス』と対照的に、喧騒とは程遠い都会的で上品な印象を観る者に与える。ルノワールはこの頃、シュザンヌと、『田舎のダンス』のモデルを務めたアリーヌ・シャリゴの二人に心惹かれていたとされ、画家がそれぞれに感じていた人物像や抱いていた想いが表現されていると考えられている。また本作が描かれた当時、シュザンヌ・ヴァラドンは後にエコール・ド・パリを代表する画家となるモーリス・ユトリロを身篭っていたことが知られている。なお画家は田舎のダンス・都会のダンスの両作品を描く前に、≪ダンス三部作≫の第一作目となる『ブージヴァルのダンス(ボストン美術館所蔵)』を制作している。

関連:ルノワール作 『田舎のダンス』
関連:ルノワール作 『ブージヴァルのダンス』

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ヴァルジュモンの子供たちの午後


(L'apres-midi des enfants Wargemont) 1884年
130×170cm | 油彩・画布 | ベルリン国立絵画館

印象派を代表する大画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの枯渇時代を象徴する作品のひとつ『ヴァルジュモンの子供たちの午後』。本作は以前は大使館の書記官を務めていた裕福な銀行家ポール・ベラール氏の3人の娘が、夏に同氏のノルマンディー地方の英国海峡に面するワルジュモンにある別荘へ滞在していた時に制作された作品である。画面右側では赤色の細かい模様が入った白色の衣服を身に着けた長女マルトが椅子に腰掛け縫い物をしており、傍らには三女リュシーが人形を抱きながら観る者と視線を交わらすようにこちらを向いている(長女マルト縫い物は人形の衣服を想像させる)。一方、画面左側には次女マルグリット(マルゴ)がソファーに座りながら本を読んでいる姿が描かれており、次女マルゴと三女リュシーは上品かつ清潔な青い衣服を身に着けている。画面は左上部分から対角線上にかけてほぼ半分を寒色を、右下部分からは暖色を中心に構成されている点など、画家の生涯的な課題と取り組みでもある計画的な色彩配置とその対比的効果の設計をおこなっていたことが良く表れているが、冷感な印象を受ける色彩の使用や、鮮やか過ぎる程の明確で輪郭線による形態の硬質的な表現など印象主義的表現に限界と違和感を感じていた画家が新たな表現を模索していた1880年代前半の枯渇時代(探求の時代とも呼称される)の代表的な表現が随所に示されている。また短く早い筆触による艶やかな床面(フローリング)の質感表現や、窓の奥の屋外風景の光に溢れた表現なども特に注目すべき点のひとつであり、今も色褪せることなく観る者の目を強く惹きつけている。

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アリーヌ・シャリゴの肖像(ルノワール夫人の肖像)


(Portrait de Aline Charigot (Madame Ronoir)) 1885年頃
65.4×54cm | 油彩・画布 | フィラデルフィア美術館

印象主義時代を代表する画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの愛情に溢れた作品『アリーヌ・シャリゴの肖像(ルノワール夫人の肖像)』。おそらくは当時はまだ恋人であったアリーヌ・シャリゴとルノワールの間に息子ピエールが誕生した1885年の夏頃に描かれた本作は、画家が生涯で複数枚手がけているアリーヌ・シャリゴの肖像画の最初の作品として知られている。ルノワールとアリーヌ・シャリゴは1890年に正式に結婚するが、1880年代初頭のルノワールは労働者地区であるモンマルトルで針子として働く田舎娘のアリーヌ・シャリゴと、美貌と都会的な洗練さを兼ね備えたシュザンヌ・ヴァラドンとの間で大きく心が揺れていたという事実は、画家随一の代表作『田舎のダンス』、『都会のダンス』でもよく示されている。本作にはそんな状況にあった画家が複雑な葛藤の末に辿り着いたアリーヌ・シャリゴへの深い真実の愛を強く感じさせ、実際、ルノワールは本作を生涯手放さなかった。画面中央に描かれる麦藁帽子を被り頬をやや紅潮させたアリーヌ・シャリゴは生気に溢れており、その瞳はアリーヌ・シャリゴ、そしてルノワール自身の幸福が反映しているかのように輝きに満ちている。また素朴な衣服に身を包んだアリーヌ・シャリゴのふくよかな姿態も、その後のルノワールの裸婦像を予感させる美しさと柔らかさを顕著に感じさせる。また表現様式に注目しても、印象主義的表現に疑問を抱き、新たな表現を模索していた、所謂、(乾いた、酸っぱいとも呼ばれる)枯渇時代に共通するやや硬質的な表現や寒色を用いた明快な描写はこの頃のルノワールの作品の大きな特徴であるが、同時に本作からは後年に画家が辿り着く幻想性と叙情性に満ちた色彩表現の萌芽も僅かながら感じることができる。なおルノワールは本作を手がけた翌年(1886年)に息子ピエールを抱き授乳するアリーヌ・シャリゴの姿『授乳する母親(母性)』を描いている。

関連:1886年制作 『授乳する母親(母性)』

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女性大浴女図(浴女たち)


(Les grandes baigneuses) 1884-1887年
115×170cm | 油彩・画布 | フィラデルフィア美術館

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール枯渇時代随一の大作『女性大浴女図(浴女たち)』。(この頃の画家の作品に不満を持っていた)デュラン=リュエルの好敵手的存在であったジョルジュ・プティの画廊で展示された本作は、シュザンヌ・ヴァラドン(画家の代表作『都会のダンス』でもモデルを務めた)をモデルに女性らの地中海沿岸での水浴場面を描いたもので、画家の印象主義からの脱却と古典主義(又はアカデミズム)的な表現への傾倒を示した所謂、≪枯渇時代≫の集大成的な作品としてルノワールが最も力を注いで制作した作品である。本作は18世紀の彫刻家フランソワ・ジラルドンが手がけたヴェルサイユ宮殿噴水の装飾(浮き彫り)から構図の着想を得ていたことが知られており、また裸婦像の描写は18世紀のロココ美術の巨匠ブーシェフラゴナール新古典主義の大画家アングルらの作品に強く影響を受けている。入念に計算された写実的な人物の描写や構成、流麗な輪郭線、非常に明瞭ながら冷艶さや甘美性も兼ね備える色彩(イタリア旅行で触れたラファエロやボンペイなどのフレスコ画の影響をうかがわせる)と、この頃ルノワールが模索していた新たな表現・描写様式が至る所に感じられる本作ではあるが、動きのある躍動的な人物の姿態の描写や背景の非写実的な表現に印象主義的な自由性と瞬間性も見出すことができる。結果としてわざとらしい演劇的な表現となった本作は、印象派の中心的存在であった画家カミーユ・ピサロからは「線を重視するあまり、人物は背景と分離し各々がばらばらとなっている。また色彩への配慮も欠け調和なき表現へと陥っている。」と批判的な声が上がり、批評家や収集家たちからは敬遠されたものの、画家の友人で本作を手がける前年、共に南仏を旅行したクロード・モネは理解を示したとされているほか、プティの画廊の顧客層であり、このような保守的な趣味を好んだ中流階級層の人々には好意的に受け入れられた。

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草原で花を摘む少女たち


(Dans la prairie) 1890年頃
65×81cm | 油彩・画布 | ボストン美術館

印象派の大画家ピエール=オーギュスト・ルノワールが晩年に獲得した独自の様式に至る直前の傑作『草原で花を摘む少女たち』。本作は場所は特定できないものの、美しい草原に生えた背の低い樹木に咲く花を摘み遊ぶ少女たちを描いた作品である。画面中央やや下に描かれる2人の愛らしい少女の内、可愛らしい白い水玉模様のある橙色が差した衣服と、細かい襞のついた帽子を身に着ける少女は、右手を伸ばし小枝に咲く花を摘んでおり、もう一方の茶色の玉模様の入った白い衣服と青い腰帯を身に着け、花飾りのついた黄色い帽子を被る少女は花飾りを編んでいる様子である。本作で最も注目すべきは柔らかく流れるような暖かみを感じさせる描写手法にある。≪枯渇時代≫と呼ばれる1880年代のルノワールは『女性大浴女図(浴女たち)』に代表されるよう、古典的な写実性を重要視し、硬質的で冷感的な描写を用いていたが、本作では心情に残る印象をそのまま描いたかのような柔和で穏やかな描写が明確に示されている。この描写手法こそ晩年期にかけて画家が奔放に発達させてゆく独自の表現様式の根幹であり、そのような転換点における作品という意味からも本作は重要視されている。また少女らの姿態によって構成される安定的な三角形や、穏やかな風を感じさせる草原の緑色と見事な色彩的調和を示す少女らの衣服の色彩など、注目すべき点は多い。なおニューヨークのメトロポリタン美術館には同時期に制作された同主題(そして登場人物も同じ)の作品『草原にて』が所蔵されている。

関連:1890年頃制作 『草原にて』

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岩に座る浴女

 (Baigneuse assise sur un rocher) 1892年
80×63cm | 油彩・画布 | 個人所蔵(フランス)

印象派を代表する巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールが手がけた非常に美しい裸婦作品のひとつ『岩に座る浴女』。枯渇時代(酸っぱい時代)と呼ばれる1880年代後半期からの探求の時期を経て、ルノワールが独特の裸婦表現へと辿り着く直前頃となる1890年代前半に制作された本作は、画家が生涯の中で幾度も手がけ続けてきた≪裸婦≫を画題とした作品の中の1点である。画面中央に描かれる、まるで幼い少女のような顔立ちの若い娘は、何かを見ようとしているのかやや下へと視線を向けている。その横顔は非常に端整でありながら、長い睫毛や赤味がかった頬、少し開き気味の厚い唇などには豊かな官能性を感じさせる。また左手では自身の腰辺りまで長く垂れた緩く波打つ柔らかい金髪の束を掴むように握られており、その自然的な仕草はこの人物の無意識的な癖を思わせる。姿態全体としてはルノワールの裸婦描写の大きな特徴である丸みを強調した柔らかで膨よかな表現がよく示されており、特に奥側(右手側)の乳房から腰にかけて流れる緩やかな曲線的ラインや外側(左手側)の腰から臀部、そして大腿部へと続く女性特有のS字的な曲線描写にはルノワールが取り組み続けた裸婦の理想的な美の形を見出すことができる。さらに本作の裸婦表現において最も注目すべき点は、透き通るような裸婦の輝きを帯びる白い肌の色彩的取り組みにある。今も観る者を魅了し続けるこの見事なまでの肌の色彩の美しさは、枯渇時代の古典的で対象の体温を感じさせない独特な色彩表現から自由奔放で豊潤な色彩表現へと移行する、その過渡期であったからこそ描き出すことができた描写表現であり、それはルノワールのどの時代にもない瞬間的な美しさに溢れている。なお明瞭で多色的な色彩で描かれる本作の背景の断崖は画家がこの頃滞在していた大西洋岸ポルニの風景であると推測されている。

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髪長き水浴の乙女(長い髪の浴女)


(Baigneuse aux cheveux longs) 1895年
油彩・画布 | 82×65cm | オランジュリー美術館

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール1890年代を代表する裸婦像作品のひとつ『髪長き水浴の乙女(長い髪の浴女)』。本作に描かれるのはルノワールが生涯の中、特に枯渇時代後の1890年代後半から最晩年まで数多く手がけた≪水浴の裸婦≫を画題とした作品のひとつである。おそらくは水浴を終え、水から上がろうとするこの女性(乙女)の膨よかで官能的な姿態の表現はルノワールの理想とする女性美の典型であり、観る者の目を奪うばかりである。また本作の抑制的な赤味を帯びた暖黄色や緑色などはバルビゾン派の画家カミーユ・コローの影響であるほか、虹色の色調、簡素かつおぼろげな空間構成、森林による背景展開、穏健な色彩の階調、そして画面全体を包み込むかのような暖かで優しい光の表現などには、印象主義的な表現に疑問を抱き、それを超えんと、もがき苦しんだ末に得ることができた画家円熟期(1890年代後半)の作品の特徴が良く表れている。水浴の女性の姿態は、画面中央の白布を持つ手を中心にして、緩やかな曲線を放射的に形成しており、女性の身体特有の柔らかさをより強調する効果を生み出している。また決して意識的ではない自然的な女性の仕草や桃色に染まる頬など顔の表情、腰のあたりまで伸びる美しいブロンドの髪の表現、人物と背景が溶け合うかのような独特の筆触による描写に、ルノワール特有の匂い立つような甘美で艶かしい官能性を感じることができる。

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横たわる裸婦(泉)

 1895-97年頃
(Baigneuse allongée (La source))
65.4×155.6cm | 油彩・画布 | バーンズ・コレクション

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール至高の裸婦作品『横たわる裸婦(泉)』。本作は画家の重要なパトロンであった裕福な美術収集家ポール・ガリマールの依頼により同氏が所有する邸宅の食堂の装飾画のひとつとして制作された作品で、画家が若い頃から晩年まで生涯にわたり強い興味と精神的つながりを示していた16世紀の彫刻家ジャン・グージョンによる浮き彫り彫刻『イノサンの泉の横たわるニンフ』に典拠を得ながらも、グージョンの作品に対してルノワールが抱いていた挑戦的意欲が随所に示されている。フランス芸術を象徴するような古典作品に倣っている為、画家の大きな特徴である豊潤な官能性はやや抑制され、裸婦の美的純真性が理想化されながら創造的に描かれている。特に描かれる裸婦(ニンフ)の優美で古代的な姿態や、白く透き通るかのような肌の美しい質感は牧歌的で理想郷的な背景と呼応し、見事な幻想的世界を構築している。さらに本作に描かれる画題≪泉≫は新古典主義の大画家アングルなど幾多のフランスの画家たちが手がけているが、ルノワールの『横たわる裸婦(泉)』は過去の偉大なる古典に準じながらも、女性に対して自身が抱く確固たる理想像を明確に示している。本作の色彩表現に目を向けてみても、単純な色彩構成を施していながら、各所における色彩の多様的密度はルノワールが色彩に関して持つ類稀な才能を強く感じさせる。また石碑文字風の署名が画面右下部分に記されているなど装飾的展開も注目すべき点である。なおルノワールは1910年に本作とほぼ同様の展開を示す対画的な裸婦作品『横たわる裸婦』を手がけている。

関連:1910年制作 『横たわる裸婦』
関連:ジャン・グージョン作 『イノサンの泉の横たわるニンフ』

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ピアノに寄る娘たち

(Jeunes filles au piano) 1892年
116×90cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールの中でも最も愛される作品のひとつ『ピアノに寄る娘たち』。非公式ながら国家からリュクサンブール美術館収蔵のために依頼され手がけられた作品である本作に描かれるのは、二人の少女がピアノに向かい楽譜を読む姿≪ピアノに寄る娘たち≫で、この頃の画家が意欲的に描いた若い娘(少女)らが何かをおこなう姿やその動作を、豊潤で豊かな暖色を用い豪奢に描かれているなど、光の効果を探求した印象派時代から、線描を重要視した古典主義時代(枯渇の時代)を経て辿り着いたルノワール独自の様式が示されている。特に本作の流動的で大ぶりな筆触によって表現される(モデルは不詳である)二人の少女の愛らしい表情や頭髪、衣服の動き、柔らかい肌の質感などの描写は、まさに「愛でる」「安らぎ」「ぬくもり」「家庭的」などという言葉が相応しい絶妙な雰囲気を醸している。また画面全体においても、この表現手法を用いることによって、主対象である人物(二人の少女)と物体(ピアノや楽譜、家具)、その動作、室内空間がひとつとなって溶け合うかのような効果も生み出している。このような表現による捉心的効果は、枯渇の時代以降のルノワールの画風の大きな特徴であり、同時に最大の魅力でもある。さらに本作の少女らの赤色と白色の対称的な衣服や、鮮やかなリボンや腰布の青色、カーテン部分の緑色などの色彩描写も本作の見所のひとつである。なお本作のヴァリアントがメトロポリタン美術館やオランジュリー美術館、個人所蔵など合計4点が確認されている。

関連:メトロポリタン美術館所蔵 『ピアノに寄る娘たち』
関連:オランジュリー美術館所蔵 『ピアノに寄る娘たち』

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ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル


(Yvonne et Christine Lorelle au piano) 1897年
73×92cm | 油彩・画布 | オランジュリー美術館(パリ)

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール作『ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル』。本作はルノワールのほかエドガー・ドガベルト・モリゾなどとも交友のあった、画家であり収集家としても知られていたアンリ・ルロルの二人の娘イヴォンヌとクリスティーヌをモデルに、当時裕福な富裕層の間で流行していた≪ピアノ≫を弾く姿を描いた作品である。画家は本作以前にも『ピアノに寄る娘たち』など本画題≪ピアノを弾く娘≫を度々手がけているが、本作ではルノワールの色彩の対照性への興味が顕著に示されている。画面中央で白い上品な衣服に身を包むイヴォンヌ・ルロルは交差させるように(ピアノの)鍵盤の上へ置いている。その奥では鮮やかな赤い衣服を身に着けたクリスティーヌ・ルロルが両手でイヴォンヌを囲むかのように寄り添っている。二人の身に着けた白色、赤色の衣服の色彩的コントラストは画面の中で最も映えており、その強烈にすら感じられる対照性は観る者の視線を強く惹きつける。さらに本作にはピアノの黒色と鍵盤の白色、ピアノ(黒色)とイヴォンヌ(白色)、ピアノ(黒色)とクリスティーヌ(赤色)など様々な要素で色彩的コントラストが試みられている。また画面背後の薄黄緑色の壁に飾られる踊り子(バレリーナ)と競馬を描いた二枚の絵画はアンリ・ルロルが購入したエドガー・ドガの作品であり、ルノワールは画面内にドガの作品を描き込むことによって、友人ドガへの友情と、画家としての明確な(差異のある)態度を表している。

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森の中の浴女たち


(Bathers in the forest) 1897年
73.3×99.7cm | 油彩・画布 | バーンズ・コレクション

印象主義の画家の中でも特に名が知られる巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールの代表作『森の中の浴女たち』。19世紀末に制作された本作は、画家が最も重要視していた主題であり、最も精力的に取り組んでいた創造力の源でもある≪裸婦≫の群像構成として制作された作品である。画家は本作を手がける以前から『岩に座る浴女』や『髪長き水浴の乙女(長い髪の浴女)』、そして『横たわる裸婦(泉)』など単身の裸婦作品を数多く手がけ(その最たる作品が『女性大浴女図(浴女たち)』である)ており、本作にはそれらの統合的作品としての意味合いだけではなく、さらにはそこからの発展を目指していることも見出すことができる。画面中央には小さな池に脚を入れ水浴を楽しむ若い裸体の女性らが配され、さらにその周囲には頭髪を整えたり、大地に寝そべるなど自由に過ごす裸婦たちが描き込まれている。本作に描かれる人物は楕円形状に配され、それぞれがひとつの個の要素として独立しているものの、視線や姿態などで互いの関係性を紐付けている。これら人物の群像構成には古典的な伝統性の側面も見出すことができるが、むしろ裸婦そのものの美しさや自然的官能性をより高位に表現しようとした結果であるとも考えられる。さらに本作で注目すべき点は色彩の多様的描写にある。裸婦の肌に用いられる輝くように陽光を反射する白く透き通った色彩と、本作の舞台である森林の強く苛烈的な印象を観る者に与える幻想的な色彩は裸婦(人間)と自然の溢れんばかりの生命力をも表現しているようであり、観る者の心象へ強く訴えかける。

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足を組む裸婦と帽子(ブロンドの髪の浴女、座る裸婦)


(Baigneuse aux cheveux dénoués) 1904-1906年
92×73cm | 油彩・画布 | ノイエ・ガレリー(ウィーン)

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール1900年代を代表する裸婦像作品のひとつ『足を組む裸婦と帽子(ブロンドの髪の浴女、座る裸婦)』。本作は1880年代後半以降、絵画制作で悩まされ続けることになった(1898年には右手の麻痺による二ヶ月以上、絵筆を握ることができなくなるまでに悪化したほか、その2年後には手や腕が変形してしまった)リューマチ性関節炎を患っていた画家が、その痛みに耐え、精力的に制作し続けた裸婦作品の中の一点である。質量に溢れた豊満な女性の肉体美、輝きを帯びた豊潤な色彩、流々と色彩が震えるようなルノワールの晩年期独特の筆触を予感させる光の表現などは、過去の印象主義的な表現からの確実な逸脱を示しており、それらはむしろ過去の偉大なる画家ティツィアーノルーベンスなど古典的様式を彷彿とさせる。そして何といっても、本作の少女のような裸体の女性が濡れた髪を掻き上げながら、足を組み己の柔軟で弾力性に満ちた豊満な身体を拭くという姿の類稀な官能性は、絵画、特に画家の裸婦に対する、衰えるどころか益々高まってゆく情熱と力強い信念の表れである。なおウィーン美術史美術館ノイエ・ガレリーに所蔵される本作以外にも、デトロイト・インスティテュート所蔵の『座る裸婦』など同時期に制作された同構図・同内容の作品が3点確認されているが、本作はその中で最も初期に制作された作品であると推測されている。

関連:デトロイト・インスティテュート所蔵 『座る裸婦』

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大きな裸婦

 (Nu sur les coussins) 1907年
70×155cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

19世紀後半に一世を風靡した印象派の中でも最も有名な画家のひとりピエール=オーギュスト・ルノワール晩年期を代表する裸婦作品のひとつ『大きな裸婦』。ルノワールの持病であったリュウマチ性関節炎や顔面神経痛が悪化し、体調が著しく衰えていた頃に制作された本作は、画家がそれまでに幾多も手がけてきた≪横たわる裸婦≫を画題とした作品で、1903年頃からルノワールはクッションを背にした横たわる裸婦の連作をしており、本作はその中の最も完成度の高い作品として広く知られている。当時、両手が麻痺しつつあった老体であるにも関わらず、本作の画面から放たれる輝きを帯びた色彩と豊潤な官能性の表現は圧巻の一言である。横長の画面の中央へ配された僅かな白布を股に挟みながら横たわる裸婦は、緊張の色をまるで感じさせない非常に自然体な姿態で描かれており、観る者に柔らかな安心感を与えている。また同時に豊満な裸婦の身体からはルノワール作品特有の肉体的女性美が強く感じられ、画家の裸婦に対する強い執着を見出すことができる。さらに裸婦のやや澄ました表情には古典的な美の系譜を辿ることができ、本作が制作された1907年当時は一部の批評家などから新古典主義の大画家ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングルとの関連性が話題となっていた。なおルノワールは本作を手がけた2年後となる1909年にスペイン・バロック絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケスの傑作『鏡を見るヴィーナス』の影響を顕著に感じさせる裸婦作品『後ろ姿の横たわる裸婦』を手がけている。

関連:オルセー美術館所蔵 『後ろ姿の横たわる裸婦』

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足を拭く浴女

 (Baigneuse s'essuyant la jambe) 1910年
油彩・画布 | 84×65cm | サンパウロ美術館

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール1910年代を代表する裸婦像作品のひとつ『足を拭く浴女』。本作は画家がこれまでに幾度も取り組んできた≪水浴する裸婦≫を描いた作品の中で、晩年期に制作された裸婦作品の中でも特に代表的な作例として広く知られている。画面全体を使い大々的に描かれる本作の足を拭く裸婦は、赤味を帯びる透き通った白い女性の肌や、そこへうっすらと落ちる微妙な陰影、足を拭く白布、幻想的にすら感じられる背景の緑色や黄色など、色彩そのものが持つ力との相乗的な効果によって、車椅子生活直前(ルノワールは本作を手がけた翌年の1911年には体調の悪化により車椅子生活を余儀なくされた)に制作されたとは思えないほど生き生きとした健康美に溢れている。かつて「瞑想」と呼称されつつあったが、画家本人が「あの少女は何も考えていない、鳥にように生きている、ただそれだけである。」と否定した逸話でも示されるよう、本作でルノワールは喜びや愛情に満ちている裸婦の姿を描くでもなく、悲しみや苦悩に暮れている裸婦の姿を描くのでもなく、ただ女性(裸婦)の純粋な(内包的な)生命力と肉体的美しさを表現することに注力している。また画家の晩年期の特徴が顕著に表れる、本作の裸婦の圧倒的な肉体的質感と量感の描写は、ルノワールが生涯描き続けた女性美の極致を示すものであり、観る者が内面に抱く女性像(裸婦像)の心象や印象に(時として反面的にすら)訴えかけてくる。なお晩年期に制作された裸婦作品として本作以外ではバーンズ・コレクションが所蔵する『浴後』などが知られている。

関連:バーンズ・コレクション所蔵 『浴後』

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カリアティード

 (Cariatides) 1909-10年頃
各130×45cm | 油彩・画布 | バーンズ・コレクション

印象派の中で最も名の知れた巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール晩年の代表作『カリアティード』。ルノワールの死後、画家のアトリエで発見された本作は、古代西洋建築(神殿)において着衣の女性像による装飾支柱≪カリアティード(人像柱)≫を模した2点1組の装飾用パネル作品である。18世紀フランスの高名な彫刻家クローディオン(クロード・ミシェル)の彫刻『花と果物を持つバッカント(花を持つバッカスの巫女・果物を持つバッカスの巫女)』に着想を得たとも推測される本作では、2人の裸体の女性が(本来は身体を覆うものであろう)葉の帯を掲げるように支え立つ姿が、簡素な石造りを模した長方形の画面の中へすっきりと納められている。1人は背を向け、もう1人はほぼ正面を向いた本作の人物構成は2点の作品として完全な対称性を示しており、対となることで絶妙な安定感を生み出している。さらに有機質で丸みを帯びた裸婦のしなやかな曲線や緑々とした葉の帯と、無機質で硬質的な直線的石室的支柱の対比は、観る者へ心地良い緊張感を与えることに成功している。本作で最も注目すべき点は18世紀に活躍した偉大なる巨匠らの作品に対するルノワールの羨望と賛歌的表現とその取り組みにある。ルノワールは若き頃、ルーヴル美術館でルーベンスブーシェフラゴナールなど宮廷絵画(主に18世紀ロココ様式)の研究をおこなっていたことが知られており、他の印象派の画家たちより18世紀の芸術から影響を強く受けていた。さらに晩年期のルノワールは18世紀芸術への回顧的傾向を強めており、本作はそれらを良く示した典型的な作品として重要視されている。

関連:クローディオン作 『花と果物を持つバッカント』

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パリスの審判

 (Le Jugement de Pâris) 1913-14年頃
73.0×92.5cm | 油彩・画布 | ひろしま美術館(広島)

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール晩年期の様式が明確に示される代表的な神話画作品のひとつ『パリスの審判』。本作に描かれる主題は、神々の饗宴時に最も美しい女神が手にするようにと争いの女神エリスが投げ込んだ黄金の林檎を巡り、我こそはと立ち上がった、ユピテルの正妻で最高位の女神ユノと、愛と美の女神ヴィーナス、知恵と戦争の女神ミネルヴァの中から最も美しい女神を、主神ユピテルにより神々の使者メルクリウスの介添でトロイア王国の王子である羊飼いパリスが選定し審判するという、神話の中で最も知られた主題のひとつ≪パリスの審判≫である。ルノワールは本作を制作する以前の1908年にも同主題の作品(パリスの審判 第1ヴァージョン)を手がけており、第1ヴァージョン共に本作は、プラド美術館(マドリッド)に所蔵されるバロック美術の大画家ピーテル・パウル・ルーベンスの『パリスの審判』からの構図的引用や表現的影響を感じさせる。本作では画面左下の羊飼いパリスが、画面ほぼ中央に配される愛と美の女神ヴィーナスへ黄金の林檎を渡す瞬間の場面が描かれており、女神ヴィーナスの左右では最高位の女神ユノと知恵と戦争の女神ミネルヴァが、やや不満げな表情を浮かべながら驚きの仕草を見せている。さらに羊飼いパリスの上部には第1ヴァージョンでは描かれなかった神々の使者メルクリウスが選定の結果を伝えるかのように黄金の林檎と天上を指差している。震えるかのような筆触で描写される肉感に溢れたふくよかな女神達の裸婦表現や、光と温もりに満ちた空想的な色彩表現は、リュウマチ性関節炎や顔面神経痛を患いながらも画家が晩年期に辿り着いた独自の様式の典型であり、その輝きは今なお色褪せず、観る者に新鮮な驚きと感動を与える。

関連:ルーベンス作 『パリスの審判(プラド美術館所蔵版)』
関連:1908年制作 『パリスの審判(第1ヴァージョン)』

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浴女たち(ニンフ)

(Les baigneuses) 1918-1919年
110×160cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールが最晩年に手がけた傑作『浴女たち(ニンフ)』。ルノワールが死去する前年に手がけられた、画家の絶筆でもある本作は、ロシア系のモデルで、息子ジャンの最初の妻となるアンドレ・ヘスリング(通称デデ)をモデルに複数体の裸婦像を描いた作品で、神話的(又は理想的)場面描写が顕著となる画家の晩年期の作品においても、特に秀逸な出来栄えを示す作品のひとつであり、画家の衰えぬ創作意欲と探究心を強く感じさせる。楽園的な田園風景の中に、ジョルジョーネルーベンスゴヤなど古典以来、幾多の巨匠たちが手がけてきた裸婦像から着想を得て創作した本作の裸婦による群像構図、特に前面で横たわる、あきらかに巨大化された二体の裸婦の表現は、ルーベンスのそれを強く思わせる豊満で肉感に富んだ肉体で表されている。また自由奔放かつ芳醇な筆触による多種多様な色彩は観る者の眼を惹きつけるだけでなく、画家が追求した理想的な裸婦(ヴィーナス)が在る情景(風景)を斬新かつ効果的に表現している。ルノワール自身、本作を特に重要視していたことが知られており、画家は本作に対して「生涯において探求した絵画表現の融合的(総合的)作品」と言葉を残しており、生涯最高の作品と位置付けていた。

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