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ルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネ(ラグルネ兄) Louis Jean Francois Lagrenee
1725-1805 | フランス | ロココ美術・新古典主義
18世紀フランスを代表する画家。確かな才能を感じさせる豊かな色彩表現と優美で古典的な描写・構図による作品を制作し、画家として特に神話画で成功を収める。王侯貴族や教会など当時のフランス国内の主要な富裕層や権力層からのみならず、ロシアの女帝エカテリーナに招かれるなど諸外国にまでその名を轟かせた。最も格式が高いとされていた歴史画・神話画・宗教画などを主に手がけているが、寓意画や肖像画なども現存する。1725年、フランスのパリで生まれ、早くからその画才を開花させ、青年期には
ロココ美術・大様式の巨匠
カルル・ヴァン・ローから歴史画家としての教育を施される。1749年、ローマ賞の大賞を受賞し、その後4年間イタリアに滞在する。同国では
グイド・レーニや
ドメニキーノなど
バロック様式、特に17世紀ボローニャ派の作品へ強い関心を示し、模写などによって躍動感に溢れる人物描写、対角線的な構図展開、筆触を残さない滑らかな表面の仕上げなどを会得するなど「フランスの
グイド・レーニ」と呼称されるようになる。1754年にパリへと帰国し、翌1755年には『ディアネイラを略奪するネッソス』で王立絵画・彫刻アカデミーへ歴史画家として入会。その後も1760年からは女帝エカテリーナの招きでサンクトペテルブルクへ2年間滞在、首席画家を務めるほか、1781年から1787年まではローマでフランス・アカデミーの会長を(※1785年に王立絵画・彫刻アカデミーの部長職も同時に務める)、さらにはフランス革命後となる1804年にはルーヴル美術館のコンセルヴァトゥール(美術館管理官)へ就任するなど画家としての成功の王道を歩んだ。
バロックの復興・再解釈とも呼べるその精神と絵画表現は著名な美術批評家ディドロも高く評価し、称賛の声を挙げたものの、晩年期のより単純化した絵画に対しては酷評を浴びせている。1805年、パリで死去。なお弟のジャン・ジャック・ラグルネも画家であり、それと区別する為、一般的に当画家はラグルネ(兄)と呼称される。