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ピエール・ミニャール Pierre Mignard
1612-1695 | フランス | 古典主義
フランス古典主義時代を代表する画家。≪ミニャルド(Mignardes、愛くるしいものの意)≫とも評された対象を優美かつ自然的に表現した聖母子像や、対象の個性を尊重しながら絶妙に美化した肖像画で名声を博す。当時、最大の権力を誇っていた
シャルル・ル・ブランの好敵手的存在となるが、権力者たちとの交友により権力闘争に巻き込まれることなく自由な活動場所を確保した。当時のフランス絵画界における大論争「
プッサン派」対「
ルーベンス派」では
ル・ブランと対峙するかのように
ルーベンス派の代表格として活躍する。肖像画や宗教画が良く知られているが、歴史画や神話画、寓意画、装飾画などでも質の高い作品を残している。1612年トロワで生まれ、青年期にパリへ向かい
シモン・ヴーエのアトリエへ入る。1635年からイタリア(ローマ)へと旅立ち、同地で
ルネサンス三大巨匠のひとり
ラファエロ・サンツィオや、
アンニーバレ・カラッチ、
ドメニキーノなど17世紀ボローニャ派に強い感銘を抱き独自の様式美を形成。ローマでは「ローマ人」との異名で呼ばれるほど画家として成功し、1657年にパリへ帰国。フランスでは公的な仕事は
ル・ブランの後塵を排するものの、王侯貴族や文芸者、文化人の肖像画のほか宗教画や大規模な装飾画などを手がけ確固たる地位を築いた。その後、精力的に制作活動をおこない、1690年からは同年没した
シャルル・ル・ブランの後を引き継ぐように国王首席画家(宮廷首席画家)と王立絵画・彫刻アカデミーの会長職へ就く。1695年パリで死去。