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Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像

ニコラ・プッサン Nicolas Poussin
1594-1665 | フランス | 古典主義

17世紀フランス古典主義の最大の巨匠。多人数による画面の構想理論「群像構成理論」に基づいた非常に安定的な古典的構図に画家独自の世界を築き、堅牢で実直な空間表現、的確かつ演劇的な感情・心理描写、ヘレニズム彫刻など古典彫刻に倣う人体描写など、所謂≪フランス古典主義≫の基礎・基盤を完成させ、後世の画家らに多大な影響を与える。また画面内に配される堅実性を感じさせる建築物の優れた描写も特筆に値する。宗教画や神話画、歴史画、風景画が主要であるが、自画像、寓意画、文学を主題とした作品など様々なジャンルを手がけている。1594年にレ・ザンドリーに生まれ、当初はパリでフォンテーヌブロー派に絵画を学ぶも、1624年にイタリアのヴェネツィアやローマへ赴く。ヴェネツィアでは明瞭な色彩や官能性豊かな表現手法を、ローマではバルベリーニ枢機卿やカッシアーノ・ダル・ポッツォらの庇護を受けながら当時流行していた絵画様式のほか古典的表現手法を研究・会得。初期にはバロック様式的要素を感じさせる作品を手がけるも、同地でティツィアーノラファエロなどルネサンス期の巨匠らや、アンニーバレ・カラッチら同時代を代表する画家らに強い影響を受け、均整で知的(哲学的)な古典的様式を典拠とした独自の絵画様式を確立。1629年、フランス病と記録が残される性病にかかるも回復、下宿先の家主の娘と結婚。ローマで精力的に活動をおこなうも際立った大成はせず、1640年、当時のフランス宰相リシュリューの招きでパリへ帰国。フランスではシモン・ヴーエなど同時代の、後にフランスの保守的な王立絵画・彫刻アカデミー創立の中心的存在となる画家らと対立し、わずか2年で再びローマへ向かう。以後、古代・古典の時代考証や趣味・趣向を探求しながら自身の(知的)絵画様式を発展させることに尽力。プッサンの手がけた作品は、前ロココ美術期の王立絵画・彫刻アカデミーや、ジャック=ルイ・ダヴィッドジャン オーギュスト ドミニク・アングルなど新古典主義者たちの重要な規範となっただけではなく、後期印象派の画家ポール・セザンヌや20世紀芸術最大の巨人パブロ・ピカソなども魅了した。1665年ローマで死去。


Work figure (作品図)
Description of a work (作品の解説)
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聖エラスムスの殉教 (Le Martyre de Saint Erasme)1629年
320×186cm | 油彩・画布 | ヴァティカン宮美術館 絵画館

古典主義の大画家ニコラ・プッサン初期の代表作『聖エラスムスの殉教』。教皇庁の依頼によりサン・ピエトロ大聖堂祭壇画のひとつとして制作された本作は、元々イタリアバロック美術の巨匠ピエトロ・ダ・コルトーナに依頼予定であったが、同氏が聖秘蹟礼拝堂の祭壇画制作に携わることになった為、フランチェスコ・バルベリーニ枢機卿の後押しで、当時、新鋭の画家のひとりであったニコラ・プッサンが制作を請け負うこととなり、描かれた作品である。そのためピエトロ・ダ・コルトーナが≪聖エラスムスの殉教≫を描く為に構想し残した素描の構図の影響が本作には色濃く反映されている。本作に描かれる主題≪聖エラスムスの殉教≫とは、十四救難聖人のひとりで(初期キリスト教時代の)フォルミアエの司祭でもある聖エラスムスが、当時のローマ皇帝ディオクレティアヌスの迫害により、爪の指に錐を刺す、鉄板の上で焼かれる、煮油を浴びせられるなどの拷問を受けた後、腹を切り裂かれ巻轆轤(まきろくろ)、又は揚錨機(綱を巻き取る機械。ウィンドラスとも呼ばれる)で内臓を引きずり出され殉教したとされる伝説で、異教の神像を指差す僧や、躍動感に富んだ構図展開に、明らかなピエトロ・ダ・コルトーナによる素描からの引用・参考が認められるものの、明るく鮮やかな色彩や計算された色彩配置、正確な人体描写、深い陰影を用いない明瞭な光彩表現などに(おそらくは)ティツィアーノの作品から得た若きニコラ・プッサンの様式的独自性が示されている。

関連:ピエトロ・ダ・コルトーナによる素描『聖エラスムスの殉教』

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叙事詩人の霊感 (Inspiration du poète) 1630年前後
184×214cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

フランス古典主義の画家ニコラ・プッサン初期の代表作『叙事詩人の霊感』。本作に描かれるのは月桂樹の冠を被るアポロンが叙事詩人に霊感を与え、それを詩句として書き記す(記させる)姿で、その画題に画家がローマで強く影響を受けたラファエロの作品などルネサンスの巨人らに倣う人文主義的な古典様式の特徴が顕著に示されているのが大きな特徴である。本場面では、アポロンが叙事詩人に霊感を与える姿に加え、太陽神アポロンに付き従う諸芸術を司る九人の女神ミューズ(ムーサ)の中から最も賢明とされた叙事詩を司るカリオペと、月桂樹の冠を手にするプットーを二体配している。特にプットーの内の一体は栄光の証として月桂樹の冠を叙事詩人に被せようとしており、もう一体はアポロンとカリオペの間で冠と、詩人ホメロスの作とされる古代ギリシアの最も著名な叙事詩のひとつ≪オデュッセイア≫を手にしている。さらにその足元にはオデュッセイア同様、古代ギリシアの最も著名な叙事詩のひとつ≪イリアス≫と≪アエネイス≫が置かれている。堂々たるアポロンを中心に、右側にはアポロンから霊感を授かるという栄誉を与えられた叙事詩人を、左側には叙事詩を司るカリオペを並行的に配することで画面内に安定感と心地よいリズムを生み出している。

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アシドドのペスト(ペストに襲われるペリシテ人) 1630年頃
(Peste d'Azoth, dit aussi Philistins frappes de la peste.)
148×198cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

フランス古典主義の画家ニコラ・プッサンの代表作『アシドドのペスト(ペストに襲われるペリシテ人)』。本作は、旧約聖書サムエル記上第5章に記される、ペリシテ人がイスラエルの民の方舟から神の契約の櫃を盗み、異教の神ダゴンの像を神殿に置いたことから父なる神(ヤハウェ)の怒りを買い、異教の神像が砕かれ、アシドドの街が疫病(ペスト)に襲われる次々とペリシテ人が倒れたとされる≪アシドドのペスト≫を主題に描かれた作品で、遠近法を用いた建築描写が示される画家の最も初期の作品でもあり、ルネサンス期の建築家セルリオ著≪建築≫の中に描かれたギリシア悲劇の舞台の版画を参考にしたと推測されている。画面左端ではアシドドの異教の神ダゴンの像が砕かれ、ペリシテ人たちが父なる神ヤハウェの怒りを恐れている。前景ではペストに倒れるペリシテ人の母親や、その死体の傍らでは母親の乳を求め縋りつく幼子などが、残酷なまでの(生々しい)写実的感覚で描かれている。このプッサン初期の代表作かつ転換点となった本作は、画家が研究していたルネサンス期の巨匠ラファエロの失われた作品『プリュギアのペスト』に想を得ていたと考えられる。また各登場人物らの演劇的要素を含んだ人体・場面表現は注目すべき点のひとつである。なお本作は新古典主義の大画家ジャック=ルイ・ダヴィッド作『マルセイユのペスト』やロマン主義の巨匠ドラクロワ作『キオス島の虐殺』など後世の画家らの作品に直接的な影響を与えたことでも知られている。

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アポロとミューズたち(パルナッソス)
(Apollpn et les Muses (Parnasse)) 1631-1633年年頃
145×197cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)

フランス古典主義の巨匠ニコラ・プッサンが初期に手がけた代表作のひとつ『アポロとミューズたち(パルナッソス)』。本作に描かれる主題は、主神ユピテルとティタン(巨人)族レトとの間に生まれた双子の子供の中のひとり太陽神アポロン(もう一方は女神ディアナ=アルテミス)が司る音楽や叙事詩の聖地とされるギリシアの山≪パルナッソス(パルナッソスは音楽や弓、医術、予言を司るとされる太陽神アポロが祭られている)≫で、ルネサンス三大巨匠のひとりラファエロ・サンツィオがヴァティカン宮の≪署名の間≫に描いた有名な壁画『パルナッソス』に基づいた扇状の人物配置や構図や、ヴェネツィア派最大の巨匠ティツィアーノの影響を感じさせる輝きを帯びる光の表現や明瞭で豊かな色彩が大きな特徴である。また画家の友人であり、当時の著名なイタリアの詩人マリーノへの感謝や献辞が、山頂の太陽神アポロンから酒盃と月桂樹の冠を授けられる古代ギリシアの大詩人ホメロスの姿に込められていることも特筆の価する部分である。画面中央の裸体のニンフが横たわる泉は、太陽神アポロンの追跡から逃れるためにパルナッソスの泉に身を投げ命を落した≪カスタリアの泉≫で、詩的霊感が宿るとされるこの泉の周囲には諸芸術を司る9人のムーサや(知識を象徴する書物を手にする)学者、詩人などが配されている。なお制作年代については1626年から1635年頃の作とする説も唱えられている。

関連:ラファエロ・サンツィオ作 『パルナッソス』

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黄金の子牛の礼拝 (L'adoration du veau D'or) 1633-37年
154×214cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

フランス古典主義の画家ニコラ・プッサンの代表作『黄金の子牛の礼拝』。フランチェスコ・バルベリーニ枢機卿(1597-1679)の秘書で、自由思想家や古代ローマ史研究家として知られるカッシアーノ・ダル・ポッツォ(1588〜1656)の従兄アマデオ・ダル・ポッツォのために、現在ヴィクトリア国立美術館が所蔵する『紅海を渡るモーセ(紅海の渡海)』と共に対画として制作された本作に描かれるのは、旧約聖書出エジプト記32章に記される、モーセがシナイ山で神より十戒を授かっていた頃、シナイ山の麓の一行はモーセの帰りが遅いことで不安を募らせ、遂には兄弟のアロンに金の耳輪を溶かして、その金から黄金の子牛を造り、新たな神として崇め始めるものの、モーセが十戒を手にシナイ山の麓に戻り、一行が黄金の子牛を崇め堕落した姿を目撃すると怒りに震え、持ち帰った十戒を叩きつけて砕く場面≪黄金の子牛の礼拝≫で、成熟しつつある画家の卓越した表現が見事に示されている。イスラエルの人々が父なる神を捨て、偶像(黄金の子牛)を中心に一心に信仰している。一方で、画面左上部ではシナイ山から戻ってきたモーセが、人々のおこないを目撃し、怒りにまかせ、父なる神から授かった十戒の記される石板を地面に叩きつけようとしている。本作の空間構成において大々的に奉られた黄金の子牛とその台座は重要な基礎と規定を担っているほか、プッサンの作品に共通する安定的な人物の配置や構図は、本作にも顕著に示されている。

関連:対画 『紅海を渡るモーセ(紅海の渡海)』

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サビニの女たちの略奪
(Enlévement des Sabines) 1634-38年
154.6×209.9cm | 油彩・画布 | メトロポリタン美術館

17世紀フランス古典主義の大画家ニコラ・プッサン1630年代を代表する作品のひとつ『サビニの女たちの略奪』。本作の詳しい制作意図や目的は不明であるも、古くから多くの芸術の庇護者らに好まれ、ピエトロ・ダ・コルトーナを始め多くの画家が手がけるなど16〜17世紀では既に一般的であった主題のひとつ≪サビニの女たちの略奪≫を主題に描かれており、新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドも、このニコラ・プッサンが手がけた≪サビニの女たちの略奪≫を参考にして、同主題の作品を描いたことが知られている。本作の主題≪サビニの女たちの略奪≫は、古代ローマの歴史家ティトゥス=リウィウス著『ローマ建国史』などに記されるローマ建国の伝説から、ローマ市建設の時、女性が少なかった市の建設者ロムルスの発案により、サビニなど近隣の村人をローマの祭りへ誘い、未婚の女性を略奪したとされる逸話で、女性の略奪という官能性を含みつつ、躍動・力動に富んだ内容である為、バロック芸術では盛んに描かれた主題でもある。本作においてニコラ・プッサンの大きな特徴で、後のアカデミズム的絵画理論に多大な影響を与えた、略奪するローマ人らの強引かつ力強い身体の動きや、それを拒絶しながらも連れ去られるサビニの女性らの身振りなど登場人物の的確な描写による群集構図を用いた説明的な場面表現や構成が展開されており、この1630年代にはプッサンの古典様式的手法がある程度形成されていたことが本作に示されている。なお、ほぼ同年頃に手がけられたと推測される同主題の『サビニの女たちの略奪』がルーヴル美術館に所蔵されている。

関連:ルーヴル美術館所蔵 『サビニの女たちの略奪』
関連:ピエトロ・ダ・コルトーナ作 『サビニの女たちの略奪』

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マナの収集(砂漠でマナを集めるイスラエル人たち)
(La manne ou Les Israelites recueillant laManne dans le désert)
1637-39年 | 149×200cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館

旧約聖書出エジプト記より『マナの収集』を主題とした、古典主義の画家プッサンの代表作。エジプトから故郷へ逃れる旅の途中、荒野を進むモーセの一行(イスラエル民族)は酷い飢餓に襲われるが、神がマナと呼ばれる薄い鱗(うろこ)上の食物を天から降らし(天の恵み)人々を救った、その一場面を描いた。この≪マナ≫が神からの食物であることを示すように、エジプトに生まれたユダヤの指導者で立法者のモーセの指はは天の方向を指している。エジプトで窮状に陥っていたイスラエル民族はモーセ導きでエジプトを脱出し、40年の荒野放浪の後、約束の地カナンへ辿り付いた。また放浪の間、シナイ山でモーセが十戒を授かり、ヤハウェ(旧約聖書での神の名)とイスラエル人との「契約」を仲介したとされ、本作に示される登場人物らの的確な心理描写は後世の画家らの規範となった。

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エルサレム落城(皇帝ティトゥスによるエルサレムの神殿の崩壊) (Prise de Jérusalem) 1638年頃
147×198.5cm | 油彩・画布 | ウィーン美術史美術館

フランス古典主義の画家ニコラ・プッサン1630年代後半の代表作『エルサレム落城(皇帝ティトゥスによるエルサレムの神殿の崩壊)』。フランチェスコ・バルベリーニ枢機卿の依頼により制作されたと推測される本作は、古代イスラエルの著述家フラウィウス・ヨセフスによるユダヤ戦争の記録書≪ユダヤ戦記≫に記された、ローマ皇帝ウェスパシアヌスと共にエルサレムへ進軍した息子ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌ(第二代皇帝)が率いる軍隊によっておこなわれたエルサレムの占領と神殿の炎上(陥落)の場面を典拠に描かれた作品で、当時は既に一般的であった本主題に、群集構図と舞台的な演劇性が示されているのが大きな特徴である。≪エルサレム落城≫は、主イエスを磔刑に処したユダヤの民へ向けられた父なる神の怒りも同時に表されると解釈されており、当時のカトリックにおいても本主題は難色を示す主題ではなかった。現存するプッサンの原画に基づく版画により、本作以外にもプッサンが同主題を描いていたことが判明しているものの、本作で白馬に跨る雄雄しいティトゥスの表現や、ローマ兵によって捕らえられるユダヤの民の苦悶に満ちた表情、神殿付近でローマ兵に抵抗しながらも駆逐される民衆らの群集表現などは、特に秀逸の出来栄えを示している。また重質感に溢れた神殿の堅牢性や明瞭で鮮やかな色彩表現も本作の大きな見所のひとつである。なお本作はロマン主義の巨匠ドラクロワが手がけた作品『十字軍のコンスタンティノーブル入城』にも影響を与えたことが知られている。

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アルカディアの羊飼いたち(我アルカディアにもあり)
(Bergers d'Arcadie, dit aussi Et in Arcadia ego)
1638-40年頃 | 85×121cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館

フランス古典主義の巨匠ニコラ・プッサン随一の傑作『アルカディアの羊飼いたち(我アルカディアにもあり)』。当時よりフランス古典主義における規範的作品とされる本作の堅強で安定的な構図は、後に活躍する画家たちに多大なる影響を与えただけではなく、フランスアカデミーの方向性まで決定付けた。また本作は古代ギリシアの理想郷≪アルカディア≫を舞台に、ラテン語で「我、アルカディアにもあり(Et in Arcadia ego...)」と、死が理想郷にも存在していることを意味する一文が刻まれる石碑へ集まる羊飼い(牧童)を描いたものだとされているが、フランスのレンヌ・ル・シャトー村の近隣に同風景が実在している点、「我、アルカディアにもあり(Et in Arcadia ego...)」を並べ替えると「立ち去れ、私は神の秘密を隠した(I Tego Arcanadei)」と別の意味の文章が成立する点、シオン修道会という秘密結社がレンヌ・ル・シャトー村近隣に滞在していた点などから、同修道会が守るとされる神の秘密≪主イエスとマグダラのマリアの間に生まれたキリストの子孫≫との関連性が古くより推測されている。

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川から救われるモーセ (Moïse sauvé des eaux) 1638年
93×121cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

フランス古典主義の巨匠ニコラ・プッサンの代表的な作例のひとつ『川から救われるモーセ』。造園家ル・ノートルのコレクションに所蔵されていたことが知られており、制作年が1638年と明確である為、画家のこの頃の作品の基準作としてしばしば用いられている本作に描かれるのは、旧約聖書 出エジプト記 1-2章に記される、イスラエル人の人口が増加の一途を辿り、次第に脅威を感じるようになったファラオがイスラエル人の男児の赤子を殺すよう命令するも、モーセの母ヨケベドは、三ヶ月間隠し育てた我が子の身の危険を察して、産まれて間も無いモーセを葦舟に乗せてナイル川に流すと、ナイル川下流の水辺で水遊びをしていたファラオの王女が幼児モーセを発見し、モーセを王子として育てることを決意する場面≪川から救われるモーセ(モーセの発見)≫で、抑制的で静謐な場面表現による、安定的で知的な構図・構成は、プッサン独自の様式の典型をみせている。特に、幼子モーセを指差すファラオの王女の古代彫像を思わせるかのような均整と品位に溢れた記念像的な表現や、やや冷寒で鮮明な色彩、水平線上に配される登場人物、構成要素の特徴は本作の雰囲気や世界観をも決定付ける主要因であり、本作の注目すべき点のひとつでもある。なお画家は本作以外に少なくとも2点以上、同主題を手がけていることが判明しており、本作は、中でも古い年代に制作された作品と位置付けられている。

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エリエゼルとリベカ (Eliézer et Rébecca) 1648年
118×197cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

17世紀フランス古典主義最大の巨匠ニコラ・プッサン1640年代の代表作のひとつ『エリエゼルとリベカ』。ボローニャ派の巨匠グイド・レーニの『聖母マリアの少女時代(縫い物をする聖母)』に深い感銘を受け、同様に若娘を多数配した作品を望んだ画家の庇護者のひとり銀行家のジャン・ポワンテルが、プッサンへ依頼し制作されたと推測される本作の主題は、旧約聖書の創世記26-27章に記される、息子イサクの妻を捜すというアブラハムの命を受けて旅立ち、苦しい道中の末、到着したナホルの井戸端で下僕エリエゼルが、疲れを癒す水を与えてくれる女性に出会わせてほしいと神に祈ると、水を汲みに井戸を訪れていた多くの女性の中から、美しい娘であったリベカが水瓶から彼らとラクダに水を与え、下僕エリエゼルはリベカこそ神が選んだ女性であると確信する逸話≪エリエゼルとリベカ(井戸端のリベカ)≫で、レリーフ的な横長の画面構成の中で、婚姻の申し込みに立ち会う水汲みの娘らの複雑な心情と驚きの反応の素実かつ的確な表現は特筆に値する。本作で神の啓示であると確信した下僕エリエゼルは婚姻の証である宝飾をリベカに差し出す姿が、リベカは胸に手を当て貞淑にそれを受けとめる姿が描かれ、周囲へは主要人物よりやや後方に、他の水汲みの娘が多様な姿態によって情念を表しながら絶妙に配されている。この登場人物の大半が同一平行線上に描かれていることは、本作の安定的な構図を構成する上で重要な要素のひとつである。また明瞭で非常に豊かな多種色による表現や、画家の優れた絵画技量的特徴のひとつである堅実な古代的建築物によって構成された穏健で詩情的な風景描写も本作の大きな見所のひとつである。

関連:グイド・レーニ作 『聖母マリアの少女時代』

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ソロモンの審判 (Jugement de Salomon) 1649年
101×150cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

17世紀フランス古典主義最大の巨匠ニコラ・プッサン自らが「最もよく描けた」と述べたとされる代表作『ソロモンの審判』。本作に描かれる主題は、旧約聖書 列王記(上)3:17-28に記される同じ家に住む二人の娼婦がそれぞれ子供を産むが、ある夜、片方の娼婦が誤って子供を窒息死させてしまうと、もう片方の娼婦の子供を奪い自分の死した子供と取り替えてしまい、娼婦らの間に争いがおき彼女らが法廷に訴えると、生きている子供を剣で斬り半分づつ分けるよう命じた師士ダヴィデの末子で父と同様、師士に就いたソロモンが、片方の娼婦はそれに同意する姿を、もう片方の娼婦は子供を生かしてくれるよう懇願する姿を見て、本当の母親(懇願する娼婦)を見抜いたとされる逸話≪ソロモンの審判≫で、生きている子供を剣で斬り半分づつ分けるよう命ずる王ソロモンを中心に、ほぼ左右対称な構成要素の配置による均整的で古典主義的な構図が大きな特徴のひとつである。観る者に対して本場面を容易に理解できるよう、画面下部左側には、両手を大きく広げ今まさに我が子が切り裂かれるのを中止するよう懇願する母親の姿が、画面下部右側には死した子供を抱え、本物の母親を指差し声を荒らげながら醜悪な形相で糾弾する偽の母親が秩序正しく配されている。過度な装飾や場面表現を排し、場面に必要な要素のみを的確かつ明確に配する本作の計算された場面構成はフランス古典主義作品の傑作としても呼び声が高く、今なお人々を魅了し続けている。

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盲人を治すキリスト(エリコの盲人) (Christ guérissant les aveugles, dit aussi Aveugles de Jéricho)
1650年 | 119×176cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

古典主義の画家ニコラ・プッサンの代表作『盲人を治すキリスト(エリコの盲人)』。画家後期の作品である本作に描かれるのは新約聖書マタイ福音書 20:29-34に記される≪盲人の治癒(盲人を治すキリスト、エリコの盲人とも呼ばれる)≫の場面で、古典主義的な様式の中に示される各登場人物の的確な描写や練度の高い安定的な風景表現が大きな魅力である。本作の主題≪盲人の治癒≫はマタイ福音書の他、マルコ福音書、ルカ福音書などへ複数の逸話として記されているが、本作は中でも一般的に知られている、主イエスの一行が群衆を連れエリコの街を出発する時に道端で座っていた二人の盲人がイエスに向かい「主よ、我らを憐れんでください。目を開けて欲しいのです」と叫ぶと、それを黙らせようとした他の群衆を静止し、主イエスが二人の盲人の瞼に触れ、彼らの目を見えるようにしたされる話が描かれている。画面中央で主イエスが盲人の目に手を当て目を癒しており、その背後ではもう一人の盲人が群衆のひとりに片手で押さえられながらも助けを求めている。古典的で安定的ながら的確な主イエスや盲人らを始めとした各人物の仕草や場面描写は秀逸な出来栄えを示しているほか、背後に描かれる古代的情景を感じさせる構築的な風景表現も特筆に値する。

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キリストと姦淫の女 (Saint Jean baptisant le Christ)
1653年頃 | 122×195cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館

古典主義の大画家ニコラ・プッサンが手がけた宗教画の代表的作例のひとつ『キリストと姦淫の女』。本作に描かれるのは、新約聖書ヨハネ福音書 第8章1-11に記される、主イエスが説教をおこなう中、ファリサイ派の者や律法学者らが姦通の罪を犯した女をイエスの前に連れて行き、「モーセによる律法では姦通を犯した者は石打ちの刑(死刑)。この女はその罪人です。処罰は如何しましょう?」とイエスに訊ねると、主イエスは地面に字を書き終えた後、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、最初にこの女に石を投げなさい。」と述べ、ファリサイ派の者や律法学者らを退けさせた場面≪キリストと姦淫の女≫で、新約聖書中、最も有名な逸話のひとつである本場面を、画家の典型的な様式である古典様式を用いて的確に表現されている。本作の堅牢で幾何学的な建築空間はキュビズム(立体派)的な様相を呈し、20世紀には同世紀最大の画家パブロ・ピカソなどに多大な影響を与えたことでも知られているほか、安定的で秩序正しい演劇的な場面表現や節度ある人物の運動的動作描写など、宗教画としての精神性に満ちた表現も特筆に値する出来栄えである。なお、この姦淫の女はしばしば主イエスの足下で泣き己の涙で濡らした後、御足に接吻して香油を塗り、自らの髪でそれを拭ったとされる罪深き女や、マルタの妹でラザロの蘇生を目撃したマリア、悪霊憑きのマグダラの女など、所謂≪マグダラのマリア≫の逸話と混同されることが多い。

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サッピラの死(サフィラの死) (Mort de Saphira)
1654-56年頃 | 122×199cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館

フランス古典主義の画家ニコラ・プッサン1650年代を代表する作品のひとつ『サッピラの死(サフィラの死)』。本作に描かれる主題は新約聖書 使徒言行録 第五章7-11に記される、信仰や財産など全てを共有していた信者たちであったが、信者のひとりアナニアが妻サッピラ(サフィラ)と相談し、売った土地の代金を誤魔化して主イエスの使徒聖ペトロの足下へ置いたものの、使徒ペトロから「あなたは何故、悪魔に心を奪われ土地の代金を誤魔化したのか。あなたは人間を欺いたのではなく、聖霊を、神を欺いたのだ。」と指摘され、アナニアがその場に倒れ死した三時間後、アナニアの妻サッピラ(サフィラ)が現れ、使徒聖ペトロが「あなたは土地を(足下へ置いた)金額で売ったのか?」と問うたところ、サッピラが「はい、そのとおりです。」と夫アナニアと同じく欺いた為に使徒聖ペトロから「主の霊を試すとは何ということか。」と言葉を述べた後、夫同様その場に倒れ息絶えたとされる逸話≪サッピラの死(サフィラの死)≫である。本作同様、プッサンの1650年代の代表作である『キリストと姦淫の女』に通ずる、堅牢で幾何学的な建築空間や、古代風建築物の(遠近法的)構成は観る者の眼を奪うばかりでなく、本主題の厳格な信仰心への畏怖すらも感じさせる。本作はルネサンス三大巨匠のひとりラファエロ・サンツィオがシスティーナ礼拝堂の装飾タペスリーのために制作した同主題の下絵作品を意識して画家が手がけたと考えられており、その影響が随所に感じられる。画面右部分には使徒聖ペトロとその一行が一段高い場所に配され、使徒聖ペトロはアナニアの妻サッピラ(サフィラ)を指差し欺きを指摘ており、画面中央やや左寄り部分には指摘を受け息絶えたサッピラと、それを驚きながらも駆け寄る他の信者たちが描かれている。このように舞台的な場面の中で、各登場人物の役割を仕草や動作、姿態で明確に描写し適切に表現するプッサンの絵画様式は後のフランス美術において多大な影響を与えた。

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エジプトへの逃避途上の休息
(Repos pendant la fuite en Egypte) 1657年
154×214cm | 油彩・画布 | エルミタージュ美術館

フランス古典主義の画家ニコラ・プッサン1650年代の代表作『エジプトへの逃避途上の休息』。本作に描かれるのは、新約聖書に記される、神の子イエスの降誕を知り、己の地位が脅かされることを恐れたユダヤの王ヘロデがベツレヘムに生まれた新生児の全てを殺害するために放った兵士から逃れるため、エジプトへと逃避した聖母マリアと幼子イエス、マリアの夫の聖ヨセフの姿≪エジプトへの逃避途上の休息≫で、約50点ほど確認されている新約聖書からの主題作品の中でも、代表的な作例のひとつとして知られている。背景の描写は当時(1630年頃)、ローマ近郊のパレストリーナ寺院で発見された古代エジプトの風俗が描かれたモザイク画の構図・構成をそのまま使用している。これは本作を描く際、ニコラ・プッサンがこのモザイク画から時代考証をおこなっていたことを示すものであり、画家の飽くなき探究心と規範的絵画制作の表れでもある。また本作の表現においても、聖母子を中心とし、聖ヨセフや聖母らに水や食物を捧げる現地の人々をその周囲に配するなど非常に安定的で秩序的な構図を用いているほか、明瞭で鮮やかな色彩や静謐で穏やかな場面構成など、本作には画家の特色がよく示されている。

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Work figure (作品図)

◆聖大ヤコブの前に現れる柱の聖母
1624年頃 | 油彩・画布 | 129×95cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆ヨシュアとアマレク人の戦い(アマレク人に勝利するヨシュア)
1625-26年頃 | 油彩・画布 | 129×95cm | エルミタージュ美術館

◆ファエトンに凱旋車を与えるアポロン(サトゥルヌスと四季と共にいるヘリオスとファエトン)
1627-1630年頃 | 油彩・画布 | 122×153cm | ベルリン国立美術館

◆ディアナとエンデュミオン
1627年頃 | 油彩・画布 | 122×153cm | デトロイト美術研究所

◆フローラの勝利
1627-28年頃 | 油彩・画布 | 165×241cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆リュートを弾く女性のいるバッカレーナ(アンドロスの人々)
1627-28年頃 | 油彩・画布 | 121×175cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆ゲルマニクスの死
1628年 | 油彩・画布 | 148×198cm | ミネアポリス美術研究所

◆十字架降下
1630年頃 | 油彩・画布 | 119.5×99cm | エルミタージュ美術館

◆羊飼いの礼拝
1631-33年 | 油彩・画布 | 98×74cm | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

◆ダヴィデの勝利
1630年頃 | 油彩・画布 | 100×130cm | プラド美術館(マドリッド)

◆境界標の前のバッコス祭
1631-33年 | 油彩・画布 | 100×142cm | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

◆ネプトゥヌスの勝利(アンフィトリテの勝利)
1633-37年 | 油彩・画布 | 114.5×146.5cm | フィラデルフィア美術館

◆キリストの洗礼(七つの秘跡より)
1638-39年 | 油彩・画布 | 95.5×121cm | ワシントン・ナショナル・ギャラリー

◆説教する聖ヨハネ
1640年代 | 油彩・画布 | 159.5×221.5cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆聖マタイのいる風景
1643-44年 | 油彩・画布 | 99×135cm | ベルリン国立美術館

◆パトモス島の聖ヨハネのいる風景
1643-44年 | 油彩・画布 | 102×133cm | シカゴ美術研究所

◆蛇のいる風景(恐怖の効果)
1648年 | 油彩・画布 | 119×198.5cm | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

◆ディオゲネスのいる風景(鉢を投げ捨てるディオゲネス)
1648年頃 | 油彩・画布 | 159.5×221.5cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆オルフェウスとエウリュディケのいる風景
1649-51年頃 | 油彩・画布 | 120×200cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆風景の中の聖家族
1650年頃 | 油彩・画布 | 94×222cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆自画像
1650年 | 油彩・画布 | 98×74cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆アハシュエロス王の前のエステル
1655年頃 | 油彩・画布 | 119×155cm | エルミタージュ美術館

◆四季≪春(地上の楽園)≫
1660-64年 | 油彩・画布 | 117×160cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆四季≪夏(ルツとボアズ)≫
1660-64年 | 油彩・画布 | 119×160cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆四季≪秋(カナンの葡萄、又は約束の地)≫
1660-64年 | 油彩・画布 | 117×160cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆四季≪冬(大洪水)≫
1660-64年 | 油彩・画布 | 118×160cm | ルーヴル美術館(パリ)

◆ダフネに恋するアポロ(アポロンとダフネ)
1664年 | 油彩・画布 | 155×200cm | ルーヴル美術館(パリ)
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