Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ジャック=ルイ・ダヴィッド Jacques-Louis David
1748-1825 | フランス | 新古典主義




18世紀フランス新古典主義最大の巨匠。厳格で理知的な構図・構成と非常に高度な写実的描写、そして運動性の少ない安定的場面展開などを用いた絵画を制作しフランス絵画界における新古典主義の確立者となる。また静謐で説明的な光彩表現や当時としては最先端の考古学に基づいた細部の描写、歴史的主題における英雄的性格なども同主義の典型として位置付けた。1748年、パリで生まれるも幼少期に両親を失い、叔父に育てられる。幼い頃から絵画に類稀な才能を示し、当時最も高名な画家のひとりであったフランソワ・ブーシェに学ぶことを望むものの叶わず、ジョゼフ=マリー・ヴィアンの許で修行をおこなう(※そのため初期の作品にはブーシェの影響を見出すことができる)。数回失敗するものの、1774年に念願のローマ賞を受賞し、1775年から1780年まで渡伊。ローマでルネサンス芸術を学ぶと共に、画家が生まれた1748年に発掘されたポンペイの古代遺跡の研究に沸く同地で、古代芸術こそ万人に共通する絶対的な≪理想美≫に最も近しいものとの意識を明確に抱き、以後、古典に基づいた作品を手がける。その後、一度フランスへと戻るが、1783年から1784年まで再びローマを訪れ、同地で大作『ホラティウス兄弟の誓い』を制作、新古典主義を宣言するに至った。また1789年に起こったフランス革命ではジャコバン派として政治的手腕も発揮し、革命を題材にした作品も制作するものの指導者ロベスピエール失脚後には逮捕され1794年9月から12月までの大凡4ヶ月間、リュクサンブール宮殿に拘留されるという憂き目にも遭う。その後、フランス第一帝政時代にはナポレオンに認められ首席画家として、フランス画壇に大きな影響力を持つようになるものの、ナポレオン失墜後はベルギー(ブリュッセル)に亡命し、そこで生涯を終えた。享年77歳。またダヴィッドは大規模な工房を構え、アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオソン(トリオゾン)フランソワ・ジェラールアントワーヌ=ジャン・グロ、そしてアングルなど後の新古典主義を担う若い弟子を数多く育てた。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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施しを受けるベリサリウス


(Bélisaire demandant l'aumône) 1781年
288×312cm | 油彩・画布 | リール美術館

フランス新古典主義最大の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッド初期の重要作『施しを受けるベリサリウス』。王立絵画・彫刻アカデミー準会員の推薦作品としても知られる本作は、東ローマ帝国ユスティニアヌス1世に使えた将軍≪ベリサリウス≫が晩年、言われなき謀反の罪によって盲目の物乞いに失墜したという伝承を主題とした作品である。将軍ベリサリウスはササン朝ペルシア帝国やヴァンダル王国、東ゴート王国などの戦闘で活躍した民衆も支持する名将で、ユスティニアヌス1世に深い忠誠心を抱いていたものの、民衆の人気に嫉妬したユスティニアヌス帝から幾度と冷遇された史実が残されており、本作の主題の基となった伝承もそこから発生したと考えられている。本作に描かれるベリサリウスは眼をくり抜かれ腕に幼い子供を抱きながら老いた身体で、若い婦人からの施しを受けている。その貧相な姿と様子は名将として名を馳せた将軍の姿には程遠く、婦人の後ろでは全盛期のベリサリウスの名将としての活躍を耳にしているであろう東ローマ帝国の兵士が驚愕の仕草を示している。極めて精緻で堅牢な構図展開と高度な写実的描写、抑制的で実直な色彩表現など本作にはダヴィッドの新古典主義様式の始点が示されており、画家の作品の中でも特に重要視される。

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ヘクトールの死を嘆くアンドロマケ


(Andromache Mourning Hector) 1783年
275×203cm | 油彩・画布 | パリ国立高等美術学校

フランス新古典主義の大家ジャック=ルイ・ダヴィッド初期の神話画作品『ヘクトールの死を嘆くアンドロマケ』。画家随一の傑作『ホラティウス兄弟の誓い』とほぼ同時期に制作された作品であり、王立絵画・彫刻アカデミー正式会員の入会資格を得る為の審査作品のひとつとして制作された本作は、古代ギリシアの吟遊詩人ホメロスを代表する長編叙事詩イリアスに登場する同時代のトロイアの英雄≪ヘクトール≫の戦死を嘆き悲しむ妻≪アンドロマケ≫を主題とした作品である。画面中央の(当時の考古学に基づいた)浮彫装飾が施される寝台(ベッド)へ寝かせられたトロイアの英雄ヘクトールの遺骸は頭部に勝利を象徴する月桂樹の冠を被されながら、まるで眠るかのように静かに横たわらされており、その印象は悲惨というより英雄に相応しい高貴さを感じられる。頭部側の傍らには身に着けていたであろう豪奢な兜と剣が配され、さらに足元側の傍らでは理想的希望と現実的死の謳う詩が寝台の装飾として施されているのを確認することができる。そして画面のほぼ中央へは夫ヘクトールの戦死を嘆くアンドロマケが右手を夫ヘクトールの方へ差し向けながらその悲しみを表している。さらにヘクトールとアンドロマケの間に生まれた子供アステュアナクスが戸惑いと悲しみの表情を浮かべながら母に寄り添う仕草をみせているが、瞳の奥底には父ヘクトールの死を受け入れ乗り越えんとするかのような力強い意思を感じることができる。構図的には古典主義の画家ニコラ・プッサンなどの作品から着想を得られていることが指摘されている本作の英雄ヘクトールの堂々とした気品高い死の姿と妻アンドロマケの悲劇的感情性の対比は秀逸の出来栄えであり、表現手法的にもこの頃のダヴィッドが新古典主義様式を確立するに十分な実力があることが明確に示されている。

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アルフォンス・ルロワの肖像

 1783年頃
(Portrait de médecin Alphonse Leroy)
73×93cm | 油彩・画布 | ファーブル美術館(モンペリエ)

フランス新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドの代表的な肖像画作品のひとつ『アルフォンス・ルロワの肖像』。おそらくは同時期に制作された『ヘクトールの死を嘆くアンドロマケ』と共に同年のサロン(官展)へ出品された作品であると考えられている本作は、同時代の高名な医師(産婦人科医)で、ダヴィットの妻が出産した際の主治医でもあった≪アルフォンス・ルロワ≫氏をモデルとした肖像画である。画面中央に配される医師ルロワは、筆記具を手に自身の学術的論点をしたためる最中、ふとこちらに顔を向けた様子で描写されており、赤い部屋着を羽織り学問に没頭していたのであろうその仕草には非常に自然で私的な雰囲気が伝わってくる。また自然的でありながら医師ルロワの生命力を感じさせる視線と頬を紅潮させた真面目な表情には、対象の啓蒙主義者としての思慮深い性格と内面的傾向をよく捉えている。さらに医師ルロワの左肘(画面手前)の下に置かれた、古代ギリシアの医師で、医学会では医聖、医学の父と称されるヒポクラテスの婦人病に関する医学書や、画面左端に描かれる当時発明されたばかりのオイルランプは、目立ちすぎることなく対象の医学者としての勤勉さと(当時としての)近代性を演出することに成功している。また描写手法に注目しても、画家の肖像画表現の特徴である、茶褐色で対象を包み込むような背景描写における色調と明暗の絶妙な階調処理(※この処理は対象の存在を強調する効果も生み出している)や、鷹揚的ながら質感や動きの特徴を見事に捉えた衣服の皺の描写には、肖像画においても類稀な画才を発揮するダヴィッドの画家としての真価が示されている。

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ペクール夫人の肖像


(Portrait de Geneviève-Jaquerine Pécoul) 1784年
81×64cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

フランス新古典主義の最大の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッド初期を代表する肖像画作品のひとつ『ペクール夫人の肖像』。本作は画家の義母(妻の母)である≪ペクール夫人≫をモデルに制作された肖像画作品で、対の作品としての夫シャルル=ピエール・ペクールの肖像もほぼ同時期に制作された。ダヴィッドは本作を手がける2年前の1782年の春頃に裕福な王室(宮廷)の建築請負業者であったシャルル=ピエール・ペクール氏の娘と結婚しており、本作はその縁で制作されたと考えられている。画面中央へ配されるペクール夫人は品の良い木製の机に肘を突きながら優雅な振る舞いを見せている。視線はあえて自然的な表情をペクール夫人へ与えるかのように画面左側へと向けられており、その姿には対象の人間性までもが映し出されているかのようである。この優美なる画家の義母ペクール夫人の半身肖像画において特に注目すべきは若きダヴィッドの卓越した描写力にある。本作でペクール夫人は首元などをレースで、また胸元や帽子を大きな朱色のリボンで装飾する紫桃色の艶やかなドレスを身に着けており、その金属的な質感とレース部分の柔らかな質感の対比や、古典的な厳しい色彩表現には眼を見張るものがある。さらにそれらは徹底した写実的描写によって、より強調されている。特にレース部分の細密な描写や、ややハイライトの強い顔面部分の迫力を感じさせる現実味に溢れた描写には、画家の類稀な画才を感じることができる。なおフランス革命時、ダヴィッドは熱心なジャコバン派(革命派)であり、当時のフランス国王ルイ16世の処刑に賛成した為、王党派であったペクール家と疎遠になり、一時的にではあるが妻とも離別している。

関連:対画 『シャルル=ピエール・ペクールの肖像』

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ホラティウス兄弟の誓い


(Serment des Horaces) 1784年
330×425cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

新古典主義の偉大なる巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドによる同主義の宣言的傑作『ホラティウス兄弟の誓い』。画家が1783年から翌1784年までの間、自身二度目の滞在となったローマで制作された本作は、古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスによる著書≪ローマ建国史≫中に記されるほか、17世紀を代表するフランスの劇作家ピエール・コルネイユが悲劇として創作した≪ホラティウス≫を主題とする作品である。本作に描かれるのは、古代ローマとそれに敵対する都市アルバとの争いの中の逸話で、両都市の争いはローマ側からホラティウス兄弟が、アルバ側からはクリアティウス兄弟が代表として戦い決着をつけることが決まったものの、ホラティウス兄弟の中のひとりはクリアティウス兄弟の妹と、クリアティウス兄弟の中のひとりはホラティウス兄弟の妹と婚約しており、主人公であるホラティウス兄弟が自身らに降り注いだ過酷な運命を受け入れ勇敢に立ち向かうという場面であり、画面中央の父から戦わず己の死を選択か、戦い勝利を手にするかを迫られ、各々が抱き合いながら剣へと手を伸ばす愛国的精神や英雄的象徴性は、当時のフランスの社会的情勢(※フランスでは数年後に王政が崩壊し共和的政治が誕生する)や思想的展開とも密接に関わっている。さらに画面右側に描き込まれる兄たちの決意に涙するホラティウス兄弟の妹や母の姿が本作の悲劇性とヒロイズムを強調している。また本作の表現そのものに注視しても、古典主義の巨匠ニコラ・プッサンに倣う、躍動感を排除し、直線的で単純な構成と明確な輪郭線による堅牢で力強い表現や、(当時としては最新の)考古学に基づいた理知的な場面描写、静謐で深い精神性を感じさせる落ち着いた色彩や光彩計画などは、新古典主義の象徴的存在に相応しい堂々たる出来栄えであり、現在も新古典主義の絵画的宣言として西洋絵画史に燦然と輝いているのである。

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ソクラテスの死

 (Mort de Socrate)1787年
129.5×196.2cm | 油彩・画布 | メトロポリタン美術館

新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドによる古代的主題の代表的作例のひとつ『ソクラテスの死』。当時の美術愛好家トリュデーヌ・ド・ラ・サブリエールの依頼により1787年に制作され、同年のサロン出品時には大きな反響を呼んだ本作は、古代ギリシアにおける最も著名な哲学者のひとり≪ソクラテス≫が異神信仰を広め人々を堕落させたとの告発により、自身で弁明を試みるものの有罪は覆らず服毒自殺を命じられ、最後には毒人参の杯に口をつけ自ら命を絶ったとされる、弟子プラトンが綴った対話集などに記される有名な逸話≪ソクラテスの死≫を主題とした作品である。画面中央には弟子や牢番などソクラテスの支持者に囲まれながら魂の不滅についての演説を終え、今まさに毒杯を手にせんとするソクラテスが配されており、その天を指差す姿態は、宗教画における救世主の到来と悔悛を促す姿を容易に連想させる(※例:レオナルド・ダ・ヴィンチ作『洗礼者聖ヨハネ』)。また画面左側には目頭を押さえ悔し涙を隠しつつソクラテスへ毒杯を手渡す牢番と、ソクラテスに背を向け瞑想するプラトンが前景に配され、後景にはソクラテス自身が送り出したとされる縁者が部屋を出てゆく姿が描き込まれている。また画面右側には死を目の前にして冷静なソクラテスとは対照的に感情のままに師との別れを悲しむクリトンなど弟子らの姿が配されている。本作の主題選定に関しては様々に意見が出されているも、現在では当時の指導者らが犯していた不正に対する批判的精神が込められていると解釈される傾向にある。また逃亡し生き長らえるよりも、理想と信念のための崇高な死を選択したソクラテスの姿には、後のフランス古典主義における英雄的表現への展開の側面を見出すことができる。

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パリスとヘレネの恋


(Amours de Pâris et Hélène) 1788年
147×180cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドの典型的な新古典主義様式作品のひとつ『パリスとヘレネの恋』。1788年にアルトワ伯シャルル=フィリップの依頼により制作され、翌1789年(フランス革命の年)のサロンへも出品された本作は、最高女神ユノ、美の女神ウェヌス(ヴィーナス)、戦争の女神ミネルヴァの3人の女神の中で最も美しい者を選定する大役に任命された逸話≪パリスの審判≫でも著名な、トロイア王の息子であった羊飼いパリスが、美の女神ウェヌスを選んだ褒賞としてスパルタ王の娘で絶世の美女として名高いヘレネを妻として授かる≪パリスとヘレネ≫を主題とした神話的歴史画作品である(※このパリスとヘレネの引き合いがトロイア戦争の発端となった)。画面中央に配される竪琴を手にしたパリスは己の方へと引き寄せるようにヘレネの左腕を掴み、ヘレネは頬を赤く染め恥じらいを示しつつ、パリスに身を任せるような仕草を示している。両者の姿態や位置関係は「人」の一文字のように計算された対称性を示しており二人の精神的な深い結びつきは基より、画面中へ磐石たる安定性を生み出している。さらにパリスとヘレネの背後の寝台や緑色の布が掛けられた装飾壁、その奥に建てられる4本の女人柱像(カリアティード)などが垂直性と平面性を強調し堅牢な画面を構成させている。またパリスとヘレネの身に着ける衣服では朱色と青色による色彩的対比を示しており、またパリスの帽子とヘレネの衣服では色彩的同系を用いるなど、色彩描写においても観る者の理解度を高めさせている理知的な表現が施されている。

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ブルートゥス邸に息子たちの遺骸を運ぶ刑吏たち


(Licteurs rapportent a Brutus les corps de ses fils) 1789年
323×422cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

18世紀後半に始まったフランス激動の時代を生きた新古典主義の大画家ジャック=ルイ・ダヴィッドの代表的な歴史画作品の傑作『ブルートゥス邸に息子たちの遺骸を運ぶ刑吏たち』。1789年のサロン出品作でもある本作は、古代の共和制ローマ(紀元前509年-紀元前27年)における初代執政官であり、王政ローマ期の最後となる第7代、そして傲慢王とも呼称された独裁的な王タルクィニウス・スペルブスを同国から追放した、古代ローマの共和制樹立の最も重要な設立者のひとり≪ルキウス・ユニウス・ブルートゥス≫を主題とした歴史画作品である。「阿呆」を意味するブルートゥスの名からも理解できるよう、周囲の者からは極めて軽視されていた存在であったルキウスであるが、その本質は「極めて冷酷で厳しく、かつ教養高い」と伝えられている。本作は密かに王政復活を企んでいたルキウスの息子たちに対して自らが処刑宣告をおこない、その息子たちの遺骸がルキウスの屋敷に運ばれてくる場面を描いた作品で、ルキウスの厳格で冷酷な一面が良く表れている。画面左上には処刑され鮮血がまだ足に付いたルキウスの息子らの遺体が担架に乗せられながら、玄関からルキウス邸へ運ばれてきており、画面右側では息子らの母や妻(又は姉妹)らがその死を嘆き悲しんでいる。そして画面最前景となる画面左下には自ら息子らに処刑宣告を下したルキウスの厳しい表情を浮かべながら椅子に座っている姿が配されている。本作の息子らの遺骸を乗せた担架や母らの背後にあるカーテン、そして石柱などで強調された画面へ安定感をもたらす水平性と垂直性、明快で理知的な構図、静動の明確な対比(静:ルキウスや死体となった息子ら、動:感情を露にする母など女性ら)などは新古典主義様式の典型的な特徴であり、本作にはそれらが良く示されている。

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マラーの死

 (Mort de Marat) 1793年
165×128cm | 油彩・画布 | ベルギー王立美術館

新古典主義最大の画家ジャック=ルイ・ダヴィッドによる歴史画の傑作『マラーの死』。本作は18世紀に起きたフランス革命において指導者的立場で同革命を推進したジャコバン派の政治家(革命家)≪ジャン=ポール・マラー≫が、対立するジロンド派の美しき擁護者シャルロット・コルデ(コルディ)に暗殺された場面を描いた作品で、当時の最高権力機関である国民公会の依頼により制作された。ダヴィッドの良き友人でもあった革命の指導者マラーは新聞≪人民の友≫を刊行し当時の執政を激しく攻撃するなど特に下層階級層から絶大な支持を集めていたものの、1790年代初頭に持病の皮膚病が酷く悪化したことが伝えられている。本場面は1793年7月13日にマラーが皮膚病の治療と緩和のために硫黄風呂へ浸かっていた時、「伝えねばならない重要な情報がある」との理由で近づいてきたシャルロット・コルデに刺殺された光景を描いた作品であるが、画面中央で浴槽の中で力なく倒れるマラーは、同じく槍に刺されて死した受難者イエスの如く、神々しい姿である。またその姿には古代の悲劇的情景にも通じる≪革命の英雄≫的印象を観る者に与えることに成功している。マラーの左手にはシャルロット・コルデが持参したのであろう「私の大きな不幸は、貴方の善意に訴える権利を私に与える」と記された血液付きの嘆願書が握られており、浴槽からだらりと下がった右手には報道者としての側面を示す羽根ペンが持たされている。さらにペンの左側にはマラーを刺殺した際に使用したと考えられるナイフが1本落ちており、本作の劇的な緊張感を盛り上げる効果を発揮している。また画面最前景へ配されるペンとインク壷が置かれた木箱の側部には「マラーへ、ダヴィッド、2年」と記されており、本作にはダヴィットの亡き友人に対する哀悼の意が明確に示されている。

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自画像

 (Autoportrait) 1794年
81×64cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

18世紀フランス新古典主義の最大巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッド作『自画像』。本作はフランス革命時、急進的な改革を思想としていたジャコバン派の熱心な一員であったダヴィッドが、同党の強硬路線の主要者マクシミリアン・ロベスピエール失脚後に逮捕され、1794年9月から12月までの大凡4ヶ月間、リュクサンブール宮殿に拘留(幽閉)されていた時に制作された、画家本人を自ら描いた自画像作品である。画面中央に描かれるダヴィッド自身は眉を上げ鋭い眼光で観る者と対峙し、その口元は固く閉ざされている。その表情からはリュクサンブール宮殿に拘留される自身の鬱屈した精神性の反映を明確に見出すことができる。さらに椅子に座りながらやや斜めに構えられた姿態は荒々しい筆触で描写されており、ここにも画家の攻撃的な一面が感じられる。しかし本作で注目すべき点は左手に持つ絵筆と右手の調色板の存在にある。自らが置かれる不遇の立場を理解し、そこにある種の苛立ちや精神的閉塞、抑圧などを感じながらも理想美を追求する画家としての自己が明確に示される本作には、ダヴィッドの揺ぎ無い信念を感じずにはいられない。また本作にはダヴィッド自身は低く位置付けていた肖像画というジャンルにおける(だからこそ)、対象の内面まで的確に捉える鋭い観察眼と優れた写実性の高度な融合が示されている。

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リュクサンブール庭園の眺め


(Vue présumée du jardin de Luxembourg) 1794年
55×65cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

新古典主義の偉大なる巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドによる唯一の風景画作品『リュクサンブール庭園の眺め』。本作は熱心なジャコバン党員であったダヴィッドが同党の中心人物マクシミリアン・ロベスピエールの失脚後に逮捕され1794年9月から12月までの大凡4ヶ月間、リュクサンブール宮殿に拘留(幽閉)されていた時に、同宮殿から眺めた情景を描いた風景画作品である。画面下部には近景として垣で囲まれた空間が広がっており、描かれる幾人らの人物の様子からも整備中であることが窺い知れる。画面の2/3を占める平坦的で簡素な印象は、そこから垣を隔てて中〜遠景へと続くリュクサンブールの秩序的な森林や街の景観と見事な対比を示しており、さらには画面上部の雲がかった空の様子と共鳴している。中景として描かれるリュクサンブールの森林は(おそらくは拘留されて間もない9〜10月頃の)秋特有の紅葉が斜陽に輝き、観る者へ憧憬的でありながら閑寂とした印象を与えさせている。この情景の印象はリュクサンブール宮殿へ拘留されたダヴィッド自身の心象そのものであるとも理解することができる。また本作は風景画としての構成に注目しても画家の豊かな才能を見出すことができる。近景と中景は垣によって明確に区分されているが、その水平性は古典主義的な安定性を画面内へもたらし、さらに画面左部に描かれる垣と垂直に交わる小道や、真っ直ぐに伸びる森林の木々は構図的安定性を際立たせる効果を発揮している。

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サビニの女たち

 (Sabines) 1796-1799年
385×522cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

新古典主義における最も重要な画家のひとりジャック=ルイ・ダヴィッドの典型的な歴史画作品『サビニの女たち』。古代ローマの歴史家ティトゥス=リウィウス著『ローマ建国史』などに記されている、ローマ人によって未婚の女性を略奪されたサビニの男たちが、女を奪い返そうとローマ市内へ攻め入るものの、既にローマ人と結ばれていた≪サビニの女≫らが争いを仲裁する場面を描いた作品である(※ローマ市建設の時、女性が少なかった市の建設者ロムルスの発案により、サビニなど近隣の村人をローマの祭りへ誘い、未婚の女性を略奪したとされる)。最前景では画面中央よりやや右側へ手にする槍を振りかざしながらローマ人を攻撃しようとする勇猛なサビニの男の姿が、画面最左側には仰け反りながら左手に持つ盾で攻撃を防ごうとするローマ人が配されており、両者の間(画面中央よりやや左側)には彼らの争いを身体を張って必死に仲裁するサビニの女の姿が描き込まれている。前景から中景にかけてはローマ人とサビニ人の争いの場面が群集構図と幾多の長槍によって描写されており、観る者にこの戦いの激しさを伝えることに成功している。そして遠景へは古代ローマの建築物が当時の史学に基づきながら描かれている。本作で最も注目すべき点は水平的に配された登場人物の典型的な古典主義的構図と、容易く主題内容を理解することのできる説明的な場面表現にある。極めて高度な写実的描写を用い古代の彫刻のように理想化された肉体にて表される登場人物は、いずれも初見で明確にその立場や関係性を理解することができるような姿態で描写されており、さらにその傾向は各人物の配置にまで及んでいる。この非常に理知的で形式美的な表現こそ新古典主義の典型であり、本作ではその新古典主義の思想までもを強く感じることができる。

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レカミエ夫人の肖像


(Portrait de Juliette Récamier) 1800年
174×224cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドによる肖像画の代表的作例のひとつ『レカミエ夫人の肖像』。本作は30歳以上も歳の離れた裕福な銀行家ジャック・レカミエの妻であり、当時の社交界で最も有名な女性のひとりでもあった美しき夫人≪ジュリエット・レカミエ≫の全身像を描いた肖像画作品である。ダヴィッドがあまりに多忙であった為に制作が遅れ、結局未完成のまま画家の手元に生涯残されたとする説が有力視(※肖像画はダヴィッドの弟子フランソワ・ジェラールへと再依頼されている)される本作では、画面中央に長椅子(ベッド)へ背を向けながら横たわりつつ、振り返るレカミエ夫人が当時流行していた古代回顧・古代趣味的なギリシア風の衣服を身に着けた姿で描かれている。ダヴィッドの大きな特徴である非常に緻密な写実的描写により、幾多の文芸者や政治家、そして時の権力者ナポレオン・ボナパルトをも魅了したとされるレカミエ夫人の美しい顔立ちや艶かしい姿態など(夫人)の特徴が客観的な視点でよく描き込まれている。全体的には細部や背景の処理など前記したように未完成である為、絵画としての完成度は、画家の完成作品と比較することはできないものの、本作には未完であるが故の、観る者を惹きつける魅力が備わっている。なお作中の夫人が靴を脱がされた状態で描かれていること(※靴を履いていない描写は貞操の喪失を暗喩する。レカミエ夫人は数多くの恋愛遍歴でも有名であった)にジュリエット・レカミエが大きく失望した為に制作が中断されたとする説も唱えられている。

関連:フランソワ・ジェラール作 『レカミエ夫人の肖像』

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サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト


(Bonaparte franchissant les Alpes au Grand Saint Bernard) 1801年
260×221cm | 油彩・画布 | マルメゾン国立美術館

新古典主義の偉大なる巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドが手がけた肖像画の代表的作品『サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト』。本作はイタリア獲得を目指したフランス軍が1800年にアルプスを越え同国北部へ進軍する際の≪ナポレオン・ボナパルト≫の姿を描いた作品で、ダヴィッドは生涯中、数多くのナポレオンの肖像画を手がけているが、本作はその中で最も有名な作品として広く知られている。画面中央へ配される愛馬マレンゴに跨るナポレオンは悪天候による強風で衣服が靡く中、右手を掲げ、兵士たちを鼓舞しながら、当時としては極めて非常識的であったアルプス越えの作戦を勇猛果敢に指揮している。その姿はフランスの英雄としての姿そのものであり、今日でも我々が抱くナポレオンのイメージとして第一に挙げられる。しかし、実際にサン・ベルナール峠越えをおこなった際は、ポール・ドラロッシュによって後年制作された『アルプスを越えるボナパルト』でも分かるよう、天候にも恵まれる中、防寒具に身を包み山道(悪路)に強いロバに乗ってアルプスを越えたことが明らかとなっており、本作には≪英雄≫としてのナポレオン像を示すというプロパガンダ(政治的な意図や宣伝目的)の側面が色濃く反映されている。さらに本作を制作する際、ダヴィッドはナポレオンにポーズを要求するものの「肖像は似ているかどうかが問題なのではなく、その人物の偉大さが伝わればよい」と拒否され、仕方なく代わりに息子(又は弟子)にポーズを取らせ制作されたとの逸話が残されている。新古典主義表現の第一人者として知られているダヴィッドではあるが、本作の躍動感に溢れた馬の描写やドラマチックな場面表現は新古典主義と対極に位置するロマン主義的な印象も強く、その意味においても本作のフランス絵画史における意義は特筆に値するものである。

関連:ポール・ドラロッシュ作『アルプスを越えるボナパルト』

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皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式


(Couronnement de l'Emoereur et de l'Imperatrice)
1805-1807年 | 629×926cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館

フランス新古典主義時代最大のダヴィッドの傑作『皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式』。629×926cmとルーヴル美術館でも最大級の大きさとなる本作は、1804年12月2日に行なわれたナポレオンの戴冠式を描いたもの。ヴェルサイユ宮王立美術館にレプリカがある。本場面は実際の式の様子より脚色され描かれている。当初の構図では皇帝ナポレオンが自身で戴冠する姿で描かれる予定であったが、ダヴィッドが皇帝は自身にではなく妻ジョゼフィーヌに戴冠する姿に、半ば強制的に出席させられた教皇は、両手を膝の上に置くのではなく、皇帝の正当性、ローマ教皇が祝福し賛同していることを表現する為に、聖母マリアの受胎を祝福する天使のポーズと同じ手の仕草に変更された。これによって皇帝ナポレオンが、皇帝より権威のある教皇に背を向け、妻ジョゼフィーヌに戴冠することで、画家は絵の中の主人公が誰であるかを明確した。このように実際より、さらに劇的に変更され描かれた本作の出来の素晴らしさを皇帝ナポレオンは賞賛したと伝えられている。なお本来ならばもう少し年配であったジョゼフィーヌは、美しさと初々しさを演出するために、ダヴィッドの娘をモデルにし描かれたとされている。

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鷲の軍旗の授与(シャン・ド・マルスにおける軍旗授与)


(Distribution des Aigles au Champ-de-Mars) 1808-1810年
610×970cm | 油彩・画布 | ヴェルサイユ宮国立美術館

フランス新古典主義の随一の大画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが手がけた生涯の中でも最大級の大作『鷲の軍旗の授与(シャン・ド・マルスにおける軍旗授与)』。1808年から1810年と2年もの歳月をかけて制作された本作は、皇帝に即位した戴冠式の3日後となる1804年12月5日に、幼きナポレオンが通っていた士官学校のあった地でもあるパリ市内シャン・ド・マルスの広場(公園)で、フランス軍108の連隊及び国家警備隊へ、勝利、ひいては皇帝ナポレオン自身を象徴する鷲(ワシ)の旗章の入った軍旗(※ローマ帝国軍の模倣とされる)を提示・授与した≪鷲の軍旗の授与≫という歴史上の一場面を(大幅に脚色を加えつつ)主題とした歴史画作品で、画家の最高傑作と名高い『皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式』に続くナポレオンの栄光を描いた2番目の作品としても知られている。画面左側へは自身の戴冠式と同衣服を身に着けた皇帝ナポレオンが王の象徴たる黄金の杖を片手に画面右側のフランス軍兵士を指差し、鷲の軍旗を授与する姿が描かれている。そして画面右側には軍旗を授与され熱狂に酔いしれるフランス軍兵士たちが三色旗と黄金の鷲がついた槍を皇帝に向かい掲げながら愛国心と忠誠心を示している。本作のあまりにも出来過ぎた場面描写や、フランス軍の永遠の勝利を約束する神の啓示にも似た本情景には、ある種のプロパガンダ(思想誘導の為の宣伝)を感じずにはいられないものの、全体主義的なスケール感の大きい構成や細部の卓越した描写などには一見の価値を見出すことができる。なおパリのルーヴル美術館には本作の素描習作が残されている。

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サッフォーとファオン(サッポーとパオン)


(Sapho, Phaon et Amour) 1809年
225×260cm | 油彩・画布 | エルミタージュ美術館

新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッド後期の代表的な歴史主題作品『サッフォーとファオン(サッポーとパオン)』。ロシアの外交官であり裕福な美術愛好家であったユソポフの為に1809年に制作された本作は、紀元前7世紀頃に活躍したとされる古代ギリシャ出身の伝説的女流詩人であり、恋愛を主題とした詩風から一時期は退廃的・異教的とも非難された≪サッフォー≫が恋人ファオンに抱かれる姿を描いた作品である。画面中央に描かれる詩人サッフォーは豪奢な椅子に深く腰掛けているが、その姿は彼女が心を奪われていた若く美しい青年ファオンに抱かれ、両腕を上げ竪琴を奏でながら、まるで半分気を失うかのように恍惚的な表情を浮かべている。サッフォーを抱く青年ファオンは彼女の詩の一節「神のごとく現れた」を示すかのように極めて端整で魅惑的な笑みを浮かべながら観る者へと視線を向けている。さらに画面左側へはサッフォーの恋の炎を燃え上がらせたのであろう、少年の姿をしたローマ神話の愛の神キューピッド(クピド又はアモルとも呼ばれる。ギリシア神話のエロスと同一視される)が悪戯な表情を浮かべながらやや大きめのハープをサッフォーの前に差し出している。本作の過度に強調された説明的な場面表現や、理想美を追求した結果であろう人工性が際立つサッフォーの肌質を始めとする構成要素の描写には賛否両論の評価が下されているものの、大胆でありながら先進的な色彩の表現や構成、あたかも16世紀イタリアの画家コレッジョを連想させる独特の官能的表現と雰囲気描写にはダヴィッドの新たな絵画展開を見出すことができる。

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テルモピュライのレオニダス


(Léonidas aux Thermopyles) 1799-1803年,1813-14年
395×531cm | 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

18世紀フランス新古典主義の最大の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドによる歴史がの大作『テルモピュライのレオニダス』。1799年から構想が開始され制作に着手されるものの、大まかに完成された1803年に一度放置され、約10年近く経過した1813年から再び手をつけられ翌1814年に現在の形で完成された本作は、古代スパルタの王≪レオニダス1世≫が少人数にもかかわらず、アケメネス朝ペルシア王≪クセルクセス1世≫の大軍をテルモピュライ(現ギリシア中東部)で堅守したペルシア戦争の有名な争い≪テルモピュライの戦い≫を主題とした歴史画で、ダヴィッドの絵画の中でも『皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式』に次ぐ巨大な作品としても知られている。画面中央に配される古代スパルタ王レオニダス1世は右手に剣、左手に盾を持ちクセルクセス1世率いるペルシア軍を堂々たる姿で待ち受けている。レオニダス1世の背後には王と同様、ペルシア軍の進軍に備える屈強なスパルタの戦士らが描き込まれているが、弓を掲げ兵を鼓舞する者、木に登り喇叭を吹く者、岸壁に文字を記す者、勝利の冠を捧げる者などその姿は様々である。古代ギリシアの偉大なる歴史家ヘロドトスが残した歴史書によって伝えられるテルモピュライの戦いを主題とした本作であるが、制作が一時中断されたこともあり、全体構成や人物の配置や姿態にやや思想的散逸が認められるものの、細部の徹底した写実的描写や個々の肉体的表現、輝くような色彩表現には動乱期にあってなお色褪せない画家の豊かな才能を感じることができる。

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書斎のナポレオン・ボナパルト


(Portrait de Napoléon dans son cabinet de travail)
1812年 | 205×125cm | 油彩・画布
ワシントン・ナショナル・ギャラリー

18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍したフランス新古典主義最大の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドの代表的な肖像画作品『書斎のナポレオン・ボナパルト』。英国人アレクサンドル・ダグラスの依頼により、スコットランドのハミルトン城食堂の装飾肖像画として制作された本作は、19世紀初頭の軍人兼政治家で、フランス第一帝政期の皇帝としてあまりにも有名な≪ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)≫が書斎に立つ姿を描いた全身肖像画作品である。ナポレオン43歳の時の肖像画でもある本作では、同氏は皇帝に即位し8年が経過しており、ダヴィッドが皇帝に即位する前の英雄ナポレオンを描いた名高き作品『サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト』の雄々しく凛々しい姿と比較すると本作のナポレオンには明確な豊頬と肥満を見出すことができる。しかしながら皇帝の姿にはその位に相応しい貫禄と風格も同時に感じることができる。また画面中央に配されるナポレオンは左足をやや下げた独特の立ち姿で描かれており、緊張と弛緩が絶妙にせめぎ合う立ち振る舞いには観る者を惹きつけるある種の魅力が備わっている。このナポレオンの本質的な姿を、ダヴィッドは写実的描写を用いて厳格で単純な垂直を強調する造形の中に見事、描き出している点は特筆に値するものである。また画面中へ配される豪華な椅子や柱時計などの家具は全て、前時代を象徴するロココ様式とは明確に異なる、当時一世を風靡したナポレオン様式(帝政様式)であり、それらの造形美が人物の内面性と見事に呼応している点も注目点として挙げられる。

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アペレスとカンパスペ

 1813-1816年
(Apelle peignant Campaspe devant Alexandre)
96×154cm | 油彩・画布 | リール美術館

18世紀後半から19世紀前半期まで活躍したフランス新古典主義最大の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッド68歳の時の作品『アペレスとカンパスペ』。本作は1世紀北イタリアの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)が遺した書物≪博物誌≫に典拠とした、古代ギリシアの偉大なる画家アペレスとアレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)、そしてその愛妾(情婦)カンパスペ(キャンパスピ)に纏わる伝説的な逸話を主題とした作品である。ルネサンス期に当時発明された活版印刷によって普及し、後世の科学者や文芸者に多大な影響を与えた≪博物誌≫中で語られる本主題は、アレクサンドロス大王の愛妾カンパスペを描く(又はデッサンする)画家アペレスが彼女を愛してしまい、アレクサンドロス大王もアペレスが自身より深くカンパスペを理解していることを悟り、描きあがったカンパスペの絵を受け取る換わりに、代償としてカンパスペをアペレスへ与えたという内容で、本作では裸体のカンパスペをデッサンする画家アペレスと、それを背後から見て全てを悟るアレクサンドロス大王の場面が秩序正しく安定的な古典様式にて描き込まれている。画面右側に寝台の上で柔らかくその身をくねらせるカンパスペが美しい裸婦の姿で配され、それと対称性を保つかのように画面右側へは男性の象徴たる裸体のアレクサンドロス大王とデッサンするアペレスが配されている。そして画面中央には左右の描かれる要素(男女)を明確に分け示しつつ双方の場面的連続性を繋ぎ合わせる巨大な画布(カンバス)が存在的に配されている。

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キューピッドとプシュケ

 (Amour et Psyché) 1817年
184×242cm | 油彩・画布 | クリーグランド美術館

フランス新古典主義最大の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッド晩年期を代表する神話主題作品のひとつ『キューピッドとプシュケ』。フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが失脚し、王党派の国政復帰に端を発したブリュッセル亡命の翌年に、事業で成功を収めたイタリアの裕福な美術収集家ソマリヴァ伯爵の依頼によって制作された本作は、帝政ローマ時代の小説家アプレイウスの著書≪変容(黄金のロバ)≫に記される≪愛の神キューピッド(ギリシア神話におけるエロスと同一視される)≫と地上界における絶世の美女≪王女プシュケ≫の寓話を主題とした作品である。本主題≪キューピッドとプシュケ≫は、見てはならないキューピッドの姿を目撃してしまった王女プシュケが、女神ウェヌス(ギリシア神話におけるアプロディーテと同一視される)の様々な試練を経て、開封を固く禁じられていた美の箱を開けてしまったプシュケがその中に閉じ込められていた永遠の眠り(冥府の眠り)に捕らわれ深い眠りにつくものの、エロスの献身的な愛と主神ユピテル(ギリシア神話におけるゼウスと同一視される)の仲裁を経て、再び結ばれるという逸話であり、本作の画面中央へ配されるベッドの上へは永遠の眠りに誘われる王女プシュケと傍らに寄り添う愛の神キューピッドの姿が官能性豊かな裸体の姿で描き込まれている。さらに両者の頭上には一匹の蝶が配されており、番でないことから愛(すなわちプシュケ)の欠落を暗示させている。高度な写実的を用いたやや堅く作為性を感じさせる対象(本作ではキューピッド)や姿態の表現と安定感の際立つ構図にはダヴィッド後期の様式美がよく示されている。

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ヴィーナスと三美神に武器を取り上げられるマルス


(Mars désarmé par Venus et les Grâces) 1822-24年
308×262cm | 油彩・画布 | ブリュッセル王立美術館

18世紀フランス新古典主義の最大の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドによる歴史がの大作『ヴィーナスと三美神に武器を取り上げられるマルス』。皇帝ナポレオンの失墜によりフランス第一帝政時代の終焉し、王党派の復権に深く失望したダヴィッドが亡命したブリュッセル(ベルギー)の地で制作された本作は、凶暴で思慮に欠ける性格から神々の間でも距離を置かれていた軍神マルスが、愛と美と豊穣の女神であり、火と鍛冶の神ウルカヌスの妻としても知られるヴィーナス(ギリシア神話のアフロディーテと同一視される)から愛されたことで、己の武装を解除してしまうという神話≪ヴィーナスとマルス≫を主題とした作品である。ダヴィッドの作品中、神話を主題とした最後の大作としても知られる本作では、画面中央に観る者へ背を向けながら横たわる美の女神ヴィーナスが軍神マルスへ愛の象徴たる薔薇の冠を掲げており、軍神マルスは己の弓や盾、兜、そして剣などを三美神へと預けている。ヴィーナスとマルスの後方に配される三美神の中で真ん中に配される女神は黄金の杯へぶどう酒を注ぎ、マルスへ差し出すような仕草を示し、また画面下部では愛の神アモル(キューピッド)が軍神の甲懸(こうがけ。足の甲を保護する履物)を脱がせる姿が描き込まれている。極めて写実的ながら動きが少なく、水平が強調される堅牢で安定的な画面構成や主題展開はダヴィッドが確立した新古典主義の典型を明確に見出すことができ、やや形式的・様式的な美の側面が強く感じられるものの、画家の衰えぬ絵画への態度が明確に示されている。

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