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ポール・セリュジエ(ポール・セリジェ) Paul Sérusier
1864-1927 | フランス | 後期印象派・ナビ派(ポン・タヴェン派)
ナビ派の創始者のひとりであり、同派を代表する画家。鮮やかな原色を使用した色面のみによる平面的画面構成と、抽象性の高い単純化された形象表現で絵画を展開。特に画家が1888年に制作した『
護符(タリスマン)』はナビ派の起源・象徴となる作品として同派の作品の中でも最も重要視されている。また画家の作品には宗教的かつ神秘的な側面が強く感じられることも大きな特徴のひとつである。1864年にパリで生まれ、1885-86年からアカデミー・ジュリアンに入り、そこで
モーリス・ドニ、
ピエール・ボナール、
エドゥアール・ヴュイヤール、
フェリックス・ヴァロットンなど後にナビ派を形成する画家らと知り合う。1888年、既存の絵画表現に限界を感じ、(新たな絵画表現を求めて)フランス北西部ブルターニュ地方の小村ポン・タヴェンに赴く。同地で新たな絵画表現の指導者として若い画家らに名が知られていた
ポール・ゴーギャンと
エミール・ベルナール、そして両者によって考案された≪総合主義(サンテティスム)≫に出会い、強く感銘を受ける。同年、
ゴーギャンの指導を受けながら代表作『
護符(タリスマン)』を制作。その革新的な表現は仲間たちから熱烈に歓迎され、翌1889年、セリュジエ同様、
ポール・ゴーギャンを慕い称賛する(指導を受ける)ためにポン・タヴェンに集った画家仲間(ポン・タヴェン派)を母体として、若き画家たちによる前衛的な芸術一派≪ナビ派≫を結成(ナビはヘブライ語で預言者を意味する)。その後、
エミール・ベルナールや
モーリス・ドニらと度々イタリアへ旅行しながら、同派の作品展や前衛演劇の装飾などを手がけるも、1900年にはブルターニュの風景や様子を表現することを止め、宗教的・神秘的要素の強い作品表現へと傾倒してゆく。晩年期となる1914年からはブルターニュ地方に引き篭って隠遁生活を送り、1927年モルレで死去。なおポール・セリュジエは
モーリス・ドニと共にナビ派の絵画表現理論の中核であり、1921年には色彩とその調和に関する理論書「絵画のABC」を出版している。