Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
■ 

ポール・シニャック Paul Signac
1863-1935 | フランス | 新印象派




夭折したジョルジュ・スーラ亡き後の新印象主義を担った、同主義の中でも特に重要な画家。スーラに強い感銘を受け、厳密厳格な色彩分割を用いた点描表現による作品を制作。スーラの強力な追随者・擁護者として注目されるが、次第にその厳格性を緩和させ、装飾性が顕著な斑点模様が特徴的な独自の様式へと発展させてゆく。画題は風景画やブルジョワ階級層の人々を描いた人物画が殆どであるが、静物画なども手がけているほか、画業の後半になると水彩描写も多用するようになった。また画家がスーラの死後に著した理論書『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』は新印象主義の分割技法の発展に大きな役割を果たした。1863年にパリで馬具職人の家に生まれ、幼少期は建築家を志すも、画業の当初はクロード・モネギヨマンの影響を受け、印象派的な絵画を制作し始める。1884年、ジョルジュ・スーラと出会い、同氏に共感して独立派(独立芸術家協会)を設立。1886年、第八回印象派展に参加。スーラ、シニャックなど新印象主義者の同展への参加は、後に印象派の画家たちの分裂を招くことになった。またこの頃からブリュッセルの芸術家たちとも親交を持つようになる。スーラが死した1891年以降は理論書『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで(1899年出版)』を著すなど同主義の発展・展開に尽力するほか、1908年にはアンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)の会長も務めた。1935年、出生地であるパリで死去。シニャックの著書『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』はフォーヴィスム、キュビズム、象徴主義など後の芸術家たちに影響を与えた。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
■ 

朝食

 (Petit déjeuner) 1886-87年
89×115cm | 油彩・画布 | クレラー=ミュラー国立美術館

新印象主義の最も重要な画家のひとりであるポール・シニャックが1880年代に手がけた人物画の代表作『朝食』。1887年に開催されたアンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)への出品作であるほか、よく1888年の「二十人会」展へも出品された本作は、画家の母と祖父をモデルに、ブルジョワ階級層(富裕層)の朝食風景を描いた作品である。画面前景右端で真横からの視点で描かれる初老の男(モデルは画家の祖父)は、朝の柔らかな光を前半身に浴びながら、ゆったりと一服を楽しんでいる。また画面奥でカップを手にしショコラ(又はコーヒー)を飲む婦人(モデルは画家の母)は窓から射し込む陽光に背を向けた位置に座るため、その表情は陰に隠れ曖昧に見える。新印象派(科学理論に基づいた点描主義)の創始者であるジョルジュ・スーラ存命中のシニャックの画風の大きな特徴である細かな点描による密度の高い厳格な対象表現は、ブルジョワジーの優雅な朝の情景を見事に捉えており、観る者に彼らの幸福なひと時を共有させる。また補色的に使用される青い色彩による陰影表現には、スーラの、そしてスーラと共に画家が陶酔した色彩理論の影響を強く感じさせるほか、本作の装飾的な各要素の表現や、やや奇抜的な構図・空間は日本の浮世絵などの空間構成に通じるものがあり、そこからの影響も指摘されている。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

七色に彩られた尺度と角度、色調と色相のリズミカルな背景のフェリックス・フェネオンの肖像

 (Portrait de Félix Fénéon sur l'émail d'un fond rythmique de mesures et d'angles, de tons et de teintes) 1890年
73.5×92.5cm | 油彩・画布 | ニューヨーク近代美術館

新印象派を代表する画家ポール・シニャック随一の傑作『七色に彩られた尺度と角度、色調と色相のリズミカルな背景のフェリックス・フェネオンの肖像』。1891年のアンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)、翌年の二十人展への出品作としても知られている本作は、新印象主義の命名者兼擁護者であり、象徴派の雑誌「ルヴェ・アンデパンダント」の編集長でもあった世紀末の批評家≪フェリックス・フェネオンの肖像≫の類稀なる肖像画で、本作では当時シニャックと仕事上で協力関係にあり、ジョルジュ・スーラなども強く傾倒していた科学者シャルル・アンリの色彩理論が実践されている。シニャックは角度と尺度を正確に計測し、シャルル・アンリの独自的な色彩理論と融合させることによって画面の調和的形態が表現できると確証しており、本作を「社会的にも極めて重要」と位置付け、並々ならぬ意欲を持って取り組んでいる。画家自身が構想段階で、モデルとなったフェリックス・フェネオン氏へ送った手紙では「角張るリズミカルな姿態、帽子、もしくは花を手にして登場する装飾的なあなた(フェリックス・フェネオン氏)の肖像です。この作品では補色関係にある二つの意図的な色相の背景と、貴方が身に着ける衣服とが互いに調和し合うのです。」と本作を解説している。本作では確かに、この頃のシニャックが用いていた細かな点描によって繊細に色彩が配置された横向きのフェリックス・フェネオンが、シクラメンの花を一輪、右手の指先でつまみ、左手にはシルクハットと杖らしき棒を手にして立っている。そして同氏が身に着ける山吹色の衣服は、手紙の中で述べられているよう、奇抜で非常に斬新な背景の色彩と見事に調和している。この背景の図像的表現は、当時シニャックが所持していた日本の布地(又は浮世絵)からの引用・借用が指摘されている。時代的背景、新印象主義様式の形成・発展の考証という点からも、本作は新印象主義作品の中でも特に重要視される作品のひとつである。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

井戸端の女たち(井戸端のプロヴァンス嬢)


(Femmes au puits) 1892年
194.8×130.7cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

新印象主義の最も重要な画家のひとり、ポール・シニャックを代表する作品『井戸端の女たち(井戸端のプロヴァンス嬢)』。新印象派の創始者であるジョルジュ・スーラが夭折した1891年の翌年に制作された、本作に描かれるのは、シニャックが数多く手がけた画題のひとつである海景の中、井戸で水を汲む女性たちである。現実の風景ではありえない理想郷(空想)的な世界観によって描写される本作の最も特徴的な、明瞭かつ軽快でありながら、複雑に、そして厳格に分割された色彩の豊潤な美しさは観る者の目を強く惹きつけるだけでなく、(当時としては)表現としての真新しさを顕著に感じさせる。その点では本作は、スーラへの尊敬と、氏が提唱した新しい表現手法≪点描表現≫への賛辞の念が込められたオマージュ的(又はある種のリスペクト的)な作品とも考えられる。画面中央では井戸の周りで水を汲む二人の女性が対称的に配され、その遠景には帰路に着く女性がひとり、両手に水瓶を持って丘を登っていく。この画面の大部分を支配している井戸や丘など大地の山吹色と対照的色彩で配置されるのは、画面最前景の草地(と女性らが手にしている水瓶)の緑色と、画面左部分の海景の青色である。双方ともアクセント的な鮮やかさで画面内へ効果的に配されているが、特に海景の陽光や灯台の光を反射した輝くような光の粒の表現は特に秀逸の出来栄えである。また最遠景の微かに望むことができる山々の繊細な色彩表現や、高度が上がるにつれ青々と色彩が変化してゆく空の美しさも本作の大きな見所である。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

赤い浮標

 (Femmes au puits) 1895年
81×65cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

新印象主義の画家ポール・シニャックの代表的作品のひとつ『赤い浮標』。制作された翌年となる1896年に開催された自由美学展に出品された本作に描かれるのは、フランス南部プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の保養地サン=トロペの小さな港の風景である。サン=トロペは画家が1892年に初来訪して以来、魅了され続けた地であり、本作では海に反射する港の表現への取り組みが示されている(これは画家がつけていた日記にも記されている)。特に画面中央部の建物の反射の表現部分の、規律正しく配置されたかのように心地よいリズムで垂直に並ぶ色彩は、陽光の生み出した光の効果や、明瞭な光輝性、さらに強まる色度によって絶妙な調和に満ちているほか、大きな青色と橙色の塊を交互に配することによって陽光の反射を表現した画面左下部分は、本作の名称ともなった≪赤い浮標≫に劣らないほどの存在感を示している。また、ジョルジュ・スーラが活躍していた頃は元より、画家の数年前の作品と比較してもさらに巨大になった斑点による点描も、その印象をより強めている。本作に見られる非現実的ながら美しさと心象に溢れた展開は、スーラが提唱し、画家が決定的に影響を受けた科学的根拠(色彩学)に基づいた新しい描写理論から、それ以前のクロード・モネギヨマンの典型的な印象主義的描写法への(ある種の)回帰とも考えられる(実際、シニャックは1894年に記した自身の日記の中でモネの感覚的な色彩配置を賞賛している)。なお本作以外にも『サン=トロペの港、満艦飾の帆船』などサン=トロペの港を描いた作品が数点ある。

関連:フォン・デア・ヘイト美術館所蔵 『サン=トロペの港』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

ヴェネツィア、大運河の入り口


(Venice, entrée du Grand Canal) 1905年
73.5×92cm | 油彩・画布 | トリド美術館(オハイオ州)

新印象派の画家ポール・シニャック後期の代表的作品のひとつ『ヴェネツィア、大運河の入り口』。本作は画家が滞在したヴェネツィアの風景を描いた作品で、新印象主義(点描主義)の創始者ジョルジュ・スーラの死後(1891年以後)、急速にスーラの影響から逸脱していったシニャックの独自的な絵画展開が本作には顕著に示されている。シニャックは本作を手がける数年前にロンドンへと渡り、シニャック自ら「彼の作品は何にも束縛されず、自由に、色彩のための色彩を創造し、それを描かなければならないことを証明している。最も優れた色彩家は、最も創造する者であるのだ。」と語るほど、同地のロマン主義の風景画家ウィリアム・ターナーの色彩表現に強い刺激を受けたことが知られており、本作の幻想的にすら感じられる鮮やかな色彩は、明らかに画家が過去(スーラの生前)崇拝、傾倒していた色彩理論に基づくものではなく、ターナーの作品から学んだ独自の色彩的展開に他ならない。特に遠景の大聖堂や大運河沿いの街並みの、心象的でありながら色彩固有の美しさも感じられる点描表現は、スーラの生前におけるシニャックの作品には見られない独自性であり、特に注目すべき部分である。またそれとは対称的に、強い色調で描かれる近景のゴンドラや漕ぎ手、搭乗客、彩色パリーナ(ゴンドラを岸に繋げるための杭)は、本作を観る者に対して、明確な存在感を示している。なお本作以外に、画家がヴェネツィアの風景を描いた作品としては『緑の帆船、ヴェネツィア』などが知られている。

関連:オルセー美術館所蔵 『緑の帆船、ヴェネツィア』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

Work figure (作品図)


Salvastyle.com 自己紹介 サイトマップ リンク メール
About us Site map Links Contact us

homeInformationCollectionDataCommunication
Collectionコレクション