Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ジョルジュ・スーラ Georges Seurat
1859-1891 | フランス | 新印象派




新印象派の創始者であり、点描表現を用い、新たな表現様式を確立した画家。印象主義的技法≪筆触分割≫の中にミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール著「色彩の同時対照の法則」やオグデン・ルード著「近代色彩論」に代表される光彩理論(光とは異なり、固形顔料による色彩混合は明度を増すはことなく、むしろ暗くなる等)や視覚理論を取り入れ、色彩の分解と再配置による(印象主義の)発展的な様式を展開。この斬新な新様式は批評家フェリクス・フェネオンによって≪新印象派(新印象主義)≫と命名され、これが定着するがスーラ自身は≪光彩主義≫と呼称していた。新印象派の最も重要な要素のひとつは、印象主義的表現の限界を示した点にある。この新印象主義の台頭はエドガー・ドガクロード・モネルノワールなど印象派の画家らの分裂の危機を招いた。1859年、パリの農家の一家に生まれ、少年期に写生レッスンや美術館での模写をおこない、1878年にパリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学。同校で新古典主義の大家アングルの弟子であるアンリ・レーマンからアカデミックな様式を学ぶ一方、ロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワやバルビゾン派の画家ジャン=バティスト・カミーユ・コローなど色彩主義的な画家や、当時台頭してきたカミーユ・ピサロなど印象派の画家らに惹かれ、それらの作品を独自に研究(後にピサロはスーラと出会い、一時的ではあるが新印象派的技法を取り入れた)。1883年にサロン入選。翌1884年のサロンには落選するも、新印象派の重要な画家ポール・シニャックと出会い独立派を設立。その後、光彩理論や色彩論、視覚理論に基づく科学的な絵画制作に没頭し、光と色彩の調和や形態による構図の(平面的)均衡を追求した大作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』は1886年の第八回印象派展に出品され大きな話題を呼んだ。1891年、ジフテリア(急性感染症の一種)により32歳で死去。1880年代初頭から没する1891年までの10年弱の間に数多くの作品(油彩画は約200点)を制作し、20世紀の画家らに多大な影響を与えた。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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アニエールの水浴


(Baignade, Asnières) 1883-1884年※1887年に加筆
201×301.5cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

新印象派の創始者ジョルジュ・スーラが新印象主義的な技法で制作した最初の代表作かつ記念碑的な傑作『アニエールの水浴』。本作に描かれるのは、本作はパリ北西、セーヌ河沿いにあるアニエールの風景(画面右部分には画家随一の代表作の舞台『グランド・ジャット島』も見える)と、そこで水浴や日光浴などをおこない余暇を楽しむ人々で、統一感のある豊かで柔らかな色彩、遠近法を用いた風景表現、明確な輪郭による堅牢で記念碑的な人物描写でありながらも、全体としては単純化された、静寂感漂う情景表現は、不思議な存在感を感じさせる。遠景(画面奥)にはアニエールより西にあるクリシーの工場が。各登場人物や風景など構成要素を素描や習作などで各々別々に制作した後、それらを形態的・色彩的に入念に再構築・再構成して完成させられた本作は、『グランド・ジャット島の日曜日の午後』とは異なり、技法的な展開が統一されていないのが最も大きな特徴である。画面中央の男に代表される主要人物の表現には、やや筆触を抑えた表面の滑らかな(アカデミック的技法に通じる)描写が用いられ、セーヌ河水面の描写や草々が生える陸地の表現には、印象主義的な技法が顕著に示されている。さらに水面と陸地の描写にも差異が明確であり、前者は典型的な印象主義的技法で描写されるのに対し、後者は斜めの筆致も認められるよう、より画家の独自的描写手法が用いられている。なおスーラは本作を制作するにあたり数多くの習作(油彩で約10点)や素描(15点)を手がけており、シカゴ美術館には最終的な習作とされる『アニエールの水浴』が所蔵されている。

関連:シカゴ美術館所蔵 習作『アニエールの水浴』

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グランド・ジャット島の日曜日の午後

 1884-1886年
(Un demanche après-midi á l'île de la Grande Jatte)
205.7×305.8cm | 油彩・画布 | シカゴ美術研究所

新印象派の創始者であり、点描表現における第一人者でもあるジョルジュ・スーラ最大の代表作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』。本作は本来1885年のアンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会)に出品される予定で1884年から制作に着手された作品であるが、同展の開催が中止となり、変更と修正を加えた後、最後の印象派展となった1886年の第八回印象派展に出品され、大きな反響を呼んだ。さらに本作は1889年以降に画布から枠を外し、赤色と青色による点描による縁が加筆されたことが知られている。本作はパリ北西、セーヌ河の中央にある細長い島≪グランド・ジャット島≫で人々が夏の余暇を過ごす情景を描いた作品で、本作がそれまでの印象派の作品と最も異なるのは、点描表現による自然風景の描写にある。印象派の作品は偶然性を利用した躍動感と超自然的な(直感的)色彩に満ちているが、スーラが本作で示した「色彩の同時対照の法則(ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール著)」や「近代色彩論(オグデン・ルード著)」など科学的理論に基づく新印象派的様式とその表現は、理論的な色彩配置による美しく秩序的な光と自然に則した的確な色彩を獲得しており、その何れも非常に効果的な役割を果たしている。しかし同時に新印象派的様式は、印象主義独自の豊かな躍動性や内面的心象の表現を喪失しており、どこか真面目で静謐な雰囲気や平面性が強調される(ある種の)没個性的な表現に陥っていることは注目すべき点である。本作は印象派的な様式で描写された画面に、さらに点描を加えたかたちで制作されており、ひとつひとつの色彩の点は一定の距離を境に、隣り合う点が互いに混ざり合い、ひとつの別の色彩と面として眼に映るという科学的な近代的色彩論が実践された本作は、それまでに誰も見たことのない色彩の美しさと、圧倒的な斬新性によって観る者に衝撃を与えた。なお画家は本作を制作するにあたり数多くの習作や素描を手がけており、メトロポリタン美術館には最終的な習作とされる『グランド・ジャット島の日曜日の午後』が所蔵されている。

関連:習作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』

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ポーズする女たち

 (Les poseuses) 1886-1888年
200×250cm | 油彩・画布 | バーンズ財団美術館(メリオン)

新印象派の創始者ジョルジュ・スーラが手がけた最も重要な裸婦画作品『ポーズする女たち』。本作は長い間、所蔵先であるバーンズ財団の意向によりカラー写真が公開されず、その研究が進展していなかったものの、1994年に開催された初の大規模なバーンズ・コレクション展によって公衆の面前に出され、その重要性や画家の野心的展開が注目された作品としても知られている。本作は画家が1884-1886年に手がけた代表作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』が置かれるアトリエ(室内)の中で三人の裸婦モデルが様々なポーズをとる姿を描いた作品であるが、この裸婦という画題とその意味の解釈については古典的主題≪三美神≫とする説、『グランド・ジャット島の日曜日の午後』の公開で批評家から指摘された「点描手法は裸婦表現には向かない」という意見に対する反論的展開とする説、エドゥアール・マネ作『草上の昼食』のように、現実の風景の中へ裸婦を配することによる古典(現代性)への挑戦とする説など諸説唱えられている。また『グランド・ジャット島〜』の手前で日傘を差す(富裕層、又は娼婦と考えられる)女性と、本作の職業モデルである裸婦との関連性も指摘されており、女性の労働自体が非ブルジョワと見なされていた当時のブルジョワ(と社会)に対する皮肉的アプローチとの見解も示されている。本作の各部分・箇所により密度と色の混合率を微妙に変化させ配置していった、光学理論的点描手法や色彩の豊かさは見事の一言であるものの、石膏地塗の画布という素材による色彩の変色が顕著であり、現在、当時の色彩の輝きは失われている。なおパリのオルセー美術館には本作の裸婦単体の習作3点『座る女/正面でポーズする女/座る女・背面』が所蔵されているほか、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークには本作の完成後、サイズを縮小し改めて制作された作品『ポーズする女たち(小画面)』が所蔵されている。

関連:アルテ・ピナコテーク所蔵『ポーズする女たち(小画面)』
関連:習作『座る女/正面でポーズする女/座る女・背面』

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化粧する若い女(白粉をはたく若い女)


(Jeune femme se poudranu) 1889-1890年
94.2×79.5cm | 油彩・画布 | コートールド美術研究所

新印象派の創始者ジョルジュ・スーラ唯一となる肖像画作品『化粧する若い女(白粉をはたく若い女)』。ロンドン大学付属のコートールド美術研究所に所蔵されている本作は、制作された1889年の春に画家と出会った恋人マドレーヌ・ノブロックをモデルに、身支度(化粧)をする女を描いた作品である。やや姿態に不自然さの残る誇張されたマドレーヌ・ノブロックは画面右側に配され、反対側には装飾的な化粧台や花瓶などが置かれている。マドレーヌ・ノブロックが手にする化粧パフを中心に背景が渦巻いており、この左から右へと流れる色彩の渦は、画面内へこれまでの絵画には類例の無い躍動感と(画家の理論としての)幸福感を与える効果を発揮している。これらはポール・シニャックら他の画家と共にスーラも強く傾倒したシャルル・アンリの独自的な色彩理論に基づくものであり、観る者の視線を惹きつける(シニャックも肖像画『フェリックス・フェネオンの肖像』でシャルル・アンリの理論を用いている)。また画面左上の花瓶部分には制作当初(又は制作途中までは)、画家自身の肖像画が描かれる予定であったものの、友人の進言により花瓶へと変更したことが知られている。画家独特の(背景色と同系である)青色の点描を基調とした陰影描写によって、化粧を整えるマドレーヌ・ノブロックや化粧台などの構成要素は、画面の中で互いに主張し合うのではなく、あくまでも統一的で理論的な調和に溢れている。

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サーカスの客寄せ

 (La Parade de Cirque) 1887-1888年
100×150cm | 油彩・画布 | メトロポリタン美術館

新印象主義を代表する画家ジョルジュ・スーラ晩年期の傑作『サーカスの客寄せ』。本作は制作された1888年頃にパリで実際に興行していた≪コルヴィ・サーカス≫がパレードをおこない客寄せする様子を描いた作品で、画家が昼の戸外風景や室内における人物描写の探求から離れ、夜間の人工的なガス灯の光とそこで繰り広げられる享楽的な情景と雰囲気を描いた最初の大作でもある。画面中央には段に上がりトロンボーンを奏でる主役となる音楽奏者が配され、画面左側にはガス灯の奥に立つのであろう他の演奏者が、画面右側には立派な髭を蓄えるコルヴィ・サーカスの団長と、そこに付き添う少年が配されている。トロンボーン奏者と少年は他の出演者とは異なり、ガス灯の橙色の光と対照的な青い色調による陰影が強くその姿に反映されていることから、ガス灯の前に立っていることがうかがえる。これら陰影の強い色調は逆光的な(本作を観る者からの視点では光の当たる面が見えない)画面左端の葉の無い樹木や、最前景の観客の姿にも同様の表現が施されている。非常に平面的な構成によって描かれる本作では、このガス灯の光とそこに落ちる影でしか空間を把握する術は無い。さらに、これら独特の抽象性すら感じさせる独創的な場面描写や表現に、観る者は豊かな叙情性、詩情性をも見出すことができる。本作の最前景の観客の姿の大胆なカットや、現代的(都会的)な人工性は、後に続く『シャユ踊り』、『サーカス』などにも通じる表現・展開であり、本作がそれまでの作品とは決定的に異なる転換期の重要な作品としても、特に注目すべき作品である。

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シャユ踊り

 (Le chahut) 1890年
171.5×140.5cm | 油彩・画布 | クレラー・ミュラー美術館

新印象派の創始者として知られる画家ジョルジュ・スーラが手がけた大作のひとつ『シャユ踊り』。本作は当時、画家が住んでいたパリのモンマルトル界隈に数多くあったカフェ・コンソール(盛り場の総称)で、踊り子らがフレンチカンカンを踊る情景を描いた作品で、画家としては五番目となる大作である。本作の名称にある≪シャユ≫とは「大騒ぎ」、「騒々しい」などの意味で用いられてる言葉であり、上向きに描かれる一番手前の踊り子の目や口元、その隣の男の髭、重力によって逆立つ踊り子が身に着ける衣服の肩紐や靴先のリボン、男の上着の裾などは、この情景の陽気さを表したものであるほか、若い男女が人前で股を広げるように足を高く跳ね上げるというエロティックなフレンチカンカンという踊りの感情的高揚も示している。しかし、これら享楽的な娯楽に対しての批判や性的な隠喩をただ露骨に表現するのではなく、画家が追求した絵画としての視覚的訴求や、象徴的な暗示、科学的根拠と秩序に基づいていることは特に注目すべき点である。多角的な視点や全く遠近法を無視したことによる平面性の強調や、生気を感じさせない機械的でカリカチュア(戯画)的な表現に、当時の大多数の批評家は本作を全面的には受け入れなかったものの、そこには1880年代の作品から更なる発展を遂げた画家独特の個性が良く表れている。

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サーカス

 (Baignade, Asnières) 1890-1891年
185.5×152.5cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

新印象派の画家ジョルジュ・スーラの代表的な作例のひとつであり、夭折した画家の遺作ともなった作品『サーカス』。1891年に開催された第七回アンデパンダン展(無審査出品制の美術展覧会、スーラら新印象派の画家たちが創設)に未完成ながら出品された本作は、(おそらく)当時パリでおこなっていたフェルナンド・サーカスの興業風景を描いた作品である(画家は数年前にも同画題『サーカスの客寄せ』を描いている)。本作で最も注目すべき点はそれまでの画家には見られなかった人物の動的な運動性と躍動感の表現への挑戦にある。画面中央に配される女性の曲馬師や白馬、画面前景に大胆に配される道化師(ピエロ)、右端に配される鞭を持った黒服の男、そしてサーカス小屋の丸い壁など構成される画面は曲線を多用されており、画面の中で弾むように躍動し、サーカスの愉快な雰囲気を見事に捉えている。さらに明確になる輪郭線や、的確な人物の大きさを無視した空間の非再現性(曲馬師などは客席の観客と比較してみて明らかに巨大である)、それによって生み出される平面的な(絵画としての)装飾性など画家の様式的変化が如実に示されている。上段から下段に向けて富裕層が多くなるなど、社会的階級が明確に区別される客席の観客部分を含めて、青と(ハイライトとしても使用される)黄色、橙色、そして壁や白馬の白色の四系統の色彩で主に構成される本作の全体的に照らされる光源も注目点である。なお本作が所蔵されるオルセー美術館には最終的な習作(『習作:サーカス』)も所蔵されている。

関連:オルセー美術館所蔵 習作『サーカス』

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