Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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ウィリアム・ターナー Joseph Mallord William Turner
1775-1851 | イギリス | ロマン主義




英国最大の風景画家のひとりであり、ロマン主義を代表する巨匠。大気感を感じさせる独特な風景表現と、光を波長順に分解したスペクトル的な色彩理論を用いて数多くの油彩画・水彩画・版画用の下絵を制作。特に後年の水彩技法をも駆使した独自的な風景表現はクロード・モネなど印象派の画家やその様式の形成に多大な影響を与えた。1775年、ロンドンのコヴェント・ガーデンで理髪店(兼かつら屋)を営む一家に生まれ、1788年14歳でロイヤル・アカデミー(RA)・スクールズに入学し、水彩画家T・モールトンのアトリエで絵画を学ぶ。1797年、初めて北イングランドのトゥイード河畔近くにあるノラム城を訪れる。1802年、27歳でロイヤル・アカデミー会員、1807年、32歳の時にロイヤル・アカデミーの遠近法教授に就任すると、クロード・ロラン著『真実の書』を参考に『研鑚の書』として歴史画、山系画、田園画、海洋画、建築画などの版画を1826年まで19年間出版し続けた(また画家はクロード・ロランから大きなな影響を受けている)。その後、毎年国内・海外旅行に出かける。1819年、最初のイタリア(ヴェネツィアなど)旅行し、同地でカナレットなど数多くの作品に触れて以来、特徴的だった色彩はさらに鮮やかさを増す。その後、より抽象的な作風へと変貌していった。1837年、ロイヤル・アカデミーの教授職を辞す。1851年死去。享年76歳。なおターナーは同時代に活躍したもうひとりの風景画の大家ジョン・コンスタブルとは異なり、生粋のロマン主義的な作品を描いている。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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難破船

 (The Shipwreck) 1805年
78×122cm | 油彩・画布 | テート・ギャラリー(ロンドン)

18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した英国ロマン主義の巨匠ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー初期の代表作『難破船』。本作はオランダの画家ファン・デ・フェルデの海洋図版画に比類する海景図を求めたブリッジウォーター公爵の依頼により制作された連作的海景図作品群の中の1点である。画家は「この版画が私を画家にしてくれた」と発言するほど、一連の海景図作品の源流ともなったファン・デ・フェルデの版画から多大な影響を受けており、うねるような海流の躍動的表現などにそれが鮮明に表れている。しかし本作で最も注目すべき点は名称ともなっている≪難破船≫を後景へと押しやるほどターナーが注力した、自然の驚異に対して為す術が無い人間の姿の描写にある。本作の画面前景に描かれるのは、荒れ狂う海で難破した大型船から脱出した生存者たちと生存者らが乗る小船(ボート)であり、船ごと飲み込まんとする高波にさらわれまいと必死にボートにしがみつく生存者らの姿は、ドラマチックな印象を観る者に与えるのみならず、自然の驚異をより強調する効果も発揮しており、我々は今も強い感銘を受けることができる。この恐怖的で人々の不安を煽る独特の主情的表現はターナーのロマン主義的傾向の最も大きな特徴のひとつであり、特に本海景図ではそれが顕著に示されている。

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カルタゴを建設するディド(カルタゴ帝国の興隆)


(Dido Building Carthage) 1815年 | 155.5×231.85cm
油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ロマン主義を代表する風景画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー中期の傑作『カルタゴを建設するディド(カルタゴ帝国の興隆)』。本作は古代ローマの詩人ウェルギリウス≪アエネーイス≫に記される、古代都市カルタゴを建国した女王≪ディド(ディードー)≫の伝説的古代史に典拠を得て制作された歴史的風景画作品のひとつで、画家自身が「傑作」と位置付けたほど強い想いが込められた作品として広く知られている。画面中央に海景を広げ、左側には古代的建築物とカルタゴの民衆を、右側には左側同様古代的建築物と深い緑色に生い茂る木々が配される本作は、ターナー自身強く影響を受けていたフランス古典主義の巨人クロード・ロランの光の効果的描写や水面への反射に対する大きな関心が明確に示されており、特に画面のほぼ中央へ配置される陽光の反射の描写や大気感に溢れる中央の空間部、1点遠近法を用いた画面全体の構図・構成はロランの代表作『上陸するシバの女王のいる風景』としばしば関連付けられる。また描写そのものの手法に注目しても、繊細で緻密な筆触による精巧な細部の表現や古典的ながら多彩性を感じさせる色彩の描写には、ターナーの類稀な画才が強く感じられる。なお本作はターナーの遺言によりクロード・ロランの『上陸するシバの女王のいる風景(又はシバの女王と善悪を知る木)』と『イサクとリベカの結婚』の間に展示することを条件に国家へ寄贈された。

関連:クロード・ロラン作 『上陸するシバの女王のいる風景』

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ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウス


(Ulysses Deriding Polyphemus - Homer's Odyssey) 1829年
132.8×203cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

19世紀前半期の英国を代表する風景画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー転換期の傑作『ポリュフェモスを愚弄するオデュッセウス(ポリュフェモスを嘲笑するユリシーズ)』。ターナーが1828年から1829年にかけておこなったローマなどイタリア旅行から帰国した後に制作された作品である本作は、古代ギリシアの偉大なる詩人ホメロスの叙事詩≪オデュッセイア≫第9歌に記される、ひとつ目の巨人ポリュフェモスの棲む火山島に漂着した英雄オデュッセウス(ラテン語ではユリシーズ)一行がポリュフェモスに襲われかけるものの、巧みに酒宴を開き巨人が泥酔したところで眼を潰し火山島から脱出した場面を描いた作品である。画面中央よりやや左上には後景として泥酔したところで眼を潰され己が棲む島の上で横たわるポリュフェモスが描かれているが、その姿は火山の煙によって腕と脚程度しか見えず、顔面や胴体などは風景と同化している。そして画面のほぼ中央に火山島から脱出した英雄オデュッセウスの一行が乗る2隻の帆船が緻密な筆触によって丹念に描写されている。さらに画面右側に配される今まさに昇らんとする太陽の光によって本場面は劇的に照らし出されている。本作に示される彩度の高い純色的な色彩表現への傾倒や、伝統的で規範的なイタリア風の風景表現からの脱却と自身の様式への昇華には、画家の独自性を明確に感じることができ、19世紀英国の美術批評家ジョン・ラスキンも本作を「ターナーの画歴の中心をなす作品」に位置付けている。

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宵の明星

 (The evening star (Vesper)) 1830年
92×122.5cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

英国ロマン主義を代表する画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー作『宵の明星』。本作はターナーが独自の表現様式を開眼させたイタリア旅行後に制作された、画家が強い愛着を抱いていた故郷ロンドンを流れるテムズ川の河口付近での漁の光景を画題とする作品で、本作は細部の描写的特長から未完成であるとする意見が大半を占めているものの、当時の批評として「何も苦心も感じさせないが、芸術的観点からは真に称賛されるべき作品である」と述べられているよう、そこに描かれる閑散かつ静寂とした雰囲気や微妙に変化する夕暮れの陽光の色彩など注目すべき点は多い。画面中央やや右側にはテムズ川で漁を終えたのであろう漁の道具(又は獲れた魚)を籠にしまいながら浜へと上がってくる幼い漁師(少年)が単身で配されており、その足下では無邪気な様子で犬が一匹描き込まれている。また少年らとほぼ対称の位置(画面左側)へは航路標識となる海中に立てられた長細い三本の木柱が描かれている。本作に描き込まれる要素はこの漁師の少年と木柱以外、水面、浜、雲(空)しか存在せず、画家の作品の中でも非常に簡素な構成であるものの、本作ではそのシンプルな構成であるが故の引き算的な美的感覚を明確に感じることができる。画面右側で沈みゆく太陽は空を赤色に染めている。赤々とした太陽付近の空は光の影響が遠退くほど黄色、そして灰色へと微妙に変化しており、画面左側部分の色彩には夜の到来を感じずにはいられない。さらにその色彩はテムズ川の水面にも映り込み深い色合いを示している。空、水面、そして赤茶けた浜辺へと続く色彩の繊細で多様な変化は薄い半透明の色を何層にも重ねる技法を用いた表現手法であり、そこには画家の技量的成熟を強く感じることができる。

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ヴェネツィアを描くカナレット


(Canaletto draws Venice) 1833年
51×82.5cm | 油彩・画布 | テート・ギャラリー(ロンドン)

19世紀英国ロマン主義の大画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー作『ヴェネツィアを描くカナレット』。1833年のロイヤル・アカデミーへの出品作としても知られる本作は1819年の初訪を始め、生涯で数回訪れているイタリア北東部の自治都市≪ヴェネツィア≫を描いた作品で、同地出身であり、ターナーを始めとした英国絵画に多大な影響を与えた18世紀イタリアの景観画家カナレットへの賛辞が示されている。遠景として画面奥に広がるのは左からヴェネツィアの象徴的な建築物であるパラツィオ・ドゥカーレ(ドゥカーレ宮殿)やサン・マルコ広場、現在では観光名所としても知られる息橋(溜息の橋)、そして造幣局などが細やかな筆触で丹念に描かれている。そして近〜中景として描かれるヴェネツィアの大運河の水面には遠景の風景が映り込んでおり幻想的な雰囲気を漂わせている。この水面の描写には画家がイタリア旅行での経験に基づきながら光や色彩に対する独自の表現手法の模索を見出すことができる。そして特筆すべきは最近景として画面左側へ配される船着場でイーゼルを立て絵画を描くカナレットの存在にある。ターナーが本作を手がけるまでに数回来訪したイタリアで最も強く惹かれた画家のひとりであり故郷ヴェネツィアの景観画で英国を始めとした諸外国まで名を馳せたカナレットを画家という存在のまま自身の作品の中へ描き入れたことは、カナレットに対するターナーの最大限の賛辞と解釈できるが、それとと共にターナー自身のカナレットへの挑戦であることも意味している。

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ノラム城、日の出

 (Norham Castle, Sunrise) 1835-40年頃
78×122cm | 油彩・画布 | テート・ギャラリー(ロンドン)

イギリス・ロマン主義の大画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの類稀な傑作『ノラム城、日の出』。本作は北イングランドのトゥイード河畔近くにある≪ノラム城≫を描いた作品で、画家は1797年に初めて同地へ訪れて以来、度々本画題を描いている。本作はその中でも最も後年に描かれた作品で、未完の作とされているが、その出来栄えは白眉である。登る朝陽によって逆光となるノラム城は朝靄に隠れ青味がかった陰影しか映らないものの、拡散する陽の光の幻想的な描写は画家が晩年期に辿り着いた表現の極地である。またその右斜め上には朝陽の黄色味がおぼろげに射し込み、その光は一頭の牛が配される画面下部の水面へ広がるように反射している。本作は色彩表現においても赤味(茶色味)、青味、黄色味が自然と溶け合うように描写されており、この調和的な色彩の一体感は、画家が高い興味を示していた光を波長順に分解したスペクトル的な理論に基づいている。なお印象派の巨匠クロード・モネが普仏戦争勃発のために英国へ避難した際、本作を見て強い感銘と影響を受け、印象派の名称の由来ともなった代表作『印象 -日の出-』を制作したことが知られている。

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解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号

 1838年
(The Fighting "Temeraire", tugged to her Last Berth to be Broken up)
91×122cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

イギリス最大の風景画家のひとりジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーのロマン主義的な作風がよく表れる代表的な海景作品のひとつ『解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号』。本作は1838年9月6日マーゲイドから帰途している途中、船上からこの光景を目撃した画家が、心象に残る同風景を描いた作品である。人間が制御している最大の力である≪機械≫でも決して超えられない圧倒的な自然の強さや雄大さを表現した本作の燃えるような(水平線近くの)太陽の輝くような光の美しさは画家の作品の中でも特に秀逸の出来栄えである。また本作が制作される前年(1837年)にロイヤル・アカデミーの教授職を辞したターナーの栄光の日々の終焉を、本作の(製造当時は)最新鋭で幾多の重要な任務に就いた戦艦テメレール号が、使い古され破棄される存在となったことと心情を重ねたとも解釈されている。本作では『ノラム城、日の出』で予告される光を波長順に分解したスペクトル的な色彩理論が、太陽を中心に拡散する色彩の配置として如実に表れている。

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古代ローマ、ゲルマニクスの遺灰を持って上陸するアグリッピナ


(Ancient Rome : Agrippina Landing with the Ashs of Gremanicus) 1839年以前
91.5×122cm | 油彩・画布 | テイト・ギャラリー(ロンドン)

19世紀英国ロマン主義の最大の風景画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが手がけた古代主題の代表的作例『古代ローマ、ゲルマニクスの遺灰を持って上陸するアグリッピナ』。1839年のロイヤル・アカデミーに出品されていることから制作年はそれ以前とされる本作は、古代ローマ帝国第2代皇帝ティベリウスの甥で(現シリアの)アンティオキアに没したゲルマニクス・ユリウス・カエサルの遺骨を彼の妻アグリッピナが壷に入れ、ローマへ持ち帰るために同地を出発し、ブリンディジ(古代ローマの重要な拠点のひとつ)へ上陸したとされる古代史の逸話を主題とした作品で、画家はロイヤル・アカデミーに出品した際「明澄なる流れよ、あぁ、陽の没する間にさえも、老いたるテーヴェレ川は光り輝く。(※テーヴェレ川=ローマへと流れるイタリアの大河)」との詩句を添えたことが知られている。公開当時こそ大きな批評も受けたが現在では画家の作品の中で最も魅力的な古代主題作品のひとつとして挙げられる本作では、画面奥中央には靄にかかりながら太陽の光で黄金に輝く宮殿が幻想的に描かれ、その左側には下半分が消えかかる月が配されている。そして中景となる部分にはテーヴェレ川を横断する凱旋橋が、さらに画面手前前景には古代船で帰郷するアグリッピナがターナーの特徴的な筆遣いで描き込まれている。当時の論評を検討すると制作当初の色彩からの褪色や変色も指摘される本作ではあるが、光を存分に感じさせる輝度の描写や神秘性すら漂わせる全体の表現には画家の強い独自性と抽象性を見出すことができる。なお本作の画題の後には「凱旋橋と修復されたカエサルの宮殿」と続くほか、対の作品として「現代のローマ、カンポ・ヴィッチーノ(個人蔵)」が知られている。

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平和−水葬

 (Peace - Burial at Sea) 1842年頃
87×86.5cm | 油彩・画布 | テート・ギャラリー(ロンドン)

英国ロマン主義の巨匠ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの代表作『平和−水葬』。対画となる『戦争−流刑者とあお貝』と共に1842年のロイヤル・アカデミーで発表された本作は、ターナーのかつての好敵手であり、数少ない良き友人のひとりでもあった画家サー・デイヴィッド・ウィルキーが1841年に汽船オリエンタル号の船旅の途中に起こった海上事故で没し、ジブラルタル沖合へ水葬されたことに対する追悼的作品で、同じくウィルキーの友人であった画家仲間のジョージ・ジョーンズが船上の情景を素描し、その素描に基づいてターナーが本作を仕上げたことが伝えられている。画面中央へ配される汽船は立ち上る黒煙と共に深い影が落ち、それは帆先部分まで黒色で支配されている。そして汽船を分断するかのように一本の光の筋が縦に入れられ、観る者の視線を強く惹きつける。さらに画面上部ではやや白濁した空が広がり、また画面下部では汽船を反射し黒ずむ水面が描き込まれている。画面中に跡からもよく分かるよう、元々八角形の画面で展示・公開されていた本作で最も注目すべき点は、晩年期のターナーの特徴である黒色の使用にある。本作の対画であるナポレオンの晩年を描いた『戦争−流刑者とあお貝』に用いられる燃えるような赤色や黄色の色彩と対照的に、本作では青色を始めとした寒色が主色として使用されている。この色彩使用は画家も読んでいた、偉大なるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの≪色彩論≫に記される「青色・青緑色・紫色は落ち着き無く、過敏で不安な色彩」の具現的描写であると考えられている。また当時としては「不自然な暗さ」と批判も大きかった汽船部分に用いられる黒色は画家の死に対する不安感や悲劇的心象の現れとも捉えることができる。なお本作がロイヤル・アカデミーで発表された際のカタログには「真夜中の光が蒸気船の舷側に輝き、画家の遺体は潮の流れに委ねられた−希望の挫折」と詩句が共に掲載された。

対画:『戦争−流刑者とあお貝』

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戦争−流刑者とあお貝(戦い−流刑者とカサ貝)


(War - the Exile and the Rock Limpet) 1842年頃
79.5×79.5cm | 油彩・画布 | テート・ギャラリー(ロンドン)

英国ロマン主義の巨匠ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの代表作『戦争−流刑者とあお貝(戦い−流刑者とカサ貝)』。対画となる『平和−水葬』と共に1842年のロイヤル・アカデミーで発表された本作は、イギリス・プロイセン連合軍にワーテルローの戦いで破れ、南大西洋に位置する英国領の火山島≪セント・ヘレナ島≫へ流され、同孤島で幽閉されたナポレオン・ボナパルト最晩年の情景を想像的に描いた作品であるが、ターナーの真意には『平和−水葬』で画家が追悼の意を表したウィルキーの画家仲間ヘイドンの姿を暗喩しているとされている。ヘイドンはナポレオンの肖像画を描いていたことや、絶えず諍いを起こしていたことが知られており、これらの性格性は人格者かつ平和主義者として知られていたウィルキーと見事なまでに対照的である。本作に描かれるナポレオンは、まるで血で染まった戦場跡のように赤々と落陽する情景の中で、あお貝(カサ貝)に視線を落としている。その姿は己の孤立(孤独)と栄光の終幕を観る者へ容易に連想させる。『平和−水葬』でも取り組まれているゲーテの≪色彩論≫の中では赤色や橙色、黄色は幸福的で活発性を表すと記されていたものの、本作の赤色や橙色、黄色による燃え立つような色彩表現にはナポレオン、さらにはヘイドンの孤独的な内面的心象を感じることができる。なお本作がロイヤル・アカデミーで発表された際のカタログには「あぁ、兵士の夜営のような天幕の形をしたあお貝(カサ貝)の殻が血の海の中にひとつ。しかし、お前は仲間と一緒になれるであろう−希望の挫折」と詩句が共に掲載された。

対画:『平和−水葬』

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ヴェネツィア、税関舎とサン・ジョルジョ・マジョーレ


(Ducal Palace, Dogano, with Part of San Georgio, Venice) 1842年
62.3×92.8cm | 油彩・画布 | テート・ギャラリー(ロンドン)

英国ロマン主義の巨匠ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの代表的な風景画作品『ヴェネツィア、税関舎とサン・ジョルジョ・マジョーレ』。本作はターナーが生涯で強く惹かれ、1840年にも旅行で再訪している≪ヴェネツィア≫で手がけた水彩画に基づいて制作された同地の風景画作品で、サン・マルコ広場近郊大運河入口に面するホテル・エウロパの船着場階段から税関舎方面を眺めた視点で描かれている。大運河を挟み、画面右側には中景としてヴェネツィアの税関舎が配され、その隣(画面中央)へはジュデッカ島、さらに画面左側へはサン・ジョルジョ・マジョーレ島の聖堂が遠景としておぼろげに描かれている。ターナーは例えば1833年に手がけた『ヴェネツィアを描くカナレット』などヴェネツィアの風景を主題とした作品を数多く制作しているが、1830年代に制作された作品群には伝統的なキアロスクーロ(明暗強調画法)的な描写が認められるものの、本作ではターナーの興味が揺らめくヴェネツィア大運河の水面に反射する明瞭な光の多様性や大気的様子、さらには移ろいゆく色彩の微妙な変化へより強く向けられていることがよく示されている。特に白色を下地とした風景内各要素の純色的な色彩の輝きや画面全体から醸し出される独特の幻想性は晩年期の画家の作風の大きな特徴であり、本作には晩年期様式へと至るターナーの様式の変化の過程が明確に表れている。

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雨、蒸気、速度−グレート・ウェスタン鉄道

 1844年
(Rain, Steam and Speed - The Great Western Railway)
90.8×121.9cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

英国を代表するロマン主義の風景画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー晩年の傑作『雨、蒸気、速度−グレート・ウェスタン鉄道』。本作に描かれるのは近代化を象徴する(グレート・ウェスタン鉄道)の蒸気機関車が、雨の中で蒸気を上げ、テムズ川に架かるメイドンヘッド橋の上を渡る情景を描いた作品である。本作には画家の近代性への強い興味が示されているが、近代化に対して否定的であったか肯定的であったかは現在も議論が続いている(一般的には否定的であったとする説が強い)。迫り来る機関車の前には野うさぎが必死に横切る姿が描かれており、この野うさぎの描写によってターナーは速度を表現した。また画面左部分のテムズ川には一艘の小船が描かれており、野うさぎと共にこれらにも画家の近代化への何らかの意図が込められていることは明白である。なおこの近代性についてはターナーから強く影響を受けた印象派の巨匠クロード・モネが手がけた同画題(蒸気機関車)の作品『サン・ラザール駅』などとしばしば比較されている(モネ自身はターナーを「幻想性豊かなロマン主義の画家」と位置付けており、自身の立場と明確な区別をしている)。本作の色彩描写や筆触についても、画家の晩年期の特徴である白色の地塗りを活かし色調を高めた(アカデミックな手法とは一線を画す)独特の色彩や、己の手をも利用した即興的で速筆的な筆さばきが存分に堪能することができる。

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Work figure (作品図)


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