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ピエール=ポール・プリュードン Pierre-Paul Prud'hon
1758-1823 | フランス | 新古典主義
18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍したフランス新古典主義様式の画家。正確なデッサンに基づいた極めて高度な写実的描写を用いた作品を手がけ、時の皇后ジョゼフィーヌの庇護下で宮廷画家として活躍。また女性的とも喩えられた叙情的かつ感傷的な雰囲気を感じさせる微妙な情景や感情表現や、光彩と陰影の関係性と人物の肉体への高い関心など、当時の主流であった
ジャック=ルイ・ダヴィッドに代表される新古典主義様式とは一線を画しつつ、当時最大級の人気を博した、その表現手法には
ロマン主義の先駆を見出すことができる。1758年、フランス中東部ブルゴーニュ地方の都市クリュニーで石工を営む貧しい一家に生まれ、近郊(ディジョン=地方)のデッサン学校で絵画の基礎を学び、一時期パリに滞在した後、地方の絵画コンクールでローマ賞を受賞。1784年末から奨学生としてイタリアのローマへ留学し、同地で
レオナルド・ダ・ヴィンチ、
ラファエロなど
ルネサンス期の巨匠らの作品に触れ、特に
コレッジョから強い影響を受ける。1788年にフランスへ帰国しパリで生活を始めるものの、革命の勃発により困窮に陥り、しばらくの間、挿絵や版画の装飾図案、寓意画制作の仕事を続ける。英雄ナポレオンの出現による第1帝政時代に入ると状況も落ち着きだし、政府に認められ公的な絵画制作の注文を受けるようになった。特に皇后ジョゼフィーヌからは肖像画制作の依頼を受けるほどの信頼を得た(※画家は皇后の絵画教師でもあった)ほか、ナポレオンが前妻ジョゼフィーヌと離婚した後、新皇后となったマリー=ルイーズからも重宝され、皇帝とマリー=ルイーズの間に生まれた待望の男児(後のナポレオン2世)の肖像画も手がけている。晩年期には宗教画に傾倒を示すものの1823年にパリで死去。