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ル・ナン三兄弟 Le Nain(Antoine, Louis, Mathieu)
アントワーヌ及びルイ 1600/1610年頃-1648 | マチュウ1607年頃-1677
フランス | 古典主義 |
17世紀に活躍したフランス古典主義の画家の三兄弟。柔らかでありながらやや明暗の強い光の表現による穏健で清貧な風俗的絵画、特に農民画と呼称されるジャンルの絵画で現在は17世紀フランスを代表する画家(民衆画家)として位置付けられている。ル・ナン三兄弟は死後(17世紀末頃)のアカデミズムとロココ様式の台頭で特に重要視されなくなったが、19世紀に入り作家兼美術史家のJ・H・シャンフルーリによって再発見・再評価された。兄弟は共同でアトリエをかまえ、署名は姓(ル・ナン)としか銘記されていない為、個々の作業がどのような分担でおこなわれていたかはあまり判明しておらず、研究の余地が多々残されている。アントワーヌ・ル・ナンとルイ・ル・ナンは1600年から1610年の間(1600年頃とする説が有力視されている)に、マチュウ・ル・ナンは1607年頃にロレーヌ地方ランで生まれたと推測され、同地で絵画を学んだ後にパリのサン=ジェルマン地区へ移住。同地で職人の工房へ入り、1629年に頭(親方)の称号を得て、教会や裕福なパトロンの依頼により宗教画や歴史画、肖像画などを主に制作、その後パリ市庁や(ルイ13世の庇護下にある)宮廷から懇意にされ、しだいに頭角を表すようになった。またこの頃から流行し出したイタリア的な古典主義の画題を取り組み始める。1648年、三兄弟は王立絵画・彫刻アカデミーに加わるものの、アントワーヌとルイが同年にペストで死去。末弟マチュウは1677年まで生き長らえた。ル・ナン三兄弟の絵画様式は、巨匠カラヴァッジョを源流とするカラヴァッジェスキ派的な表現が顕著に示されるが、画家の農民画を始めとした風俗画に関してはイタリア的な古典主義とも、フランドル・ネーデルランド地方で流行した愉快で快楽的な表現とも異なり、ある種、宗教画に近い深い精神性と厳格性、穏やかで静謐な雰囲気に満ちているのが大きな特徴である。
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