Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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アンリ・ファンタン=ラトゥール Henri Fantin-Latour
1836-1904 | フランス | 19世紀絵画・サロン画家




19世紀フランスで活躍したサロン画家。過去の偉大な巨匠らなど古典に倣う写実的表現と洗練された調和的な色彩描写で人物画(肖像画)、集団肖像画、静物画、風景画などを手がける。特に対象の内面や性格に肉薄する肖像表現や、理知的な静物画はサロン(官展)などで高い評価を得た。またエドゥアール・マネクロード・モネルノワールフレデリック・バジールなど印象派の画家らとも親しく、彼らが取り組んでいた伝統的な絵画表現への挑戦には理解を示していた(ただし印象主義的な表現には否定的であった)。1836年、イタリア人画家兼絵画教師であった父テオドール・ファンタンとロシア出身の母の間にグルノーブルで生まれ、1841年に両親と共にパリに移住。幼少期に父から絵画の手ほどきを受け、1850年から4年間はオラース・ルコック・ド・ボワボードランのアトリエで学ぶ。その後、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入り、短期間絵画を勉強するほか、敬愛していた写実主義の巨匠ギュスターヴ・クールベのアトリエでも制作をおこなっている。またこの頃、ルーヴル美術館でティツィアーノヴェロネーゼなどルネサンス期のヴェネツィア派の作品、レンブラントフェルメールフランス・ハルス、ピーテル・デ・ホーホ、ヴァン・ダイクなど17世紀フランドルネーデルランド絵画アントワーヌ・ヴァトージャン・シメオン・シャルダンを初めとしたロココ期の絵画を模写し、これらの作品から多くのことを学ぶほか、ロマン主義の大画家ウジェーヌ・ドラクロワやバルビゾン派の画家カミーユ・コローなどの作品に強く惹かれる。さらにヴェロネーゼの代表作『カナの婚礼』を模写中に英国で活躍したアメリカ人画家ジェームズ=アボット=マクニール・ホイッスラーと出会い、長く交友関係を築く(後に画家はホイッスラーと共に「三人会」を結成している)。1859年から1864年までの間に英国へ三度旅行し、同地で花の静物画で成功を収める。1861年にサロン初入選するものの、当時、画家はカフェ・ゲルボワに通い続け、小説家兼批評家のエミール・ゾラとその友人であったマネモネルノワールバジールなど印象派の画家らと知り合い、彼らのアカデミズムへの挑戦に高い共感を持つ。またこの頃、ルーヴル美術館で模写をおこなっていた女流画家ベルト・モリゾマネを紹介。両者を引き合わせる。1864年に『ドラクロワ礼賛』を、1870年に『バティニョールのアトリエ』をサロンへ出品、一部からは否定的な意見も受けたが、殆どの批評家や民衆から高い支持を得る。その後、数多くの肖像画や静物画を制作するが、印象主義の台頭によって人気に陰りが見えるようになった。晩年期にはロマン主義的な傾向を示し、同主義の感覚が色濃い作品を手がけるものの、1904年にビュレの別荘で死去。なお画家は音楽愛好家としても知られており、同時代を代表する作曲家リヒャルト・ワーグナーやベルリオーズのオペラを画題とした絵画作品を残している。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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ドラクロワ礼賛(ドラクロワへのオマージュ)


(Hommage à Delacroix) 1864年
160×250cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

19世紀のフランス画壇で活躍した画家アンリ・ファンタン=ラトゥールを代表する作品のひとつ『ドラクロワ礼賛(ドラクロワへのオマージュ)』。本作はファンタン=ラトゥールが、フランス・ロマン主義最大の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワへの礼賛を表したオマージュ(敬意・賛辞)的な要素の強い作品であると共に、ファンタン=ラトゥール同様、ドラクロワを信望していた当時の若い芸術家や批評家たちの集団肖像画でもある。画面左側には、前列に左から真横を向いた批評家デュランティと、白いシャツを着た画家(アンリ・ファンタン=ラトゥール)の自画像、そして画家の良き友人でもあった主に英国で活躍したアメリカ人画家ジェームズ=アボット=マクニール・ホイッスラーの立ち姿が、後列にはコルディエールと画商ルグロの姿が確認できる。画面右側前列には(左から)腕を組みながら座る批評家シャンフルーリと、19世紀のフランスを代表する詩人シャルル・ボードレールが、後列には印象派の先駆者エドゥアール・マネと、当時の人気版画家ブラックモンとバルロワの姿が描かれている。そして画面中央には(本作に)描かれる若き芸術家や批評家らが称賛していたドラクロワの肖像画が掲げられるように配されている(詳細は『ドラクロワ礼賛』人物配置図を参照)。伝統的な絵画の表現手法を踏襲した正確な形体描写による写実的表現によって描かれる人物の殆どが観る者へと視線を向けており、彼ら、そしてファンタン=ラトゥール本人のドラクロワへの真摯な態度が顕著に感じられる。ドラクロワの色彩表現に特徴を示す絵画様式は当時、サロンの第一線で活躍していたフランスの画家にも広がっていたが、クロード・モネルノワールなど次世代の代表的な画家となってゆくバティニョール派(後の印象派)の画家たちに決定的な影響を与えた。

関連:『ドラクロワ礼賛』人物配置図

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バティニョールのアトリエ


(Un atelier aux Batignolles) 1870年
204×273.5cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

19世紀フランスを代表するサロン画家アンリ・ファンタン=ラトゥールの最も著名な代表作のひとつ『バティニョールのアトリエ』。1870年のサロンに出品され、批評家や民衆らから多くの賞賛と支持を得た本作は、画家と親しかった印象派の先駆者エドゥアール・マネを中心に、マネの伝統的なアカデミズムへの挑戦(反アカデミズム)の賛同者を描いた集団肖像画である。画面中央には写真家の(そしてマネの友人でもあった)ザカリーアストリュックをモデルに筆をとるマネが配されている。それを囲むかのようにしてマネへの共感者・賛同者が描かれており、マネの背後には画家のオットー・ショルデラー、その右側には若きルノワール、小説家兼批評家エミール・ゾラ、マネの友人エドモン・メートル、印象派初期の重要な画家フレデリック・バジール(参列者の中で一際背の高い男)、そして画面右端にはクロード・モネの姿を確認することができる。さらに画面左端の赤布が掛けられる机の上にはローマ神話で知恵と諸芸術を司る女神ミネルヴァ(ギリシャ神話のアテナと同一視される)の像と、日本や中国の美術様式に強い影響を受けていた同時代の陶芸家ブヴィエ(※ブヴィエは画家と懇意で、幾つかの作品を所有していた)による七宝の壷が描かれており、登場人物らの思想や受けていた美術的影響、この頃の美術界における彼らの方向性を暗示している。本作の名称『バティニョールのアトリエ』は、(本作の主要人物である)マネが当時パリ北西部のバティニョール地区にアトリエを構えていたことに由来しているほか、どの人物とも交わらない彼らの視線には、各人における固有の美術的個性(性格)を表現したとする説など様々な説が唱えられているものの、確証を得るには至っていない。また表現手法としても画家の古典に倣う正確な写実的描写による人物の内面的な表現や、落ち着いた洗練性の高い色彩は画家の様式的特徴を良く表している(ただし本作の赤布、青色の椅子、額縁や画架の黄色の色彩的対比や壁と床の対比には一部から批判的な意見も受けている)。

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デュブール家の人々

 (La Famille Dubourg) 1878年
146.5×170.5cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

19世紀のフランスや英国(イギリス)において人気を博したサロン画家アンリ・ファンタン=ラトゥールの代表作『デュブール家の人々』。1878年のサロンに出品された本作はファンタン=ラトゥールの妻ヴィクトリア・デュブールとその家族≪デュブール家の人々≫を描いた集団肖像画(家族肖像画)である。画面左側から白いドアの前に立つ帽子を被った女性(婦人)が義理の妹となるシャルロット・デュブール、画面中央で椅子に座るのが義母デュブール夫人、その後ろで母の肩に手をかけるのが画家の妻ヴィクトリア・デュブール、そして画面右側で椅子に座る紳士が義父デュブール氏と四人の人物が描かれる本作では、全ての人物が黒色の衣服を身に着けているが、これは画家が人物らを配しておこなった最初のデッサンが11月1日と万聖節(全聖人と殉教者に対する記念日)であるために喪服であることを安易に推察することができる。抑制的な色彩や堅牢な画面展開、厳格な空間構成など本作にはファンタン=ラトゥールの最も大きな特徴となる表現様式が顕著に示されており、この伝統性を重んじながらも19世紀絵画特有の新鮮さも同時に兼ね備える画家の作風は、印象派が隆盛を極める以前では非常に高く評価されていた。なお画家はデュブール家の人々の単身肖像画も複数制作しており、オルセー美術館には義理の妹シャルロット・デュブールを描いた肖像画『シャルロット・デュブール』が所蔵されている。

関連:オルセー美術館所蔵 『シャルロット・デュブール』

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薔薇のある静物

 (Nature nirte aux Roses) 1889年
44×56cm | 油彩・画布 | リヨン美術館

19世紀のフランスや英国で活躍したサロン画家アンリ・ファンタン=ラトゥールを代表する静物画作品のひとつ『薔薇のある静物』。クロード・モネルノワールなど印象派の画家たちの台頭によってそれまでに得ていた画家の人気が衰え始めていた1880年代末に制作された本作は、白色、黄色、桃色の薔薇の花とガラスの水差しを描いた静物画作品で、ファンタン=ラトゥールの静物表現における頂点が示される作品のひとつとして高く評価されている。画面やや下部分に描かれる大理石のコンソールテーブルの上の端(右側)に大きく花を咲かせた白色、黄色、そして桃色の薔薇の花が配され、その隣には口の大きなガラスの水差しと小さな桃色の薔薇の蕾を付けた枝が置かれている。本作を構成する静物はこれらのみであり静物画としては非常に単純で簡素であるものの、古典に倣う高度な写実的描写による的確な形態表現や、作品から醸し出される深い詩情性や静謐な雰囲気は画家の静物画作品の中でも特に優れた出来栄えを示している。また色彩表現においても薔薇の控えめで儚げな色彩の繊細さを引き立てるような背景の黄土色、そして大理石の黄白色の調和的選定や、薔薇の生命力を感じさせる生き生きとした色彩の柔和性と、透明感を感じさせる青いガラスの水差しやテーブルに用いられる大理石の硬質性との素材的・質感的・色彩的対比も特に注目すべき点である。

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Work figure (作品図)


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