Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
■ 

ベルト・モリゾ Berthe Morisot
1841-1895 | フランス | 印象派・女流画家




印象主義を代表する画家。また同主義随一の女流画家としても重要視される画家の一人でもある。速筆的で大胆かつ奔放な筆触と明瞭な色彩による絵画様式で、姉エドマなど近親者や身近な知人の人物画や風景画、静物画を制作。特に女性特有の感受性で描かれる母と子、画家の娘などを画題とした作品は、男性の視点では見られない繊細さと穏健さを醸し出している。またモリゾが師事した同時代の大画家エドゥアール・マネの作品のモデルを度々務めるほか、同氏との師弟関係以上の(恋愛的な)感情を持っていたことも指摘されている。1841年、ブールジュ市長であった父と、ロココ美術の巨匠フラゴナールの遠縁にあたる母の間に生を受ける。幼少期に姉エドマと共にジョゼフ=ブノワ・ギシャールの下で絵画を学びながら、ドビーニやギウメなどの作品に影響を受ける。その後、パリに出てバルビゾン派のジャン=バティスト・カミーユ・コローに学び、戸外で制作活動を始める。1864年にサロン初入選後、ルーヴル美術館で模写をおこなっている最中にサロン画家アンリ・ファンタン=ラトゥールの紹介でエドゥアール・マネと出会う。マネに大きな感銘を受け、以後多大な影響を受けるほか、クロード・モネルノワールカミーユ・ピサロフレデリック・バジールなどバティニョール派(後の印象派)の画家たちやエミール・ゾラなどの美術批評家と交友を重ねるようになる。彼らとの交友で次第に独自の様式を確立、その様式の完成は師エドゥアール・マネの作風にも変化をもたらした。1874年、エドゥアール・マネの弟ウジェーヌ・マネと結婚、4年後の1878年には娘ジュリー・マネが誕生。結婚後も第4回印象派展(1879年)以外の全ての印象派展に参加するなど精力的に作品制作をおこなう。1895年死去。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
■ 

ロリアンの小さな港

 (Vue du petit port de Lorient) 1869年
43.5×73cm | 油彩・画布 | National Gallery (Washington)

印象派随一の女流画家ベルト・モリゾ初期の代表的な作品『ロリアンの小さな港』。本作はベルト・モリゾの姉で共に画業を志していたエドマが、結婚後に移り住んだフランスの北西部に位置するブルターニュ地域圏、モルビアン県の大西洋に面する都市≪ロリアン≫の港に日傘を差しながら腰掛け、ひとりたたずむ姿を描いた作品である。姉エドマは本作が制作された1869年3月に画家への道を諦め、マネの知人で海軍将校であったアドルフと結婚し、ベルト・モリゾの居るパリから離れていった。この事は10年以上、共に本格的な画業の道を志し精神的にも深いつながりを持っていた両者(モリゾ、エドマ)にとっても劇的な環境の変化であったことは想像に難くなく、本作に描かれる姉エドマの姿は、どこか空虚で心が沈んでいるかのようである。このような人物に表される画家独特の繊細な心理描写や雰囲気の表現はベルト・モリゾ作品の最も見るべき点のひとつであり、本作は初期作品の中でも特に秀逸の出来栄えを示している。また明瞭な陽光の柔らかな表現や、水面やそこに浮かぶ船舶、空や雲、腰掛ける石塀、遠景の建物などの風景描写は大胆な筆触によって表情豊かに表現されているほか、人物を右端に配し、画面の大部分を空白的空間に構成することによって姉エドマの空虚な感情をより強調させている。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

長椅子に寄り掛かる2人の姉妹(ソファーに座る2人の娘)

 (Deux sœurs sur un canapé) 1869年
52×81.3cm | 油彩・画布 | ワシントン・ナショナル・ギャラリー

印象派随一の女流画家ベルト・モリゾ初期の代表作『長椅子に寄り掛かる2人の姉妹(ソファーに座る2人の娘)』。本作は異論もあるが、おそらくはドラローシュ家の二人の娘をモデルに制作されたと大半の研究者が考えている作品で、『ロリアンの小さな港』同様、ベルト・モリゾ1860年代を代表する作品としても広く知られている。本作で双子のように描かれた(モデルと推測される)ドラローシュ姉妹については現在も詳細は不明であり、今なお研究が進められている。本作で最も注目すべき点はベルト・モリゾの描写技法の差異にある。画面左部分に描かれる女性はやや薄塗りで軽やかに描写されているのに対し、画面右部分の女性は絵具の質感を明確に感じさせるほど厚塗りで描写されている。またこの女性はソファーに座るのではなく、その手前に置かれた椅子に座していることも特筆に値する。これらの点から本作を未完成とする研究者も少なくない。さらに本作で正面の壁に掛けられる扇面は印象派を代表する巨匠エドガー・ドガから贈られたものであると伝えられているほか、画面右部分の女性が手にする扇子と共に、当時、欧州を席巻した日本趣味的要素が示された点であることも注目したい。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

モリゾ夫人とその娘ポンティヨン夫人(読書)

1869-70年
(Portrait de Mmo Morisot et de sa fille Mmo Pontillon)
101×81.8cm | 油彩・画布 | National Gallery (Washington)

印象派随一の女流画家ベルト・モリゾの代表作『モリゾ夫人とその娘ポンティヨン夫人(読書)』。1870年のサロン(官展)のために制作された本作に描かれるのは、椅子に腰掛け読書する画家の母親(モリゾ夫人)と、それを空虚な眼差しで見つめるベルト・モリゾの姉エドマ(ポンティヨン夫人)の姿で、画家の母親が本を読む姿から別名『読書』とも呼称されている。姉エドマは本作が制作される少し前に海軍将校アドルフ・ポンティヨンと結婚しており、本作のモデルを務めた時には第一子を身篭っていた(本作は妊娠の為に実家へと帰ってきた姉エドマと画家の母親を描いた作品)。共に画家を目指していたモリゾと姉エドマにとって姉の結婚は非常に大きな出来事であり、離れ離れになり一緒に作品を制作できなくなったことは両者に多大な精神的喪失感を与えることになった。本作に示される姉エドマの憂いを帯びたやや寂しげで物思い耽るような表情はそれに由来してる。このモリゾ独特の女性の控えめでありながら不安感を募らせる繊細な表現は、師エドゥアール・マネの描く女性像とは決定的に異なっており、この頃のモリゾの作品へ最も顕著に示される独自性のひとつである。また本作はモリゾがサロンへ出品前にマネへ作品を見せた時、マネに多数の箇所を加筆されてしまい、モリゾは姉エドマと交わしていた手紙の中で「彼(マネ)は筆をとり手を加え、夕刻には最高に素敵なカリカチュア(戯画)ができました〜この絵がサロンへ入選するくらいならば、川へ身を投げたマシ」とサロンへの出品の取り止めの意向を記している(しかし最後にはサロン出品を承諾し入選した)。その為、本作にはこの頃手がけられたベルト・モリゾの作品の中でも、特にマネとの表現手法的な共通点を見出すことができる。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

ル・トロカデロからのパリの眺望

 1871-72年
(Vue de Paris des hauteurs du Trocadéro)
46.1×81.5cm | 油彩・画布 | サンタ・バーバラ美術館

印象主義時代に活躍した女流画家ベルト・モリゾ初期を代表する作品『ル・トロカデロからのパリの眺望』。パリ近郊のフランクリン通りに面していた画家に実家で制作された本作は、実家から程近い場所にあるル・トロカデロの高台から見たパリの眺望を描いた作品である。画面前景にはル・トロカデロの高台の手摺際に画家の姉エドマとイヴが描かれ、その少し右側にはイヴの愛娘ポールがぽつんと配されている。そして中景には平面的な表現で単純化された鮮やかな緑の広場と、そこを通る道が広がっており、さらに遠景には陽光が反射し黄金に輝く廃兵院(アンヴァリッド)の丸天井(円蓋)やノートル・ダム聖堂などが明確に描き込まれている。画面の倍加された縦横の比率や、どこか控えめで寂しげな印象を受ける独特の詩情性には当時、画家が傾倒していたジャン=バティスト・カミーユ・コローの著しい影響が指摘されているが、それと同時に前景へ描かれる姉エドマとイヴの都会的で洗練された雰囲気や早い筆さばきによる筆触、鮮やかな色彩の使用などには同時代を代表する画家であり、師弟関係以上の(恋愛的な)感情を抱いていたとも推測されるエドゥアール・マネの影響を容易に見出すことができる。これらの点などからも本作は後にベルト・モリゾが確立してゆく独自の表現様式の形成に至る過渡(過程)を考察する上で特に重要視される作品のひとつとして広く認知されている。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

ゆりかご

 (Le bercau) 1872年
56×46cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派を代表する女流画家ベルト・モリゾの手による傑作『ゆりかご』。1874年開催の第1回印象派展に出品された本作に描かれるのは、モリゾと共に絵画を学び作品を制作していたものの、結婚によりその道が閉ざされた姉エドマと、その2人目の娘ブランシュの姿で、対象への注目に特化した大胆な構図的アプローチや、母性を感じさせる繊細な女性的感性による表現が大きな特徴のひとつである。画面右部分で黒の縦縞の衣服をまとった姉エドマは左手を頬に当てながら我が子ブランシュを慈しむかのように見つめている。一方次女ブランシュは薄いヴェールに包まれたゆりかごに揺られ穏やかな眠りについている。現在では(一見すると)ごく平凡でありきたりな母子を描いた作品と思われがちであるが、主対象のひとつであるブランシュをヴェールで包み存在感を薄めることによって、姉エドマの母性や幸福感をより強調している。このように画題の主対象として描かれる親(本作では母)と子の絵画的重要度に差をつけることは、当時としては珍しく、かつ母としての母性に注力したことは斬新なものであった。当時姉エドマは夢であった絵画への道が結婚によって閉ざされたことに落胆しており、母親としての役割がそれを癒すものであることを願ったモリゾの心情が反映されていると解釈されている。また姉エドマの背後のカーテンなどに見られる透明感を含んだ平面的な画面構成や空間描写、柔らかな質感表現など本作に示される印象主義的技法も注目に値する。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

読書(パラソル)

 (La lecture) 1873年
45.1×72.4cm | 油彩・画布 | クリーヴランド美術館

印象主義時代随一の女流画家ベルト・モリゾ1870年代を代表する作品のひとつ『読書(パラソル)』。本作は、おそらくはフランス北西部ノルマンディー地方海岸沿いの保養地プティット・ダルの断崖の上に建てられた別荘の庭で読書する、画家と共に絵画を学び作品を制作していたものの、結婚によりその道が閉ざされた姉エドマの姿を描いた作品で、本作はモリゾ初期の傑作『ゆりかご』などと共に、1874年に開催された記念すべき第1回印象派展への出品作のひとつでもある。画面中央では上品な衣服を身に着けた姉エドマが地に腰を下ろし静かに書物を読んでいる。そしてその傍ら(画面左端)には使用後を思わせる開かれた黒い日傘と、反対側に日本趣味への興味を感じさせる扇子が一面配されている。画面中の姉エドマは読書に集中しており、その振る舞いや姿からは教養と知識探求の高さが窺い知れ、モリゾは本作で、男性と比較すると地位が低かった当時の女性の新しい在り方を示したとも考察することができる。また画面全体に描かれる草原の緑色は、この頃モリゾが様式的影響を受けていたバルビゾン派の画家ジャン=バティスト・カミーユ・コローに倣い抑制的にアプローチされており、姉エドマが身に着ける白色の衣服との色彩的対比は非常に美しい。筆触や形態描写などは後の画家の奔放な筆触と比べ、まだ写実性が色濃く残されているものの、大地から生える草や花の躍動感に溢れた装飾的なタッチや、中景の簡素でやや大雑把な描写には画家のその後の様式的展開を大いに予感させる。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

蝶々捕り

 (La chassse aux papillons) 1874年
47×56cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

印象派の女流画家ベルト・モリゾの代表的作品のひとつ『蝶々捕り』。1874年、前年に続き姉エドマの嫁ぎ先であるパリ近郊モンクールに赴き制作された本作は、姉エドマやその娘らブランシュ、ジャンヌをモデルに生茂る林の中での≪蝶々捕り≫の情景を描いた作品で、前年、同じくモンクールで制作された『ゆりかご』からの精神的落ち着き(成長)や穏健さを感じさせる。画面中央で網を手に持ち立つ姉エドマは、観る者と対峙するかのように真正面を向き、その傍らでは娘のブランシュ(母同様立ち姿の少女)とジャンヌ(背を向けて屈む少女)が遊んでいる。闊達に動く筆触による木々の描写や色数を抑えた色彩表現にバルビゾン派を代表する画家ジャン=バティスト・カミーユ・コローの影響を感じさせるものの、本作の穏やかな夏のひと時の情景の中に描かれる、人物の物静かで寂然的な表情や佇まいにベルト・モリゾ特有の個性が顕著に示されているほか、姉エドマとその家族への深い愛情の念や複雑な心境も見出すことができる。またやや平面的ながら色彩の微妙な変化による空間の構成や登場人物など各構成要素の配置に、ひとりの画家としての高い技量と豊かな才能が感じられる。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

舞踏会にて(扇を持つ女性)

 (At the Ball) 1875年
62×52cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

印象派を代表する画家ベルト・モリゾ作『舞踏会にて(扇を持つ女性)』。描かれた女性が誰であるか(おそらく職業モデルであると推測されている)など制作の詳細は不明であるが、背後に配される花が他の作品でも使用されることから、画家のアトリエで制作されたと考えられる本作は、当時、女性らが最も華やかに活躍できる場所のひとつであった≪舞踏会≫へ出かける、又は舞踏会から帰ってきた女性の姿を描いた作品である。金属的に光を反射する質の品の良いシルク(絹)地で縫製された比較的シンプルなデザインのドレスに身を包む女性は、やや斜め方向に視線を傾け、左手で扇を持っている。この女性の身に着けるドレスや手袋のシルクやレースの質感は、モリゾが会得した大胆なタッチと軽やかな白色によって見事に表現されており、本作からは舞踏会に赴く(又は舞踏会からの帰宅後の)独特の緊張感や高揚感、雰囲気などをも感じることができる。当時のパリ社会の中では最も社交性が高く華やかな集いの場所のひとつである≪舞踏会≫や≪劇場≫という画題はモリゾの師であったエドゥアール・マネオペラ座の仮面舞踏会)やルノワールムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場)など他の印象派の画家らも描いているが、これらが舞踏会(舞踏場)に集う人々はもちろん、会場の雰囲気や様子なども表現しているのに対し、モリゾによる本作『舞踏会にて(扇を持つ女性)』では、会場の様子やそれを示す要素が一切描写されておらず、そこに赴く(又はそこから帰宅する)女性に、とりわけ流行が反映する衣服に注目している。これはモリゾが女性であるが故に得られることができた独自の視点からのアプローチであり、女性特有の視点によって当時の社会や流行を捉えた作品として特筆に値する。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

ワイト島のウジェーヌ・マネ(ワイト島の室内)

1875年
(Eugène Manet dans île de Wight (Interieur à l'île de Wight))
38×46cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

印象派の女流画家ベルト・モリゾが家族(夫ウジェーヌ・マネ)を描いた代表的な作例のひとつ『ワイト島のウジェーヌ・マネ(ワイト島の室内)』。本作はモリゾと、画家が師事していた印象主義時代の大画家エドゥアール・マネの弟ウジェーヌ・マネが結婚した1874年の翌年(1875)の夏に、新婚旅行的な意味合いも感じられるイギリスへの旅行の際に制作された作品である。本作に描かれるのは、イングランド南岸にある行政区域ハンプシャー州南沖の島≪ワイト島≫のカウズ港に面したホテル「グローブ・コテージ」に滞在した時にモリゾが見た、夫ウジェーヌ・マネがホテルの窓からカウズ港を眺める情景である。当時としては極めて晩婚であったが、画家にとって己の芸術的才能を理解し、かつ師エドゥアール・マネの血縁でもある夫ウジェーヌは、最も良い結婚相手であり、モリゾ自身も姉モリゾに対して送った手紙の中で「私を最も信頼し、心から愛してくれる誠実で素晴らしい男性に出会いました。これからようやく私は積極的に生きてゆけます」と夫ウジェーヌのことを述べている。本作にはそんな画家とウジェーヌの緊密で非常に良好な関係性や、結婚後のモリゾの安らぎに溢れた精神性が顕著に感じられる。画家独特の力強く勢いを感じさせる筆触は、更なる躍進をみせ、より大胆に、そして奔放に画面の中で踊っている。特に画面右側部分に描かれるカーテンの≪レース≫や、反対側(画面右側部分)で窓の外を眺める夫ウジェーヌ≪人物≫の筆致は、第1回印象派展に出品された『ゆりかご(1872年制作)』と比較しても、革新的な発展を遂げている。また窓全体は大きく配されながらも、置かれる鉢や庭先の草々によって画面内では1/6強の面積しか割かれていない窓の外の風景には一組の母子が描かれており、画家の愛情と母性が顔を覗かせている。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

夏の日

 (Jour d'été) 1879年
45.7×75.3cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

19世紀に活躍した女流画家ベルト・モリゾの代表的な作品のひとつ『夏の日』。本作に描かれるのはモリゾが当時その近郊に住んでおり、自身のお気に入りの散歩道であったブーローニュの森で遊ぶ二人の女性である。本作に描かれる二人の女性のモデルは不明であるものの、リボンで装飾される洒落た帽子を被り、流行的でありながら爽やかな洗練的印象を与える品の良い衣服に身を包んだ女性らのボート遊びをおこなう姿は非常に優雅的であり、画面からは当時の余暇を楽しむ人々の情景がありありと伝わってくるようである。さらに画面中央の女性は質の高そうなレースの長手袋を身に着け、その膝の上には夏の暑い日差しを遮るための、清涼感に溢れる水色(空色)の日傘が置かれている。またその背後は三羽の水鳥が水面を泳いでおり、紺紫色の衣服を着たもう一人の女性がその光景に視線を向けている。本作の画題である≪ボート遊び(ボートを漕ぐ人々)≫はエドゥアール・マネギュスターヴ・カイユボットもしばしば取り組んでおり、大胆な構図展開などは本作でも共通する点であるものの、モリゾ独特の対象の瞬間を捉えるかのような荒々しく即興的な筆触によって、女性達や水面の表情が見事に表現されており、観る者を魅了する。また光の反射を直線的に描写される白色で表現した独特の色彩表現も秀逸の出来栄えを示しており、特に細かく揺らめく水面の稲妻形の描写や森の木々が映り込んで緑色に輝く画面左上部分の表現は白眉の一言である。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

化粧をする後向きの若い娘(鏡の前の女性、化粧室の婦人)

 (Jeune femme de dos à sa toilette) 1880年
60.3×80.4cm | 油彩・画布 | シカゴ美術研究所

印象派を代表する女流画家ベルト・モリゾの手による傑作『化粧をする後向きの若い娘』。1876年に開催された第二回印象派展に出品された作品である本作に描かれるのは、鏡の前で化粧をおこなう(整える)若い娘の後ろ姿である。この≪化粧をする女性像≫という画題は画家が好んで取り組んだ画題のひとつであり、そこには(モリゾの代表作)『舞踏会にて(扇を持つ女性)』にも通じる、女性特有の視点による当時の社会や流行、そして(上流階級層の)日常の情景が捉えられている。鏡の前の女性、化粧室の婦人とも呼ばれる本作のトリミングしたかのような独特な画面構成や、同時代に活躍した印象派の大画家エドガー・ドガや日本の浮世絵を連想させる(後ろ姿を描くという)特異なアプローチや構図は画家の作品としてはやや珍しい展開ではあるものの、それによって本作に描かれる化粧をする若い娘の何気ない日常的な仕草や(身体全体の)表情が結果としてより強調されている。またパステル描写を感じさせる淡彩的で軽快な色彩や、画家の大きな特徴である鋭利的かつ奔放で大胆な筆致は写実性よりも印象性や装飾性を感じさせるほか、明瞭な色彩は一部の研究者や批評家らからアントワーヌ・ヴァトーフランソワ・ブーシェジャン・オノレ・フラゴナールなどロココ美術の巨匠たちの影響が指摘されている。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘(田舎にて)


(Eugène Manet et sa fille au jardin) 1881年
73×92cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

印象主義時代に活躍した女流画家ベルト・モリゾの代表作のひとつ『ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘(田舎にて)』。画家は躊躇していたようであるが、夫ウジェーヌの強い推薦もあり1882年に開催された第七回印象派展に出品された本作に描かれるのは、パリ郊外セーヌ河沿いのブージヴァルのプランセス通り4番地に借りた別荘の庭で、街の模型で遊ぶ娘ジュリーと、それを見守る夫ウジェーヌ・マネの姿である。ブージヴァルはアルジャントゥイユやラ・グルヌイエール同様、パリ郊外で余暇を楽しむ人々に最も好まれた新興行楽地のひとつで、クロード・モネやルノワールなども同地の風景や情景を描いている。モリゾたち一家はこの別荘に(本作が制作された)1881年から1884年まで滞在しており、画家はこの時期に数多くの作品を制作している。娘ジュリーが生まれたのが1878年であることから、本作はジュリーが2〜3歳の姿を描いた作品であると推測されるが、その姿からは明確な年齢を計ることはできない。しかし本作において最も重要な点は、父と娘による肖像作品の中に込められた、母であり画家でもあるモリゾの愛情と幸福に満ちた感情である。娘ジュリーは父の膝の上に置かれた街の模型で遊び、父ウジェーヌはそれを優しく見守る。この何気ない日常の場面の中にモリゾは明らかに満ち足りた幸福と充実感を感じており、それは本作に描かれる美しく庭に咲く花々の明瞭な色彩や、家族の温もりを感じさせる(作品全体から醸し出される)雰囲気に見出すことができる。またモリゾ独特の自由奔放かつ躍動感に富んだ力強い筆触による各部分の描写も、本作をより魅力的に見せる大きな要因のひとつであり、このような場面を見ている画家の心情を表しているかのようである。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

ニースの港

(Vue du port de Nissa) 1882年
59×43cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

印象派の女流画家ベルト・モリゾの代表的な風景画作品のひとつ『ニースの港』。本作は画家が娘ジュリーの病気療養として滞在(1881-1882年)したフランスの南東部に位置する都市で、温暖な気候でも知られる≪ニース≫の港を描いた作品である。娘ジュリーが言葉に残しているよう、船(ボート)の上から港の方を見た視点(その為、波の影響により画面が僅かに右へ傾いたと考察されている)で描かたことが知られている本作は、画面の2/3が海面で占められており、如何に画家が船の浮かぶニースの海面の描写、表現に興味を惹かれ制作されたのかが示されている(それは画面左上へささやかに配される空の描写にも表れている)。特にモリゾ独特の荒々しく自由闊達な筆触による波の表現や、水面に映り込むニースの街並みや風景の抽象的表現は印象派の画家の中でも非常に前衛的であり、かつ類稀な独自性をも兼ね備えている。また画面上部1/3に描かれる港と街並みの風景の中でも、港へ停泊する複数の連なる船による水平性の強調と勇壮性、南フランスの雰囲気を顕著に感じさせる白壁と褐色の屋根の家々の表現は特筆に値するものである。なお画家は1881年から1882年4月までのニース滞在でこの港を画題とした作品を本作以外にも十数点制作している。

関連:ヴァルラフ=リヒャルツ美術館所蔵 『ニースの港』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

寓話(おとぎ話)

 (La Fable) 1883年
65×81cm | 油彩・画布 | 個人所蔵

印象主義時代に活躍した女流画家ベルト・モリゾ作『寓話(おとぎ話)』。本作に描かれるのは、ブージヴァルの別荘の庭でモリゾと画家の最愛の夫であるウジェーヌ・マネとの間に生まれた娘ジュリーと、ジュリーの教育係(子守)として裕福なモリゾの一家に雇われた使用人パジーが遊ぶ姿である。本作の名称『寓話(おとぎ話)』は、19世紀フランスを代表する詩人のひとりステファヌ・マラルメによって付けられたものであると後に成長した(大人になった)ジュリーが告白しているが、本場面がジュリーがパジーに対して話をしているところなのか、それとも逆にパジーがジュリーに寓話(おとぎ話)を聞かせているところなのか、我々観者にはその内容を知る由もない。画面の左部分に描かれる娘ジュリーや垣根に咲く花々の桃色がかった赤色と、右部分に描かれるパジーの腰掛けるベンチや庭に生える草木の緑色、パジーの青い衣服と隣に置かれる籠の黄色などの色彩的対照性は見事である。また画家独特の素早く自由闊達に動く筆触による対象や背景の処理、柔らかな光の温もりを感じさせる包容的な陽光の表現、平穏で幸福的な場面描写などは画家の作品の大きな特徴のひとつであり、本作にもそれらが良く示されている。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

庭のウジェーヌ・マネと娘


(Eugène Manet et sa fille au jardin) 1883年
60×73cm | 油彩・画布 | 個人所蔵

印象派を代表する女流画家のひとりベルト・モリゾが夫ウジェーヌ・マネとその娘を描いた代表的な作例のひとつ『庭のウジェーヌ・マネと娘』。本作は二年前に制作された『ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘(田舎にて)』同様、モリゾにとって師以上の存在であり、多大なる影響を受けた印象派の始祖的画家エドゥアール・マネの弟で、1874年に(画家と)結婚したモリゾ最愛の夫ウジェーヌ・マネと、結婚から4年後の1878年、二人の間に生まれた愛娘ジュリーが、夏のブージヴァルのプランセス通り4番地に借りた別荘の庭で遊ぶ姿を描いた作品である。強烈に射し込む陽光の描写とそれによる輝くような反射的効果に重点を置き、その表現に注力しているかのようである。特に娘ジュリーへと当たる陽光の描写は大雑把な筆触ながらも、白い顔や衣服、ブロンドの頭髪に反射する光の眩いばかりの描写は、ジュリーの愛らしさを強調するだけでなく、観る者をこのブージヴァルの庭へと引き込むかのような魅力にも溢れている。また陽光に照らされるウジェーヌ・マネと娘ジュリーは鮮やかに映える草木の中で明快な光に包まれ、その姿は幸福そのものであり、それはそのままモリゾの心情としても受け取ることができる。また表現手法的にも、(画面左上部分の)未完成のような画面処理や、対象が見せる一瞬の動作的・内面的表情を捉えたような、画家独特のデッサン的な荒々しい筆致による闊達な筆捌きは、ますますその業に磨きが掛かっており観る者を圧倒する。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

湖畔

 (Au bort du lac) 1883年
61×50cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

19世紀後半から20世紀にかけて活躍した印象派の女流画家ベルト・モリゾを代表する典型作『湖畔』。本作は画家夫妻(※モリゾの夫は始祖的画家エドゥアール・マネの弟ウジェーヌ・マネ)が待ち望んだヴィルジュストの家の近くにあったブーローニュの森と湖畔を背景に穏やかに遊ぶ少女を描いた作品である。モリゾはこの舞台となった湖畔や森へ最愛の娘ジュリーを連れしばしば散策に出かけていたことが知られており、ブーローニュの湖畔は本作を始めとした≪森で遊ぶ少女≫という画題の重要な着想源にもなっていた。画面中央に配される白い帽子を被った小さな少女は湖畔の方を向き(※同時に観る者へ背を向けている)手に花束らしきものを持ちながら一段下の灰黒色の衣服と帽子を身に着けた少女に何やら話しかけている様子である。灰黒色の衣服の少女は左腕を腰に当てながら白帽子の小さな少女へと視線を向けており、この両者の他愛もないであろう日常風景は観る者に愛らしくほのぼのとした心緒の動きを導く役割を果たしている。また湖で羽を休める一匹の白鳥と小さな少女の白い帽子、そして灰黒色の衣服の少女の被る帽子の白模様によって構成される三角形の色彩的構成は画面に軽やかなリズムとこの平穏とした情景に安定感をもたらしている。さらに描写手法に注目してもモリゾ独特の大振りな筆触の残る大胆な筆遣いがよく感じられる前景と、より簡素かつ軽やかに描かれた後景の描写的対比も面白い。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

立葵

 (Roses trémières) 1884年
65×54cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

印象派を代表する画家ベルト・モリゾ作『立葵』。1886年に開催された最後の印象派展となる第八回印象派展への出品作のひとつである本作に描かれるのは、ブージヴァルのプランセス通り4番地に借りた別荘の庭に咲く、アオイ科タチアオイ属の花≪立葵≫である。本作以外にもモリゾはブージヴァルの庭の風景を描いた作品を数多く手がけているが、本作で示される立葵の垂直性、直線性は特に注目すべき点のひとつである。画面中央の一番高く伸びる≪立葵≫を中心に、三角形に配される立葵の花は、左側では(やや桃色が差し込むが)ほぼ乳白色に、右側では中心が赤味がかって咲いている。この背の高い立葵の天に向かって伸びる垂直性は画面を引き締める効果を生み出しており、本作を観る者の視線を自然と立葵へと向けさせる。また画面右下には夫ウジェーヌ・マネがしばしば腰を下ろしていたという青く塗られた木製の椅子と丸机、そして如雨露(じょうろ)が置かれている。平凡な庭の風景をひとつの絵画作品として成立させた(モリゾが本作で示した)装飾性豊かな表現は他の作品と比較しても特に完成度が高く、見事の一言である。さらに画面全体を支配する緑色の多様性や、その中で差し色的な効果も発揮している立葵の赤色、画面右側に配色される空や椅子などの青色のバランスの良さも、画家の高い色彩感覚を示したものである。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

裁縫の勉強(裁縫の稽古)

 (Le Lecon de couture) 1884年
59×71cm | 油彩・画布 | ミネアポリス美術館(ミネソタ州)

印象派を代表する女流画家のひとりベルト・モリゾの作風が良く表れている傑作『裁縫の勉強(裁縫の稽古)』。本作に描かれるのはジュリーの教育係(子守)として裕福なモリゾ家に雇われた使用人パジーが、ウジェーヌ・マネとの間に生まれた最愛の娘ジュリーに裁縫の指導をする姿である。使用人パジーは両手で針仕事をおこないながら、その作業の方法などを説明しているのであろう、口元が薄く開いている。娘ジュリーはパジーのおこなう針仕事の手元を一心に見つめるかのように、視線をそこへと落している。背後の大きな窓から射し込む柔らかな陽光の光に包まれながら裁縫(の指導)をおこなう二人の姿は、画家が本場面少し離れた場所から見て感じ取った幸福の様子そのものを速筆によって写したかのようであり、日常の中の穏やかで安らぎに満ちた感情に溢れている。さらに画面中央に、ほぼ対称的な位置や姿態で描かれる二人によって作り出される三角形の安定した構図は、このありふれていながら、かけがえの無い幸福の(安定的な)永遠を観る者に連想させる。また画面の背景にはプージヴァルの邸宅とその庭、隣家が見えており、そこから本場面がパリのヴィルジュスト通り(現ポール・ヴァレー通り)のアパルトマンの一室であろうと推測がされている。娘ジュリーと使用人パジーの日常的で親密な姿を画題として描かれた作品は1880年代に多数制作されているが、本作はその中でも屈指の代表的な作例として、現在も人々に愛され続けているのである。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

自画像

 (Portrait de Mme Morisot) 1885年
61×50cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

印象派の女流画家ベルト・モリゾの重要な作品のひとつ『自画像』。本作は心身ともに充実していた1885年に手がけられた自画像作品で、ベルト・モリゾ44歳の姿である。本作で画家は左半身を前にやや斜めに構え、顔とそこに描かれる瞳は真正面を向いている。また胸には薄青色の花飾りが控えめに添えられているほか、右手には画家を示すパレットと絵の具が素早い筆触によって、ほとんど形体を省略しながら描かれている。本作で最も特徴的なのは、18世紀頃に描かれた女流画家たちの自画像に見られた、己を着飾り、画家としての姿を象徴的に描くのではなく、自身をひとりの女性画家として捉え、一心にカンバスへ向かう姿を真摯な眼差しで実直に表現している点にある。荒々しさすら感じさせる本作の力強く躍動的な筆捌きは、本来ならばベルト・モリゾが構えるスタティック(静的)な姿態を、生命的かつ動的に見せることに成功している。また明確な感情の表れは認められないものの、穏やかでありながら真面目で強い意志を感じさせるモリゾの表情は、画面に心地よい緊張感を生み出しているほか、カンバスに向けられる視線を超え、本作と対峙する者が視線で画家と会話するかのような感覚さえ与えている。これらのように本作には女性、母、女としての自身の姿のみではなく、画家としての挑戦的で決意的なモリゾの心情が示されている。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

飾り鉢で遊ぶ子供たち

 (Enfants à la vasque) 1886年
73×92cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

19世紀印象主義時代に活躍した女流画家ベルト・モリゾの愛らしい一枚『飾り鉢で遊ぶ子供たち』。パリのヴィルジュスト通りに面していたモリゾの家で制作された本作はモリゾ最愛の夫ウジェーヌ・マネとの間に生まれた愛娘ジュリーと、ヴィルジュストの家の管理人の娘であるマルト・ジヴォーダンをモデルに、二人の子供が飾り鉢で遊ぶ姿を描いた作品である。画面左部分に描かれる愛娘ジュリーは二本の桴のような棒を左手で握り締めながら腕を振り上げ、飾り鉢の中心に視線を向けている。一方、まだ幼いマルト・ジヴォーダンは身体の小ささから飾り鉢に凭れ掛かるように体重をかけ、手を鉢の中へと伸ばしながら(鉢の中で泳ぐ)金魚(又は赤い小魚)を弄り遊んでいる。この中国製の陶器の飾り鉢は義兄となる印象派の創始者エドゥアール・マネからの贈り物であることが知られており、モリゾは2年ほど前(1884年)に制作した『人形を抱く少女』にも植木を入れた形で登場させている。二人の背後(背景)には東洋的な屏風を思わせる衝立が描かれており、画面左端には小さな白い袋が下がっている。非常に愛らしい少女らが瞬間に見せたあどけない仕草や無垢な表情を、モリゾは見逃すことなく的確に捉えており、速筆的な画家の荒々しい筆触がそれらをより効果的に観る者へ印象付けている。この瞬間性(即興性)こそモリゾの作品の本質のひとつであり今も我々を魅了し続けるのである。また背後の衝立や画面右端部分に見られる、一見すると未完成にすら感じさせる独特の表現や抽象性も、自身の絵画表現、そして様式的個性を見出したモリゾの大きな特徴のひとつである。

関連:個人所蔵 『人形を抱く少女』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

食堂にて

 (Dans la salle à manger) 1885-86年
61.3×50cm | 油彩・画布 | National Gallery (Washington)

印象派を代表する女流画家ベルト・モリゾ作『食堂にて』。1886年に開催された最後の印象派展となる第八回印象派展への出品作である本作は、ベルト・モリゾと夫ウジェーヌ・マネとの間に生まれた最愛の娘ジュリーの子守も務めた使用人(お手伝い)バベットのパリのヴィルジュスト通り(現ポール・ヴァレー通り)に面していたモリゾの家の1階にあった食堂での光景を作品である。画面中央にほぼ真正面の姿で立つバベットは、おそらく仕事中であったのだろうエプロンを身に着け、両手に何か器のようなものを持っている。そして、その足下には一匹の白い子犬がバベットへと寄り添うように配されている。また画面左部分の食器戸棚の下の扉が開かれていることからも、バベットが作業の中断し、観る者(モリゾ)の方を向いたであろうことが推測できる。背後(後景)の大きな窓からは、暖かく柔らかな陽光が射し込み、食堂全体が明瞭な光に包まれている。これら本作を構成する主要素を始め、画面右部の円テーブルと椅子や、壁に掛けられる時計、窓の奥に見える隣の家、食堂内やバベットの前方へ落ちる影などは、モリゾ独特の瞬間を捉えたかのような荒々しく流動的な筆触で描写されており、観る者は本作の活き活きとした生命感に溢れる躍動的な心象的光景に目を奪われる。さらに(本作の)画家の作品の中でも特に複雑(多重的)な空間構成が施されていることは、最も注目すべき点のひとつである。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

マンドリンを弾くジュリー

 (La mandoline) 1889年
55×57cm | 油彩・画布 | 個人所蔵

印象派を代表する女流画家ベルト・モリゾの娘ジュリーを描いた代表的作品のひとつ『マンドリンを弾くジュリー』。本作は印象派の始祖的画家エドゥアール・マネの弟で、1874年に(画家と)結婚したモリゾ最愛の夫ウジェーヌ・マネとの間に1878年に授かった娘ジュリーが撥弦楽器のひとつである≪マンドリン≫を弾く11歳の頃の姿を描いた作品である。娘ジュリーが生まれてからモリゾはジュリーや家族、使用人を画題に作品を数多く手がけているが、『寓話(おとぎ話)』や『庭のウジェーヌ・マネと娘』本作以前の作品と比較すると娘ジュリーの身体的成長が顕著に表れている。モリゾは娘ジュリーにマンドリンを始め、ヴァイオリン、ピアノ、デッサンなど様々な芸術的教育をおこなっていたことが知られており、本作はその教育の成果を表すジュリーの姿を描いた作品とも言える。ほぼ左真横から捉えられる娘ジュリーの姿は真剣な眼差しをマンドリンの弦を押さえる左手に向けている。力強いモリゾ独特の筆致による場面表現は本作でも健在であるが、より流形的な筆触で対象(本作では娘ジュリーやマンドリン)形体を捉えるこの頃の画家の様式的変化も本作からは感じることができる。特に急激な短縮法によって描かれるマンドリンの流れるような描写は本作の中でも特に注目すべき点であるほか、背景の落ち着いていながら様々な色味を感じさせる複雑な色調と娘ジュリーが身に着ける衣服の絶妙な色調の視覚的対比は、観る者の視線を自然と主対象へと向けさせる。

関連:『マンドリンを弾く娘』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

桜の木(さくらんぼうの木)

 (Le cerisier) 1891-93年
154×84cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

印象派を代表する女流画家ベルト・モリゾ1890年代の傑作『桜の木(さくらんぼうの木)』。本作はベルト・モリゾがパリ西北メズィー滞在時に、桜の木に生る桜桃(さくらんぼう)を摘み取る少女たちの姿を描いた作品で、15世紀フィレンツェ派を代表する画家サンドロ・ボッティチェリ随一の作品で、ルネサンス絵画の象徴的作品のひとつでもある『春(ラ・プリマベーラ)』に表される理想的楽園の情景を、構想の着想源とし(そしてそれを目指し)制作されている。メズィー滞在時、ベルト・モリゾは本画題を精力的に取り組んでおり、1891年の秋にパリの(自身の)アトリエへ戻る前まで、デッサン、水彩、パステル、色鉛筆などを用いた数多くの習作と、油彩による3作品を制作している。本作はその3番目にあたる作品であり、3作品の中でも、特に画家が取り組んだ理想的情景美が最もよく表現されている作品として広く認められている。本作は、メズィー滞在時では娘ジュリーを桜桃を摘み取る少女のモデルに、姪(モリゾの一番上の姉の娘)ジャンヌ・ゴビヤールを脚立の下で籠を持つ少女のモデルに制作されているが、パリのアトリエではプロのモデルであるジャンヌ・フルマノワールが起用された。本作で表現される風薫る春の柔らかく暖かな雰囲気や情景は、ルノワールを感じさせる大らかで流動的な筆触や補色関係にある色彩を多用することによって、類稀な相乗的効果が生み出されており、それらは何れも秀逸な出来栄えを示している。これらの表現手法はメズィー滞在前のモリゾの作品にはほとんど見られない手法でもあり、画家の作品様式の発展という点でも特筆すべき点のひとつでもある。また縦長の構図に配される少女たちの幸福感に溢れる表情や生命感に満ちた躍動的な描写、繊細かつ輝きを帯びた優美な光や春風を感じさせる表現なども本作の大きな見所のひとつである。なお本画題の第1作目は個人が、第2作目は本作同様マルモッタン美術館が所蔵している。

関連:第2作目 『桜の木(さくらんぼうの木)』
関連:サンドロ・ボッティチェリ作 『春(ラ・プリマベーラ)』

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

横たわる羊飼い

 (Bergère couchée) 1891年
63×114cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

19世紀を代表するフランス出身の女流画家ベルト・モリゾ晩年の傑作『横たわる羊飼い』。モリゾ随一の代表作である『桜の木(さくらんぼうの木)』同様、画家がパリ北西のメズィーに滞在していた1891年の春に制作された本作は、この頃、複数枚手がけられたことが確認されている≪羊飼い≫を画題とした作品の中の1点である。モリゾと夫ウジェーヌ・マネとの間に生まれた最愛の娘ジュリーの友人ルイ・ガブリエル・デュフールをモデルとして制作された本作では、横長の画面中央に頭を右側にした羊飼いの少女が肘を突きながら寛ぐように横たわっている。その傍らには一匹の小羊が羊飼いに寄り添うように配されている。画面中央左部分やや上には(おそらくは同時期に手がけた他の作品で描いた梨の枝から着想を得たのであろう)桃色に実った果実が描かれている。本作で最も注目すべき点は、牧歌的かつ楽園的な雰囲気さえ感じさせる本作の田園的風景の描写にある。晩年のモリゾの筆触的特長である、やや長めの直線的に流れるようなタッチによって羊飼いの少女、子羊、果実と枝葉、そして抽象的な背景など本作を構成する要素が描写されており、その何れもが明るく柔らかな優しい光に包まれている。さらにその光によって対象が持つ固有色が折り重なるように輝きを帯び、観る者に自然と幸福的な感情を沸き起こさせる。特に羊飼いの少女が身に着ける橙色の頭巾、肩口まで開いた白い衣服と長スカート、健康的な肌の多様な色彩に溢れた流線的な表現や、簡素化された背景の絶妙に調整された光の表現は画家の晩年期の作品の中でも特に白眉の出来栄えを示している。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示

■ 

かわいいマルセル

 (La patite Marcelle) 1895年
64×46cm | 油彩・画布 | マルモッタン美術館(パリ)

印象主義時代に活躍した女流画家ベルト・モリゾの絶筆『かわいいマルセル』。本作に描かれるのは1892年に最愛の夫ウジェーヌ・マネが他界した後、モリゾらが引っ越した、ヴィルジュストとブーローニュの森の中間にある街ヴェベールのアパルトマンの管理人の娘≪マルセル≫で、本作は画家が風邪を患い、体調を悪化させたことによって筆を置くことになった最後の作品として知られている。画面中央に配される、やや斜めに構えたあどけないマルセルは、口を半開きにして、観る者へ無垢な視線を向ける。その表情は子供が見せる、全く己を飾らない自然体の姿そのものであり、女性や子供たちの瞬間的な日常性を表現することに生涯を懸けて取り組んだモリゾの特徴が良く示されている。特にまどろむかのように描かれるマルセルの瞳の独特の表情や、力みを感じさせないゆったりとしたマルセルの姿態は本作の中でも特に注目すべき点である。さらに画家の晩年期の筆触的特徴である流れるように長く伸びた太線状の筆捌きによって、静的な場面を描いているにもかかわらず、躍動的な生命感を観る者に強く印象付ける。色彩表現においても同様であり、まるで燃えるような赤色によって描写される背景と、あくまでも柔和的で子供らしさを示すマルセルの頭髪の色彩や淡色て処理される衣服の色彩は、画面の中で調和し、豊かな統一感を醸し出している。本作の画面下部、特にマルセルの両手部分や左端部分は、モリゾが10年前(1885年)に手がけた『自画像』と同様、殆ど形態を描写することなく、抽象的に表現されているが、その未処理的な処理が本作をより味わい深いものにしている。

解説の続きはこちら

【全体図】
拡大表示


Salvastyle.com 自己紹介 サイトマップ リンク メール
About us Site map Links Contact us

homeInformationCollectionDataCommunication
Collectionコレクション