Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像
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オディロン・ルドン Odilon Redon
1840-1916 | フランス | 象徴主義




フランス象徴主義を代表する画家。無意識下の世界を描写しかのような幻想性と夢想性に溢れた独自の世界観による絵画を制作。幻惑的かつ神秘的な絵画表現は同時代の絵画作品とは一線を画し、その強烈な個性は当時の象徴主義の文学者・批評家から一目を置かれていた。画業の初期にはロマン主義的な油彩画のほか、画家自身が≪モノクロームのパステル≫と呼称した木炭とリトグラフによる黒の表現を追及し、眼球、首、怪物など奇怪な作品を手がけるも、1890年頃から突如、明瞭で豊潤かつ個性的な色彩表現を開花させ、神話画、宗教画、静物画などを穏健な世界によって描いた。また画家の手がける神話画、宗教画は極端に物語性が希薄なことも大きな特徴のひとつであるほか、数多くの石版画集を制作している。1840年、アメリカから帰国したばかりの裕福な一家の息子としてボルドーで生まれるものの、生後2ヶ月でボルドー近郊のペイルルバードにあるルドン家が所有していた邸宅へ里子に出される。1855年から同地の画家スタニスラス・ゴランから絵画を学ぶ。その後、建築の勉強をおこない、1861年からパリへと移住し、翌1862年にエコール・デ・ボザール(国立美術学校)の建築科を受験するも失敗。一時的に故郷ボルドーへと戻り、1864年からエコール・デ・ボザールで歴史画家兼彫刻家のレオン=ジェロームのアトリエに入るものの、同氏のアカデミックな教育に反発し、翌年には帰郷。この頃までに植物学者(生物学者)アルマン・クラヴォー、銅版画家ロドルフ・ブレダン、バルビゾン派の大画家カミーユ・コローロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワらから多大な影響を受け、独自の絵画世界を構築していく。1867年に版画で、1868年には油彩画でサロン(官展)に入選。1870年、徴兵のために従軍するが病気のために戦線離脱。1879年、初の石版画集『夢のなかで』を刊行。翌1880年にカミーユ・ファルトと結婚。これ以降、石版画集や単独絵画作品を数多く手がける。1886年、最後の印象派展となる第八回印象派展に参加し、ポール・ゴーガンと出会うほか、長男ジャンが生後6ヶ月で死去、大きな失望を味わう。1889年、次男アリ誕生、三年前の長男ジャンの死も手伝って、かつてない幸福に満たされる。その後、代表作『目を閉じて(閉じられた目、瞑目)』が国家買い上げとなる(1904年)ほか、デュラン=リュエルの画廊で個展を開催するなど画家として活躍の場を広げていく。晩年期には黒の世界を完全に放棄し、柔らかな色彩による絵画を制作した。1916年、パリの自宅で死去。

Description of a work (作品の解説)
Work figure (作品図)
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眼=気球

 (Eye-Balloon) 1878年
42.2×33.3cm | 木炭・紙 | ニューヨーク近代美術館

フランス象徴主義の偉大なる画家オディロン・ルドン黒の時代の代表作『眼=気球』。本作はルドンが画業の初期から取り組んでいた、≪モノクローム・パステル≫と呼称される木炭画作品の中の1点で、1878年に制作された本作の画題は名称にて示されるよう≪眼≫と≪気球≫である。本作では画面左下に僅かに生える草以外何も描かれない空虚な荒野の中で、ぽっかりと浮かぶように気球が画面中央に描かれているが、その気球は遥か上空へと視線を向ける巨大な眼球として表現されている。さらに気球に乗せられるのは皿を彷彿とさせる円盤の上に生物(又は人間)の頭部らしい物体の両目から上半分のみが象徴的に描かれている。画家は幼少期に自然の中で孤独に遊ぶ中、己の≪眼≫で見るという力を培い、見る・見抜くという能力がその人物の知性は基より生きる上のあらゆる面で非常に重要であると認識していた。そのようなルドンの≪見る≫行為、そして≪眼≫というものに対する意識が本作には明確に示されている。また本作から感じられる自然の中に潜む混沌とした不気味な恐怖感や幻想性はルドンの頭の中にある(少年期などの)記憶や想像によって創造される心象的世界の象徴化であり、当時、最先端の芸術として花開いていた印象派の色彩豊かな作風と一線を画すかのように、色彩を排した闇を思わせる自然界の陰影と画家の精神性を融合させた黒色によって、夢想性と内面的傾向を明確に示しているのである。なお1882年に制作されたリトグラフ集≪エドガー・ポーに≫の中で本作をほぼ忠実に再現した作品『眼は奇妙な気球のように無限へ向かう』が掲載されている。

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不思議な花(子供の顔をした花)


(Fleur étrange) 1880年
40.1×33.3cm | 木炭・紙 | シカゴ美術研究所

フランス象徴主義の画家オディロン・ルドン黒の時代を代表する木炭画作品『不思議な花(子供の顔をした花)』。1880年に制作され、1882年にパリで開催された画家の個展へも出品された本作は、荒涼とした大地に唯一輪、根を下ろした子供の顔を持つ花を描いた幻想性が際立つ作品である。画面中央よりやや左側に配される一輪の花は細く弱々しい茎を大地に下ろしているが、その先端には細い茎に似つかわしく無いほど大きな花を咲かせており、その重みで茎は弓のように撓っている。まるで闇夜に浮かぶ満月のような花には幼い子供の顔が描き込まれているが、子供らしい笑みすら浮かべないこの花の表情には、自らが置かれる厳しい現実に対する諦念的な感情を見出すことができ、さらには孤独な状況に置かれた自身と外界(又は他者)との間の超え難い絶対的な心の遮蔽すら感じられる。幼少期のルドンは本作の花にも通じる孤独の中で過ごしてきたことが知られており、本作にはそのようなルドンの内面的経験が表れているとも考えることができる。また本作の表現手法に注目しても、一切の色彩を持たないモノクロームの世界による形状・造形描写のみで表現された独特の暗示的象徴性や神秘性などは黒の時代のルドンの作品の中でも特に優れた出来栄えを示しており、今も人々の心に強い印象を与える。

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笑う蜘蛛

 (L'araignee souriante) 1881年
49.5×39cm | 木炭・紙 | オルセー美術館(パリ)

フランス象徴主義の画家オディロン・ルドン1880年代の代表作『アリ・ルドンの肖像』。妻カミーユ・ファルトと結婚した1880年の翌年(1881年)に木炭によって制作された本作は、画家が繰り返し描いてきた≪蜘蛛≫を画題とした作品である。同時代のフランスを代表する小説家ジョリス=カルル・ユイスマンスの傑作≪さかしま≫内に「身体の中心に人間の顔を宿す驚くべき蜘蛛」と表現されたこともあり、人々の注目を集めることになった本作には薄暗い空間の中へ顔と胴体が一体となった非常に足の長い黒蜘蛛が配されるのみであり、わずかに背景として描き込まれているのはタイル的な床だけである。そして画面中央に描かれる黒蜘蛛は、あたかも悪知恵を働かせているかのように、にたりと気味の悪い笑みを浮かべており、観る者にある種の不快で邪悪的な印象を与える。この黒蜘蛛とその笑みは、ルドン、そして人間誰しもの心(精神)の奥底(又は心の闇)に潜む欲望や嫉妬など、知性や理性と対極にある存在の象徴として具象化された生物であり、そのような側面から考察すると黒蜘蛛の浮かべる薄笑みは本作と理性を以って対峙する観る者をあざ笑っているかのようでもある。さらに本作に用いられる≪黒色≫という色彩にも注目すべきである。ルドンは≪黒≫という色を、生命や肉体、精神などあらゆる面における正負的な力の本質的な色彩と捉えており、心の内面に棲む存在(本作では蜘蛛という生物)を黒色で表現しているは、すなわち心の原動であるということに他ならない。なお本作が手がけられた数年後、リトグラフによる作品も制作されている。

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目を閉じて(閉じられた目、瞑目)

 (Les yeux clos) 1890年
44×36cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

フランス象徴主義の大画家オディロン・ルドンの最も重要な作品のひとつ『目を閉じて(閉じられた目、瞑目)』。本作は長男ジャンの死から三年後の1889年に次男アリが誕生した翌年に制作された作品で、水面らしき地平の彼方で眼を閉じた巨大な女性が描かれている。本作が制作される以前のルドン作品は『眼=気球』や『笑う蜘蛛』の様に、一見不気味で奇怪な世界を、木炭やリトグラフを用い黒という単色のみで構成される色彩で描いたもの(作風)が大半であったが、本作には観る者の心に染み入るような温もりを感じさせる豊潤で幻想的な色彩が溢れている。これは長男ジャンが生後6ヶ月で死去し、大きな失望を味わったルドンが、その3年後に次男アリを授かったことで、(画家自身、里子に出され孤独な幼少期を過ごしたことも含めて)これまでに得ることができなかった幸福感に満たされたことが、画家の作風に決定的な影響(色彩)を与えたと考えられる。またルドンは≪目(眼)≫という画題に対して、特別な思いを抱いており、本作を手がけるまで『眼=気球』のように、その目は闇や精神的内面、孤独、不安、死などへと視線が向けられていたものの、本作では、それらから開放されかたのように目を閉じ、穏やかで安らぎに満ちた(目の)表情を見せている。さらに陽光を反射する水面を思わせる画面下部の(本作中で)最も輝度の高い部分は、次男アリの誕生によって画家の内面(心)に射し込んだ希望と喜びの光が反映しているとも解釈できるほか、上空の美しい青色の空の表現には画家の(孤独的な過去)からの決別を感じることができる。なおルドンの黒の時代からの離脱と、色彩の採用という重要な転換点となった本作は1904年に国家が買い上げ、現在はパリのオルセー美術館に所蔵されている。

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ベアトリーチェ

 (Beatrice) 1895年頃
34.5×30cm | パステル・紙 | 個人所蔵

19世紀末に隆盛したフランス象徴主義の孤高なる大画家オディロン・ルドン作『ベアトリーチェ』。本作は古典イタリア文学の最高傑作である長編叙事詩『神曲』の著者として名高い、初期ルネサンスに活躍したイタリアの詩人ダンテ・アリギエーリが恋焦がれた永遠の女性≪ベアトリーチェ≫を描いた作品である。ダンテの代表作『新生』、『神曲』にも登場するベアトリーチェは、通説によればフィレンツェの名家ポルティナリ家の詩人フォルコの娘として生を受け、青年期にダンテの愛を拒絶し、裕福な銀行家シモーネ・デ・バルティと結婚するものの、数回の出産の後(おそらくは産褥熱によって)24歳の若さで夭折した女性で、ダンテはベアトリーチェの死後、彼女を永遠の淑女として生涯の中で賛美し続けることを誓うなど、偉大なる詩人の創作の原動力ともなっていた。本作に描かれるややメランコリックな表情を浮かべるベアトリーチェの横顔からも、そのような永遠の淑女像としての印象を、さらにはファム・ファタル(運命の女)的な象徴性を感じることができる。しかし本作で最も注目すべき点は、このような主題に対する象徴性というよりも、黒の時代を経由し、次男アリ・ルドンの誕生と共に開花させた鮮明な色彩表現にある。画面中央へ描かれるベアトリーチェは明瞭な黄色の色彩が用いられているが、後頭部から後首筋にかけてはやや赤味を帯びた色味が混色され観る者には橙色に映る。そしてベアトリーチェに用いられる黄色や橙色と補色関係にある清涼的な青色を背景(空)色として用い、さらにそれらの境目には薄桃色の硬質的な山脈や空を漂う雲が配されている。主要な色彩数としては非常に少なく、作品自体の構成要素も極めて簡素な本作ではあるが、視覚的な感覚を最大限に活かす本作の色彩対比は秀逸の出来栄えであり、今も観る者を魅了する。

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聖母の窓(ステンドグラス)

 (La grand vitrail)
1895-1903年頃 | 87×68cm | 木炭/パステル・紙
オルセー美術館(パリ)

19世紀フランス象徴主義の巨匠オディロン・ルドン作『聖母の窓(ステンドグラス)』。1895年から1903年頃にかけて制作された本作は、教会聖堂内の窓等に用いられた、着色ガラス片による模様装飾をモティーフとした木炭とパステルによる絵画作品である。教会内を思わせる薄暗い室内の中、画面中央へ中世ゴシック様式を連想させるステンドグラスが陽光を透過させながら神秘的な輝きを放っている。右から2番目のステンドグラスの中へは人物の姿を確認することができ、青色と橙色の補色的な色彩の対照性が観る者を強く惹きつける。このステンドグラス自体も特筆すべき内容であるが、本作で最も注目すべき点は画面左右に描かれる聖母と天使の姿にある。画面左側上部へはおそらく幼子イエスであろう赤子を抱いた聖母マリアが描かれているが、その表情はどこか憂いを感じさせる。またこの聖母子と対称的に画面右下へ配される天使はまるで涙を流すような表情を浮かべながら、古来より死や虚無を象徴する髑髏(頭蓋骨)を抱いている。この解釈については宗教的主題に基づく救世主イエスの誕生(画面左上の聖母子)と死を平等とする人間の断罪とする解釈や、そこから老齢となったと同時に最愛の息子を授かったルドン自身の死生的内面性の現われとする解釈など観る者によって様々に捉えることができる。

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アリ・ルドンの肖像

 (Portrait d'Arï Redon) 1896-97年
45.5×31.5cm | パステル・紙 | シカゴ美術研究所

フランス象徴主義を代表する画家オディロン・ルドンの傑作『アリ・ルドンの肖像』。本作はルドンの最愛の息子である≪アリ・ルドン≫の7歳又は8歳頃の姿を描いた肖像画作品である。画家にとって次男アリは長男ジャンの死(※長男ジャンは生後6ヶ月で死した)から3年後の1889年に誕生した待望の息子で、この次男の誕生は『目を閉じて(閉じられた目、瞑目)』にも示されるよう、画家の作風を激変させるほどルドン自身の幸福の根幹的存在であった。画面中央下部やや右寄りに描かれる次男アリ・ルドンは虚空を見つめるかのような無表情的表情を浮かべている。しかしその描写はルドンの肖像的作品としては非常に珍しく正面から捉えられ、かつ写実性に富んでおり、観る者に対象者、そして画家自身の内面的性格を顕著に感じさせる。その一方、背景として描き込まれる象徴的な小花には画家の大きな特徴である幻想性や抽象性を感じさせる。この写実性と幻想性の対比が本作の独自性をより強調する効果を生み出しており、観る者に強烈な印象を残すのである。さらに本作で注目すべき点は秀逸な色彩表現にある。画面のベースとして(単色的な)緑色を使用し、画面左側にはやや赤味(桃色味)を帯びた乳白色を、右側には黄色を、そして画面中央から下部となるアリ・ルドンには赤褐色(茶色)とややくすんだ青色が絶妙な面積にて配色されている。さらに画面上部左右の花々には差し色(アクセント)として鮮やかな青色が置かれ、画面全体を引き締めている。用いられる色数そのものは少ないものの、その配色感覚と色彩の強弱表現には、かつて黒の時代と呼ばれたモノクローム調の作品が主であった画家とは思えないほど色彩家としての天賦の才能を見出すことができる。

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後光を帯びた聖母マリア(輪光の聖母マリア)


(Vierge nimbée) 1898年
44.2×28cm | パステル・紙 | ゴッホ美術館(アムステルダム)

フランス象徴主義の画家オディロン・ルドンの代表的な宗教主題作品のひとつ『後光を帯びた聖母マリア(輪光の聖母マリア)』。ルドンが黒の時代を経て色彩を見出す直前又は直後頃に制作された本作は、無原罪にて神の子イエスを宿した(処女壊胎)逸話でもあまりに著名な≪聖母マリア≫が小船に乗りながら闇の中で光輪の眩い光に包まれる姿を描いた作品である。画面左側に配される聖母マリアは表情や仕草などは深い陰影に包まれ一切認識することはできない。しかし輝かんばかりの輪光によって外形のみがおぼろげに暗中に浮かび上がっており、聖母の神秘性が際立たされている。そして画面下部左側には小船の先付近から黄金色をした草の芽のようなものが下部右側へと伸びており、あたかも聖母の乗った小船の行き先を示しているかのようである。さらに画面上部には紫色と茜色の雲(※近年おこなわれた調査によって制作当初は紫色のパステルで描写されたものの、経年によって現在の色彩へと変色したと考えられている)が褐色の空に広がっており、観る者にある種の不安定な幻想性を植えつける。本作についてルドン自身は次のように述べている。「暗く褐色の空に紫と茜色の雲。左側の小船には後光に照らされた人物が乗っており、船首(舳先)からは金色の草の芽のようなものが伸びている。燐光のようなものを放つ青い水の上には鬼火のようなものがある。」。本作の明部と暗部の強い対比による神秘性の効果的な表現や静けさを醸し出す青色と心象的な感動を惹き起こす光の使用には画家の色彩家としての才覚を明確に感じることができる。

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キュクロプス

 (Le Cyclope) 1898-1900年頃
64×51cm | 油彩・板 | 国立クレラー=ミュラー美術館

19世紀フランス象徴主義の大画家オディロン・ルドンを代表する神話画作品のひとつ『キュクロプス』。1890年代末頃から1900年にかけて制作された本作は、巨人族キュクロプスのひとりで、乱暴な食人種としても知られるひとつ目の≪ポリュフェモス≫が、海神ネレウスの娘の中のひとりで、水晶より輝き白鳥の綿毛より柔らかと称された美しい海のニンフ≪ガラテイア≫に叶わぬ恋をするというギリシア神話に伝わる逸話を主題に描いた作品である。画面上部に配された岩陰から現れる巨人ポリュフェモスは、大きなひとつ目を見開きながら画面中央のガラテイアを見初めている。ガラテイアは様々な色に咲く花に囲まれながら眠るように横たわっている。ガラテイアにはアキスという美青年の恋人がいた為いくら巨人が得意の笛で愛の曲を奏でようともポリュフェモスの恋が叶うことはないものの、ここにはポリュフェモスの純粋な心情が巨大な瞳の表情からも良くうかがうことができる。また本作では表現様式へ目を向けても、かなり自由的解釈に基づいたポリュフェモスの描写や抽象性が際立つ風景表現、幻想性と神秘性を感じさせる豊潤な色彩などは特に注目すべき点であるほか、1880年にギュスターヴ・モローによって手がけられた同主題の作品『ガラテイア(ガラテア)』との関連性が研究者たちによって指摘されている。

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ポール・ゴーガンの肖像(ポール・ゴーギャンの肖像)


(Portrait de Paul Gauguin) 1903-1906年頃
66×54.5cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

フランス象徴主義の大家オディロン・ルドンが手がけた象徴的肖像画作品のひとつ『ポール・ゴーガンの肖像(ポール・ゴーギャンの肖像)』。1913年に現代欧州芸術を米国へ紹介するために開催された国際現代美術展(アーモリ・ショウ)への出品作としても知られる本作は、ルドンが評価し、また敬念も抱いていた後期印象派の巨匠≪ポール・ゴーギャン≫が1903年に死去したという訃報を受けて制作されたゴーギャンの肖像画作品である。ルドンとゴーギャンは1886年に開催された最後の印象派展≪第8回印象派展≫で知り合って以来、画家として友好的な交友関係を結んでいた間柄であり、本作にはルドンのゴーギャンに対する深い哀悼と画家としての神聖化が示されている。画面中央に描かれるゴーギャンの横顔は僅かに顔面部分に色彩が用いられる他、大部分で暗い黒色を基調とした色彩が用いられており、ルドン自身本作を「黒いプロフィール」と呼称していたと伝えられている。あえて細部を描写せず色彩的抽象化をおこなうことによって画家としてのゴーギャンの人間的側面を除外し、さらに周囲へ色彩豊かな花々を描き込むことによって、画家としてのゴーギャンの神格性を強調させている。この神格化は自らの芸術(の源泉、典拠)を求めてフランス国内から南国タヒチへと旅立ったゴーギャンの芸術に対する飽くなき探究心と行動力への賞賛と敬意の表現として解釈することができる。

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エヴァ(イブ)

 (Eve) 1904年
60×46cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

フランス象徴主義の画家オディロン・ルドンを代表する宗教的主題作品のひとつ『エヴァ(イブ)』。画家が裸婦を手がけ始めた1904年に制作された作品である本作は、旧約聖書 創世記 2章-3章に記される、天地創造の6日目に地上の塵から創造される最初の男性アダムの肋骨より生み出された最初の女性≪エヴァ(イブ)≫を主題とした作品であるが、本作に描かれる本質的イメージは永久、永遠の女性像にある。極めて幻想的で、あたかも浮世離れした背景を背に画面中央へ描かれる最初の女性≪エヴァ≫は、やや伏目がちに視線を傾けるように見えるが、その表情は非常におぼろげで観る者の印象次第で如何様にも受け取ることができてしまう。また描かれるエヴァの一糸纏わぬ上半身は平面性が強調されており、特になだらかな両肩の曲線と異様性すら感じさせる太い右腕の造形はエヴァの現実性を消失させること見事に成功している。また赤みがかったエヴァの上半身や背景、その中で光の輝きを示すかのような(エヴァの周囲の)黄色味や画面右側の異空的な薄青色の配色は、本作に類稀な神秘性と宗教的主題特有の厳粛な雰囲気を与えている。ルドン自身本作に対して「心休まる裸婦、裸体であることを恥らうこともなくエデンの園に居るかのような裸婦を描く。画家によって想像された世界の中の裸婦を描く。そこで行動する裸婦は欲望と無縁の美を開花させ、また同時に卑しさとは断絶した魅力に溢れるのだ。」との言葉を残していることからも理解できるよう、本作にはルドンの抱く永遠の女性像と、そこに生まれる崇高な美が体現されている。

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花の中のオフィーリア

 (Ophélie) 1905-08年頃
64×91cm | パステル・紙 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

フランス象徴主義の巨匠オディロン・ルドンの文学的主題の代表的作品のひとつ『花の中のオフィーリア』。1905年から1908年にかけて制作された本作は、16世紀後半から17世紀初頭にかけて活躍した英国出身の劇作家ウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇のひとつ≪ハムレット≫中、第4幕7章のデンマーク王子ハムレットが父を毒殺して母と結婚した叔父に復讐を誓うものの、その思索的な性格のためになかなか決行できず、その間に恋人オフィーリアを入水自殺という狂死に追いやってしまう場面を主題に手がけられた作品で、1889年のパリ万国博覧会に出品されたラファエル前派の画家らが制作した同主題の作品に着想が得られている。画面右側下部へは恋人ハムレットの狂気や同氏から無下に扱われたこと、そしてハムレットが(誤って)彼女の父である宰相ポローニアスを殺害してしまったことに対する深い悲しみによって入水自殺を図ったオフィーリアの姿が配されているが、その姿は横顔のみであり、さらに顔全体が切りに包まれているかのようにおぼろげな描写で表現されている。さらに画面中央から左側の大部分にかけては本作のもうひとつの主題とも言える色彩豊かな花々が奔放に描き込まれており、このオフィーリアの悲劇的な死が幻想的に表されている。また遠景となる紅に染まる空や、岩肌を連想される硬質的な山の描写には本主題に対するルドンの個性的な解釈と取り組みを見出すことができる。オフィーリアや花、背景などに用いられる赤色、青色、緑色、黄色など有彩色と、水面など画面下部で使用される無彩色の絶妙な面積比と配色バランスは画面全体から醸し出される幻想性と共に本作中で特に注目すべき点であり、それは今なお観る者を強く惹き付ける。

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ルッジェーロとアンジェリカ


(Roger et Angélique) 1910年頃
91.5×71cm | パステル・紙・画布 | ニューヨーク近代美術館

フランス象徴主義の大画家オディロン・ルドンの代表的作例のひとつ『ルッジェーロとアンジェリカ(ロジェとアンジェリカ)』。1913年にアメリカで開催された国際現代美術展への出品作としても知られる本作は、16世紀イタリアを代表する詩人ルドヴィーコ・アリオストの傑作叙事詩≪怒れるオルランド(狂えるオルランド)≫中に記される、美しく又恋多きキタイ(※インド)の姫君アンジェリカが魔術師に騙され海賊に捕らわれた後、海の怪物の生贄として鎖で岸壁に繋がれるものの、彼女に激しい恋心を抱いていた主人公のひとり遊歴騎士ルッジェーロが上半身が鷲、下半身が馬という誇り高き伝説の生物ヒッポグリフに跨りながら怪物を退治し、アンジェリカを救い出す場面を主題とした作品で、フランス新古典主義最後の巨匠ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルも同主題の作品『アンジェリカを救うルッジェーロ』を手がけている。近景として画面左側へ描かれる遊歴の騎士ルッジェーロは右手に長槍を持ちながらヒッポグリフの巨躯に跨り岩に繋がれたアンジェリカを目指している。画面右側へはルッジェーロの参上に気づいたのであろう怪物に怯えながら必死に脱出を試み身悶えする鎖で岸壁へ繋がれた裸体のアンジェリカが描き込まれている。青色を基調とした幻想的な岸壁風景の中へ最も明瞭に描かれるのはおどろおどろしく光に包まれた怪物の姿であり、ルッジェーロもアンジェリカも画面中ではその光によって浮かび上がるのである。また青色の闇と画面下部の荒れ狂うような高波の海は、まるで世界を混沌で包み込むような印象を観る者に与えるが、そこには絶望的な恐怖感はなく、むしろ(ある種の幻覚的な)夢想的雰囲気を感じることができる。本作の独特な主題の表現については画家はもちろん、その時代的背景の影響も考察されており、そのような点からも本作は画家晩年期の代表的作例として特に注目されている。

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オアンネス

 (Oannès)
1910年頃 | 45.5×31.5cm | パステル・紙
国立クレラー=ミュラー美術館(オッテルロー)

フランス象徴主義の巨匠オディロン・ルドンの代表作『オアンネス』。ルドンの晩年期に制作された本作は、同時代を代表するフランスの小説家ギュスターヴ・フローベールの戯曲的小説≪聖アントワーヌの誘惑≫に登場する半人半魚(人頭魚身)のカルデア神≪オアンネス≫を画題に制作された作品で、ルドンは黒の時代から度々この主題に取り組んでいる(※ルドンは≪聖アントワーヌの誘惑≫に着想を得た石版画集を3度も刊行している)。オアンネスは古代バビロニアへ文字や科学など文明を伝えた神であるとされ、フローベールの戯曲的小説≪聖アントワーヌの誘惑≫では「我は混沌の最初の意識であり、形体を定めるために深淵から来た」と記されるよう、混沌の中で生命に姿形を与える役割を担う存在として書かれている。画面中央よりやや右側上部へ配されるカルデア神≪オアンネス≫は思慮深く瞑想するかのように瞳を閉じ、殆ど無表情の姿で夢想的な混沌空間内へ存在している。画面下部には浜辺を連想させる風景の中で古代生物を彷彿とさせる奇怪的な生命体が多様な色彩で描写されており、オアンネスによって形を与えられた生命体は観る者へ強烈な印象を残すほどの存在感を放っている。本作の極めて幻想的で奇奇怪怪な世界観や色彩には画家の想像性が顕著に示されており、ルドンの深い精神世界を強く感じることができる。

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アポロンの二輪馬車(アポロンの馬車と竜)


(Le Char d'Apollon) 1909-1910年頃
91.5×77cm | パステル・油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

フランス象徴主義の巨匠オディロン・ルドン晩年期の代表的作品のひとつ『アポロンの二輪馬車(アポロの馬車、アポロンの馬車と竜)』。本作は古代ローマの大詩人オウィディウスによる詩集≪転身物語(変身物語)≫に記される、大地の母神ガイアに代わって、パルナッソス山の麓に存在したという古代ギリシアの都市国家デルポイの地を守護していた予言の力を有する巨大な雌蛇ピュトンを、神託所を設けるために退治する≪太陽神アポロン≫に典拠を得て制作された作品で、ロマン主義の大画家ウジェーヌ・ドラクロワが手がけたルーヴル美術館の天井画『大蛇の神ピュトンに打ち勝つアポロン』をルドンなりに再解釈した作品であると考えられている。ドラクロワの『大蛇の神ピュトンに打ち勝つアポロン』は野蛮に対する文明の勝利の寓意が込められる作品であるのに対し、ルドンが本作の、特に≪天翔ける馬車≫に込めたものは「アポロンの馬車は苦悩後に訪れる至福の喜びである」と主題について語っているよう、人間の、そして自身の解放と理想の追求の象徴、さらには芸術的創造の象徴としての姿である。本作の主題である≪アポロンの馬車≫はこの頃のルドンが幾度も取り上げていた、画家にとっても非常に重要な主題であり、その中でも本作と、ボルドー美術館に所蔵される『アポロンの馬車(アポロンの戦車)』は人々に最もよく知られている。画面中央にはアポロンの馬車(戦車)をひく4頭立ての白馬が配されており、その姿はまさに≪天翔ける≫ような疾走感に溢れている。画面右側には輝きに包まれた太陽神アポロンがおぼろげに描写されており、画面下部には太陽神アポロンが退治した不気味な黄緑色の大蛇ピュトンがのた打ち回るかのような姿で配されている。本作は色彩表現に注目しても、何層にも重ねられた深みを感じさせる青色の空の描写や、その中に映える白馬の白色や太陽神の金色、そして暗黒の大地の中で不気味な光を帯びた大蛇ピュトンの黄緑色などルドン独特の繊細さを感じさせる色彩構成は特に観る者を魅了する。

関連:ドラクロワ作 『大蛇の神ピュトンに打ち勝つアポロン』
関連:ボルドー美術館所蔵 『アポロンの馬車(アポロンの戦車)』

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青い花瓶のアネモネとリラ(青い壷のアネモネとリラ)


(Anémones dans un vase bleu) 1912年頃
73.8×59.7cm | パステル・紙 | プティ・パレ美術館(パリ)

フランス象徴主義の大画家オディロン・ルドンの代表的な静物画作品のひとつ『青い花瓶のアネモネとリラ(青い壷のアネモネとリラ)』。本作は画家が1900年代以降に数多く手がけるようになった重要なモティーフのひとつである≪花≫を画題とした作品の代表的な作例のひとつである。画面中央下部には深い青色のやや端整な卵型の花瓶が配されており、そこには赤色や桃色、紫色、淡い青色、白色に近い空色(水色)、そして黄色などの花弁を開かせる多種多様な花が描かれており、葉の緑色や背景の強い橙色と見事な色彩的対比を示している。さらにこの背景色は画面下部へと下降するに従い、花瓶の青色と同化するように濃く強い紫色へと色彩的変化している。ルドンは20世紀初頭に台頭してきたフォーヴィスム(フォービスム、野獣派)の画家たちなどから色彩画家としての新たなる評価を受けており、本作には画家の色彩家としての豊かな才能が存分に示されている。さらにルドンの手がける花の作品の大きな特徴としては写実性を感じさせながらもどこか儚げで疎外的な幻想性にある。強く明確な色彩による花々はいずれも輪郭は花弁らしい形態を示しているものの立体性には乏しく、まるで平面的構成が強調されているかのようでもある。さらに輪郭自体も明確である花と背景に溶け込むような花とのおぼろげな差異が観る者に不可思議な感覚を与えている。この視覚的効果こそルドンの目に映る(精神的)世界そのものでもあり、観る者は強い印象を受けるのである。

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エジプトへの逃避


(Fuite en Egypte) 1890年代以降
45×38cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

フランス象徴主義における稀有な存在オディロン・ルドンの代表作『エジプトへの逃避』。詳しい制作年代については画家が色彩表現を開眼させた1890年代以降、付け加えればルドンが自身の芸術的展開において≪宗教的主題≫≪神話的主題≫≪英雄的主題≫の3主題に注力し始めた1900年以降に制作されたと推測するのみである本作は、新約聖書に記される有名な逸話≪エジプトへの逃避≫を主題に制作された作品である。本主題≪エジプトへの逃避≫はユダヤの王ヘロデが、やがて己の地位を脅かす存在になる神の子イエスの存在を恐れ、ベツレヘムに生まれる2歳以下の新生児の全てを殺害するために兵士を放ったものの、聖母マリアの夫である聖ヨセフが天使から「幼エジプトへ逃げよ」と託宣を受け、聖母マリアと幼子イエスを連れエジプトへと逃避する場面を指し、ルドン自身は主題に対して「希望もなく、また終わりもない亡命の苦悩の中、祖国から遠く離れた空の下を必死に逃避する姿」と捉えていたことが知られており、本作には画家の幼少期から抱き続けた心象的世界観を見出すことができる。画面左下に配される聖母マリアに抱かれる幼子イエスとロバをひく義父ヨセフは真紅の外套を身に着け神々しい光に包まれている。背景は(本主題としてはやや珍しく)神秘的で不安定な闇に包まれており聖母子らの放つ光によって一本の大樹が照らし出されている。この大樹は画家の故郷ボルドー近郊ペイルルバードの森林の樹木を彷彿とさせ、唯一本のみ配される大樹にはルドンの幼少期の孤独的な心象風景を感じることができる。また色彩表現においても幻想性が漂う暗中における光彩と色彩描写には当時の画家の芸術的典型を見出すことができる。

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