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Introduction of an artist(アーティスト紹介)
画家人物像

ピーテル・ブリューゲル Pieter Brueghel the Elder
1525-1569 | 不明(ネーデルランド) | 初期ネーデルランド絵画

16世紀に活躍した画家、素描家、銅板下絵画家。ヤン・ファン・エイク以来となるネーデルランド絵画の巨匠となった。出生地は不明だが近年は現ベルギーのリンブルグ州だと推定されている。数年間のイタリアでの修行の後、1555年に帰国、ヒエロニムス・コックの版画下絵画家として活躍し、同じ頃すでに伝説の巨匠であったヒエロニムス・ボス風の幻想や奇怪的な作品を制作。1563年にブリュッセルへ移住してからは農民を題材にした作品を数多く描き「農民ブリューゲル」と呼ばれた。またピーテル・ブリューゲルの息子ピーテル・ブリューゲル(父と同名)とヤン・ブリューゲルは同じく優れた画家であり、区別すべく、ピーテル・ブリューゲルを大ブリューゲル(又はブリューゲル(父))、息子ピーテル・ブリューゲルをピーテル・ブリューゲル(子)、その弟ヤン・ブリューゲルヤン・ブリューゲル(父)と表記されることが多い。(ヤンの息子も画家であったため(父)と表記する)


Work figure (作品図)
Description of a work (作品の解説)
【全体図】
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イカロスの墜落のある風景 1556-1558年頃
(Landscape with the Fall of Icarus)
73.5×112cm | 油彩・板(画布) | ブリュッセル王立美術館

巨匠ピーテル・ブリューゲル初期の代表的な作品『イカロスの墜落のある風景』。古典神話を題材とした現存する画家唯一の作品としても知られる本作に描かれるのは、オウィディウスの転身物語より、クレタ島の王ミノスに仕えた伝説的な名工ダイダロスが、自身の裏切りによってミノス王に捕らえられている息子イカロスの救出を目論み、息子イカロスに蝋(ろう)と羽で拵えた翼を与え空から脱出を試みるも、脱出途中で興奮した息子イカロスが空高く舞い上がったために太陽の熱で蝋(ろう)が溶け、海へと墜落して死してしまう≪イカロスの墜落≫の場面で、イタリアでの修行からの帰国直後頃に描かれたと考えられている。本作では墜落するイカロスの扱いは非常に小さく、画面右部の帆船の下に下半身だけが描かれ、画面の大部分は農耕に従事する民の姿とブリューゲル初期様式の特徴である高位置の視点による風景描写によって占められているほか、構成はほぼ忠実に転身物語の記述に従い描かれているも、水平線に近い低い位置に描かれる太陽に相違が認められる。また一部からは、老農民の姿に「人が死しても、鋤は休まぬ」というネーデルランド地方に伝わる諺の解釈が指摘されている。

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謝肉祭と四旬節の喧嘩
(The Fight between Carnival and Lent) 1559年
118×164.5cm | 油彩・板 | ウィーン美術史美術館

16世紀ネーデルランド絵画史における最大の巨匠ピーテル・ブリューゲル初期の代表作『謝肉祭と四旬節の喧嘩』。風刺的寓意画として知られる本作は、主イエスの死からの復活を記念する祝日≪復活祭(イースター)≫の前の40日間、受難者イエスの死を偲び(伝統的に)肉食など食事の節制と祝宴の自粛をおこなう修養期間≪四旬節(レント)≫と、四旬節に先立ち(一週間から数週間)肉食など禁則事項との告別をおこなう祭事≪謝肉祭(カーニバル)≫を題材に人間の利己と愚考に満ちた姿を描いた作品で、一般的にはカトリック(四旬節)とプロテスタント(謝肉祭)の対立を表現したものと解釈される。これは本主題は中世以来、文学者たちにも好まれた題材で、当時の人文学者たちは(当時の)欧州の混迷はカトリック(四旬節)とプロテスタント(謝肉祭)の対立にあると指摘していたことを典拠にしたと推測えられている。画面下部中央に描かれる樽にまたがり豚の頭や肉の串焼きを手にする男は≪謝肉祭(カーニバル)≫の擬人像と、二匹の鮫を乗せたしゃもじを手に樽の男と対峙する痩せた老婆は≪四旬節(レント)≫の擬人像とされるほか、多大な影響を感じさせるヒエロニムス・ボスの代表作『快楽の園』のような高視点からの群集構成によって表現される本作は、中央から左を≪謝肉祭(カーニバル)≫、右を≪四旬節(レント)≫とし、それぞれに関連する(200種類以上の)様々な行事・行為が画面内へ描かれている。なお本作の題名は16世紀後半の画家で美術史家でもあるカレル・ヴァン・マンデルによる北欧最初の美術史「画家列伝」に由来する。

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ネーデルランドの諺 (The Netherlandish Proverbs) 1559年
117×163cm | 油彩・板 | ベルリン国立美術館

16世紀ネーデルランド絵画の偉大なる巨匠ピーテル・ブリューゲルの全作品中、最も有名な作品のひとつである『ネーデルランドの諺』。本作には当時の人々の生活を舞台に、様々に繰り広げられる諺や格言の場面が80種類以上(一説では約120種とされる)描かれている。古くから諺を題材とした作品は幾多の画家が描いているも、本作のように複数の諺や格言が収集、編纂され構成される作品は、当時(15〜16世紀)の人文主義者がおこない流行させた。本作に描かれる様々な諺や格言の中で最も印象的な場面は、画面中央やや下に描かれる≪夫に青外套を着せる妻≫で青い外套(マント)は裏切りや欺瞞を意味し、老夫に青い外套を着せる行為は、老夫に対する妻の肉体的な裏切りや金銭目的の結婚であることを示している。このような人間に備わる欺瞞やエゴイズム、愚行は本作における最も重要な題材であり≪夫に青外套を着せる妻≫の場面はそれを象徴する存在として、17世紀には本作の名称として使用されていた。なお本頁では≪夫に青外套を着せる妻≫を始めとした代表的な場面を四つ紹介しているが、本作に描かれる諺や格言の全解説はこちらの内容詳細図に記した。

参照:『ネーデルランドの諺』内容詳細図

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子供の遊戯 (Children's Games) 1560年頃
118×161cm | 油彩・板 | ウィーン美術史美術館

16世紀ネーデルランド美術史を代表する大画家ピーテル・ブリューゲルの特徴が良く示される作品のひとつ『子供の遊戯』。美術史家カレル・ヴァン・マンデルの伝記で始めて言及され、オーストリアのエルンスト大公に譲渡された後、現在はウィーン美術史美術館が所蔵する本作は、男女問わず数多くの子供たちが遊戯に興じている場面を描いた作品で、ブリューゲルの類稀な傑作『ネーデルランドの諺』同様、ひとつの画面内に様々な人々の様子を示した最初期の群集構図作例のひとつである。古くから人間(特に大人)活動における社会的規範から外れた罪深い行為や嗜好の寓意的表現と解釈される本作であるが、近年の研究によって人生の四段階(幼年期、青年期、中年期、老年期)中、若さを示す≪幼年期≫の寓意的解釈が唱えられている。また当時の遊戯を網羅した百科事典的性格も併せ持つ本作には260人余りの子供らによる約90種類の遊戯が示されている。

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悪女フリート (Dulle Griet (Mad Meg)) 1562年 | 油彩・板
115×161cm | マイヤー・ヴァン・デン・ベルフ美術館

農民画家ピーテル・ブリューゲルを代表する風刺画のひとつ『悪女フリート』。制作の経緯は現在も不明である本作は、一般的に当時流布していた男性を支配する強い女性の主題(例:ズボン獲得闘争など)を意図に、手におえない性格の悪い女を象徴する名称フリートから「地獄の入り口で略奪し、無傷で帰還した」というフランドルの諺を描いたものとされている。中央やや左寄りに描かれる悪女フリートは右手に闘争を象徴する剣を、左手に家庭と生活を象徴する食料や食器の入った鍋を持っている。そのまわりで徘徊する異教的な生物(悪魔)は先人ヒエロニムス・ボスの多大な影響を感じさせ、画面右部で悪魔と対峙し闘争する女性(主婦)群像は、当時の社会において強さを増した女性たちに対する画家の鋭い考察と風刺を示している。

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死の勝利 (The Triumph of Death) 1562年頃
117×162cm | 油彩・板 | プラド美術館(マドリッド)

初期ネーデルランド絵画の巨匠であるピーテル・ブリューゲルの代表的作例のひとつ『死の勝利』。署名や年期は残されていないものの、全ての者に訪れ蹂躙する死の圧倒的な存在と、それに対する人々の儚い抵抗という陰惨な主題から、おそらくは当時の社会において強さを増した女性たちに対する画家の鋭い考察と風刺が示される『悪女フリート』や、善徳と悪徳の対決を描いた『叛逆天使の墜落』と同時期(1562年頃)に描かれたと推測される本作は、当時ネーデルランド地方で制作された伝統的な木版画と、イタリア滞在時に同地で見た同主題の作品から構想を得ていることが指摘されている。本作に示される骸骨の姿で表現された≪死≫の象徴(運び手)たちは、画面内のあらゆる場面で身分を問わず全ての人々を蹂躙し、支配している。画面左下部では人間の王が≪死≫の象徴によって生命と、その財産(金貨)が強奪され、画面下中央から右部分においては、集団化した≪死≫の象徴が、人間の生と喜びを象徴する≪晩餐≫を破壊し強奪や姦淫を犯しながら進軍している。そこで剣を手にとり必死に抗う人間の姿が描かれるも、大軍の前には虚しい抵抗であることが窺い知れる。このような(画家の独創性を示す)陰惨で絶望的な場面描写によってピーテル・ブリューゲルは逃れられない≪死≫の圧倒的な存在を示しているのである。

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叛逆天使の墜落 (The Fall of the Rebel Angels) 1562年
117×162cm | 油彩・板 | ブリュッセル王立美術館

大画家ピーテル・ブリューゲルを代表する作品のひとつ『叛逆天使の墜落』。本作に描かれるのは大天使ミカエルが率いる天使軍≪善徳≫と、天を追放され冥界へ落された神の敵対者である堕天使サタン(ルシファー)を始めとした魔界軍≪悪徳≫との対決≪叛逆天使の墜落≫場面である。堕天使サタン(ルシファー)を始めとした魔界軍の極めて異形的な姿と、≪善徳≫と≪悪徳≫を図像として同等に扱っていることは、本作に示される画家ブリューゲルの最も大きな特徴として特筆すべき点である。通常、このような≪善徳≫と≪悪徳≫の対峙を扱った主題ならば、伝統的に父なる神の使徒≪大天使ミカエル≫を中心とした天使軍(善徳)の圧倒的な存在感と勝利が描かれる(例:ドメニコ・ベッカフーミ作『叛逆天使を退治する大天使ミカエル』)のに対し、本作では≪善徳≫と≪悪徳≫が繰り広げる、渾然とした闘争場面の描写に注力され、それは画面全体を支配する混沌とした場面表現や、天上の光の中から≪善徳≫と≪悪徳≫が入り乱れ降下してくる姿としても示されている。また魔界軍の異形的姿には先人ヒエロニムス・ボスからの影響を如実に感じさせ、本作においては類稀な個性として圧倒的な存在感を示している。

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バベルの塔 (The Towar of Babel) 1563年
114×155cm | 油彩・板 | ウィーン美術史美術館

巨匠ピーテル・ブリューゲルの最も世に知られる代表作『バベルの塔』。旧約聖書創世記 第11章に記されている伝説の塔で、ノアの洪水後、人間が天にも届くような高い塔≪バベルの塔≫を築き始めたのを神が見て、その驕りを怒り、人々の言葉を混乱させ建設を中止させたとされる逸話中、塔の建設場面を描いた本作は、内部まで細密に描かれている建設途中の塔の形態、色彩、人物・風景描写など各部分において特筆に値する秀逸の出来栄えを示している。ノアの洪水後、ノアの子孫ニムロデ王が自身の力を誇示せんが為に高い塔を築き始め、その奢りに神が怒り、人々の言葉を混乱させ建設を中止させたことから、世界中の言語が誕生したとされている。建造を指導したニムロデ王は、人類の堕落に怒った神の命を受け箱舟を造り、自身の家族と一つがいずつの動物たちと共に乗船し、神が起こした大洪水を77日間生き延び、新たな人類の祖となった義人ノアの息子の子供とされる。なお本作を描いた翌年に、画家は本作より塔の完成が進んだバベルの塔を描いている。

関連:1534年制作『バベルの塔』

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暗い日 (The Gloomy Day) 1565年
118×163cm | 油彩・板 | ウィーン美術史美術館

季節ごとの農民の生活を描く連作月暦画の1点『暗い日』。ブリューゲルの友人でありアントウェルペンの裕福な金融商人ニコラース・ヨンゲリンクの邸宅の装飾画として制作された本作を含む連作月暦画は2ヶ月毎の生活を描いた合計6点からなる作品群だと推測されているも、現存は5点で、『春(4月・5月)』を表す作品が消失している。本作は初期の代表作『謝肉祭と四旬節の喧嘩』に登場する人物に似た者が描かれる点などから、おそらく2月・3月を描いた作品であると考えられる(2月は謝肉祭の月)。薄塗りで手がけられた風景描写や、生活観を如実に感じさせる農民の生々しい姿、冬季らしい鈍い光彩による暗部の表現など本作には各所にブリューゲルの特徴を感じさせる。

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干し草の収穫 (The Hay Making) 1565年
117×161cm | 油彩・板 | プラハ国立美術館

季節ごとの農民の生活を描いた連作月暦画の1点『干し草の収穫』。ブリューゲルの友人でありアントウェルペンの裕福な金融商人ニコラース・ヨンゲリンクの邸宅の装飾画として制作された本作を含む連作月暦画は2ヶ月毎の生活を描いた合計6点からなる作品群だと推測されている本作は、おそらく6月・7月を描いた作品であると考えられており、連作月暦画に示される季節によって変わりゆく風景の描写はブリューゲルが最も注力した部分であり本作でもそれが如何なく発揮されている。やや薄塗り的な描写によって表現される本作の遠景は、写実性を示しながらも独特の詩情的な雰囲気を醸しだしており、ある種の物語画的な印象すら与えている。また本作では≪干し草の収穫≫で示される前景に描かれた≪人間活動≫の描写も、この連作において共通する重要な要素であり、現在では当時の生活を描写した資料的価値も含まれている。

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穀物の収穫 (The Corn Harvest) 1565年
118×160.7cm | 油彩・板 | メトロポリタン美術館

季節ごとの農民の生活を克明に描いた連作月暦画の1点『穀物の収穫』。ブリューゲルの友人でありアントウェルペンの裕福な金融商人ニコラース・ヨンゲリンクの邸宅の装飾画として制作された連作月暦画は2ヶ月毎の生活を描いた合計6点からなる作品群の1点だと推測されている本作は、おそらく麦などの穀物の収穫時期にあたる8月・9月を描いた作品であると考えられており、生きるために欠かせない労働と収穫の喜びを自然の中へ調和的に描き出すことで、ブリューゲルの本質的な思想が表現されている。また見事な細密描写による右部背景には教会(聖堂)の屋根が描かれており、自然界と人間との深い繋がりをより強く示すことに成功している。これらが示す幾つかの特徴が重なり合うことによって、本作にも連作月暦画シリーズに示されるブリューゲル独特の詩情的雰囲気が感じられるのである。

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牛群の帰り (The Return of the Herd) 1565年
117×159cm | 油彩・板 | ウィーン美術史美術館

季節ごとの農民の生活を克明に描いた連作月暦画の1点『牛群の帰り』。ブリューゲルの友人でありアントウェルペンの裕福な金融商人ニコラース・ヨンゲリンクの邸宅の装飾画として制作された連作月暦画は2ヶ月毎の生活を描いた合計6点からなる作品群の1点だと推測されている本作は、収穫時期が過ぎた10月・11月の冬にそなえ牧草地で蓄える家畜(牛)や農民らを描いた作品であると考えられている。連作月暦画に共通する石膏の下地を生かした薄塗りの風景描写は、本作においる最も特徴的な描写技法のひとつであり、一連の作品群の中でもブリューゲル独特の抒情に富んだ雰囲気が見事に反映された特筆に値すべき出来栄えを示している。また輪郭線の強い牧草地から帰路につく家畜と農民らの生活感に溢れる描写や晩秋を感じさせる寒々しい薄暗い場面表現は、ブリューゲルの作品世界へと誘う重要な要素として、観る者に強い印象を与えている。

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雪中の狩人(The Hunters in the Snow)1565年
117×162cm | Oil on panel | ウィーン美術史美術館

季節ごとの農民の生活を克明に描いた連作月暦画の1点『牛群の帰り』。ブリューゲルの友人でありアントウェルペンの裕福な金融商人ニコラース・ヨンゲリンクの邸宅の装飾画として制作された連作月暦画は2ヶ月毎の生活を描いた合計6点からなる作品群の1点だと推測されている本作は、収穫の見込めない冬期(12月・1月)に農民たちがおこなう狩猟の風景を描いた作品であると考えられている。ネーデルランドの伝統的な月暦農事の図像を周到しつつ、画家独自の画風で大自然に繰り広げられる農民の営みを季節感に満ちた情景が描かれている本作は、連作月暦画の中でも特に秀逸の出来栄えを見せており、古くから農民画家ピーテル・ブリューゲルの特徴が良く示された最高傑作のひとつとして知られている。

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怠け者の天国 (The Land of Cockaigne) 1567年
52×78cm | 油彩・板 | アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)

初期ネーデルランド絵画最後の巨匠ピーテル・ブリューゲル(父)を代表する寓意的作品のひとつ『怠け者の天国』。本作に描かれるのは、怠惰と暴飲暴食を目的とした架空の(又は堕落的理想の)世界とそこに存在する住人の様子である。この何もせずとも美食にありつける飽食の世界の住人は全て怠け者として、すなわち僧侶(又は学者)、兵士、農民は働くことなく、ただ寝そべるのみである。中世以来、逸楽郷の世界観を表現する主題は一般的なものとなっていたが、本作では本主題の登場人物のその後、つまり偶者は後に懲罰を受ける運命にあることを示さずに、人物の滑稽な姿を重視して描かれている。また、このような人間の怠惰な一面が表現される本作には、精神性の不毛の象徴として≪食べかけの卵≫が描かれるほか、ブリューゲルの代表作『ネーデルランドの諺』にも示されている≪菓子の屋根(豊富で有り余ることを意味する)≫、≪腹を突き刺された豚(既に事は決められていることを意味する)≫など様々な寓意が散りばめられていることも本作の注目すべき点のひとつである。

関連:ピーテル・ブリューゲル作『ネーデルランドの諺』

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農民の婚宴(The Peasant Wedding)1568年
114×168cm | Oil on panel | ウィーン美術史美術館

農民を描いた画家ブリューゲルの傑作『農民の婚宴』。本作は画家がキリスト教の主題である≪カナの婚宴≫から着想を得て描かれたと思われ、構図的に見ても類似する点が多々指摘されている。また本作は、完成した後に、何らかの理由から下部が切断されており、本来はそこに署名、年記などが記されていたと考えられている。なお、一部の研究者からは同時期に制作され同サイズであることから『農民の踊り』と一対であったとする説が唱えられている。この喜ばしく愉快に進行する婚宴の主役のひとりである花嫁の姿が特徴的な本作など、画家は生涯において婚宴を題材に数点の作品を手がけているが、花嫁は判別されても、もう一人の主役である花婿が判別できない作品が存在する。本作もその中の一点。その他、喜ばしい婚宴の最中、部屋の隅で密かに話をする修道士と村の領主が描かれており当時から規律や戒律を重んじる両者にとっては、このような宴は推奨されるものではなかったことが窺える。なお本作を含め、画家が農民を描いた作品は寓意的な意味を持つ作品も有名だが、当時の農民の実態を描いた作品も秀逸なものが多い。

関連:ピーテル・ブリューゲル作『農民の踊り』

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農民の踊り (The Peasant Dance) 1568年頃
114×164cm | 油彩・板 | ウィーン美術史美術館

大画家ピーテル・ブリューゲルを代表する作品のひとつ『農民の踊り』。本作に描かれるのは画家随一の傑作とされる『農民の婚宴』と同様、農民の日常生活における集団的風景を描いたもので、村の聖堂の開基祭を祝う縁日の様子を、巨大な人物描写などイタリア絵画風のモニュメンタル的な画面構成によって表現しているのが大きな特徴である。本作において、ブリューゲルは単に農民の日常風景を捉え描いたのではなく、画面右端に描かれた聖祭の象徴である聖母マリアの絵画に背を向け、暴飲暴食や情欲に溺れる農民の姿や、怠慢や憤怒、虚偽を露わにする農民の姿や象徴を大きく取り上げることで、道徳的な戒めを表している。このようなアイロニー的な表現はブリューゲル作品の最も重要な表現のひとつであり、本作は画家後期の様式による作品の代表的作例として広く知られている。なお一部の研究者からは同時期に制作され同サイズであることから『農民の婚宴』と一対であったとする説が唱えられている。

関連:ピーテル・ブリューゲル作『農民の婚宴』

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足なえたち (Cripples) 1568年
18.5×21.5cm | 油彩・板 | ルーヴル美術館(パリ)

16世紀のネーデルランド絵画史最大の巨匠ピーテル・ブリューゲルを代表する寓意的作品のひとつ『足なえたち』。本作は二肢マヒの為に歩行の手段として松葉杖を使用する者≪足なえ≫たちを乞食の姿で描いた作品で、五人の乞食らはそれぞれ王、司教、兵士、市民、農民という社会的階級層を暗示させる帽子を着用するほか、体には精神の俗化の象徴である狐の尻尾を無数に身に着けた姿は、(一般的に社会的弱者の姿を用いて)人間が見せる偽善的行動への批判、特に聖職者の偽善や貧欲への痛烈な批判だと解釈されている。このような社会的な権力層に対する批判が込められた寓意的な表現は、ピーテル・ブリューゲルの作品の大きな特徴でもあり、本作はその性格が強く示された典型のひとつとして広く知られている。また本作に描かれる足なえ(の乞食)たちは、聖書の中で聖人らがそれを癒す逸話としてしばしば登場するなど一般的な題材であったほか、画家が1559年に手がけた代表作『謝肉祭と四旬節の喧嘩』の中にも描かれている。

関連:ピーテル・ブリューゲル作『謝肉祭と四旬節の喧嘩』

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盲人の寓話 (The Parable of the Blind) 1568年
86×154cm | テンペラ・板 | カポディモンテ国立美術館

巨匠ピーテル・ブリューゲルが手がけた寓意画作品の傑作『盲人の寓話』。本作に描かれるのは、新約聖書マタイ福音書に記される、盲人が同じ盲人を導くことによって、ついには両者とも穴へ墜落してしまうという寓意から、真の信仰は正しき導き手(善き教師)によってのみもたらされ、肉体的欠陥より信仰の欠如という精神的な欠陥の恐怖を説いた≪盲人の寓話(盲人が盲人を手引きする)≫で、聖書内へ記される盲人の人数は二人とされているが、本作では六人もの盲人が登場している。本作においてブリューゲルは対角線上に盲人の列を配し、上方では危険に気付かず導かれるまま歩く姿を、下方では穴に落ち苦しむ姿や危険が振りかかる直前の恐怖と不安に引きつった姿をまざまざと描き、この各人物の行動で本主題の直感的な寓意を表現するほか、画面上部中央やや右寄に配する教会によって、本来目指さねばならない正しき信仰を示している。ブリューゲルは代表作『謝肉祭と四旬節の喧嘩』など自身の作品にしばしば盲人の姿を登場させており、盲人(社会的弱者)に強い関心を抱いていたことが窺える。本作は当時、過剰に高まっていた宗教改革とその思想への強い批判が込められていると考えられる。

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